クーデンホーフ・カレルギーと創価学会(1)


 


   

 

  RCKと創価学会との深い関係の跡は、今なお創価学会のホームページなどで確認できる。RCKの最晩年(1970−72年頃)、その日本との関係を創価学会が独占した観もある。創価学会にとっては、海外の知識人・要人と池田会長の対談の最初ともなった。

 この創価学会との関係は、1967年の訪日時に池田大作会長を訪問したいとRCK自身が言い出したことに端を発する。RCKは、第二次大戦後のパン・ヨーロッパ運動が停滞する中、法外なまでの興隆を見せる創価学会に多大な興味を持っていたのである。

 戦前の機関誌『パン・ヨーロッパ』の裏表紙には、「このパン・ヨーロッパ運動に賛同する者は、その思想を他の者にも広める義務を負う」という趣旨の文言がある。創価学会風に言えば、「折伏」せよ、ということである。

 RCKの創価学会訪問の意向に対して、訪日の招待者である友愛青年同志会、NHK、鹿島関係は揃って反対したが、RCK本人の意志が固かったため池田会長との会談が実現した。
 
 その際の模様をクーデンホーフ・カレルギーの日本訪問記的な著作(『美の国』)から引用しよう。

 「私は幾年も以前から創価学会の会長池田大作と、創価学会の運動に興味を感じていたので、今回の日本旅行に先立って、池田大作との会見をアレンジするように、私の招待者側にお願いしておいたのである。池田大作が彼の習慣を破って、私との会談を快諾してくれて、私としては特に嬉しかった。
 池田は彼の協力者のグループといっしょに私を迎えてくれた。私の方の同伴者は原田悟だけであった。私たちは通訳を介して会談した。
 私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと三十九歳の、この男から発出している動力性に打たれたのである。彼は生まれながらの指導者である。鎌倉の大仏の模像ではないのである。生命力の満ち溢れている、人生を愛する人物である。率直で、友好的で、かつ非常に知性の高い人物である。
(中略)池田の人物については、すべての偉人の場合と同様に、いろいろと論議されている。多くの人々は、彼をヒトラーに匹敵する者としている。しかしながら、このような比較は、(中略)彼の有する国粋精神と、素晴らしい組織のおかげで彼の運動が法外に興隆して行くことに対して向けられているのである。富士山麓における彼の率いる大会は、ナチスのニュルンベルク党大会と比較されているのである。」

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