インターネットに掲示するにあたって 以下の論文「夫婦の氏」は、1993年に私法学会シンポジウム用に執筆して発表したものである。当時、筆者も幹事として参加していた法制審議会民法部会が、婚姻法改正を審議していた。その後、法制審議会が夫婦別姓選択制などの婚姻法改正を答申したが、自民党の反対によって政府提案となることのないまま、今日まで推移している。 本稿を執筆してから、8年の歳月が流れた。別姓選択制導入への要請は、その間、継続して日本社会に存在してきた。現在も、その要請は強まりこそすれ、弱まってはいない。本稿の内容は、情報としては古くなったものがあるが、分析そのものは、現在でも妥当すると思われる。立法実現への願いを込めて、本稿を掲示するものである。 2001年6月17日 |
水野紀子
現在、法制審議会で審議されている婚姻法改正の主要な論点の一つが、別氏選択制の導入の可否であることは、衆目の一致するところであろう。この問題については、すでに多くの論文や著書が公刊され、さまざまな観点から議論が行われている。しかし現在行われている議論の多くは、ともすればこの問題についての「生の価値判断」の対立に終始しがちであるように思われる*1。
別氏選択制を導入するべきだという改正派は、現行の夫婦同氏制について、女性に対する差別・抑圧になっていることや家意識を温存すること等の弊害を指摘する。これに対して、現行法を擁護する立場は、同氏制が夫婦の一体感を保つことや国民感情が広く受け入れている制度であること等を主張する。これらの「生の価値判断」の対立は、中間報告の別表に詳しく記載されているとうりである。そしてこの対立が平行線をたどることによって不毛な議論に陥ることをおそれる「現実的」な改正派が、少数者の自由をてこにして改正を実現しようとしているという構図が、現状ではないであろうか。
本稿では、紙数が限られているので、すでに論じられた「生の価値判断」について繰り返すことは、避けたいと思う。そして夫婦の氏についてのみ対象を絞るのではなく、氏そのものについて、紙数の許す限りはば広く考えてみたい。氏については、呼称性と身分性という概念を用いて分析されることが多かった。また氏の定義として、個人の呼称とする説、家庭の名とする説、血統を表すものとする説、戸籍編製の基準とする説等があるが、これらの定義はどれも現行の氏の制度を完全に説明できるものではないと理解されている。筆者はこれらに代わる現行法の氏の定義を提示できるとは考えないが、氏の性格を考えるにあたって、呼称性と身分性という概念によるよりも、いくらかでもより精密に分析的に考えることを目指して、氏のとらえ方として次のような概念を用いてみたい。
氏に対しては、主としてどのような機能を期待するかという観点の相違から、つぎの四通りの把握の仕方が可能であるように思われる。第一は、血統に基づく所有権的把握である。つまり氏を、血統によって取得する一定の価値ある権利としてとらえる把握の仕方である。所有権的といっても、もちろん譲渡性はもたない。たとえば貴族の氏の承継では、この価値がわかりやすく顕在化するであろう。日本の氏の歴史でも、明治維新までの氏はこの把握によって理解するのが一番実態に近いと思われる。次に考えられる氏に対する態度として、社会秩序維持的観点からの氏の捉え方があげられる。このアプローチからの氏の把握は、二通りに分かれる。つまり国家が国民である個人を直接識別する機能を氏に求める観点からの把握と、国家が家族の秩序維持機能を氏に求める観点からの把握である。前者を第二の識別機能的把握、後者を第三の家族秩序維持的把握とよぶことにしたい。国家の側から氏を眺めたときに、これらの第二・第三の社会秩序維持的把握が前面に現れ、これらの観点から氏の規制が行われる。夫婦の氏をどのように考えるかという本稿の対象となる問題は、直接的にはこの第三の把握に関するものといえよう。そして第四のアプローチとして、氏を個人の側から自己を表象する存在として捉える考え方がありうる。これを個人の人格権的把握と名付けることにしたい。氏名に対する権利を人格権の内容をなすものと位置づけた最高裁昭和63年2月16日判決*2は、氏に対するこの捉え方を認めたものと考えられる。
以上に述べた四通りの氏の把握の仕方は、厳密に截然と分かれるものではない。たとえば生まれたときに取得する氏は血統に基づく氏であるから、その氏によって自己を表象する期間を経れば、その氏の捉え方は第一の把握と第四の把握の重なったものとなるように、これらには連続した側面があるであろう。これらは氏の定義を試みたものではなく、呼称性と身分性の概念のように、多様な側面を持つ氏をどの点から眺めるかという、いわば照射角度の区別である。またこれらの把握の仕方は、あくまでも筆者の思いつきにすぎず、不備のある概念による試行にすぎない*3。しかしこれらの分け方を説明に使用すると、従来多く用いられてきた呼称性と身分性の区別よりは、筆者には、氏の性格がより理解し易いように思われる。本稿ではこれらの概念を用いて、まずそれぞれの国や時代によってさまざまな氏の考え方や規制方法について、それらの特徴を比較するとともにそこに流れる共通するものをくみ出すことを試みる。つぎに日本法の氏の規制の歴史を概観して、日本法の特徴を客観的に把握する。そしてこれらの作業を通じて、今後の日本法のあるべき氏の規制について冷静に考えてみたいと思う。最後に、改正案の技術的な可能性についても、検討することとしたい。
各国の氏の制度について、比較法的に検討してみよう。詳細に検討することはもとより不可能なので、きわめて概括的なものとならざるをえないが、ただ各国の概略を列挙するのではなく、前述した観点から眺めてみたい。各国の氏に対する捉え方を概観すると、四通りの氏の把握の仕方は、各国の氏にどのように現れているだろうか。中国をはじめとする東洋法の伝統においては、血統に基づく氏の取得が行われ、氏のとらえ方としては第一の把握によって説明できるといえよう。以下では、英米法とフランス法とドイツ法について、これらの四通りの把握の現れ方を眺めてみることとする。次のように、その現れ方は各国ごとに大きな相違がある。
英米法では、氏の取得変更は、個人の自由に委ねるのが、コモンローの原則である。どれほど侮蔑的な嘲笑を招く氏であっても、本人がそれを望むのであれば、それを自己の氏とする権利は確保されるといわれる。ただ他人の権利を害するために詐欺的な動機で詐称することが、制限されるだけである。ただし夫婦の氏については、アメリカ法では、同氏強制が行われていた一時期があってコモンローの再発見という経過をたどったが、現在では同氏強制を採用している州法はない。英米法においては、所有権的把握が法制度として確立する前に氏決定の自由が慣習法として成立してしまったために、氏については個人の表象として捉える人格権的把握へほぼ直行したと評価できるであろう。氏に対する社会秩序維持的観点からの法規制が、識別機能的把握であれ家族秩序維持的把握であれ、なぜこれほどまでに行われずにすんだのか。イギリス社会のなんらかの伝統的特質、たとえば法による介入を嫌う伝統や地方分権の伝統などが影響したのかもしれないが、筆者には判断能力はない。この要因としては、個人の自由の尊重*4と、身分登録機構の不存在*5を挙げる指摘がある。とくに後者の身分登録機構との関係に注目するべきであろう。グレンドン教授は次のように述べる。「氏の問題に対するコモンローのカジュアルな態度を可能にしているのは、個人識別のオフィシャルシステムがないことであろう。氏名法のありかたはまた、合衆国では事実上の個人識別システムが、氏名よりもむしろ社会保障番号に基づいていることをあらわしている。」*6。たとえば日本でもかりに国民総背番号制が成立したら、氏の識別機能の必要性ははるかに減少して、氏の識別機能的把握は後退すると思われる。福祉国家の任務を果たすためにも国家が国民を識別することは必要であるから、氏の決定変更をコモンローのように完全に自由化することは、現在の日本法にとって妥当な立法論ではあるまい。もっとも当然のことながら国民総背番号制の創設が、現在考えられている日本法の氏の改革の前提となるわけではない。両親の氏や配偶者の氏への変更の可否をどのように設定しても、識別機能的把握からみた氏の機能は影響を受けないからである。
フランス法は、英米法やドイツ法と比較すると、氏の所有権的把握がもっともよくその形態をとどめている国である。氏はフランス法の伝統では家族の所有になるものであり、子は父の氏を継承した。判例は古くから氏を最も強力な所有権と同一視していた。フランス革命期の中間法(共和暦2年実月6日法)が、すべての市民が出生証書に記載された氏名を称することとする「氏名不変の原則」を打ち立てた。この法律そのものは、その直前に個人的な氏の変更(リベルテ、エガリテなどの氏をなのる者も現れた)を認めたことの弊害に対する反動として、立法された経緯があり、氏の識別機能的把握からの要請に答えたものではあった。しかし同時に伝統的な血統による所有権的把握を固定化する立法でもあった。夫婦同氏は、この氏不変の原則の前には、配偶者の氏の使用権をもつにすぎないという構成に後退することになり、成文法ではなかったために、別氏への要求が現れると、それに応じることが可能であった。氏の性質についても、最近では、家族的な人格権であるという理解が定着している。しかし血統による氏の取得、つまり子の氏については父の名だけが継承されるという点が伝統の強固な壁として問題となり、男女平等の要請は、フランス法では女系を通じての氏の継承要求として現れる。そして1985年12月23日の法律は、母の氏を使用の目的で二重氏としてつけ加えることを認めた。また氏を人格権と見る観点からは、当事者の意思に基づく氏の変更の可能性の拡大が要請されることになり、養子法、非嫡出子法、離婚法などの近年の家族法立法は、氏の決定・変更について当事者の意思や利益を考慮する規定をおいている。一番最近の立法では、1993年1月8日の法律が、この観点から、名の変更手続を簡易化するとともに、成人した準正子の父の氏への変更に同意の要件を加えるなどの改正をしている。
ドイツは、民法立法の段階で、家族秩序維持的把握をもっとも形式的にも実質的にも整備した国といえるであろう。夫婦同氏については、民法1355条が、妻は夫の氏を取得すると規定した。整備された家族秩序は、家父長制であり、夫を長としそのもとに服する妻をはじめとする家族員というイデオロギーの存在が基礎であったことを確認する必要がある*7。夫婦同氏の理由として婚姻の「一体性」をいうのは論理的心理的誤謬であるとする先駆的批判は立法当初よりあった*8。しかし家父長制の基準、すなわち男女不平等と婚氏に体現される家族団体性のうち、1355条改正の要請としては男女平等の要請が先行して現れ、婚氏の団体性に対する批判は正面に現れなかった。まず1957年の男女同権法の制定とともに、妻が出生氏を二重氏として付加できるとする改正が行われた。1976年の改正では、婚氏選択制を導入し、婚氏として妻の氏を選択する可能性を認めたが、決定されない場合は夫の氏を婚氏とする1355条2項2文をおいた。連邦憲法裁判所1991年3月5日決定が両性の平等違反としてこの条文を無効としたため、現在法改正の作業中であり、選択的別氏制採用の方向と予測されている。連邦憲法裁判所は、婚氏制そのものを違憲としたわけではなかったが、同時に、人間の出生氏が個性又は同一性の現れとして尊重され保護されるべきことを明言している。現在は、婚氏制そのものに対する批判が前面に現れており、たとえば緑の党の改正案は婚氏を否定している*9。ドイツにおいては、婚姻の自由や男女の平等にかかわるものとして憲法上の議論が活発に行われているのが特徴である。
以上の比較法的考察から次のようにいえるであろう。氏についてのある側面を原則化することがそれぞれの国で行われ、いったんその国で確立した氏の原則は、慣行として大きな力を持つにいたる。しかし個人の尊重と男女の平等は、あらがい難い流れとして、それに抵触する氏の原則を崩さずにおかない。二重氏の可能な国では、その技術が過渡的に活用される。そして各国の法改正の動きは明らかに、氏に対する人格権的把握の尊重の方向に向かっている。
日本法では、明治維新期に、一挙に識別機能的把握の観点から氏の秩序(あるいは氏そのもの)が形成された*10。明治初年には6%ほどしか氏の公称を許されなかったものが、1875年(明治8年)には平民苗字必称令によって全国民が氏を公称する義務を課された。明治初期の改正には、苗字帯刀を身分的特権とする江戸時代の発想と、輸入したばかりの近代思想の影響との間の振幅がみられる。氏に関する最初の政策は、幕府時代の苗字を召し上げて新政府が苗字許可権を独占するものであったが、四民平等の見地から1870年(明治3年)には平民苗字許容令が布告され、さらに徴兵事務に支障をきたしていた陸軍省の要請によってその5年後には平民苗字必称令の公布にいたる。また1872年(明治5年)には苗字屋号の改称を禁じ、この禁止は家名不変の原則として戦後の大改正の際の戸籍法107条の立法まで生き続けることになる。国民の特定のために氏名の制度改革を徹底して行ったのであった。支配層も、氏・姓(かばね)・官位・通称・実名などで構成されていたそれまでの名を、氏名に簡略化して固定した。当時の移動性の少ない閉鎖的な社会では、百姓は代々「家名」として襲名してきた太郎兵衛等の百姓名で、町人では屋号で特定されており、氏はなくとも不自由しなかったから、氏を称させる必要があったのは、明治政府の側であった*11。幅広く行われていた襲名や改名の慣習が、これらの政策によって瞬く間に失われていったことに、氏の識別機能的把握の確立を求める新政府の徹底した態度がうかがわれる。
一方では、政府の人民に対する警察的支配や行政的取締目的から、同居者を団体で把握して登録する戸籍制度の整備が進められた。当初の戸籍は屋敷番号による「家屋」ごとの住民登録であって、今日の住民基本台帳に近いものであった。しかし住民の移動を追いきれなかったため、寄留簿等の整備によって現行戸籍制度のように現住所と切り離された身分登録簿に成長していった。その成長の基礎的改革であった明治19年式戸籍において屋敷番号と並行して地番号ごとの登録が導入され、明治31年式戸籍からは地番号に統一されて、今日の本籍地にいたっている。
この戸籍と氏が合体して、氏が家名となったのが、明治民法の「家」制度であった。「家」制度の創設によって、家族秩序維持的把握の観点からの氏の規制力が一挙に、しかも比類ないほどに強まった。「家」制度のイデオロギーとしての重さは、現在まで影響が及んでいる。しかし氏は初めから戸籍編製の基準であったわけではなく*12、明治初年から「家」制度というゴールを目指して諸改革が行われていったものとも必ずしも思われない*13。ただ血統による氏の継承が行われ、同じ「家屋」に住む者が同じ屋号をなのるように氏を共通にするのは、自然な流れであった。明治民法成立まで、戸籍実務では、氏の固有法の伝統(血統による所有権的把握)に従って、夫婦別氏とされていた。しかし個人の名としてより屋号としての氏の意識が実際にはかなり強かったから、戸籍実務の夫婦別氏へは自然発生的違和感が存在した。明治民法における夫婦同氏制度の立法は、起草者たちによる西欧法の継受と、この自然発生的違和感が合流したものであったと思われる。
ある「家屋」に居住する家族がひとかたまりの家族団体となり、その間に緊密な生活上の相互依存関係が生じることは当然であった。家長が家族構成員に一定の権力を持つことも自然である。しかしそれが家族員の出入りに対する法的な権限となったときに、固定化されて、自然との乖離が始まる*14。「家」制度の立法によって、戸籍創設時の根拠であったもともとの「同居家族集団」と戸籍に登録された「家集団」との乖離が始まった。別居しても「別家」しないと「家集団」は同籍し続ける。「同居」と「同籍=同氏」とが乖離することになったが、同時にこれが本来は一致すべきだという意識も存続しつづけた。実体のあるところにそれを反映した制度ができたときに、その制度はそれゆえに安定したものとなる。農民は幾代にもわたり祖先が残した家屋敷を継ぎ、田畑を継いで、家族・親族の緊密な共同作業によって生活していたから、死者が御先祖様となって子孫を守るという祖先教信仰や、「いえ」の永続と繁栄を願う感情は、生活実態と一致したものとして存在していた*15。戸籍制度・「家」制度がこれらの信仰や感情と重なるものであったことも、制度の力となったであろう。けれども制度の側が、意識を作り上げる力も非常に強かった。「家」を「戸籍という紙の上に具現し、その横の構成も縦の継承も、紙の上の可視的なものとし、その可視的存在が、常に人々の意識を受けとめ、かつ、その意識にはたらきかけることにより、抽象的存在としての家を実体化することに貢献していた」(唄孝一教授)*16のである。
しかし「家」制度自体を即自的にみると、整備された戸籍を活用した技術的発明でもあったことに留意しなければならない*17。戸籍は「家」の構成員を登録するものであったから、どの家に属するかということは、どの戸籍に属するかということによって決定された。そして同籍者は、同じ家名つまり同じ氏をなのる。「同居」と「同籍」が切り離され、「同籍」と「同氏」が結びついた。「家」は、実際の共同生活をもはや要件としない戸籍と結びつくことによって生活実態とは切り離された抽象的存在となったから、家名不変の原則があったにもかかわらず、一定の縁故関係のある者が廃絶家を再興する「廃絶家再興」によって再興者の氏を変えることができたし、私生子・庶子の入家を戸主が拒絶した場合などに行われる「一家創立」の場合には、任意に氏を創設することができた。親族関係の変更に関係のない移籍そのものを目的とする入籍行為、つまり親族入籍・引取入籍・随伴入籍などによって、氏を取得変更することも、また可能であった。「家」制度ゆえに、たとえばフランスでは現在まで積み残しの課題となっている、女系による氏の継承にも、道がひらかれていた。
戦後の改正によって、「家」が解体された。「家」を体現する戸籍も解体され、夫婦と氏を同じくする子ごとに編製されることとなった。「同居」と「同籍=同氏」が切り離された関係は改正後も原則的に維持されていたが、「同居」と「同籍=同氏」が結びつくべきであるという戸籍のいわば先祖帰りへの本能的感覚は、家の解体ゆえにいっそう強く現れて、議論は混乱した。戦前の戸籍の同籍者は、定義としては「家」の構成員であったが、その出入りには、婚姻・離婚・養子縁組などの身分行為による基本的な出入りのほか、親族入籍・引取入籍・随伴入籍・分家入籍などの入籍や復籍などの多種多様な出入りの基準があり、戸主または家族の親族であれば入籍できる親族入籍にみられるように同籍者の外延は広いものであった。戦後の戸籍は、これに比べると同籍者の範囲がきわめて狭く、新戸籍編製の機会ははるかに拡大した。そして戦前のさまざまな出入りの基準が失われた戸籍実務は、同籍者の範囲を画するものとして、夫婦と子という実体的な基準ではなく、「氏」の概念を用いて運用するようになった。その結果、原則として夫婦以外の同籍者となりうるのは同氏の独身の子に限られることを反映して*18、現行戸籍実務の「氏」概念は、同じ氏をなのっている祖父母と孫も氏が異なり、同氏の兄弟間でも氏が異なるとするなど、常識的な世間での「氏」概念と乖離するところ著しい、特殊戸籍技術的定義によるものになっている*19。しかし同籍者の範囲を画するために氏の概念を使うことには、もともと無理があった。同籍者は同氏になるとしても、同氏の者が同籍になるとはいえないからである。
とくに実際的な問題は、夫婦以外の同籍者となりうる存在である子の、氏変更と入籍の癒着に現れる。戦後の改正の際に、子の氏と戸籍編製の問題について、立法者は十分な見通しをもっていたとは思われない。戦後の民法改正における子の氏の立法過程にみられるGHQと日本人起草者の間のやりとりにも、混乱が現れている。コモンローの常識をもったGHQ関係者は、氏を人格権的把握から理解して、子の氏を自由に考えようとするが、日本人起草者は、家族秩序維持的把握から、子の実際の家族生活に応じて氏が決定されるべきであると考え、同居者=引き取り親との同氏、また親権者との同氏などの構成によって細かく場合分けして立案した。この両者の意識の対立の結果、妥協案として民法791条の広範な家裁の許可制度が成立したのである*20。戦前の随伴入籍を引き継いだ随従入籍と入籍届による入籍との区別が明瞭でない等、親と異なる戸籍に記載されるに至った子の氏の処遇がはっきりしないまま、戸籍実務に委ねられた。その結果、たとえば準正子の氏は通達によって強制的変更と任意的変更の間を揺れ動いた。氏変更と入籍が癒着しているために、認知された非嫡出子が父と同氏になるためには父の戸籍への入籍届によらなければならない。さらに婚氏続称制度の立法によって、同籍者の範囲を氏によって画す戸籍実務の理屈からこれを説明するために、「民法上の氏」と「呼称上の氏」の理論が駆使されることとなったが、親子間の戸籍の異同をこの理論を用いて決定するのは困難を極めることとなる。婚氏続称した母の戸籍に入籍するために、同じ呼称上の氏を称しているのに家庭裁判所の許可を要する反面、婚姻前の戸籍に在籍する子を入籍させるには、その結果その子の称する氏が全く変わってしまっても入籍届で足りるという不均衡が生じている。ただ婚氏続称制度や縁氏続称制度の立法の結果、民法上の氏と呼称上の氏の双方が同一でないと、少なくとも自動的には同籍にならないことになり、随従入籍の領域は減少して、親子間の戸籍が独立する場合が拡大し、また子の氏選択の自由も拡大した。未亡人が自己の氏を称して再婚したとき、前夫との嫡出子が母の新戸籍に随従入籍する場合などのわずかに残る随従入籍の取扱いは、戸籍実務でも違和感をもたれるに至っている*21。
戦後の改正において「家」を体現する戸籍が解体されたことは、やはり大きな改革であった。現在の戸籍は、一般に意識されているより団体性を失っており、かなり個人ごとの戸籍に近づいた存在となっているように思う。もっとも、明治時代以来の伝統的な技術や用語を引きずっているために*22、身分行為のたびに移籍や新戸籍編制が行われることにより、また転居に由来する転籍制度もあいまって、個人の身分行為の履歴は何枚もの戸籍にわたって分断されて現れることになる。
現実には氏はさまざまな性格を内包するものとして存在している。戦後に行われてきた議論は、歴史的な伝統のそれぞれの側面を反映して極端な議論に走りがちであった。戦後改革に対して「家破れて氏あり」という批判がなされた。それに反論するとき、平賀健太氏に代表される戸籍実務の立場は、識別機能的把握を強く自覚し、そのための戸籍や氏の技術的な捉え方を強調した。家族秩序維持的把握については、「家」制度によってそれが特に大きな問題となっていたために、「家」制度にアレルギーを感じる立場は、一挙に身分性に対抗する呼称性の強調へと走った。呼称性の重視は、人格権的把握の観点の先駆的なものであったと評価できるだろう。しかし呼称性を貫くと、コモンローのように自己がなのりたいと考える氏がその者の正式の氏であるとする制度に行き着くが、日本法においては、たとえ氏の将来像としてもそのような制度を考えることはおよそ現実的ではなかった。つまりそれほど、日本における氏の社会秩序維持的な機能は、識別機能的把握はもちろんのこと、家族秩序維持的把握も重要な機能として肯定的に受け入れられていた。また氏が子孫に受け継がれることへの要求は、明治民法では「家」の永続性の要請のうちに含めて構成されていていたが、この氏の存続に対する要請の根底には、氏の原初的・本能的捉え方ともいうべき所有権的把握があったと思われ、「家」の永続性は否定されても、氏から所有権的把握の要素そのものを否定することは無理であった。
したがって呼称性を強調する立場も、具体的な解釈論や立法論としてはそれほど内容のある提言を提示できなかった。つまり呼称性の強調は、氏の人格権的な把握にすすんで、氏のそれ以外の要素とどこまで制度的な妥協がはかれるかという観点から解釈論や立法論を詰めていくにはいたらず、身分性に対抗する漠然とした方向を指し示すにとどまったといえるのではないだろうか。その限界の一つは、呼称性の強調には、「家」の団体性に対するアレルギーはあったけれども、「核家族」の団体性に対する批判という視点が少なかったことにみられる。その主な理由は、実際の共同生活と乖離する「家」への違和感は強くとも、緊密な生活実態を有する核家族が同じ氏をなのることへの違和感は、かつては少なくとも表面には現れなかったからである。フランス法やドイツ法などの近代民法を参照しようにも、核家族の団体性に対する批判の契機となる要素は、戦後しばらくの間はそこにもなかった。むしろ極端な場合には、呼称性は、婚姻改氏に対する抵抗に対して、もはや家の氏ではなく単なる呼称にすぎないのであるからこだわることはないはずであるという反論の論拠とすらなった。
しかし地縁社会や家族からの個人の独立が進むにつれて、氏の個人の表象としての性格は強くなる。ある家族の一員であることが、その個人にとってもっとも主要な存在の特徴であった時代は遠くなって久しい。またそもそも氏名は、その人間を象徴するものとして個人の人格と深く関連した存在である。今後の氏の規制のあり方は、人格権的把握の要素をできるだけ重視した方向で進めなければならないであろう。
「人格権」という概念は、新しいものである。憲法上、基準の厳格性や具体性を伴わずに新しい人権を主張することに対しては「人権のインフレ化」への懸念(奥平康広教授*23)がいわれる。憲法上の人権として立法を無効にする効力をもつ新しい人権を認めることには慎重であらざるを得ない。しかし同時に憲法に列挙されていない新しい人権が生まれうることに対しては、可能性を開いておかなければならない。とりわけ家庭における男女平等や自己決定権の尊重は、近代憲法にとっては新しい存在たらざるを得ない歴史的構造がある。アメリカ法におけるプライバシーの権利は、このような新しい権利の代表的な存在である。合衆国憲法修正9条がはじめて、列挙されていない基本的人権を認める根拠として用いられた画期的判決は、「いかなる者も避妊のため薬品ないし器具を使用した場合は犯罪を構成する」旨を定めるコネチカット州法を憲法違反としたグリスウォルド判決であった*24。
かりに解釈論として人格権概念を氏の問題に用いることには限界があるとしても、立法の段階では、人格権としてとらえられうる法益については、最大限の尊重を要する。個人の意思に反した氏の変更は、避けられなければならない。人格権的把握の要素と、識別機能的把握・家族秩序維持的把握の要素が衝突する場面では、識別機能的把握・家族秩序維持的把握の要素は氏の選択肢を限定することにとどまるべきであり、氏の選択権を拡大する方向で立法すべきである。
冒頭に述べたように、本稿では別氏制導入の可否について生の価値判断の議論はなるべく避けてきた。しかしここでは現行法が維持してきた価値があるとすれば、それは何か、またそれが別氏制導入によって本当に失われるのかという点について、少し私見を述べておきたい。
現行法を擁護する論拠として、同氏強制制度が婚姻共同体の象徴として夫婦とその子によって構成される家庭の一体感を確保するという価値については、しばしば指摘されてきた。たしかに夫婦が子を育てる家庭の安定性については、家族法は、十分に配慮する必要がある。現在の日本の家族法は、この配慮が非常に不十分であることに問題があるといえよう。男女の平等は家族法の大原則ではあるが、家庭責任を負う女子労働者が労働市場で男子労働者と同一の財産獲得能力をもつことは、少なくとも当分は見込めないのであるから、家族法は、絶対的弱者である未成熟子を保護するばかりではなく、妻の保護法でもあらざるをえない。そのためには、離婚過程への介入や、所有名義人による恣意的な処分から家族の住居を保護する制度や、婚姻費用分担・養育費などの家事債務の確実な履行確保制度などの立法が急がれ、家庭の安定性や一体感はこれらの制度によって実質的に担保されるべきである。同氏強制制度が家庭の安定性に寄与するかどうかについて筆者は大いに懐疑的であるが、かりに寄与するところがあるとしても、同氏強制によって家庭の安定が図られるべきではない。その寄与は、意思に反して改氏を強いられる被害とは、比較にならないからである。
別氏制導入が日本人の家族意識に精神的な影響を及ぼしひいては社会的な影響を及ぼすとすれば、妻が嫁として夫の家族に入り、夫の親を看取り、夫の家の祖先をまつる義務を負うという家意識の残滓が、別氏夫婦の家庭では失われるという点であろう。もっともこの点を別氏制導入の弊害として正面から強調する現行法擁護論者は少ないけれども*25。「家」制度に対する評価の相違から、この点をすべて否定するとか、逆に「家」制度として全面的に肯定することは、とりあえずしないとして、祭祀承継と老親介護が現行法によって守られている価値であると仮定して、順に考えてみよう。祖先祭祀については、日本の文化として否定しない立場をとるとしても、夫婦別氏制を導入し、子が両親の氏を継承できる可能性をひらいておけば、同氏の祭祀承継者はむしろ確保し易くなるはずであるから、別氏制の導入はこの価値を否定するものではない。老親介護についていえば、未曾有の高齢化社会の到来を控えて、私的介護では限界があるという認識がコンセンサスを得つつある。多産少死世代に生まれた子が老親を看取る時代から、少産少死世代に生まれた子が結婚して家庭をつくる時代に移ってきたため、かつてのように多数の兄弟姉妹で老親介護の負担を支え合うことができなくなった。子と同居しない高齢者世帯も増加の一途をたどっており、子ども夫婦は氏の如何にかかわらず双方の両親と等距離につきあう時代にならざるをえないであろう。いわゆる長男長女時代を迎えて、氏に対する「家」制度的な意識ないしは幻想を維持している親が、子ども夫婦の結婚に干渉すると、結婚の成立を妨害したり若年離婚の契機になったりする。日本の家族生活への影響を考えるのであれば、むしろ現在深刻な問題になっている婚姻年齢の上昇とそれに伴う出生率の減少に対する影響をこそ考慮しなければならない。出生率低下の原因は若い女性が結婚を回避しがちであるためと分析されているが、結婚によって自己の氏を失い夫の両親のみの老親介護が当然視されるとすれば、この傾向は容易に解消しないと思われる。結婚して子を育てるという自然な行動を妨げる要因をできるだけ排除する必要があり、その中心的な課題は育児や老親介護の負担を社会化して家庭生活と職業が両立する社会的条件をつくることであろうが、別氏制の導入が出生率向上に対してひとつの好条件を整備するものであることは、否定できないであろう。
夫婦別氏選択制を立法したときに、検討すべき技術的な問題について述べておこう。特に前述したように日本法の氏の規制は戸籍制度と密着して行われているので、ここでは戸籍編製上の技術的問題について考えなければならない。もちろん夫婦別氏の立法が戸籍制度の抜本的改正を必然的に伴うものではなく、まして個人籍の導入と不可欠に結びつくわけではない。婚氏続称や縁氏続称が必要とした程度の技術的追加によって別氏選択制の立法は十分に可能であるから、戸籍制度が法改正の障害とはならないことを確認しておく必要がある。また既存の戸籍技術の体系の蓄積をすべて過去のものとしてしまう戸籍制度の根本的改革は、たとえそれが合理的な制度改良であったとしても、過渡期のコストや混乱を考えると採用しにくいということも、立法論としては十分説得力のあることである*26。しかし現行戸籍制度が、「世界に冠たる戸籍制度」と漠然と称揚されるばかりで、たとえば個人籍への改革が日本人の身分登録を根本的に損ない、相続をはじめとする実生活に不都合をもたらすかのような誤解は、正しておかなければなるまい。焦眉の課題である別氏制導入の必要性の前には、戸籍制度の改革はいくらでも妥協できる程度の課題であるとは筆者も考えるが、同時に、戸籍制度の改革を論じることが別氏制導入の障害になるかのような論難によって、戸籍制度の冷静で客観的な評価や改革論が封じられることは、あってはならないと思う。
戸籍制度が、明治時代に作り上げられたわが国独自のきわめて精緻な身分登録制度であるのは、周知のことである*27。戸籍制度が、西欧法の身分証書制度と決定的に異なるのは、戸籍相互間の索引的・連結的機能によって、また住民票との連絡によって、戸籍が住民登録と国民登録と親族登録の機能を合わせもつ存在である点である。欧米の身分証書は、基本的には出生・婚姻・死亡の証拠書類にすぎないもので、これらの機能を持たない。しかしここで強調しておかなければならないのは、戸籍のこれらの機能は、戸籍が家族単位で編製されていることによるのではないということである。つまり現行の戸籍制度を個人籍に改めても欧米流の身分証書になるわけではなく、戸籍の機能は失われないのである。むしろ親子関係及び婚姻関係を公示する身分登録簿としての現行戸籍の機能には、限界が多く、たとえば相続のためには少なくともその者のすべての子を記載する必要があることは、早くから指摘されてきた*28。「夫婦親子の関係を一覧的に把握できる」と称揚される現行戸籍が確実に表示できるのは、現在の婚姻関係と現在同籍している子であり、過去の婚姻関係および別籍の子については確実には表示できないから、相続の際には相続権のある子を捜すために被相続人の生殖年齢以降の戸籍(除籍)を大量に集める必要が生じうる。家族単位の合体によって身分関係を明示している現行戸籍を個人籍に解体すると、配偶者や子の情報(本籍地と氏名)を記載しなければならないが、身分関係の変動による移籍が不要になるために、過去のすべての婚姻関係及びすべての子がそれこそ一覧的に表示可能になる。また身分変動や氏の変更のたびに民法上の氏と呼称上の氏の理論を駆使して入籍・除籍・新戸籍編製を配分する現行の至難の戸籍実務が、はるかに軽減化された単純な作業となる。結局、機能的には、個人籍のほうが優れているといえるであろう。個人籍を採用すると、配偶者や子の情報を記載する場所が必要になるが、現行法の外国人配偶者との婚姻や非嫡出子の認知事項のように身分事項欄に記載すれば足りる。そのためには身分事項欄の拡大が必要になるが、現在でも身分事項欄に書ききれない内容は掛紙を添付してこなしており、コンピューター化の際に身分事項欄の記載容量を増やせばよい。
おそらく問題は、純粋な技術的優劣の比較ではないのであろう。既存の制度を改革するコストへの危惧を別にすれば、個人籍に対する評価の可否は、夫婦親子が戸籍単位としてまとまることの精神的な影響力を積極的に評価するかどうかの違いなのであろうと思われる。積極的評価の背景には、核家族の団体性を肯定し強調する価値観と、同居者が同籍者に一致するべきであるという戸籍の沿革からの感覚があるように思う。これとは逆に、現行戸籍単位を消極的に評価して個人籍を主張する立場は、戸籍制度が戦前からの一貫した技術を用いているために、戸籍筆頭者の戸籍への他方配偶者などの出入りという記載方法や入籍という用語や続柄欄を維持していること等が、同氏強制制度と相まって、家意識の残滓をいつまでも解消できない原因であると考える。そして個人籍の採用によって、記載方法上も家族間の平等がより確保され、「家」制度の残滓を一掃できる精神的な影響力の方をメリットと考えるのであろう。筆者も精神的な影響力のみを比較しても、個人籍を採用する方が望ましいと思う。しかし前述したように、同籍者が家のメンバーであった戦前の戸籍が戦後の改正によって解体したことの意味は大きく、戸籍制度に対する国民のイメージが描いているよりは、現行戸籍自体は「家」制度とは切り離された存在となっている。沿革からの不合理な記載や技術は残っているけれども、とくに弊害の大きい続柄欄の記載や公開原則を除いては、早急に改善しなければならないというほどのものではない。したがって夫婦別氏制導入にあたっては、個人籍に対する抵抗が大きければ、戸籍編製の単位にはこだわらなくてもよいと思う。戸籍制度の身分登録簿としての不合理な部分の改善は、コンピューター化を契機に、別途実現されることになるであろう。
個人籍をとらないとすると、どのような選択肢があるだろうか。現行戸籍が、同氏同籍と夫婦同籍とのふたつの要素で成り立っていると考えると、別氏夫婦の戸籍は、論理的にどちらかの要素を失わなければならない。
別氏別戸籍案は、同氏同籍を維持し、夫婦同籍を放棄する案である。戸籍編製の基準として「氏」を使うことには、前述したようにそもそも無理があったと筆者は考える。同氏をなのる祖父母と孫も戸籍上の氏は違う氏で、同氏の兄弟間も氏が違うという構成は、非常識な理論であり、民法上の氏と呼称上の氏の区別にしても不毛な議論である。これらを放棄するにしくはないと思うが、現行の戸籍実務の「氏」概念をできるだけ維持したまま改正するとすれば、別氏別戸籍案になるであろう。別氏別戸籍にした場合には、身分事項欄に少なくとも配偶者の本籍・氏名を記載する必要があるので、外国人との婚姻の場合に類似する。別氏の子とは同籍しないため、親子関係は親の戸籍面上からはわからないが、配偶者の戸籍をとれば判明するから相続の際に支障はない。前述した精神的影響力の効果からいえば、夫婦間の平等・独立が目に見える記載方法であり、個人籍に一歩近づくものといえる。
「同一戸籍に夫婦が記載されること」の精神的影響力を大きく評価して、夫婦同籍を変更しないで改正するとすれば、別氏同戸籍案をとることになる。この別氏同戸籍案については、民法上の氏同氏とする案と、民法上の氏別氏とする案が提案されている。
民法上の氏同氏とする案は、婚姻に際してどちらの氏を夫婦の氏とするかを決定させ、別氏夫婦は、呼称上の氏として選択した氏で同籍に記載する案であり、同氏強制の現行法を、最小限の手直し、つまり自己の氏を選択しなかった配偶者の通称氏を戸籍上に記載することですませようとするものである。しかし現行実務の呼称上の氏とは、呼称上の氏が異なると同籍には記載されない機能をもつものである。したがってこの案が呼称上の氏と構成する通称氏は、現在の呼称上の氏とは違う制度であり、いわば「通称上の氏」制度を新設するものといえる。戸籍実務の「氏」概念はますます収拾がつかなくなるであろう。選択的別氏制導入の名に値しないと非難される案である。
民法上の氏別氏案は、一つの戸籍の基準となる民法上の氏が二つになることを正面から認め、同氏同籍から同婚同籍へと編製基準をかえるものである。戸籍筆頭者の記載をどうするか、同籍する子の範囲をどのように構成するかなどの構成によって、さらにこの案の内容は多岐に分かれる。この案は、民法上の氏同氏案よりは夫婦の平等性が戸籍面上に現れるものとして、評価される。
しかし実のところ、筆者は、立法提案としての決定的なポイントは、これらの戸籍編製の差異にはないと考える。なにより肝心なことは、嫡出子が両親のどちらの氏をも継承できる可能性を開いておくことである。婚姻の段階で、あるいは子が出生した段階でも、子に伝え得る氏をどちらか一方に決めてしまうことは、避けるべきであると考える。民法上の氏同氏案は婚姻の段階で子に伝える氏を決定してしまう結果と結びつき易いために望ましくないのであって、民法上の氏別氏案でも、あるいは別氏別戸籍案でさえあっても、子に伝え得る氏をどちらか一方に決めてしまうのであれば、大同小異であるにすぎないとさえ思われる。
子の氏をどのように決定するかということは、別氏制を導入したときの困難な問題といわれる。子がうまれたときに名を決定するように氏も両親で決定することでよいと思うが、不一致の場合を心配するのであれば、可能性としては、ドイツの現行実務のようにくじで決定するか、婚姻時に不一致の場合はどちらの氏になるかを決定しておくしかない(あるいは父子関係より母子関係がはっきりしていることを理由に、北欧法のように不一致の場合は母の氏にする可能性もあるが、日本では現実的提案ではあるまい)。婚姻時にこの決定を要求することは、婚姻要件を増やすことにはなるが、兄弟の氏を別々にできることを確保しておけば、婚姻の自由を侵害するとまではいえないであろう。ただし両親の合意が成立する場合にはどちらの氏をも継承できる可能性を開いておくことが、きわめて重要である。この可能性がないときには、婚姻時に子の氏を決定することは、自分の氏を子に伝えられないという決断をすることを婚姻の要件とすることになり、婚姻の自由との衝突が生じる。現行法では、それどころか同氏強制制度が自分の氏を失う決断をしなければ結婚できないという深刻な事実上の婚姻障害となっているので、このことの重みが十分に認識されていない。むしろ氏の伝承は、従来「家」の承継のうちに含まれて「家」制度の一環をなしていたために、「家」制度を否定するあまり氏の承継について権利として重視しない傾向がある。しかし氏の原初的・伝統的捉え方である所有権的把握からの要請を軽視すべきではない。たしかに氏の人格権的把握の要素は、おもに個人の自己を表象するものとして尊重されるべきであることを意味し、目下のところは、もっぱら意思に反して自己の氏を変更されないことを確保することがこの要素の求めるところとなっている。けれども自己の氏を子に伝えることができるということも、ひろくいえば人格権的把握の要素の外延に含まれてくることではないであろうか。
「家」制度は、「家」の必要性から、たとえば非嫡出子の地位のように、また協議離婚制度のように、現象的にはフランス法やドイツ法が後に法改正されてたどりつく結論を、結果的に先取りしていたことになることがある。もちろんそこで意図されていた理由やその実態の内容はかけ離れたものであったけれども。氏の継承についても、同じことがいえるように思う。そこでは、フランス法のような強固な男系継承やドイツ法のような婚氏概念に妨げられることなく、女戸主の可能性を通じて、または親族入籍などのよりたやすい手段によって、女系の氏を継承できる道が開かれていた。民法の改正が諸外国よりなかなかたやすくは行われ得ない日本では、とりわけ長期的に流れを見通した立法が必要である。かりに家族秩序維持的観点から兄弟の氏を同一にすることに兄弟間の一体感を要請する効果があるとしても(筆者はこの効果の存在に疑問をもつが)、それを強制的なものとして、婚姻の自由や、自己の氏を子に伝える権利と衝突するべきではない。氏の継承を封じると、現在少なからず行われているように、日本法には祖父母の養子にするという便法があるために、この便法によって実際に育てている両親が親権者でなくなるという弊害のほうがはるかに大きい。
もっとも強制的に兄弟の氏を同一にしても、出生後に氏を伝えなかった配偶者の氏に変更させることを幅広く認めれば、事実上、両親のそれぞれの氏を子に伝える権利を確保したとかなり近い結果が得られ、祖父母の養子という便法を心配しなくてもすむ。民法791条は、前述したような経緯で立法された条文であるが、現在では、もっと氏変更の自由度を拡大して、届出のみによる氏変更を許容してよいと思われる。具体的には少なくとも2項を改正して、別氏夫婦の子が、両親のどちらかと氏を共通にするための変更は戸籍上の届出だけで可能とすることが、現実的な提案であるのかもしれない。
戦前からの沿革的な理由による戸籍と氏の密着は、根本的に洗い直す必要があるであろう。いくつか列挙すると、未成年の子でも分籍できるなど、子の戸籍の独立性を拡大する必要があること、入籍届と改氏届を分離したほうがよいこと、出生届の時点で入籍する戸籍を現在よりも自由にするべきであること*29などが挙げられるが、許された紙数をすでに大幅に超過しているため、これらの検討は、また別稿に譲ることとする。
*1同旨、滝沢聿代「夫婦別氏の理論的根拠ードイツ法から学ぶー」判例タイムズ750号頁(1991年)。また本稿執筆中に刊行された、もっとも新しくかつ内容の豊かな論文として、滝沢聿代教授の「選択的夫婦別氏制ーその意義と課題ー」成城法学43号(1993年)を挙げておきたい。紙数の関係で氏に関する先行の研究を最小限しか挙げることができないため、列挙すべき重要な文献(とくにフランス法やドイツ法の比較法研究)は、滝沢聿代教授のこの論文の注に挙げられているものを参照されたい。
*2民集42巻2号27頁。韓国人名を日本語読みしたNHK放送に対する謝罪広告などを請求した訴訟である。
*3フランス法の氏に関して、アンブロワズ・コランが説明した3つのシステム、所有論・行政的規制・人格論の分類を参照した。稲本洋之助「フランス法における『氏』」黒木三郎他編『家の名・族の名・人の名ー氏』三省堂(1988年)225頁。
*4「社会の呼称秩序はイギリス人の誇る自由のために犠牲にされている感」とする三木妙子「イギリス法における氏」黒木三郎他編『家の名・族の名・人の名ー氏』三省堂(1988年)220頁。
*5「イギリスの社会が人の身分事項を一括集中して登録する身分登録制度をもたず、住民票に当たるものを編成せず、また戦時の非常事態を除いてアイデンティティ・カードを発効しないことと考え合わせると、取り立てて驚くべきではないのかもしれない。」三木妙子・前掲「イギリス法における氏」220頁。
*6Mary Ann Glendon,The Transformation of Family Law(The University of Chicago Press,1989),106
*719世紀後半におけるドイツにみられる「家支配権と家の平和の神聖不可侵」概念について、またそこにみられる夫の妻に対する支配正当化について、村上淳一「ドイツ市民社会と家族」法学協会雑誌100巻3号(1983年)参照。
*8マリアンヌ・ウェーバーによる先駆的批判について紹介する唄孝一『戦後改革と家族法ー家・氏・戸籍』日本評論社(1992年、該当部分は1960年初出の論文から)288頁参照。
*9床谷文雄「ドイツにおける夫婦の氏の新展開」民商法雑誌105巻3号(1991年)参照。
*10近代国家の発展に伴う国民の把握という観点から、近代国家生成期の一般的潮流の一例として、日本の家名不動の原則を理解する観点を示唆するのは、唄孝一『氏の変更』日本評論社(1992年)39頁(初出は『氏の変更(上)』日本評論新社(1955年))。本稿は、氏に関する論文の宿命として、以下の叙述も直接間接に、氏に関する研究としてもはや古典である唄孝一教授のこの著作に負うところが多い。
*11井戸田博史『家族の法と歴史』世界思想社(1993年)53頁。明治前期の政策について、同書・35頁以下参照。
*12従来の習慣にて二三男に別の苗字をつけて一家族にして戸主と苗字を異にする者が往往あり、自然別戸に見え不都合につき速やかに戸主と同一の苗字に引直すよう届出す可しとの明治9年10月23日の愛媛県戸籍法令がある。福島正夫『「家」制度の研究 資料編1』東京大学出版会(1959年)390頁所収。
*13福島正夫・利谷信義「解題」福島正夫『「家」制度の研究 資料編1』東京大学出版会(1959年)44頁は、子弟が父兄と名字を異にすること及び分家が本家と別姓を唱えることを禁止した明治7年1月太政官指令などを挙げて「姓に家名の性格を付与し、そのような方向に人民を馴らしていった」とするが、明治民法成立まで夫婦別氏であったことからも、筆者にはそれほど意図的ではなかったように思われるのである。
*14幕藩体制下における家長権の存否については、法制史学者の間で意見が分かれている。詳しくは、鎌田浩『幕藩体制における武士家族法』成文堂(1970年)等参照。家長権の存在を主張する石井良助『家と戸籍の歴史』創文社(1981年、引用箇所の論文の初出は1974年)25頁は、江戸時代の戸主権限の直接的な資料はないが、戸籍実務における家族の諸願伺を戸主から提出させる旨の明治11年の内務卿指令を根拠に、これが武士の当主の権限に由来するものとして家長権の存在を主張する。しかし制度としての戸籍が成立したときにそれに伴って法的な権限の決定が必要になったという要素があるはずである。筆者は、幕藩体制下の家長権の存否について判断する能力はないが、少なくとも石井良助博士のこの論拠は弱いものと思う。
*15祖先崇拝と「いえ」について有地亨『近代日本の家族観 明治篇』弘文堂(1977年)12頁以下参照。
*16唄孝一「『氏』二題」黒木三郎他編『家の名・族の名・人の名ー氏』三省堂(1988年)184頁。
*17戸籍と結びついた「家」制度は、技術的な抽象化という点で完成度の高いものではあったが、細かいところでは当然に、実際の共同生活というもともとの戸籍の実態を反映して、純理論的には説明しにくい部分もあった。於保不二雄「入籍及び復籍の意義」法学論叢52巻1号(1946年)は、入籍や復籍の語の概念規定がはっきりしないことを指摘し、家の構成に基づきこれらを原理的に構成しようとする試みである。
*18例外として、分籍した成年者は同氏であるが復籍することは許されない。
*19いかに戸籍実務の「氏」概念がわかりにくいものとなっているか、例を挙げよう。甲男(養子)と乙女(実子)が同籍中、夫の氏を称して婚姻後、子Aをもうけた。その後、甲の離縁、さらに甲乙が離婚しているとき、Aと乙が同籍するためには家裁の許可がいるか。Aと乙が称している氏は呼称は同じであっても同一でないと戸籍実務では考えられるので、家裁の許可が要るのである。
*20唄孝一「戦後の民法改正過程における『氏』」日本法社会学会編『家族制度の研究下』有斐閣(1957年)に詳しい。
*21第45回全国連合戸籍事務協議会総会・協議問題の審議記録・戸籍603号(1993年)54頁。
*22たとえば昭和45年7月1日から戸籍記載例の改正により復籍という用語が姿を消して入籍と記載されることになったように、現行戸籍に不都合な伝統用語が抹消されることもある。
*23奥平康広「人権体系及び内容の変容」ジュリスト638号(1977年)251頁。
*24新しい人権の根拠条文として挙げられることの多い日本国憲法13条と、思想的に密接な関連のある合衆国憲法修正9条、およびグリスウォルド判決について、芦部信喜「包括的基本権条項の裁判規範性ーアメリカ憲法修正九条についてー」法学協会編『法協百年論集2巻』(1983年)。
*25平賀健太「夫婦の氏 親子の氏」戸籍605号(1993年)が、別氏制導入が、日本人の生活上の伝統、仕きたりとしての家の氏を損なうとしてこの点に触れる。
*26島野穹子氏が、島野穹子「夫婦別姓について」戸籍602号(1993年)において、かつての個人籍を肯定する意見から現行戸籍を維持する意見に改説されたのは、「実現困難な議論をすることによって夫婦別姓制度の実現が先送りされることを避けるため」(同・11頁)であろうか。
*27拙稿「戸籍制度」ジュリスト1000号(1992年)参照。
*28戸籍制度のこの機能の限界について、筆者の気付いた最も早い時期の指摘は、兼子一「課題」中川善之助他編『家事裁判・家族問題と家族法7』酒井書店(1957年)12頁である。
*29事実上の離婚が先行して、前婚中に、または待婚期間中に、後婚の夫の子が出生した場合、非嫡出子として真実の親子関係を表した出生届を受け付けることにすれば、現在の待婚期間の問題点のほとんどは解消するのではないかと筆者は考える。遺伝子情報などによって誰が血縁上の親かを調べることは、その子のまさにプライバシーの根幹を侵害することであるという畏れを持たなければならない。調べた結果、前夫の子でも後夫の子でもないとなると、どうなるのだろうか。実親子関係の決定方法として、嫡出推定や出生届などの外形的な要素からのみ決めていくことは、安易に崩してはならない大原則である。そのためにも出生届の段階で届出者が真実を反映した届出ができるようにしなければならない。