法文学部100年の歩み

同窓会事務局長
清水 廣行
S39卒

大正11年(1922)8月の勅令によって東北帝国大学に法文学部が設置されました。 従って今年はそれからちょうど百年に当たります。 この百年の歴史を「法文学部略史」、「東北大学百年史」及び「同窓会50周年記念誌」「同窓会報」を紐読いて概略します。

前史

大正8(1919)年第41回帝国議会で東北帝国大学に法学部を設置する議案が通過したが、その後の貴族院での付帯決議で「法律に偏せず広く人文系の学科を取り入れ、調和のとれた円満な知識人の養成を希望する」とされたことを受けての原敬内閣での法文学部設置となった。 教授陣として阿部次郎・小宮豊隆・土井光知・岡崎義恵・村岡典嗣・金倉円照など若手の俊英が招かれ、文化都市仙台を形づくることとなった。 大正9年京都帝国大学法学部の教授佐藤丑之助が法文学部創立委員に任命され、法学系は既存の学者が少なかったことから 広く若手の人材を各講座に充てるという方針が打ち出され、先ず中川善之助が民法学助教授として任命された。 この前後、勝本正晃・小町谷操三・河村叉介・石崎政一郎等後に法文学部教官に宛てられる人材が多数海外研修に派遣された。 彼らが法文学部初期の法学系教官として名を連ねた。(「略史」「百年史」)

敷地と建物

片平丁の理学部や工学部に隣接する第二高等学校の敷地と建物を受け継ぐこととなったが、二高の北六番丁移転までの間創立事務所を化学工学教室の二階に置き、旧医学専門学校の建物を教室として使用した。(「略史」)その後大正12年から15年にかけて法文学部の研究棟三・大講義棟一の建築が行われた。 (ちなみに法文学部第二研究室は太平洋戦争の空襲を潜り抜け、現在会計大学院が使用しているが、昨年(2021)文科省告示で、旧東北帝国大学正門などと共に新たに登録有形文化財に登録された。)

昭和20年の仙台空襲で法文学部ではすべての木造建築物を失い、焼け残った法文一・二・三番教室で講義が行われた。これらの教室は法学部の川内移転に伴って解体された。) 昭和23年に木造二階建ての建物が出来上がり、教室と法文学部事務室とに使われた。その後も 25年から29年にかけて研究室の拡充が図られ、その集大成として昭和31年法学部経済学部共用の三階建て研究室棟が新築され、事 務室及び教官研究室として使用された。(法学部川内移転後は施設部の建物となり、現在一階部分は埋蔵文化財の調査修復作業室として利用されている。)

昭和48年法学部の川内移転に伴い川内に六階建ての新研究棟が新設され一階は演習室・学生談話室等、二階は学部長室・事務室・会議室等、三階は助手・大学院生のための合同研究室、四階は学部図書室、五階六階は教官研究室に充てられた。更に無窓構造の法学部一番・二番教室及び三番教室が講義棟として設けられ、いくつかの自主ゼミグループにも部屋が割り当てられた。

昭和53年宮城県沖地震により研究棟書棚等に被害があり、その後研究棟建物内での配置換えが行われ現在に至っている。一階は法学関係雑誌類を収める法学部図書室、二階は学生リフレッシュルーム・演習室等、三階は学部長室・事務室・会議室等、四階は助手・大学院生のための合 同研究室、五階及び六階は教員研究室に充てられている。

平成4(1992)年これまでの研究棟と中善並木の間に文学部との共同で法学部第二研究棟が竣工した。五階に電動周密書架を備えた書庫及び情報処理室及び演習室等が配され、六階は教官研究室と資料室等となっている。

平成22(2010)年には片平キャンパス内に法科大学院・公共政策大学院及び法政実務図書室等関連施設を収容する、片平エクステンション教育研究棟が完成し、専門職大学院教育の充実が図られている。

平成23(2011)年の東日本大震災では一番及び二番講義室に多大の損壊が生じた。この建物破損を解消すべく平成26(2014)年には 新たに文科系総合研究棟が新設された。窓のある大講義室・小講義室・学生共用スペース・生協売店・管理事務室などを収容している。

教授陣の整備

上に記した通り発足当初の法科関係教官は佐藤丑次郎教授(憲法学)・中川善之助助教授(民法学)の2名であったが、その後勝本正晃教授(民法学)・小町谷操三教授(商法学)・川村叉介教授(国家原論)・石崎政一郎(社会法論)の帰朝組や鈴木義男教授(行政法学)・久保田益貴助教授(刑法学)・廣濱嘉雄助教授(法理学)・石田文次郎教授(民法学)・栗生武夫教授(法史学)・高柳真三助教授(法史学)・伊澤孝平助教授(商法学)・田岡良一助教授(国際法学)・實方正雄助教授(国際法学)・柳瀬良幹助教授(行政法学)・ 木村亀二教授(刑法学)・五十嵐豊作助教授(政治学)・津曲蔵之丞教授(民法学)・清宮四郎教授(憲法学) ・折茂豊助教授(国際私法) ・世良晃志郎助教授(法史学) ・斎藤秀夫教授(民事訴訟法)などが順次任命され陣容強化が進められた。

新制法学部は、法文学部時代からの教授陣に加えて、 新旧交代が順次進められ、小田滋助教授(国際法) ・祖川武夫教授(外交史)・鴨良弼助教授(刑事訴訟法)・広中俊雄助教授(民法)・宮田光雄助教授(政治学)・外尾健一助 教授(社会法)などが加わった。 (これ以降の変遷は「同窓会50年記念誌」 「同窓会報」を参照されたい)令和4年4月1日現在では教授43名・准教授10名となっている。(詳細は法学部ホームページ教員紹介を参照されたい。)

授業開始

入学者は当初300名の予定であったが、 校舎施設との兼ね合いもあり大正12年100名、13年120名、14年150名とされたが 実際は初年度本科生81名・専攻生3名・聴講生17名であった(法文学部略史)。

記念すべき最初の授業は、大正12(1923)年4月30日に開講となった。本来は佐藤丑次郎教授の憲法学講義が最初の予定であったが学内事情により休講となったため、中川善之助の民法総則講義が、旧医学専門学校の建物で開始された。この時点で法学系の講座は、憲法学及び民法学の二講座であった。

講座の拡充

大正14(1925)年までに国家原論(昭29年に国家学、更に昭和44年度より比較政治制度論に呼称変更) 、 行政法学、商法学、民法学第二、民法学第三、国際法学、刑法学、法理学、法史学(昭和29 年に西洋法制史に呼称変更)、商法学第二、社会法論の各講座が設置され合計十四講座で 出発した。その後昭和15年12月勅令で日本固有法論講座(昭和29年に日本法制史講座に呼称変更)、 昭和24年に民事訴訟法講座が増設され、法文学部時代の法科関係講座は 最終的に合計十六講座であった。 (ここで、憲法学講座というように「学」をつけたのは、 単に法曹や官僚の実務に役立つ解釈論だけでなく、法を純学問的に探究し講述するという理想を追求するためだったといわれる。 ちなみに、この「学」呼称は昭和29年に外された。 ) (新制法学部での変遷は後述)

法学士

当初の卒業単位は二六単位でその過半数の一四単位を法律系科目が占めていれば「法学士」と認定された。法学系の授業科目としては、 憲法学、国家原論、政治学、行政法学、国際法学、刑法学、刑事政策論、刑事訴訟法論、民法学、 商法学、民事訴訟法論 、破産法論、 英法学、独法学、 仏法学、 国際私法、日本法律史、西洋法律史法理学の一九科目が、 大正12年の「法文学部規程」に掲げられている( 「百年史」 ) 。 (ちなみに、大正15年3月の法文学部卒業生は総数76名、その内法学士は、53名であった。)

昭和8(1933)年に教育方針とカリキュラムの大幅な改正が行われ、法文学部は 「法科」 「文科」 「経済科」に分けられ、翌年「法科」は更に、他大学の法律学科に相当する「法科第一部(私法)と 同じく政治学科に相当する「法科第二部」となり、二六単位中二二単位と卒業要件のほとんどを法科の授業で埋めねばならず学生の負担が大きくなった。これに対する学生からの不満も多く、 昭和13年の改訂により「法科第一部」の必修単位は一三単位、 「法科第二部」のそれは一四単位に削減され、同様に削減された卒業要件単位二〇単位との差は他の文経系科目での履修が可能となった。しかしながらこの一連の改革により、他大学に例を見ない、創設時の法文学部の理念と方法は変質した( 「百年史」)。

法学部の発足と定員の推移

戦後の教育改革により昭和24年に新制大学が発足し、これを機に 「法文学部」は、「法学部」「文学部」「経済学部」の三学部に分かれ、 それぞれ150名の定員で出発した。 その後団塊世代対応などもあり 230 (S42)→ 240(S61)→ 250(H2)→ 260(H4)→ 250 (H6)→ 200(H12)→ 170(H14)(この年からAOⅡ期入試制度が導入された)→ 160(H15)と増減してきた。

法学部の講座

独立直後の法学部講座は、法文学部時代と同様の十六講座であったが、 昭和27年に刑事訴訟法講座、29年に国際私法講座が増設された。 昭和30年代後半には政治学科の設立が構想されたが実現に至らず講座増設要求に切り替えられ、 昭和40年代に至り新たに、比較外国憲法講座、破産法・強制執行法講座、英米法講座、国際政治学講座、政治学史講座が昭和 43年度から45年度にかけて設置された。さらに、昭和49年度より行政法第二講座、 52年度より刑事学講座、平成3年行政学講座、平成5年経済法講座が増設され合計二七講座となった。

昭和62(1987)年にはカリキュラムの見直しが行われ、授業の前期・後期の二学期制が採用され、平成5(1993)年には新制大学発足時からの教養部が廃止され新入生一年次から法学部に学籍が置かれることになり、従来二年次から始められた専門教育が一年次から開講されることなった。

平成12(2000)年、大学院重点化施策に伴い、これまで学部に置かれていた講座が廃止され、大学院法学研究科に専攻及び講座が置かれることとなった。 その後平成16(2004)年国立大学の法人化が実施され、これに伴い学部でのカリキュラムが再編され、 「 基礎講義」 ・ 「基幹講義」 ・ 「展開講義」の3つのカテゴリーに大別して、段階的に配置することで、法学・政治学の基礎的な内容を無理なく体系的に習得できるような態勢を整えた。 これと並行して、1年次から4年次まで学部4年間の全般にわたって、少人数での演習の履修を可能として、従来からの本学部の特色であった少人数教育をさらに充実させた。 法や政治の社会的背景・思想的・歴史的を学ぶ 「基礎講義」は一年次を主対象に、民事法入門 刑事法入門 法と歴史Ⅰ 日本近代法史 比較法社会論 法学の理論 西洋政治思想史Ⅰ 日本政治外交史Ⅰ  ヨーロッパ政治史Ⅰを、政治学・法学の基礎的・根幹的部分を重点的に学ぶ「基幹講義」は 2年3年次を主対象に、憲法ⅠⅡⅢ 行政法ⅠⅡ 刑法1ⅡⅢ 刑事訴訟法 民法総則 物件報 契約法・債権総論 不法行為法 家族法 会社法ⅠⅡ  商法総論・商行為法 民事訴訟法 現代政治分析 国際関係論 行政学を、法学・政治学についてより深い理解とさらに豊かな知見を得ることを目的とし、 基幹講義よりもさらに先端的・学術的な科目が開講される「展開講義」では 4年次を主対象に、比較憲法 地方自治法 行政法特殊講義 租税法 刑事政策 国際法 現代民法特論ⅠⅡⅢ 商取引法 決済法 知的財産法 経済法 国際私法 国際経済法  執行保全法 労働法社会保障法 法理学ⅠⅡ 法社会学 日本法制史ⅠⅡ 西洋法制史ⅠⅡ 中国法制史 ローマ法  法と歴史Ⅱ 英米法 ドイツ民法 ヨーロッパ法 ロシア・東欧法 中国法 比較政治学ⅠⅡ 西洋政治思想史Ⅱ 日本政治外交史Ⅱ ヨーロッパ政治史Ⅱ  東アジア政治外交論 日本政治論 中国政治論 政治理論 地域研究 法情報学の各講座が設けられている。このほかに学部4年 間の全般にわたって各講義をフォローアップする、少人数教育による学生の主体的な関心・意欲に基づいた演習が多数開設される。 (各講義の概要に興味を持たれる方は法学部ホームページのシラバスを開かれたい)

令和1年には国際的な視野を備えた人材を養成するため、海外留学を必須とした多様な教育プログラムを提供する「国際コース」を新設し、そのための入試制度としてAO入試Ⅱ期を前年度より再導入している。

令和2年には、法学部3年+法科大学院2年の5年間で法曹への道を開く「法曹コース」が本格的に始動した。

大学院の整備と拡充

新制大学院の修士課程が昭和28年度、博士課程が30年度から開設された。法学部では私法学専攻・公法学専攻・基礎法学専攻の三専攻を設け、一学年修士課程35名、博士課程17名とされたが、大学院卒を求める必要を見いだせていない社会環境の中では、研究者養成的側面のみが機能する状態に至り、定員割れが長期間続くこととなった。

平成7年、全国的な大学院重点化の動きの中で、法学研究科は社会人に大学院の博士課程前期二年の過程を積極的に開放し「リカレント・スタディーズ・コース」と名付け、社会人再教育の場を設置した。

平成12年、学部に置かれていた講座が廃され、大学院法学研究科に専攻及び講座が設置されるという大きな変革がなされた。 これにより大学院での教育が重視され、学部四年で卒業するカリキュラムのほか、学部と大学院修士課程を合わせて6年間の一貫教育 を受ける「選択的六年制」カリキュラムが設けられた。専攻は従来の公法:私法・基礎法・政治学の四専攻を変更して、総合法制専攻として現代市民法講座・現代企業法講座・比較法社会論講座、公共政策専攻として行政法政策講座・ガバナンス研究講座、トランスナショナル法政策講座 としてトランスナショナル法講座・グローバル政治分析講座に分けられ、将来を見据えて実務家教官を積極的に任用した。 学生定員も博士課程前期二年の課程は一学年62名、同後期三年の課程は31名となった。

平成16年、 「国立大学法人東北大学」の発足と同時に、法曹人材の育成を目指す「法科大学院」及び新たな時代に対応した公共政策を企画立案できる政策プロフェッショナルを育成する「公共政策大学院」という二つの専門職大学院が、法学研究科内の専攻という形で新たに発足した。 法科大学院は法学既修生55名・未修生45名の定員100名、公共政策大学院定員は一学年30名とされた。他方、研究大学院では博士前期2年・後期3年の入学定員各20名の充足問題が深刻度合いを深め、早急な抜本的対策が模索された。

平成20年グローバルCOEプロジェクト「グローバル時代の男女共同参画と多文化共生」開始。その一環として平成 21年度より、東北大学と諸外国の大学との双方で博士号を取得する「クロスナショナル・ドクトラル・コース」導入が開始された。

平成22年片平キャンパス内に、法科大学院・公共政策大学院・ジェンダー平等多文化共生研究センター・法政実務教育研究センター・法政実務図書室等を収容する「片平エクステンション教育研究棟」が完成  法科大学院学生定員を100名から減員し80名体制(既修55名・未修25名)にした。

平成23年博士課程後期3年の整備として法科大学院修了者を対象に、実定法研究者養成を目的とした「後継者養成コース」 、研究教育の国際化推進のため外国研究教育機関と連携する「国際共同博士課程コース」 、 従来型の「法制理論研究コース」の3コース制を導入した。

平成26年法科大学院定員80名から50名に減員した。

平成30年高度な教養、専門的な知識及びグローバルな視野を備えた人材を養成するための「法政理論・法政実務の集中的人材養成プログラム」が採択され、 博士後期課程の入学定員を20名から12名に削減した。

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