弁護士兼作家として、目指す第三の道は「法教育」

五十嵐いがらし 優貴ゆうき

ミステリー作家・弁護士
作家としてのペンネームは五十嵐律人(いがらし りつと)
東北大学法学部H25年卒/法科大学院H27年卒
司法試験合格後、裁判所事務官・書記官として勤務
第62回メフィスト賞を受賞し、2020年に『法廷遊戯』(講談社)で作家デビューすると共に弁護士に転身
他の著書に、『不可逆少年』『原因において自由な物語』『幻告』(講談社)『六法推理』(KADOKAWA)など。

はじめから夢があったわけではなかった

 法学部は高校の担任の先生に勧められて入ったので、当時は法律にそれほど興味はありませんでした。1、2年生の頃は、ただ大学を楽しもうと思っていて、勉強はあまり頑張っていませんでした。バイトやサークル活動をして、単位はギリギリでとりあえず卒業できたらいいかなみたいな、しょうもない生活をしていました。

 ゼミやサークルは、活動そのものよりも人と人との繋がりを目的として入っていました。法学部では、自主ゼミがメインで全学のサークルには入らない人が多いと思います。でも、僕は学部以外の人との繋がりも欲しくて、サークルに所属していました。僕の入学当時はコロナの流行もなかったので、新入生の勧誘が活発でした。そこでFD同好会と書かれたビラを渡されて、「FD=フリードリンクだよ」と言われて。FD同好会に入って半年間くらいは、本当にただ遊び続けていました。ところがある日突然、「宮城学院女子大学に来て」と言われたんです。行ってみると、私たちは民族衣装を着て舞い踊っているんですよと伝えられて、FD=フォークダンスだったことが分かりました。「君はもうフォークダンス同好会に入っているんだからやめられないよ」と言われ、そのままフォークダンスを4年間踊り続けました。

 自主ゼミではJASTに所属していた時期もあって、過去問集や教授へのインタビュー記事を販売していましたが、どちらかというとサークルの方を楽しんでいましたね。

「勉強を頑張りたい」きっかけは東日本大震災

 法律の勉強に本腰を入れ始めたのは大学生活の後半で、きっかけとなったのは、2年生の終わりに起こった東日本大震災でした。電気も水道も止まって、スーパーから商品がなくなって、トイレも流せなくて。今まで当たり前だと思っていたものが、全然当たり前ではないことに気づきました。自分は大学生だから、友達と大変だねみたいなことを言い合うくらいで、何もできませんでした。そのときに、勉強を頑張りたいと思って、司法試験の予備校に申し込んだんです。

 そこから法律を熱心に勉強して、知識が追いついてくるから、大学の講義も面白くなっていきました。ゼミに入って研究もして、やっぱり法律は面白いと思ったので、ロースクール(法科大学院)に行こうと決意しました。

双方向の学びが自分に向いていた

 自分は割と講義は聞けないタイプで、高校も授業をほとんど聞いていなくて、自学自習したほうが伸びるタイプだったんです。ロースクールには、ソクラテスメソッドといわれる、教授がランダムに指名して学生が答える機会があって。当てられるのは嫌だという学生もいるでしょうが、僕には向いていましたね。聞かれて答えられなきゃ悔しいし、答えられたら満足感があるわけじゃないですか。

 印象に残っているゼミは、佐々木弘通先生の憲法のゼミです。6人枠のゼミのところ、参加した学生が2人しかいなくて、先生と3人でずっとやっていました。当時はコロナもなかったから、国分町に飲みに行ったりしていましたね。そのときの僕は、あまり憲法に詳しくないから、振り返ると恥ずかしいようなめちゃくちゃなことばかり言ってたんですよ。でも、佐々木先生はそれにダメ出しするわけでもなく、面白がりながら色々聞いてくれて。その議論が楽しかったという記憶がすごくあります。

「小説って、黒歴史の錬金術なんですよ」

 僕は岩手県盛岡市の出身ですが、小説の舞台のモデルは仙台にすることが多いです。小説は、いいことを書くにしても悪いことを書くにしても、実体験を伴った方が説得力は増すと思っています。自分が恥ずかしい話とか失敗した話とか、そういう経験の方が生々しく書けるし、それが作家性になる。となると、自分の生々しい黒歴史ってどのあたりかなと思うと、大学時代なんですよ。だから『幻告』(講談社)も大学時代のシーンがあるし、『六法推理』(KADOKAWA) はずっと大学の話なんです。そんな感じで、自分の記憶に一番残っているのは、大学。だから、大学時代の経験は、小説を書く上でもすごく自分の糧になっていると思います。

「法律の魅力を伝えたい」アイデアの面白さで勝負できるのが小説だった

 法学部に進学した理由は、高校の担任の先生に勧められたからですが、入ってから面白さに目覚めたので感謝しています。同じように興味を持つ人が増えてほしいので、中学生や高校生に対して法律の面白さを伝えたいというのが、小説を書く原動力の一つになっています。

 法律って、最初はとっつきにくいしつまらないと思うんですよ。刑法を理解しないと民法を理解できないようなところがあるし、その逆もあるから。大学の教授も、それぞれの法律を自分の専門分野として話しているので、基本的には法律を分かっている人向けの講義だと思うんですね。だから、法律を学ぶ上での最初の障壁は、自分で勉強して乗り越えなければいけないと思っています。

 その障壁を乗り越えるために必要なのが、「法律って面白い」とか「法律もっと学びたい」とかいう思いだと考えています。そして、最初のきっかけになるのは、興味がある事件とか、社会でニュースになっているものとか、小説でもなんでもいいですけど、そういう生の事実を、法律で解決することができると知る体験だと思うんですね。

 僕はロースクールで国際私法を学んだのですが、授業で「A国とB国の国境線を挟んで、A国側にいる人がB国側にいる人に拳銃を撃って、致命傷を負ったB国側の人が、飛行機に乗りC国で降りて亡くなったときに、A国B国C国のどの法律が適用されますか」という事例があって。僕はそのとき、そんなのありえねぇよって思っていました。でも、その数年後にニュースを見ていたら、メキシコの国境からアメリカに密入国しようとした人が、柵かなにかを乗り越えようとしたら、アメリカ側の警備兵に撃たれたという出来事があって。それってストーリーがあるから、イメージがわくし、これって結構大事な問題だと思うわけですよ。そういうふうに、自分ごととして考えるのが学問にとって大事だというのは、ロースクールぐらいから思っていました。

 例えば学校でも、当たり前のように校則があるわけじゃないですか。自分が高校生のときは、校則として既に存在しているわけだから、それが当然のものという理解がありました。でも、当時の僕に法律の知識があったら、それは校則というルールなわけだから、学校にかけあって変えるとか、生徒会を動かして変えるとか、色々と方法はあったなと思っていて。だから、何か不条理に直面した時に、法律で解決できるかもしれないという考えを持つことが大事だと思っています。

 同じように、小説の中でも、描かれる事件やキャラクターやストーリーが面白ければ、それを法律で解決できるという体験を通じて、法律に興味を持ってもらえると思っています。だから、小説を書くときは、法律のことを中心にするというよりも、事件やキャラクターやストーリーを先行して考えていますね。

 小説という表現方法を選んだのは、アイデアさえ面白ければ面白い作品になると思っているからです。初めて小説を書いたのは中学生の頃ですが、僕は技術というよりも、アイデアに自信がある方でした。絵画や漫画だったら、アイデアをビジュアル的に変換しているし、映画も映像上の演技で変換している。一方で、小説は文字ベースでアウトプットしているだけなので、元々のアイデアを忠実に再現しやすいと思っています。

裁判所職員と執筆活動 徒歩1分で往復する生活

 僕の経歴としては、司法試験に受かった年(2015年)に、裁判所事務官の試験に受かったんです。そのとき、弁護士になったらものすごく激務だけど、公務員はホワイトなイメージがあったので、裁判所事務官になりました。

 片平に仙台地方裁判所があるじゃないですか。目の前にカフェがあって、その隣のマンションに住んでいたんですよ。裁判所まで徒歩1分で、ベランダを開けると職場が見えるようなところです。裁判所は8時30分〜5時が定時だから、7時くらいに起きて、小説を書いて、8時20分くらいに裁判所行って、昼休みには家で小説書いて、定時に帰って、また小説書いてという生活を送っていました。

 僕は職場の人からすると変な人に見えていたかもしれません。司法試験に受かって裁判所職員になるって、割と変なルートなんですね。だけど、自分はそういうのをあまり気にしないタイプだったので、みんなに小説を書いていることを伝えて、実際に読んでもらったりしていました。事務官から書記官になるときも、埼玉県和光市の研修所にいた1年間に、書いた小説をみんなに回し読みしてもらって、フィードバックをもらって、また新しいのを書くということをずっと繰り返していました。だから小説を書き始めてからは、色々な人に読んでもらっていましたね。

新人賞は優等生では通用しない 悔しさをバネに

 大学入試や高校入試って、基本落とすための試験だと思っているんですよ。悪目立ちしなければ受かるわけじゃないですか。それは司法試験にも共通していて、圧倒的な知識量が試される試験ではあるけど、目立つ試験ではないと思う。論文を書くといっても、唯一無二の答案が求められているわけではなくて、オールマイティーにそつなくこなせる人が受かる試験なんです。

 でも小説は、何百人中の1人が受賞する世界で、選ぶ試験なんですよ。そつのない秀作よりは、大きな欠点があってもどこか1つ尖っている作品の方が目立つし、選考に残りやすいと思っています。

 僕は傾向と対策を練るのが得意な人間だったので、受験は強い方でした。だから、今までのいい子ちゃんみたいな対策の仕方だと結果が出ないというのは、小説の新人賞で初めて思いましたね。しかも、新人賞は落ちたときに理由がわからないわけですよ。そのうえで、チャンスは1年に1回しかなかったりすると、なかなか結果が出なくて悔しい気持ちはありましたね。

 弁護士にならずに裁判所職員になった理由を聞かれたときに、小説家になりたいからだと言っていましたが、それって言い訳っぽいんですよ。作家になりたいと言っても、事実としてなれていないわけだから、それはただ先延ばしにしているだけであって。小説を応募し始めて1年目2年目は、結果が出ないし、弁護士になっちゃおうかなと思うときもありました。でも、そこで諦めてしまったら、2年間をただ無駄にしたことになるわけじゃないですか。作家になれたうえで弁護士になるんだったら、その時間に意味があったと思うことができるけれど。

 30歳をひとつの区切りにしたいと思っていて、結局29歳で受賞できましたが、仮に取れていなくても、応募はやめなかったと思います。悔しいから。年齢を重ねるにつれて、同じ年に司法試験に受かった友達は弁護士になって、お金を稼いでいるわけですよ。そのときに、そんなにプライドが高くない僕でも、悔しいなって思ったりして。

 僕は人生充実してたらなんでもいいやって思うんですけど、なかなか結果が出なくて、悔しくて、でも特別になりたいから頑張ろうというのが原動力になるタイプです。だから、あまり満足していないときの方が頑張れる気がします。

29歳で受賞、弁護士作家の道へ

 僕が受賞した講談社のメフィスト賞では、編集者の方が作品の良し悪しを語る座談会があったんです。僕が最初に応募した小説は、受賞はできませんでしたが、座談会に上がってボロクソ言われていたんですよね。それで、こなくそって思って、もう一回応募したりしていました。

 そのときまで、小説では青春の要素を全面に押し出して、法律は要素の1つとして取り入れていました。でも、選考委員の先生から、本当に書きたいものが何か見つめ直した方がいいと言われて。それならもう正面から法律を扱おうと、THE・刑事裁判、THE・冤罪を扱ったのがデビュー作の『法廷遊戯』でした。

 受賞したときは、嬉しいというよりめちゃくちゃ安心しました。30歳が近づいていましたし。

 賞を取れたタイミングで、弁護士になりました。司法試験に受かったタイミングで弁護士にならなかったのは、執筆の時間を取るためでもありますが、弁護士という職業にあまり魅力を感じていなかったからなんですよね。でも、自分が裁判所で働いたときに、弁護士の仕事を生でみる機会が結構ありました。

 民事訴訟では、本人訴訟というものがあります。刑事裁判は必ず弁護人がつくけれど、民事は自分でも訴訟できるんですね。裁判所で働いているときに、原告は本人で、被告は弁護士を雇っているという状態で、言っていることは原告の方が正しいけれど、法律上の主張になっていなくて証拠もないから請求棄却、みたいな民事裁判を見ることがよくあって。それに対して、裁判官も裁判所書記官も基本的に手助けできない。裁判所は公平中立でないといけないから、基本どちらにも肩入れしないわけです。争訟においてプレイヤーじゃないんですよね。 

 でも、弁護士だったら助けられると気づいたときに、やりがいがある仕事だなと思って。そのタイミングで小説が賞を取れたから、プレイヤーになりたいと思って、弁護士になりました。

今後は、ストレートな「法教育」にも挑戦したい

 小説で書きたいことはたくさんあります。例えば、法曹三者の中で弁護士や裁判官はこれまで扱ってきたので、いずれ検察官も書きたいなと思っています。それと、執行官にも興味があります。裁判は「絵に描いた餅」と言われることがあって、勝訴判決を得ても、裁判所が実際にお金を回収してくれるわけではない。それを回収するのが執行官です。裁判所時代に執行官について話を聞くと、家賃を滞納して出て行かない人の家に行ったら、嫌がらせで家に猫が100匹いたとか。そういう話を聞くと、執行官を主人公にしたら面白そうだなって。

 基本的に社会が動いていくと、新しい事件が起きて、法律も変わっていくわけです。SNSが流行ったから、匿名の誹謗中傷が増えてしまって、発信者情報開示を経て誰が投稿したのかわかりますとか。だから、その時その時で書きたいものはどんどん出てくるだろうから、テーマはたくさんあります。

 やりたいことは、一貫して「法教育」と言っています。小説はどちらかというとエンタメとして書いていますが、もっとストレートに、法律の面白さを実用書で伝えられたらいいなと思っています。法律に興味がない人に対して法律の面白さを伝える仕事を、もっと積極的にしたいですね。

選択する過程を大切にしてほしい

 僕はどちらかというと、仕事をまっとうするのか私生活を充実させるのかという選択ではなくて、「自分だからできること」をやりたいなと思っています。

 僕は、自分ができないことをする人にはなりたくなくて。でも、できないことをやりたくないと言えるためには、肩書きとか立場とか、色々あったほうがいいわけです。だから、司法試験を受けるとか、弁護士になるとか、色々やってきました。自分が動きたいように動くために、地盤を固めるために行動してきましたね。

 学生の皆さんには、極論結論はなんでもいいので、選択する過程を大事にしてほしいと思います。4年間の学生生活くらいは遊び倒しちゃえというのも、別にいいと思うんですよ。逆に、今後の人生がそこで決まるんだから、4年間くらい頑張ろうとか、就職活動を1年間くらい頑張ろうとか、それはそれでいいと思っています。

 よくないのは、周囲にただ流されてしまって、みんなが就職しているから就職しようとか、みんなが遊んでいるから自分も遊んで留年してもいいやとか、そういうのだと思っています。

 5年後10年後に何が正解かなんて、分からないじゃないですか。その5年後10年後、自分の進路は失敗だったかもしれないと思ったときに、学生生活を振り返って後悔するのはよくないと思います。僕も、巡り合わせで法律を好きになって今に至っているだけなので、割といきあたりばったりではあります。でも、大学生活の4年間を振り返ってみると、あのときの経験が今小説になっていると思うし、法律を勉強してよかったと思っているので。

 学生の皆さんにとっては、学生時代がnowかもしれませんが、振り返ると過程なんですよ。振り返ったときの過去を大事にしてほしいと思います。

聞き手:杉下さら(3年)
中村未来(4年)

最新刊『幻告』にサインをいただいた