仲間との協力は不可欠 立場を超えて分かり合う努力を

清野せいの さとし

1970年4月、日本国有鉄道入社。入社3年目にはコンピュータ部に配属され、その後天王寺鉄道管理局旅客課長、仙台鉄道管理局総務部長などを務める。
1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道株式会社入社。東北地域本社 総務部長、同社財務部長、人事部長などを歴任し、2006年4月、同社代表取締役社長就任。社長在任中の2011年に東日本大震災が発生し、復旧の陣頭指揮を執る。2012年4月、同社取締役会長、2018年4月、同社顧問となる。
2018年4月 - 独立行政法人国際観光振興機構(JNTO)理事長に就任

「努力を続けていれば、きっと誰かが見ていてくれる」

様々なことに関心を持ち、取り組んだ学生時代

 1、2年生の時は、国家公務員になろうか、司法試験を目指そうか、あるいはメディアに行こうかなどと考えていました。新聞やテレビへのあこがれから、技術者志望の工学部やアナウンサー志望の文学部の仲間たちと一緒に放送研究部で活動していました。私はテープレコーダーを担いで取材に行ったりしていましたね。ただ、1年やってみて自分の居場所はここにはないと感じたので、やめてしまいました。その後は、友人の家を泊まり歩いたり、旅行をしたりと、学生生活自体を楽しんでいました。学生運動が激しかった時代でもあったので、政治問題についての議論を戦わす機会も多くありました。

 3年生になってからは専門科目の学習に力を入れ、藤田宙靖先生の行政法のゼミに参加しました。大学での学びが社会に出てから直接役立ったかと言われるとそうとは言い切れません。ただ、法律とはこういうものか、どんな風に読めばいいのか、ということを学ぶことができたと思います。さらに言えば、自分の考えていることをどう理論づけていくのか、そうした考え方の基礎を作ることができたと思います。

昭和 44 年(大学 4 年生)の初夏、仙台の自宅で 1 月生まれの姪っ子を抱いて(写真右側)

本気で相手とぶつかる覚悟が、道を開く

 進路についてはいろいろ考えましたが、父親が国鉄で働いていたことと、若いころから責任ある仕事を任せてもらえるということから、国鉄を選びました。しかし、入社してみたら、国民の「足」として大事な仕事をすべきなのに、使用者側と労働者側が不毛な争いを繰り広げてばかりなのを目の当たりにしました。「国民の足としての鉄道は残るだろうが、国鉄はなくなるかもしれない」と危機感を抱く職員も多く、紆余曲折を経て最終的に分割民営化に至りました。

 国鉄の改革を進める中で、職員数の合理化を進めることになり、約7~8万人の人員削減をすることになりました。彼らの仕事を探す必要があり、地方自治体や企業に受け入れをお願いしました。最初は、労働運動を盛んにやってきた国鉄の職員は採用したくないと断られていました。しかし、私は本当の彼らのことをよく知っていましたから、「国鉄という組織が悪いのであって、一人ひとりは真面目だ」と受け入れ先を説得し面接にこぎつけたところ、「面接の応答もしっかりしているし、試験の出来もよい」と評価してもらえた職員が多かった。一生懸命頑張っていれば誰かが見ていて、「頑張っているな、本気だな」と思ってもらえるものだな、ということを強く強く感じました。実際、国鉄から民間や公務員に転職した人の多くは、「よく頑張っている」と言われる人が多かった。

 働いているときに意識していたのは、人を裏切らないことですね。立場の違いがあっても議論して分かり合う努力をするということが大事です。フランスの思想家ヴォルテールは「私はあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」と言ったそうです。それこそが民主主義であり、もっと言えば人が社会で生きていくうえで必要なことだと思います。相手の立場を認めて、議論する。最近は、「何があっても絶対反対」や、インターネット上において匿名で罵詈雑言を浴びせるといった言論風潮があるように感じられる。心配です。

「昭和62年1月 国鉄仙台鉄道管理局の先頭で大崎八幡宮へ(国鉄分割民営化の成功を祈願して)」

日本の魅力を知ってもらうため、施策を練る毎日

 現在勤務している日本政府観光局(JNTO)では、外国から一人でも多く観光に来てもらうために様々な施策を考えています。わかりやすく言えば、日本の魅力を外国にPRして、さらには外国人の要望を聞き、日本の観光において改善できるところを探し、それを実行するという仕事をしています。

 この2年半の間、コロナ禍でインバウンドがゼロの状況でしたが、「自然豊かな国で人々の応対も丁寧」というような声も多く聞かれ、日本の観光への海外からの評価は高いです。実質的な「鎖国」状態を緩和するよう、政府にお願いしていたところでしたが、令和4年10月11日からビザなし渡航や個人旅行がようやく再開されることになりました。観光、特にインバウンドは日本の産業として不可欠なものです。外国人が日本に観光旅行に来て使うお金の総額は、約4.8兆円(2019年)で、日本の産業でも外貨を獲得できるトップクラスの産業であるといえます。今一度観光業を振興させるべくより良い状況を作る、それが今の私の役目だと思っています。

 東北地方にもっと観光客を呼び込むために必要なことは、「互いに連携する」ことだと思います。一つの県だけに終始しないPRが必要です。例えば、ある県内の空港から入国した観光客をそのまま同じ空港から帰してしまっては、もったいない。ある空港に着いた観光客に東北の各地を周遊していただき、別の空港から出国してもらう方が観光客にとっても地域全体にとっても有益なのだから、県同士が互いに連携して観光客の誘致に取り組むべきです。さらに言えば、東京から京都へのいわゆるゴールデンルートの知名度は非常に高く、外国人の人気も高い。そうした状況を考えると、東北地方では、例えば圏内の歴史的なつながりをアピールするなど外国人に魅力を感じてもらえるような一貫したストーリーが必要です。北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されましたが、そのことに満足せず、三内丸山遺跡を中心に各地で連携してどう魅力を高めていくかということを考えていく必要があります。このように一つの県に終始しない戦略が、東北の観光には必要です。そうしたアイデアを現在、一般社団法人東北観光推進機構という団体で考えています。

「JNTOでも精力的な活動を続ける」

大学時代は、自身を磨き、向き合う時間に

 大学4年間は、自身の素養を高め、自分が将来何をしたいのか、夢を探す時間です。本を読んだり、友人や先生と議論したりして様々なことを考えてほしい。法学部で法律とは何か、この国の在り方などを学び、将来自分が成し遂げたいことにつながるような、ものの考え方の基礎を育む時間にしてほしいです。

聞き手:野崎達行(3年)
    能美寧々(4年)
    大槻周平(4年)