研究叢書 >> ジェンダー法・ジェンダー法・政策研究叢書第5巻 >> はしがき
ジェンダー法・ジェンダー法・政策研究叢書第5巻
『セクシュアリティと法』(齊藤豊治・青井秀夫編)
はしがき
東北大学21世紀COEプログラムの「男女共同参画社会の法と政策」は、その研究成果をジェンダー法・政策研究叢書として公刊してきている。本書はその第5巻である。このプログラムは、6つのクラスターを横軸に、3つの部門を縦軸に構成されている。本書は、「身体・セクシュアリティ」クラスター(Dクラスター)の3年間にわたる研究の成果を編集したものである。本書掲載論文の多くは、公開研究会や学内研究会での報告と討論を踏まえて、執筆されている。本書では『セクシュアリティと法』というタイトルを掲げたが、扱う内容は、人権の基礎理論、ポルノグラフィ、人工妊娠中絶問題、性暴力、ドメスティック・バイオレンスなど、極めて多様である。そこで、本書が扱っている各論文を領域ごとに腑分けし、全体像を示しておきたい。
まず、辻村みよ子「ジェンダーと人権」は、普遍的人権とは相対的に異なる女性の権利の意義とその課題を提起しており、本書のベースとなる論文である。辻村論文でも示されているように、身体とセクシュアリティは、大別して二つの領域に分かたれよう。
第1の領域は、セクシュアリティに関する領域であり、1. 女性に対する暴力、すなわち性暴力やDV、2. 売買春、3. ポルノグラフィなど性表現に関するジェンダー的視点からの検討がなされている。この領域では、性的自己決定ないし性的自由の権利の確立が共通の課題とされてきている。国際的にも女性に対する暴力の克服はフェミニズム運動の主要課題の一つであり、多くの議論と研究が蓄積されてきている。わが国でも、被害者やそれを支援する女性運動および女性弁護士などの提起によって、問題の重要性が認識されるようになった。1990年代以降、DV法、性暴力犯罪に対する法定刑の引き上げ、児童買春・児童ポルノ法、ストーカー規制法など、この領域ではフェミニズム運動をも背景に、立法化が相次いで行われている。しかし、伝統的な刑事法理論の側の対応は緩慢であり、近年になってようやく、伝統的な刑事法学の領域でも議論が活性化する兆しを見せている。しかし、現状では、女性の性的自由の内実や何が保護されるべき法益であるかについて、検討は不十分であるといわざるをえない。他方では、それらの権利や自由の保護の方法として、刑事司法による保護がどこまで許容されるべきかが問われている。たしかに、刑事司法の領域におけるジェンダー・バイアスが女性の被害者に対して深刻な二次被害を生じる傾向があることが指摘されており、そうしたバイアスが除去されるべきは当然である。しかし、他方では、刑事司法による介入に関しては、適正手続を初めとする人身の自由にかかわる人権の保障とのかねあいが問題となり、リベラリズムの側からの批判も根強い。本書の論者の間でも、ニュアンスの差が見られる。第2の領域は、妊娠中絶や体外受精など生殖医療にかかわる領域である。アメリカでは、産む・産まないに関する女性の自己決定権が相対的に重視されているのに対して、ドイツではナチズムへの反省から、胎児の生命を人の生命に近いものとして保障することこそ、人間の尊厳に合致するという志向が根強く存在する。他方では、医学の進展にともない、生殖医療が可能な領域が拡大しており、産む権利もまた女性の自己決定権の範囲内に含まれるとすれば、生殖医療の技術を用いて、子どもを持つことが権利の中に含まれるのかが問題となる。それは、とりもなおさず、生殖医療の倫理的法的な限界をどのように設定するかという問題と裏腹の関係に立つ。本書に掲載されている若手の論文の多くは、外国法研究でもあるので、多数国間の比較検討に対して、有益な素材を提供している。
国際交流と情報の発信は、このCOEプログラムにおいて精力的に行われており、Dクラスターにおいても同様である。本書には、外国の研究者や実務家の寄稿が含まれている。COE研究会では、ウルリッヒ・ローマン教授によって「ドイツのジェンダー法と政策」に関する報告があったが、本叢書ではこれを第11巻に掲載予定であり、本書では、韓国、スウェーデン、アメリカに関する研究が収録されている。韓国は立法が比較的日本と似通っているだけではなく、民主化の過程にあり、男女共同参画の取組は日本よりも進んでいる点も少なくない。女性省(2005年7月より女性家族省)が置かれており、女性の国会議員の増加のためのポジティブ・アクションがとられている。ツ國の論文は、韓国の刑事司法に関するジェンダーの問題をめぐる立法と解釈・運用について、鋭い分析を加え、日本の研究に対しても、示唆に富む論文となっている。ジェニファー・ロングの原稿は、アメリカにおいて全米検察官協会の研究所(APRI)が行っている女性への暴力事件の訴追に関する検察官への研修に関して、詳細な紹介を行っており、実務にとっても有益であろうと思われる。性暴力の問題は「人間の安全保障」(Eクラスター)につながるとともに、生殖医療の問題は「家族」(Cクラスター)とも関連が深い。今後、叢書として刊行される予定のこれらの巻の論考もあわせて、検討していただくことをお薦めしたい。
ジェンダー研究に関して、本書の各執筆者の間に蓄積の差異があることは否めない。編者にとってもジェンダー研究は新しい領域である。われわれは、年長者である ──年齢からいってもジェンダー・バイアスが強い可能性が大きいにもかかわらず── ということから、編集を引き受けることとなった。「最初は誰もがビギナー」であるというある種の開き直りがなければ、何事も始めることはできないと考え、引き受けた次第である。編者は研究会等を通じて、辻村代表を初め、研究の蓄積という点で申し分のない人々から多くの示唆を受けるとともに、若い研究者たちからエネルギーをもらってきた。記して、謝意を表したい。
男女共同参画社会を実現し、ジェンダー・センシティブネスを高めることが成熟した民主主義社会にとってますます重要となることは、明らかである。ジェンダー・センシティブネスを欠いた行動は被害者に対してさまざまな苦痛と害を与えるだけではなく、ブーメランのように行為者にもはね返ってきて、更なる悲劇を生むといった事件も時折、見聞きする。本書が、そうした不幸な事態を防止するうえでも、何らかの寄与ができれば、幸いである。
齊藤豊治
青井秀夫