クーデンホーフ・カレルギーと鹿島守之助(2)


 


   

 

 永富守之助はクーデンホーフ・カレルギーの『パン・ヨーロッパ』を翻訳して日本で出版しようとしたが、なかなか出版社が見つからなかった。結局、国際連盟協会から1926年に出版されたが、その翻訳出版の仲介にあたったのが神川彦松、松原一雄という東大と東北大の国際法の教授であった。

 しかし、神川彦松や松原一雄といった国際法学者は、国際連盟に大きな期待をかけていたということもあって、パン・ヨーロッパというものに対して一種のモンロー主義のヨーロッパ版を警戒するという姿勢から、非常に懐疑的な態度をとった。神川彦松の1927年の論文から引用すれば、「汎欧羅巴主義の危険害毒を認知して、それがロカルノ主義を捕虜となすに至らざるやう聯盟論者及世界平和論者は極力努力奮闘せねばならぬのである。」とまで断罪している。
 
 もっとも戦前はそれほど翻訳が多いわけでもなく、また外交評論家として活躍していた守之助の翻訳には一定の影響力があったようである。高木友三郎という法政大学の経済学部長も務めたエコノミストは「筆者も亦、これ[クーデンホーフ・カレルギーのパン・ヨーロッパ]をドイツ留學中に聞いて非常に感服し、滿洲事変勃発後、昭和7年初、「東亜モンロー主義の驀進」を書いたのもクーデンホーフからヒントを得たものである」と1940年に記している。戦後、NHK会長になる前田義徳も、本人の弁によれば、「学生だった40年前にカレルギーの『パン・ヨーロッパ』を読んだ印象が生きていて、アジア放送連合というものを作った」という。

鹿島組満州視察旅行
(1942年奉天神社にて)
 


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