アメリカ法入門 :陪審制について

東北大学法学部 (英米法講座)芹澤英明
[初出]1999/4/14
[最新更新]Wednesday, 22-Dec-2010 14:51:18 JST

(注意)このテキストの利用はインターネット上に限る.それ以外の利用については, 著作者の明示の許諾を得ること.また,講義の期間中(及びその後も), 頻繁に改訂されているので,常に最新版を利用すること.



このページは、1999年度東北大学法学部2年生向け英米法特殊講義(前期:2単位) に連動したページです。

講義は水曜日1限、法学部1番教室のネットワークシステムを使って行われます。

このページには、 講義で 触れた判例や資料に関連したリンク集、レジュメ、補足的説明が含まれています。 復習に使うとともに、各自、ここを出発点として、アメリカ法の陪審制 について研究調査を行ってみてください。

受講者は、各回講義の後、 情報教育センター(情報シナジーセンター情報教育研究部) の端末からネットワークにアクセスして Mailing Listで行われている議論に参加することができます。 質問・議論はこのMailing Listで行ってください。講義をきいて自分が考えたこと、 調査したこと、発表したいエッセイは、すべてMailing Listに書き込んでくださ い。コメントを加えるとともに、このページに反映させていきます。

○本Mailing Listで出題された問題一覧

○講義で使ったPowerPointスライド[アクセスは受講者に限定されています]


●試験=最終課題:レポート
テーマ:(7月14日に、 Webページ(ここ) 、Mailing List及び法学部掲示板で発表されました。)

[試験レポートのテーマ](ここをクリック)

様式:A4版用紙で1枚以上5枚以内(ワープロ、パソコンからのプリントアウトし たものが望ましいが、手書きでも可。なるべく、Mailing Listでの議論を組 み込めるように情報教育センターの端末で作成してください。)
提出期間:1999年7月28日〜8月10日 PM.4:00(必着)
提出場所:法学部教務掛


参考文献(全体について)

  1. 浅香吉幹『現代アメリカの司法』15-31頁(1999)
  2. 田中英夫『英米法総論(下)』444-455頁(1980)
  3. 伊藤正己・木下毅『新版アメリカ法入門』155ー70頁(1984)
  4. 英米法判例百選(第二版)II,83事件Curtis v. Loether, 415U.S.189(1974)(田中英夫評釈)
  5. 田中英夫「合衆国憲法における陪審審理を受ける権利の保障」菊井献呈『裁判と法』(下)717(1967):『英米法研究2デュープロセス』375頁(1987)
  6. 「シンポジウム:民事陪審ー製造物責任訴訟における陪審を中心として」[1990]アメリカ法167ー231頁
  7. リチャード・レンパート (石田裕敏訳)「日本における陪審の可能性」[1991]アメリカ法1頁





第1回 はじめに (1999/4/14 )

講義で見たミシガン州の刑事裁判の事例では、 陪審員長(foreperson)が裁判官に対して、 各訴因(count)について有罪の評決(verdict)を告げた 後で、裁判官が、個々の陪審員に対して 評決がこれでいいかどうか質問しているのが分かります。(a poll of the jury)
このようにして、当事者は、本当に12人の陪審全員が一つの結論に達し たかどうかを確かめることができます。
(詳しくは、 ミシガン州Juror's Manual のThe Verdict(評決) という 項目 を読んでください。)

ミシガン州では、刑事陪審は12人、評決は全員一致を要求していますが、 民事陪審では6人、評決は5対1でいいとしています。
( ミシガン州Juror's Manual のJury Deliberation(陪審評議)という 項目を 参照のこと。)

このような違いは、いったいどうして生じたのでしょうか?
本講義の第7回、第8回を参照のこと。




第2回 刑事陪審/民事陪審 (1999/4/21 )
説示(instruction;charge)とは何か?

ここでは、 裁判官がtrial(正式事実審理;公判)で 陪審に対して行う説示(instruction; charge)についてのページへのリ ンクを集めてみました。

アメリカ法(刑事法/民事法)の具体的なあり方とは、 素人事実認定者である陪審に対する、法専門家による法の説明という 形で存在していることに注意してください。

コモンローは法専門家が発達させた高度に技術的な法体系ですが、 その規範命題は、 あくまでも素人事実認定者に理解できる形で述べることができなければなりません。 そのことが市民にとっていったい何を意味しているか、上の説示集成 を読んで考えてみましょう。


第3回 民事陪審の実例(1999/4/28 )
--- 憲法第7修正の民事陪審を受ける権利の範囲(1)

ここでとりあげる合衆国最高裁の判例では、連邦著作権法上の法定損害賠償額算定を裁判官が行 うのは、当事者の憲法第7修正上の民事陪審を受ける権利を侵害するとして 違憲判断がなされました。

知的財産法の損害賠償訴訟のような現代的な民事裁判において 陪審審理がなされるということは、アメリカの現代的な手続法理論や実体法理論に どのような影をおとしているでしょうか?




第4回 民事陪審の実例(1999/5/12 )
--- 憲法第7修正の民事陪審を受ける権利の範囲 (2)

水質保全法(Clean Water Act)上の民事罰(過料;civil penalty)が問題になった 事例で、最高裁は、 責任(liability)については憲法第7修正の陪審審理を受ける権利の制限がかか るが、民事罰の算定については、裁判官が行ってよいとしました。

最高裁は、一見すると、 著作権法におけるFeltner判決(1998)と、水質保全法(Clean Water Act)の事例である Tull判決(1987)とで、 民事陪審審理を受ける権利の範囲について異なった判断を 示しているように見えます。これはどのように説明できるでしょうか?

環境法や知的財産法のような、事実認定に専門的な知識が要求される現代 型訴訟については、なんらかの方法で 素人である陪審の関与する領域を制限すべきではないでしょうか?

憲法第7修正は、民事陪審審理の対象として、いったいどの部分を不可侵として いるのでしょう?

そして、その理由はいったい何だと考えられますか?




第5回 刑事陪審の実例(1999/5/19 )
--- 憲法第6修正の刑事陪審を受ける権利の範囲

この判決を読むと、憲法第6修正上の刑事陪審を受ける権利は、議会が重大な犯罪 (serious offenses)であると判断したもの、具体的には、 その自由刑の刑期が6か月を超える場合に働いていることが分かります。

刑事陪審を受ける権利の有無が、自由刑の刑期の長さに左右される点に合理性はあるで しょうか?
また、Lewis判決のように、複数の訴因で公訴が提起されている場合には6か月の基準 をどのように解すべきでしょうか?

憲法第6修正の刑事陪審を受ける権利と 憲法第7修正上の民事陪審を受ける権利とを比較したとき、陪審と裁判官の職務分 担に関する最高裁の判例の立場は一貫しているといえるでしょうか?
(刑事陪審手続では、刑の宣告(sentencing)が多くの法域において、事実審裁判 官によってなされるのに対し、民事陪審手続きでは、損害賠償額の算定まで陪審 が行うのが通常です。このような陪審と裁判官の間の職務分担のあり方自体が、 憲法上の要請と言えるのでしょうか?)


第6回 陪審選任手続の実際(1999/5/25 )
--- 市民の義務としての陪審

みんなで、ビデオ 『民主主義の礎石:アメリカの陪審制度(Cornerstone of Democracy:The U.S.Jury System)』 を見ます。

アメリカ司法協会(American Judicature Society(AJS))[www.ajs.org] 1996年制作、英語、約20分(教官による解説付)。

AJSは、1913年、効率的な裁判の運営をめざして設立された法曹組織です。このビデオ のように司法の正しい理解を広げるため、市民に対する啓蒙活動も行っています。

ビデオは平凡な一市民(女性)が、陪審の招集を受けるところから始まります。 みなさんも彼女の身になって、アメリカ法における市民の陪審の義務を追体験してみましょう。

このビデオで繰り返される、「裁判手続きは公正(fair)でなければならない」 という言葉は、一体どういうことを意味しているのでしょうか? (しかも、陪審制度は、「公正な」裁判制度の本質的構成要素と考えられています。)

陪審審理の「公正」を維持するために、「法」は、どのような担保手段を提供しているでしょうか? そしてそれは十分機能していると思いますか?




第7回 陪審の構成(1)(1999/6/2 )
--- 陪審は12名必要か?

憲法第6修正、第7修正で保障されている陪審審理とは、必ずしも12名で構成 される陪審でなくてもよいというのが、連邦最高裁の判例です。

では、憲法上保障されている陪審の規模はどれくらいなのでしょうか? そして、その理由はいったいなんでしょうか?


第8回 評決の要件 (1999/6/9 )
--- 全員一致評決(unanimity)は必要か?

1970年代の一連の最高裁判例により、州の刑事手続について、憲法第14修正を 通して州に適用される第6修正上の刑事陪審の権利は、 全員一致評決を要求するものではないと判断されました。

最高裁の判例の基準によると、12名刑事事陪審で、過半数の評決(7対5) とする州の裁判所規則は合憲になるでしょうか?

また、これらの理由づけは、陪審制に関する1990年代の最高裁判例 (例、 Feltner Case (1998)[原意主義者Thomas裁判官の法廷意見]) と整合的と言えるでしょうか?


第9回 陪審の構成(2)(1999/6/16 )
--- Peremptory Challenge(理由不要の忌避)の限界

1980年代以降になると、陪審の構成をめぐり、最高裁で、 人種や性別に関する憲法第14修正平等保護条項と 陪審候補者の理由不要の忌避との関係について、 いくつかの重要な判例が出るようになりました。

本日は、このうち、Edmonson判決 をとりあげてやや詳細に検討します。

陪審の中立性(impartiality)や公正さ(fairness)に関して、 陪審員の構成が、一定の人種や性別の者に偏ることが、なぜ、これほど問題視さ れるのでしょうか?


第10・11回 裁判官による陪審のコントロール(1)(1999/6/23; 6/30)
--- Directed Verdict(指示評決)/ Judgment n.o.v.(評決と異なる判決)/ New Trial (再審理)

今回からは、民事の正式事実審理(trial)で、 裁判官が判決により陪審の事実認定をコントロールする手段 にはどのようなものがあるかについてみることにします。 (講義では、例として、日本企業のアメリカ現地法人が被告となった 最近の製造物責任訴訟を2件とりあげます。)

連邦民事訴訟規則では、1991年の改正により、 directed verdict(指示評決)とjudgment n.o.v.(評決と異なる判決) は、「judgment as a matter of law」 と総称されるようになりました。 ( 連邦民事訴訟規則 50条 参照) 前者は評決前に出され、後者は評決後に出される判決ですが、その性質は同じも のであるということがその理由です。

ここでの要件、「重要な事実に関する真正な争点がない」こととは 具体的にはどういうことを意味しているのでしょうか?




第12回 裁判官による陪審のコントロール(2)(1999/7/7)
--- Summary Judgment(正式事実審理を経ないでなされる判決)

そもそも、pretrialの段階で 「重要な事実に関する真正な争点」がないことが判明したら、正式事実審理(trial) をひらく必要はないはずです。 連邦民事訴訟規則56条は、この理を正面から認め、 裁判官限りで出せるsummary judgmentの制度を用意しています。

しかし、この判決を広く認めることは、いわば、入口の段階で、 陪審審理による事実認定への道を完全に閉ざしてしまうことを意味するので、 これまでみてきたような、 正式事実審理の中で用いられる指示評決(directed verdict)や評決と異なる判決 (judgment n.o.v.)よりも、陪審制回避に伴う問題状況は先鋭化します。

pretrialの段階で「重要な事実に関する真正な争点」の有無は、どのような観点から判 断されているでしょうか? 本日は、連邦裁判所でsummary judgmentを肯定した例( Matsushita 判決(1986) ) と否定した例( Cleveland判決(1999) )をそれぞれ1 件とりあげてこのことについて考えてみましょう。

アメリカの民事手続法では、 原告の立証責任が、(1)そもそも陪審に事実認定を行わせるのに足りる「事実に関 する真正な争点」があるかどうかと、(2)陪審に対する証拠提出責任(burden of producing evidence)/説得責任(burden of persuasion)の2段階に分かれてい ることに注意してください。


第13回 裁判官による陪審のコントロール(3)(1999/7/14)
--- 現代型訴訟と陪審制

現代型訴訟ではpretrial段階の肥大化と和解等代替的紛争解決手続き (Alternative Dispute Resolution(ADR))への移行が多く見られますが、 それは、専門的技術的な争点の整理に費用と時間がかかりすぎることが一つの原因になっています。

陪審制を中心とした正式事実審理(trial)制度を維持することは、この問題を悪 化させてはいないでしょうか?

専門的技術的な論点についての陪審の理解力は、職業裁判官と比べて本当に同等 なものと判断してよいのでしょうか?

ここでは、 最近の特許権侵害訴訟を2件(Markman判決(1996) Hilton Davis判決(1997)) とりあげ、専門技術的な問題について 重要な「事実に関する真正な争点」はどのように限定したらいいのか、 また、有効な陪審審理を確保するためにはどのように 法的基準を定式化したらいいのかといったことについて考察してみましょう。


最終回 陪審制の得失論(1999/7/21)

日米法学会で行われたシンポジウムの記録 (「民事陪審ー製造物責任訴訟における陪審を中心として」[1990]アメリカ法167ー231頁) をもとに、現代アメリカ法における民事陪審制の得失について考察します。

Lempert教授等 の実証的研究をみても、陪審と裁判官とで事実認定能力に有意義な 相違があることを示す証拠はなにもないことが分かります。pretrial段階で終結 する事件が9割を超え、残りわずか数パーセントが陪審審理に付されているということ は、「重要な事実に関する真正な争点」が問題になる事件は、結論が原告勝訴敗 訴どちらにころんでも非合理とはいえないような難事件であることを示しています。 そこでは、結論のばらつきの点において、 陪審と裁判官とで有意な相違がでてくるはずもないといえましょう。 そもそもどんな難事件の場合でも、 客観的な「事実認定」は一つしかないのだから事実認定者によって結論のばらつきが あってはならないと考えることは、 「事実認定」論の守備範囲を超える主張であるというだけでなく、そこには裁判制度の あり方について何か根本的な誤解がひそんでいるように思われます。

それにもかかわらず、 現代型訴訟(複雑訴訟)で、争点の一部に、 陪審審理ではなく裁判官限りの判断が望ましいものがあるとしたら、 それは、事実認定の問題ではなく、まさに、法律問題として、一定の法的帰 結が望まれているからにほかなりません。 そして、そこでは、できるだけ法的予見可能性を高めるため、 事案の特殊性に左右されない形の画一的な規範が求められているようです。

これまでいくつかの判例を読んできましたが、そこでは、しばしば、 事実/法律問題の区別は流動的かつ相互規定的でした。 したがって、両者はなるべく一体のものとして分析しなければなりません。 こう考えてくると、 事実問題と法律問題を峻別できないことは、陪審制にとって決して弱点ではなく、 むしろ、 常に不確実性を排除できない「事実」問題と、普遍妥当的な「法律」問題の相互 関係を意識させるという点で、陪審制が持つ「法」定義的な本質を示していると見る べきだと思います。

陪審制の機能について考えることは、事実認定についてではなく、 実は、事実認定を画する「法」そのものの機能について 考えることを意味しているのではないでしょうか?




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