東北大学
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外尾先生 – 還暦挨拶

同窓会

還暦祝いのあいさつ (私家版「随想」1994年1月 所収) 名誉教授 外尾健一(故人)

皆さん、本日はどうも有難うございました。生憎、雪になりまして、私が人並みにこういうことをやるから雪になったのか(笑)、あるいは皆さん方がめずらしくこういうことをしてくれたから雪になったのか(笑)、よくわかりませんが、とにかく遠い所を、またお忙しい中を有難うございました。
今から八年ぐらい前でしたか、東大のある先生の還暦のお祝いに東京までいったんでありますが、私のことですから、つい「おめでとうと言うべきか、ご愁傷さまというべきか」(笑)と言いましたら、その先生はニヤッと笑って、「イヤ、あんただってそのうちこうなるんだから」と言われました。その先生の予言がピタリとあたりまして(笑)、今日、六〇になりました
私はかねがね、四〇、五〇は洟たれ小僧だとおもっておりました。そういう意味からすれば、今日は成人式を迎えるということでございました、大変すがすがしい雪が降りまして(笑)、私の出発にふさわしいと、こう思っております(拍手)。
還暦のお祝いをして下さるというお話がありまして、「それじゃ、うちでコンパでもやるか」と言っておりましたら、だんだんとこういう盛大な会になってしまいました。また、先程は保原君から大変お褒めの言葉を頂きまして、「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」という句を思い出したくらいでございます(笑)。しかし、人間だれしも褒められて悪い気持ちはいたしません。こんなに気分がよくなるなら、ひとつこの次は古希、さらに喜寿、米寿と祝って頂きたい(笑)。しかし、これはお祝いをして下さる方がいないとだめでありますから、どうか皆さん、せいぜい長生きをして(爆笑)、さしあたっては古希のときに、また今日のような気持のよい会をもって頂きたいと今からお願い致しておきます(拍手)。これだけでも十分であるのに、また大変結構な記念品を頂きまして有難うございました。先ほど、ご紹介がありましたように、私が選んだものです(笑)。何人かの先生方の還暦の祝いに私も出ましたが、私の還暦は生憎と一月ですので、下手にチャンチャンコを着ますと、お正月の猿回しを皆さん思いうかべるだろうというので(笑)、先手をうちましてチャンチャンコはやめてくれとお願いしました。そして、研究室でも着られるような仕事着、それも私のセンスにあわせてワインカラーを選ばせて頂きました。なお、予算があまっているから、もう少しなにか記念品をということで、温泉に夫婦でご招待というのはどうかというお話がありました(笑)。私は思わず歳末の大売り出しの福引きに当たったような心境になりまして(爆笑)、これは任せておいたら、研究室にばかりいないで身体をきたえるためにゲートボールのセットをおくろうなどということになりはしないか(笑)と思いまして、慌ててまだ現役だから万年筆にしてくれといったのです。今使っているのはアメリカのパーカーの万年筆ですが、生協の食堂の開設記念に配った中の一本です。当時、私は生協の理事長をしておりましたので、仕入れ価格がいくらかということもちゃんと知っておりますが、シャープペンシル二本くらいの値段です。しかし、非常に書きやすいので愛用しておりましたが、なにせ一〇年近くたっておりまして、インクが飛び散ったりするものですから、買いかえたいと思っていたところでした。これも、丸善の広告で見たフランスのウオーターマン、非常に値段の高いものでございまして、これを選ばせて頂きました。万年筆はウオーターマン、今の私の心境はヤッターマンです(爆笑)。
学生のことば、今流行のことばで言えば、人間を六〇年もやっておりますと、いろいろなことがありました。先程、私がここに赴任したころから頭はあまり変わらないという話がございましたけれど、外観だけでなく、中身も変わりません。年をとるとボケるとか記憶力が衰えるとかいわれますが、そういうことは少しもありません。ただ、都合の悪いことはすぐに忘れます(笑)。これは昔からそうでありますから、年とは無関係でございます(笑)。ついでに自慢話をいたします。先ほどお話がありましたように、去年の九月にソウルに学会でいきました。成田の空港で待っている間、ソウルとはどういう所かという予備知識を得ようと、家内が持っておりました交通公社のパンフレットを開きましたら、うしろにハングルの反切表がのっておりました。そういうものを見ますと、名所旧跡はどうでもよくなるのが私のくせでして、これをひとつおぼえてやろうと勉強したわけです。母音が一〇、子音が一四、その組み合わせですが、だいたいソウルに着いたころには、街の看板は読めるようになりました。ホテルに行って手を洗いながら、なぜ俺はこんなにクールなんだろう(笑)と鏡をみましたら、なるほど頭はクールなんですね(笑)。まあ、これは今に始まったことではございません。むかし、教務係の男の子が、「学生は、鬼の折茂、仏の外尾といっている」というので、「俺はそんなに甘い点数をつけたおぼえはないがなぁ」と言いましたら、「いえ、頭から後光がさしている」(爆笑)ということでした。
まあ、いろいろ思い浮かべますと、あっという間の六〇年でございますが、本当にいろんな人に助けられ、また、いろんな人に教えられて今日まできたわけです。しかし、振返ってみますと、どうにも説明がつかない偶然というもの、これは人によっては運命というでしょうし、あるいは神の導きとおっしゃる方もいると思いますが、確かにそういう偶然というべきものがいくつもあります。それが私にとりましては、すべていい方にいい方に働いてきた。この点はいつも感謝しているわけでありますが、三つだけとりあげてお話しましょう。
一つは、私には額に傷が二箇所ありますが、子供のころ大げんかをしまして、相手は上級生だったんですが、勝ったんですね。その人が逃げて帰るので立ち上がったら、なぐられたような感じがしました。遠くから石のかけらを投げられて、額から目が見えなくなるくらい血が吹出したわけなんですが、もしそれが二センチ下だったら、恐らく失明していたと思います。まあ今日のような生活はなかったかも知れない。そういう意味では、とても運が良かったと思います。
それからもうひとつは、子供のころガキ大将の一方の旗頭でした、将来は陸軍大将になろうと思ったこともあります。ところが中学校に入るころから目がわるくなりまして、受験資格がないということになりました。結局、私の夢はかなわなかったわけですが、友人で職業軍人になった人は、あるいはビルマの戦線で戦死したり、あるいは無事に帰ってきても大変な苦労をしておられます。もし私の目が良かったら、恐らく私の友達がそうであったように、今と違った道を行っただろうとおもいます。これもまったく偶然であります。
大学に身をおくようになったのも、これまた偶然です。もし会社あるいは役所に入っていたら、当然別の道を歩んだわけです。私は何事も一生懸命やる方でありますから、会社に入りましたら悪くても重役クラスにはなったろうと思います。そして会社のために、政治家のところに五億円もっていけと言われたら、恐らく私はもっていっただろうと思います(笑)。そういう状況に自分を置かなかったのも偶然の要素が働いているだけだと思います。そういう意味で自分は運が良かったと常日頃から感謝しています。
しかし、運が良かったといっても、ただ、流れにまかせて今日まできたわけではありません。私なりに身につけた人生観なり哲学というものがあるように思います。ご参考までにお話しすることにいたしましょう。私は、比較的若いころから自分のペースで歩いてきました。これは少年の頃、病気になったりして人より遅れたときに、自分にいいきかせているうちに身につけたものだと思います。「ひとはひと、自分は自分」ということですが、他人をうらやましがったり、自分がいばったりしてはいけないということです。結局、自分の道は自分一人で歩まねばなりませんから、ある局面で他人と比較してうらやましがったり、得意になったりすることがいかにおろかなことであるかということを比較的早くから身につけることができたわけですが、自分のこれまでの歩みに中では一番役に立ったと思います。昔、助手の頃、私の指導教官の先生から、「君は大物だね」といわれたことがあります。なぜかというと、目の前にバスがきているのに走ろうともしないで、悠々と歩いて次のバスに乗った(笑)というのですね。「バスの一台や二台、乗り遅れてそれがなんだ」というのが私のいうマイペースであります。しかし、マイペースといっても、おおむね自分には厳しいが、他人にはできるかぎり寛容にという態度をとりつづけてきたと思いますし、「自分は自分」といっても、ほかの人の喜びや悲しみは、一緒になって心から喜んだり悲しんだりすることもできると思います。
二番目ではありますが、私は常に何事にも積極的にとりくんできたと思います。もっとも、つまらないことには手を抜きますが、肝心なことは一生懸命やってきたつもりです。二、三年前に学会の帰り、四国を伊藤君、高木君と一緒に旅行して回ったことがありますが、そのとき伊藤君が「『外尾先生における幼児性の研究』という論文を書かなければいけない」というので、「なんだそれは」と聞きましたら、「何事にも好奇心をもつ、すぐに高いところに登りたがる」(笑)ということでした。これも、無意識ではありますが、何事にも積極的にという私の性格の現れではないかと思います。
最後は、同じ事なら、常に善意に解釈しろということです。これは中学の先生に教えられたことですが、いつも肝にめいじて今日まできました。オプティミストは本当に気が楽です。同じ酒を飲むにしても、「もう半分しか残っていない」といって嘆くより、「まだ半分も残っている」といって喜ぶ方が人生は楽しいわけです。
まあ、いろんな方から教えられたものが私の人生哲学の中には凝縮されているわけですが、今日はこの三つをなにかのご参考になればと思って申し上げた次第です。
ほんじつはどうも有難うございました(拍手)。

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