2005年「日・EU市民交流年」に向けて
−リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーが生み出した「人と人との交流」−
(『友愛』2004年9月10日号より転載)

 


   

 

 「友愛」思想の祖リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵。人と人との心を繋ぐ「友愛」の精神を、政治家として、個人として実践し続けた鳩山一郎氏。EUの礎となった思想は「友愛」。2005年、日本・EU市民交流年を前に深まるEUと日本の関係。今夏のパレスホテルにおけるカレルギー伯爵展に続き、今秋伯爵の母ミツコを、吉行和子氏が見事に演じます。友愛精神を続ける本協会にとって、嬉しい出来事が続きます。

 本年5月に25カ国体制へと拡大したEUは、国際社会での存在感を一段と強めている。EUとの関係強化が日本にとってもますます重要となっている折り、2002年の日・EU首脳協議の場では、2005年を「日・EU市民交流年」とすることが合意された。現在、「人と人との交流」(people-to-people exchange)をキーワードに、政治、経済、文化面を含め、様々な分野において、交流のイベントが準備されている。
 こうした状況で、本会の思想的根拠を提唱したリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが、再び脚光をあびつつある。
 去る8月にはパレスホテルにおいて、クーデンホーフ=カレルギーについての展示が行われ、この中で友愛運動との関係についても紹介が為された。同ホテルでは7月にもリヒャルトの孫であるミヒャエル・クーデンホーフ=カレルギーの個展を開かれており、好評を博している。
 また、来る11月7日には、吉行和子氏の一人芝居『MITSUKO−ミツコ 世紀末の伯爵夫人−』(別記案内参照)が催される。同ホテルの国際マーケティング・シニアマネージャーの松本恵子氏は、「来年の日EU市民交流年に向けて、駐日EU委員会代表部とも協力しながら、様々な企画を進めている。クーデンホーフ=カレルギーを生んだ日本女性ミツコには個人的にも感銘を受けており、この機会に現代の日本人にも是非そうした側面を広く紹介していきたい」と語る。
 クーデンホーフ・カレルギーと日本との関係は、本会との関係をはじめ、まさに「人と人との交流」であり、「2005年日・EU市民交流年」の原点ともいえる。
 今回のミヒャエル・クーデンホーフ・カレルギーの個展を後援した鹿島建設は、リヒャルトの著作の多くを翻訳した故鹿島守之助会長時代の旧交を温めた形になっている。この守之助氏没後ほぼ30年を経た「再会」には、昨年12月に東海大学とオーストリア・チェコ二大使館が共催したクーデンホーフ・カレルギーに関する国際シンポジウム(本紙467号参照)も大きく寄与している。「日・EU市民交流年」の来年にかけて、様々な「人と人との交流」が促進される中で、新規の催し物ばかりでなく、日欧交流の「忘却」されかけた側面も思い出され、その旧交を温めることになるだろう。

鳩山一郎氏の足跡を追う

 軽井沢町立図書館の市村文庫に、丹念に読み込まれた一冊の洋書がある。クーデンホーフ=カレルギーの著作 "Totalitarian State against Man"−−鳩山一郎氏が『自由と人生』のタイトルで邦訳し、その友愛革命の着想を得た著作である。
 この本が鳩山一郎氏の手に渡るまでの過程が非常に興味深い。
 ナチス・ドイツが欧州大陸を席巻した1940年、リスボンの地で米国亡命のための査証を求めて悪戦苦闘していたクーデンホーフ=カレルギーを、当時ポルトガル公使館の館長だった米澤菊二氏が何かと手助けしてあげたようである。クーデンホーフ・カレルギーは米澤との別れに際して、1冊の本をプレゼントした。帰国後、米澤はその本を著名な国際ジャーナリストであった松本重治氏に貸与し、さらに松本重治は軽井沢での避暑中に、親交のあった市村今朝蔵・早大教授にこれを又貸しした。
 市村きよじ(夫人)の回想によれば、この本を松本重治より借りた今朝蔵は、「この本の翻訳は鳩山一郎さんにして貰おう。(中略)鳩山さんは往年の優等生だから、この位の翻訳軽く出来るよ。歴代の総理大臣でこれだけの本を出版した人なんて誰もいない。その日の為にもこの翻訳をしておいて貰いたいんだ」などと一寸おしゃべりして雲場ヶ池の鳩山家の別荘に自転車で出かけて行ったそうである。(市村きよじ『軽井沢 大切な人々』日経事業BP出版社、1998年)
 市村今朝蔵は、鉄道王と言われた雨宮敬次郎、通称「雨敬」の甥にあたり、軽井沢のかなりの地所を含む雨敬の財産を相続した。(旧近衛文麿邸を買い取って移築した市村記念館は観光地としても有名である。)今朝蔵は、自分が所有する広大な別荘地に南原文化村という知識人のためのコミュニティを作って,その別荘地を非常に安く友人たちに譲ったのである。
 避暑地での知的交流といえば、ダボス会議やコー会議(MRA運動)の開かれるスイスが本場の感がある。第二次大戦後はグスタードの山荘でしばしば国際会議を開いたクーデンホーフ=カレルギーも例外ではない。ゆったりとした知的交流のコミュニティが、欧州と日本のそれぞれに存在したことが、友愛運動の母体となったということだろう。
 おそらくは翻訳のためであろう赤・青・黒の鉛筆でアンダーラインの引かれた市村記念文庫の洋書を手にするとき、「人と人との交流」による「又貸し」が、友愛運動につながっていったことに感銘を覚えずにはいられない。

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