貧富や性別の壁に阻まれない社会へ!パワフルに未来を切り開く

もり まさこ

内閣総理大臣補佐官(女性活躍担当)
東北大学法学部1987年卒
父が借金の連帯保証人となり、貧困家庭に育つ。
司法試験合格後、弁護士として消費者事件を主に担当。
1999年 日弁連の制度を活用しニューヨーク大学へ留学
2005年 金融庁に入庁。貸金業法改正を担当。
2007年 参議院議員選挙当選。消費者庁設置に携わる。
2012年 少子化・消費者担当大臣就任
2019年 法務大臣就任
2021年〜 現職

苦学しつつ、かけがえのない人脈を育んだ学生時代

 仙台は都会なので、福島県から進学したときは嬉しかったです。映画館などの娯楽施設はもちろん、自然も充実している杜の都。いいところでした。

 私は貧しい家庭の出身だったので、東北大学には全額奨学金で進学しました。入居した如春寮には、経済的に恵まれない学生が集まっていましたね。共有キッチンで当番制で食事を作っていましたが、食糧が足りず米だけになることもありました。そのような中で、国際政治学ゼミの大西仁先生が、仙台のご自宅に学生を招いて、奥様手作りの素敵なドイツ料理をご馳走してくださいました。本当にありがたく、嬉しかったです。

 お金に余裕がなかったので、寮に届くアルバイトの募集に片っ端から応募して、毎日のように働いていました。設計士のバイト、測量士のバイト、飲食店も家庭教師も、ドラマのエキストラまでやりました。男性陣に「森さんは飲み会に誘っても全然来てくれなかった。僕たちのことなんか相手にしていなかったんだろう」なんてボヤかれましたけど、行くお金も時間もなかったんですよ。

 東北大学で結んだ友情は、一生の財産です。ピンチのときやお願いをしたいとき、みんな快く力を貸してくれます。私は課外活動で、模擬裁判実行委員会に所属していました。国会議員になった後、世界弁護士会の大会が日本で開催されました。前例のない、一大イベントでした。その際に、外国から来た弁護士を各所でもてなす人手が必要になり、模擬裁判実行委員会の友人弁護士などと力を合わせました。30代で赤ちゃんを抱えて女ひとり子ひとりで留学したとき、私(アジアの若い女性、子連れ)に対して、ニューヨークで不動産業者にひどい部屋を押し付けられたときも、東北大学の国際弁護士の友人がニューヨーク州の弁護士を紹介してくれて、少額裁判を提起しました。原告として生の裁判実務も見ることができ勉強にもなりました。枝野幸男くん(立憲民主党 衆議院議員)は大学の同学年です。

「ここで働かせてください!」予備校で受験生兼職員に

 大学の図書館で司法試験の勉強をしていましたが、自分だけの勉強では受かることができませんでした。司法試験の勉強は、広く浅くしなければならないので、テクニックが必要なんです。大学の授業は中身を狭く深く掘り下げるので、司法試験の対策には向いていませんでした。

 当時は仙台に司法試験の予備校がなかったので、卒業後、東京の予備校に行きました。そうしたら、基礎講座が年間100万円と書いてありました。とても払えなかったので、予備校の学院長に、「ここで働かせてください!」と頼み込んだんです。

「ここで働く代わりに、基礎講座を無料にしてください」

「君は変わった子だね。司法試験に受かって、何がしたいの」

「私が何をしたいかではなく、はっきり言って、私が弁護士になった方が世の中のためです!」

「ほんとに変わった子だね。分かった、明日から来なさい。給料を講座代に充てなくてもいい。免除してあげよう。ただし、無条件であげるのは君のためにならないから、弁護士になってから返してもらおう。借用書もきちんと作ろう」

 こうして、私はその予備校で、受験生兼職員の第1号となりました。私が受験生の目線で講座を企画して次々にヒットを飛ばすので、これはいい制度だということで、受験生兼職員は増えていきました。受験生兼職員のためのルームを作ってもらいましたが仕事に熱中していると、K先生という大人気の先生が、「森さんの仕事はこれじゃないでしょ。あなたのやることは司法試験の勉強ですよ」と言って、私の姿勢を正してくれました。それでまた勉強に力を入れて、1993年、5回目の挑戦で晴れて司法試験に合格することができました。

0歳の子供とアメリカ留学へ 消費者弁護を学ぶ

 福島県で弁護士をしようと思っていましたが、司法修習時代に東京出身の同期と結婚したので、東京の弁護士事務所に入りました。就職活動をしたら、なんと1年目の給料が男女で違うんですよ。司法試験に受かったばかりで実力も分からないのに、女性の給料は男性の3分の2。今でも、男女給与平均の差は存在しており(日弁連調査)、平等にするよう日弁連に訴え続けています。そんな中、男女の待遇が平等の事務所に就職できました。

 1年目から日弁連の活動をしてもいい事務所だったので、さっそく、消費者問題対策委員会というところに入りました。私のような貧しい家庭の人たちが騙されて、子供たちが泣いている。そういう事件を救うための弁護団活動をしました。国際人権委員会にも、子供の権利委員会にも入りました。

 私が弁護士になって1年後に、日弁連が費用を出して弁護士を留学させる制度ができました。日弁連としては、消費者法や子供の権利などの人権的なことをやっている弁護士が留学して、世界の人権弁護を日本に持ち帰って欲しいという考えがありました。

 選考を突破して、消費者法で最先端を行くニューヨーク大学へ留学しました。妊娠9ヶ月の大きなおなかで面接に臨んだ私に対して、日弁連の面接官は生まれてくる子供をどうするかに関する質問は一切せず、留学して何を学びたいのかを尋ねました。さすがでした。私は消費者法について滔々と語りましたね。

 ニューヨーク大学では、赤ちゃんを連れて大学に来るのが普通でした。色々な国からきた弁護士が、みんな子連れなんです。大学の保育園に子供を預けることができるし、赤ちゃんが寝ていたら講義室に連れてきても誰も文句を言わない。街でも、ベビーカーを押して階段に差しかかると、3人くらい周りの人が駆けつけてきてお手伝いしてくれました。

 ところが日本に帰ってきたら、地下鉄にポスターが貼ってあって。「ベビーカーを押している人は、他の乗客の迷惑にならないようにしてください」…。逆でしょ。日本ってなんて遅れてるんだろうと悲しくなりました。

 消費者法の勉強をして帰ってきて、「消費者庁を作るべき」という内容の論文を書きましたが、それと同じくらい、日本で女性活躍を進めないとダメだなと思いましたね。それが今の私の仕事でもあります。

 余談ですが、この時の赤ちゃん(長女)が今年、予備試験と司法試験をどちらも一発合格しました。ニューヨーク大学時代の恩師からは「あのBabyはどうしてる?」と、毎年聞かれますが、もうBabyではないのですがね…。次女は今、大学2年生(法学部)です。

4歳の長女と1歳の次女とともに微笑む森まさこ氏

官僚の世界へ グレーゾーン金利を撤廃せよ

 日本に帰ってきて、赤ちゃんがいる状態で再就職をどうしようかと思っていたときに、金融庁が弁護士の募集をしていたんです。大蔵省が財務省と金融庁に分かれて、官僚が足りない。官僚と同じレベルで法律が作れて、大臣にレクチャーできるのが弁護士です。「ニューヨークで学んできた、国際的な感覚や消費者保護を金融行政に活かします」と面接で熱弁して採用されました。

 私は課長補佐として貸金業法の担当になりました。私の両親を貧困に追い込んだ貸金業。希望したわけではなかったのに、運命というものでしょうか。

 同期に、貸金業法の担当になったと伝えると「残念だね」と言われました。

「貸金業法は、もう20年もグレーゾーン金利が改正されていないから、きっと森さんのときも改正されない。何も仕事がないよ」

「悔しい。絶対改正してやる」

 「絶対にグレーゾーン金利を改正します」と言ったら、貸金部屋のトップの信用制度参事官がこう語りました。

「実際、官僚はね、哀しい生き物なんだ。自分が法律を改正したいと思っても改正できないんだ。改正するのは、国会。国会議員なんだよ。国会議員の先生が、大臣が、この法律を改正すると言わないと、官僚は動けない」

 このときに、そうか、なら国会議員になろうと決意しました。ひとまず官僚として今すべきことを尋ねると、「貸金業法を改正するという政治家が現れたときに、すぐに出せるように、今から条文を書いておきなさい」と助言してくれました。その通りに、日弁連でやってきた消費者弁護を生かして、条文の改正案を書き貯めていったんです。

 2005年、神が降臨しました。与謝野馨さん。いわゆる「郵政選挙」を経て、金融・経済財政対策担当大臣に就任しました。就任したその日に大臣車の中で発した言葉は、関係各所を瞬く間に駆け巡りました。

「最近少し気に食わないことがある。その1つが貸金業だ。サラ金がテレビで堂々とCMを打っている。それが気に食わんね」

 私たちはすぐに貸金業法の改正に動きました。しかし与党が了承しないと、政府だけでやるといっても通らない。大臣政務官が自民党の若手に呼びかけてくれて、徐々に賛成派が増えていきました。私も与野党全ての政党の関連会議を担当官僚として回って、「政治はこうやって動いていくんだ」ということを体感しましたね。

 2006年12月13日、金融庁が提出した貸金業規制法を抜本改正する法案は、衆参両院で全会一致で可決されました。歴史的な瞬間でした。

女性の能力を羽ばたかせるのが現在のミッション

 日本は「ジェンダーギャップ指数」が146カ国中116位(※)で、先進国で最低。全体でも限りなくビリに近い。日本の女性は非常に優秀なのに、就職1年目にして、賃金の男女格差に直面します。そういう障壁をなくしていけば、優秀な女性の知能を生かして、日本の様々な課題を解決できる。女性政治家の数も、もっと増やしていかないといけません。

 直近の目標は、12月3日に総理主催で開催される「国際女性会議WAW!」を総理補佐官として大成功に導くことです。世界100カ国以上から、閣僚レベルの女性や女性経済人が日本に集まります。

 東北大学は、女子を初めて受け入れた、誇らしい大学。そのような東北大学から、国際女性会議WAW!に参加してくれる学生を心よりお待ちしています。(参加費無料、オンライン可です)

どんなに小さなチャンスでも全力で取り組んでほしい

 国際政治学ゼミでのことです。ゼミでは担当する国を選ぶのですが、私はフィリピンを選びました。そうしたら、つい先日、フィリピンのサラ・ドゥテルテ副大統領と2人きりで対談する機会に恵まれました。大学でフィリピンを専攻していたとお話ししたら、すぐに仲良くなれました。

 将来何が役に立つかなんて、分からないですね。結構昔のことが、今につながっていることが多いです。

 若い人には、どんな小さなチャンスでも、ありがたいと思って取り組んでほしいと思います。人生には、今までの自分の狭い知識、短い経験では想像できないようなことがたくさんあります。今の知見で物事の要不要を判断することほど、おこがましいことはありません。与えられた機会に全力で取り組むことが、あなたの将来をよりよくしていきます。

 インタビュアーの学生さんたちには、官邸内の私の執務室へわざわざお越し頂きありがとうございました。


聞き手:中村未来(4年)
大槻周平(4年)
清水拓 (2年)


脚注
World Economic Forum(2022), The Global Gender Gap Report 2022, https://www.weforum.org/reports/global-gender-gap-report-2022/