多様性に満ちた社会を支える行政官 何事も前向きな姿勢で

堀井ほりい 奈津子なつこ

愛知県江南市出身。平成2年に東北大学法学部卒業後、労働省入省。育児休業制度や介護人材確保対策などにあたり、岡山県や消費者庁でも勤務。2015年、愛知県副知事に任命され、男女共同参画の推進などに携わる。厚生労働省に復帰後は、厚生労働省雇用環境・均等局雇用環境均等課長、同局総務課長、財務省大臣官房審議官(大臣官房担当)を歴任。2022年から厚生労働省高齢・障害者雇用開発審議官。

多彩な交流を楽しんだ学生生活

 私は、愛知県江南市で生まれましたが、小学校時代は仙台市で過ごしました。とにかく仙台という街に対するイメージはすごくよかったですし、少し年の離れたいとこ(現在弁護士の菊地秀樹さん)が、東北大の法学部に進学していました。親からは手に職をつけるようにと言われていたので、法学部の方が進路選択の幅があるかしらといったぐらいの気持ちで、東北大学法学部に進みました。学部に入って勉強しながら、自分に合うことを見つけていけばいいかな、ぐらいに当時は考えていましたね。

 大学では、模擬裁判実行委員会(模擬裁)と現代司法研究会(司法研)という二つの自主ゼミに所属しました。どちらも司法試験を目指す人が比較的多かったような気がしますが、私自身は法曹界へ行くというのとは違う方向を目指そうかなとぼんやり思っていました。そんなに熱心に活動をやっていたというわけではなく、当時の写真を見ると飲み会の時のものが多かったりするわけですけれど、自主ゼミ等は普段あまり関わりを持つことのない先輩や後輩と知り合うことができますよね。役所に入ってからも、財務省に出向した時、模擬裁の先輩(総務省の米澤俊介さん)と同僚になったことには驚きました。東北大の模擬裁の方と役所で一緒になるなんて、と感慨深かったです。

模擬裁の芋煮会

模擬裁公演前メイク中の様子(セリフのない役だったとか)

 学外とのつながりでいいますと、ジャズやボサノヴァのヴォーカルを教えてくれる、赤坂さんというマスターが営むジャズバーが近所にあり、よく行っていました。“サテンドール ” というお店で、そこには東北大の他学部の人やエフエム仙台のアナウンサー、主婦の方とかが来ていて、みんなでヴォーカルを習ったり、月に一回お客さんの前で歌ったりしていました。私は他の皆さんと違って歌が上手くはなかったのですが、こういう学外の世界やそこで会う人とのつながりがとても楽しくて、学生生活の中でもちょっと変わった時間だったかもしれません。旅行も好きなので「せっかく東北大なので東北以北に!」とお休みを利用して同期とちょこちょこ行っていました。

 当時は、自分の生活圏や活動範囲がとても小さな世界で、人間関係もごく限られているなと思いながら過ごしていました。ただ、東京等とは一線を画した、静かで落ち着いた環境に身を置いていたことはいやな感じではありませんでした。街全体が非常に住みやすいですし、仙台を好きな方は多いのではないでしょうか。厚労省の仙台赴任経験者とも、また仙台に住むとしたら、次はどこに住みたいか、等と話したりすることもあります。

“サテンドール”でマイクを握る堀井さん

フィレンツェ卒業旅行

大学4年の秋に旅行した法学部同期の女子の皆さん(場所:十和田湖、前列中央が堀井さん)

新進気鋭の研究者から受ける刺激

 法学部は科目選択が自由でした。「法学部なのにこの科目をとっていないのですか?」みたいな人もたまに出る。そんな自由な雰囲気がありました。

 3年生でのゼミは、とにかく自分の狭い視野を広げたいという思いで、植木俊哉先生の国際法ゼミをとりました。今や理事・副学長という大先生の植木先生も当時は、東大からいらしたばかりの若い新進気鋭の助教授でした。ゼミの初めのときに、将来何になりたいか、と学生に聞かれ、私はなぜだったか、国際的なNGOで働きたいというふうに言った記憶があります・・・。

 4年生のときには、公務員という進路を何となく意識するようになって、藤田宙靖先生の行政法ゼミをとることにしました。ゼミでは、藤田先生の講義を聞いて、いろいろと本も読ませていただきました。そのころから、いろいろな利害が対立しながらも、その中で物事を決めていく過程の中に身を置きたいという気持ちが出てきました。

 植木先生もそうですが、労働法の岩村正彦先生(東京大学名誉教授。現中央労働委員会会長)など、当時、東北大には東大などから若くして来られた助教授の先生方が多かったです。東北大のいいところは、東京等の規模の大きな大学と比べると、一学年の人数が少なくて、先生方との距離が近いところもあると思いました。誤解を恐れずに言えば、学生とそんなに年齢が変わらないような先生方なのに、本当に優秀な方々で、学問に対する姿勢や能力の高さに刺激を受けたことは特に印象に残っています。

第一期植木ゼミ(前列中央が植木助教授(当時)、前列右から2人目が堀井さん)


労働省の自由な風土で人との縁にふれる

 国家公務員を目指そうかと思って、藤田先生の行政法ゼミに入ったわけですけど、当時の東北大学では国家公務員試験を受けて採用される学生は今より少なかったです。私自身のリサーチ不足ということもありますが、仙台であまり情報がない中で、国家公務員試験を受けた感じでした。今だと情報収集の手段と量が格段に違うし、インターンシップなどもできて本当に羨ましいのですが、当時は全然そういうのもありませんでした。国家公務員試験に合格したと藤田先生に報告したら、もう先生がすごくびっくりして「今頃、東京の学生はみんな官庁訪問している、すぐに回りなさい!」と言われ、慌てて東京で官庁訪問をしました。藤田先生のあのときのアドバイスがなかったら、私が今ここでこうやって皆さんにお話しできることにはなってなかったと思います。そういう意味では、今の学生の皆さんは、ネット環境も含めて非常に情報が得やすくて、東北大、仙台という地理的な遠さみたいなものはたぶん感じないことが多いのかなという気がしますね。


 官庁訪問ではいくつかの省庁を回るわけですけど、労働省に決めた理由は、女性がとても活き活きとされていたからです。面接でもそういう女性の先輩方からお話を聞いて、ここは働きやすそうだと思いました。村木厚子さん(元厚生労働事務次官)にも面接でお会いしました。手に職をつける、働き続けるということを意識してきた中で、労働省の業務内容と雰囲気は、そういう自分の気持ちとも親和性があったと思います。

 今は内閣府が男女共同参画施策の推進を中心的に担っていますが、かつては労働省が女性の地位向上を所掌していたことがありました。歴史的な話をすれば、戦後GHQや関係者が日本の政府の中に「婦人局」のような局を作ることを考えて、その「婦人局」をどこの役所に置くかということについて、議論があったそうです。婦人問題一般に関する事項を労働省が所掌するのは妥当ではないという意見と、婦人の地位向上は結局、経済問題や労働問題の解決によることが多いから、労働省で婦人問題一般も所掌するべきという意見などがあったようですが、結局、労働省の中に、婦人少年関係を所掌する婦人少年局を設置して、そこが中心となって関係省間の連携を図るということになりました。戦後の日本の女性の状況に鑑みて、働くこと、経済力をつけることが女性の地位向上に不可欠だという発想を聞いた時にはなるほどな、と思ったのですが、そういう歴史的経緯もあったからかもしれません、私が入省した30年ぐらい前のときは、霞が関にあまり女性はいませんでしたが、労働省に官庁訪問に行ってみたら女性が面接で出てこられて、労働省には新しいシステムを取り入れやすい柔軟な雰囲気があるように感じました。女性の先輩後輩も仲が良くて、そういう中でのびのびと仕事をさせていただけたことは本当に財産だと思います。


 労働省入省後も、しばらくは異動の度毎に「やったことのない仕事、これまで配属されたことのない部局」に配属されるということが続きました。他省庁への出向や地方勤務などもそうですし、これは役所の仕事をしていればよくあることです。じっくり一つのことをやりたいというような方からは、ちょっと敬遠されることかもしれませんし、確かに異動直後は覚えることが多く、大変なこともありますが、私自身は新しいことを担当するのはいやではありませんでした。

 はじめは職場で飛び交う言葉自体、よくわからなかったりするような状態から、少しずつ理解が深まり、自分の頭の中に新しい回路が出来てくるような感じで、そうなると、これまでの自分の経験と新しい経験をつないだ発想ができることもあります。さらにこれは、仕事のカウンターパートについても同様で、これまで知り合うことのなかった分野の方々と仕事をし、色々教えてもらうことで、どんどん自分の世界が広がるような気がします。そういう方々に、異動後別の局面で助けてもらうこともありました。

労働省の入省同期(前列左から2人目が堀井さん)

パワハラ防止法の制定からみる複雑化する社会への対応

 労働省入省後、組織は厚生労働省に変わりましたが、その中でも様々な仕事に携わらせてもらいました。ダイバーシティ(多様性)ということが言われますが、そのような言葉が広まる前から、高齢者、障害者、外国人及び女性等に関する雇用対策の担当として、制度の企画や運用を担当しました。

 最近特に印象深かったのは、パワーハラスメント対策の法制化に携わったことです。日本では、事業主に対してパワハラの防止や対応などのために必要な雇用管理上の措置義務を課するという形で、令和元年に法改正がされました。それ以前は、セクシュアルハラスメント、妊娠・出産等に関するハラスメント、育児休業や介護休業を取ったことに関するハラスメントについては、法律上規定がありましたが、パワハラが問題になって、パワハラについて何も法律で規定されていないと議論になり、じゃあパワハラについてどのような対策ができるかという立案に担当課長として携わり、同じ局の総務課長に異動してから法案が成立したというのが令和元年のことでした。

 パワハラはあってはならないことです。ある仕事ができないからといって全人格を否定するようなことは当然あってはならない一方で、仕事を回していく、働く側も業務を学んで向上するうえでは指導も不可欠です。暴力など明らかに問題であると分かりやすいケースは別として、業務上の指導や指示とパワハラとの違いを突き詰めると、線引きが難しいという意見もありました。

 これからの時代は立場の違いや利害の対立がある中、何とかして全体最適解を考えて出していく場面がより多くなると思います。さらに視点を広げると、環境問題や社会保障、財政問題など、今の世代と次の世代との関係性にまで思いを馳せて判断し、そしてそれをみんなで協力して進めていくといったことがさらに必要になってきているようにも思います。行政に今携わっている者としては、社会が複雑化していく中で、課題がどこにあって、どういう解決策を提示して、さらにその解決案が色々な立場の人に支持されるようにどう説明を尽くして理解をしてもらうのかが大変重要だと感じています。


 パワハラ対策の法制化は世の中でも大きく取り上げていただきましたが、パワハラや怒りの背景の一つとして、こうあるべきだと各人が思うものと違うものに出会ったときに、その違和感が怒りに通じるということを聞いたことがあります。多様性が重要になってきていますが、異なるものが入ってくる、そして自分が思うあるべき形と違うことが発生する、ただ単にそれが違和感ぐらいで終わるケースもあるかもしれませんけど、それが変な形になってハラスメントになることは、避けなくてはならないと思います。個人的には、自分と「異なる」相手に対する想像力を持つといったところが鍵になるようにと思います。

地方勤務で養われた視野

 転勤を伴う地方等の勤務については、家庭生活との両立等の観点から労働者への負荷があり、また、最近はリモート勤務も可能になってきている等の理由から、見直しをする企業もあるということを聞いています。ただ私の場合は、視野が広がり新しい仕事や人とのつながりを作るとても貴重な経験になりました。その地方の人はずっとそこにいるので気づかないようなことでも、外から来てみるとすごいと思うようなこともありますよね。

 研修で数ヶ月地方勤務をして以降、本格的に勤務をしたのは岡山県庁で、石井正弘知事(現参議院議員)の下、観光物産と、国際の担当課長をしました。自治体の仕事の流れや、議会の動き等を学びました。

 次に地方自治体で勤務をしたのは、大村秀章知事の下、愛知県副知事として赴任をしたときです。愛知県は、私が行っていたときに人口750万人を超えて、自動車関係等の製造業が強く、製造品の出荷額が日本一というのが何年間も続いていました。経済界の方々や地元の方々とお話しすると、すごく前向きな話をされていた印象が強かったです。活気のある愛知県で仕事ができたというのは非常に面白かったですね。企業のみならず、様々な活動の現場の視察等もさせていただき、現場の方々の苦労や努力も教えていただきました。

 副知事は特別職として、知事を支え、知事の代理をしたり、あるいは事務方を総括するという役割もあります。どちらかというと霞が関の政務に近い部分があります。労働省に入って国家公務員になったときには想定していなかったポストでしたが、求められることを断らないでやろう、愛知県のお役に立ちたいと思って行きました。


 愛知県で勉強になったのは、ちょっと引いたところから俯瞰して物事を見ることです。それまでは、自分の担当の仕事というものがあり、そこがベースに発想をしていたように思いますが、知事の日頃の業務や判断を身近に見たり、自分自身でも判断したりする局面になると、いろいろな要素を考えて総合的に考えるようになりました。そういう見方が変わる経験をさせていただいたのは非常に面白かったです。もちろんそれまでも、もっと広い視野で考えなくてはという意識はありましたが、実際にいろんな意見があるのだということを体感し、物事のとらえ方に変化があったと、本省に戻ってからも感じます。

 愛知県の製造業が盛んである背景には、全国各地から愛知県に来て、ものづくりや産業を支えてくれる人がいたことに気付きます。これからの未来に向けてはどうするのか。県としての魅力や地域としての魅力を、その地域にいる人が考えて、発信して、人の集積を図っていくためにはどうしたらいいのか。そういう競争の時代かなという気もしますね。

 そうしたなかで、副知事としては、他県や国の取り組みを学び、なんとか愛知県の参考にできないかと模索していました。副知事を経験している方々と情報交換をしたこともありました。

 女性活躍というテーマも所掌でしたが、県庁の女性登用を増やすことはできた一方で、民間の女性の活躍はもっと進めたいと思う部分もありました。愛知県の場合には、女性が東京圏に出て行くとか、豊かな県であるがゆえに女性が仕事をやめて家庭に入るとか、そういう社会的背景もあり、それらを全部否定をするということではないですが、愛知県が将来的にもサステナブルになるためには女性の活躍をもっと推進したいと思いました。

霞が関の働き方改革 同窓生とのつながり

 「霞が関はブラックだ」といったような、国家公務員、特に中央省庁で働く人々の労働環境について、非常に厳しいという話が出てますね。事実、その仕事の中身や国会の時期によって大変な時期というのはあります。私自身も振り返ってみるとそういう局面で仕事をしたことはあります。

 本当に健康は大事です。働きやすい職場というのが大事ですよね。自分がそういう職場環境にできているかどうか、そういう職場環境に人を迎えてあげられるようになっているかどうかという発想を持ち続けていきたいです。

 「働き方改革」やワークライフバランスという意識は、霞ヶ関でも大変強まっています。その実現のために仕事自体を減らす、効率化するという発想は不可欠なので、厚生労働省はもちろん、ほかの役所でも取り組みが進んでいます。部下がいる立場の人については、そういうことを考えた上での業務の指示や方針の明確化、適切なフォローなどをしていくのが当たり前と考えています。昔と比較しても取り巻く環境も変わってますし、関係者の理解も進みつつあります。男性の育児休業は代表例ですよね。私も育休制度を担当していたことがありますけど、まだまだではありますが、進んできて、その期間も長くなってきています。

 働きやすさに加えて、働きがいも重要です。やりがいがある仕事かどうか。「やりがい」の考え方も色々あると思います。やった仕事の反応がすぐかえってきて、関係者から応援してもらったり感謝されたりというやりがいもあると思います。個人的には、その時は大変で辛かった仕事ほど、後から思い出したり経験がいきていると感じることもあります。

 ぜひ多くの方に国家公務員を目指していただきたいです。


 私が労働省に入省したときは、あまり周りが見えていなかったからか、東北大出身者が結構いるということにしばらく気が付きませんでした。最近は東北大出身者が増えてきたということもあって、厚生労働省の中で東北大の出身者の会ができました。コロナ禍前まではたまにみんなで飲みに行ったりしていました。

 それから、東北大法学部出身の東京の女性の会「芝蘭会」があります。憲法の樋口陽一先生(東北大名誉教授、東大名誉教授)と厚谷襄児先生(北海道大学名誉教授、弁護士)がお骨折りくださり発足したと聞いていますが、コロナ前までは年に1回は会合が開催され、森伊津子さん(弁護士)などの大先輩にもお会いできる貴重な機会でした。普通、期が離れている女性の先輩がどこにいらっしゃるか知るのは難しいものですが、早坂禧子さんがずっと幹事をしてくださっていて、異動してもずっとご連絡をしてくださり、本当にありがたかったです。芝蘭会のおかげで東京に来てからも東北大とのつながりを感じることが出来ていました。

模擬裁OB会

偶然も楽しんでチャレンジしてほしい

 改めてこの年齢になって、東北大学の環境や仙台の街を本当に懐かしく思い出すことがあります。静かな中で自分を見つめ、思索を深めて広げていくことが出来る環境は、実はすごく貴重な経験だったと心から思います。学生の皆さんには東北大での、仙台での時間を大事にしてほしいと思います。

 学生のときや若いときは、こういう人と付き合ったらこういうことを教えてもらえるんじゃないか、これは仕事に役立つんじゃないかといった考えで、あるいは、自分の考えとはずれた無駄なことはせず合理的に、という発想で動くこともあるのではないかと思います。

 ただ、仕事をしていると、人智を超えた形で、思わぬことが役に立ったり、自分では結びつかないと思っていたことが結びついたりすることがよくありました。もし学生生活に戻れるとしたら、絶対にオープンマインドに、何かをこうだと決めつけないで、と自分に言いたいです。それが先々どうつながっていくかなどとはあまり考えずに、是非色々なことをやってみてほしいと心の底から思います。

 コロナ禍で学生時代を過ごした皆さんは、色々と厳しい状況があったかもしれません。ただ、そこはあえて、こういう状況だったからこそ出来たこともあると思いたいです。私自身も普段だったら旅行に行ったようなところを、長い期間行けなかったので、めったに読まないような本を手に取ってみたら目から鱗が落ちたように感動したとか。人生は考えてやったことも、そうではないものも両方何かに結びついていくというようなことがあるように思います。ぜひそういう偶然も楽しんで、充実した学生時代を送って、素晴らしい東北大を引き継いでもらいたいと思います。

 そして色々な立場でご活躍を、と思います。

聞き手:清水拓(2年)
    東泉直宏(4年)
    武藤誉仁(公共M1年)