リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー


 


   

 

  「ミツコ」が多くの関心を惹きつけ、なおやむことがないのに比較すると、リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーについては意外なほど紹介が少ない。

 日本で現在流通している情報の多くも1967年と1970年RCKの訪日時に書かれた文献の記述に依拠するものが多く、その「史実」には既に実証的な歴史研究の視点から誤りを含むものも多い。(こうした「史実」の誤りは、いわゆる学術的な著作の場合でも例外ではない。)

 RCKについての歴史的な研究は、このところ一気に進展している。
 これは、まず2004年5月の第五次EU拡大によって、統合ヨーロッパの版図が中東欧にまで広がり、RCKの統合構想が思想がいよいよアクチュアルなものとなってきたことが背景にある。
 また、欧州諸国の公文書は原則として「三〇年公開法」に従って公開されるため、これまで知られていなかった一九五〇年代から六〇年代の史実が続々と明らかにされており、それに加えて、RCKの個人文書が一九九五年にジュネーヴ大学に寄託され、その閲覧が可能になったことからRCK本人の思想・活動についても実証的な研究が進んでいる。
(この点に関して 友愛記事 も参照のこと。また、拙稿「パン・ヨーロッパ運動の憲法体制構想」『阪大法学』第53巻3・4号(2003年11月)および「中東欧EU加盟の世界史的意味」『海外事情』2003年10月号もこの点に触れている。)

 RCKの活動は活動は大きく分けて以下の5つの時期に区分することが一般的である。
(1)パン・ヨーロッパ運動の創設から国際連盟でのブリアン仏首相の「欧州合衆国」提案とその挫折までの1920年代
(2) 1938年にナチスのオーストリア併合まで「苦闘の三〇年代」
(3) 1938年以降――特に第二次大戦中の米国亡命時代
(4) 第二次大戦直後から1950年の欧州評議会創設の頃まで
(5) 統合の「傍流」へと追いやられた1950年代以降の晩期

 ここでは、さらにRCKの成長期も加え、RCKの生涯を6つの時期に分けて紹介したい。

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 RCK(1920年代)

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