たわごと
(これは、宮城教育大学長伊藤博義氏がノートに書き留めた外尾先生の片言隻語。先生が古希に臨んで1994年1月に作成した自家製ワープロ文書「随想」に記念のためおさめたもの。)
- 法学の研究には、研ぎ澄まされた人権意識と磨き抜かれた憲法感覚が不可欠である。
- 学問には厳しく、人には寛容に。
- (仕事も)受身になったらやめた方がよい。
- 方角を学ぶためには、天分よりも努力が求められる。
- 芸術家以外は、特別な才能などは必要ない。九十数パーセントは努力でできる。
- 明日のことは分からない。だからやれるときにやっておかなければならない。
- 五割できる(条件がある)場合に、「それだけ出来る」と思うか、それとも、「それしか出来ない」と思うかによって大違いだ。
- じぶんのこころがまえ一つで先生はどこにでもいる。僕は随分いろんな人から教えられてきた。
- 戦中から戦後にかけて知識人の変身をさんざん見てきたので、自分としては常に一歩さがって冷静な批判が出来るように心がけてきた。
- 「学恩には業績をもって答えよ」という課題を自らに課してきた。(「労働団体法」はしがき)
- 学部長の仕事で忙しい時は、朝七時に研究室に出てきて研究活動を続けた。
- 評価はあの世へ行くときに決まる。それまでは一人で走るマラソンで自分とのたたかいだ。
- 書いたものは死んだあとにも残るからね。
- 大先生がどう言っているかが問題なのではない。君がどう考えているかが大事なのだ。
- 一つの事柄について深く考え詰めていくなかで、他の問題についても疑問が湧いてくる。
- たった一行の文意を理解するために、一日中考え続けることが必要なこともある。
- 研究対象の素材は無数に存在している。比較法研究は、そのような素材発掘の重要なヒントを与えてくれる。
- 何か書こうとするときは、先ず、それについて今までどのような研究がなされているかを知り、次にどんな問題が残されているかを考え、最後にそれについて自分が何か言えるだろうかと問うた上で、はじめて書くに値するわけだ。
- 助手の時、「論文を一つ書こうとしたら、先ず、それに関する五十冊の著書を集めなさい」、と宇野弘蔵先生に言われた。
- 沢山書いている人のものはやっぱりいいものは少ない。だが何も書かないのはもっとだめだ。数は少なくとも、常に書き続けることだ。何か一つでもキラッと光るものを。
- 情熱的であることと感情的になることとは異なる。情熱をもって仕事をしなければならないが、感情的な書き方をしてはならない。
- 論文はアジビラではない。理性に訴えるのであって感性に訴えるものではない。
- 不用意な修飾語を使ってはいけない。やたらと形容詞や副詞、ひどいのになると枕詞までくっつけている文章が少なくない。それらを取り去ったら何が残るというのだ。
- 法律の論文は、小説や詩とは異なる。情緒的な表現は極力避け、可能な限り平易な言葉で論理を展開すべきである。
- 論文は、法律を知らない高校生が読んでも理解できるようなものでなければならない。
- 人間というものは弱いものだ。だから人間くさい理論を!
- 各論のない総論はありえない。(先ず、各論から)
- 「裏付けのある主張」、「立証できる論旨」、つまり、「評論でなく論文を!」。
- 肝心なことは、どのようにすることが妥当かということなのだが、問題はそのために無理のない論理が組み立てられるかということである。
- 原理的な枠組みをきちんとたてたうえで論理を展開していかないと、相手の論理にひきずられてしまう。
- いかにも論理的なように見せかけている判決文の、その背後にあるものをえぐり出すというのは、きわめて社会科学的な判例研究だと思うよ。
- 私は、教授の論文より助教授(あるいはそれ以下)の論文の方を期待して読む。
- 疲れたら他のことを考えて頭を休めよ。(積極的修養法の習得)
- 切り替えの速さが大切。(鍛錬で身につく)
- 人間の本姓というものは、社会体制が変わってもそう簡単に変わるものではないね。(社会主義国の現状認識の視点)
- 民主主義の復元力としてもっとも大切なのは、「言論の自由」だと思う。
- 「組合の欠点を理由に組合を破壊しようと試みることは、権力の濫用を理由に政府を廃止しようと試みることに等しい」のである。この問題は、組合民主主義を徹底させる方向で解決すべきであろう。(「労働団体法」はしがき)
- ME化の時代・・・これからはますます「ホンモノ」が求められていくだろう。「ホンモノ」の仕事だけが生き残れるということだね。