N.Y. Times Co. v. Tasini, 121 S. Ct. 2381 (2001)

初出 2001/8/3
[最新更新]Monday, 30-Oct-2006 17:04:35 JST

著作権法上(17U.S.C.§201(c))出版社は、定期刊行物の個々の記事を、著者の同意なく、電子的データベースとして複製頒布する特権を有しないとされた事例。




[事実]

Jonathan Tasini他、6人の自由契約の著者(freelance authors、原告、被上訴人) は、1990年と1993年の間に、3つの定期刊行紙(内、2つが新聞、 1つが雑誌)(被告、上訴人)に対して21の記事を寄稿していた。 Tasini、MifflinとBlakelyは、12の記事を日刊紙The New York Times(以下、Times)に寄稿し た。Tasini、Garson、RobbinsとWhitfordは、8の記事を日刊紙Newsday(以下、 Newsday)に寄稿した。Whitfordは、Time社が刊行している週刊誌Sports Illustrated(以下、Time)にも1件の記事を書いていた。 原告著者は、それぞれの記事の著作権を登録していた(registered)。 Times、NewsdayとTime(以下、紙媒体出版社)は、元の記事が掲載される 定期刊行物のそれぞれの号について、集合著作物の著作権(collective work copyrights)を登録していた。 紙媒体出版社は、原告著者を、独立契約者(independent contractors、freelancers) として契約していたが、契約上、電子的データベースに記事を含めることに、著 者の同意をとりつけてはいなかった。

記事が出版された時点で、紙媒体出版社は3社とも、 テクスト形態のみの情報を保存する コンピュータ化されたデータベース、NEXISの所有者かつ運用者である、 上訴人LEXIS/NEXIS(かつて のMead Data Central Corp.) と、合意を結んでいた。NEXISは、多くの雑誌(新聞紙や定期誌)の何年分にもわ たる記事を搭載している。紙媒体出版社は、LEXIS/NEXIS に、当該3つの定期刊行物の記事のテクストを使用許諾(licensed)していた。 この使用許諾契約により、LEXIS/NEXISは、これらのテクストのいかなる部分に ついても複製、販売する権限を付与されていた。

NEXISの購読者(subscribers)は、コンピュータを介してシステムにアクセスし、 著者名、件名、日付、刊行誌名、見出し、キーワード、全文、その他の基準によ り検索することができる。NEXISは、検索コマンドに対応し、データベースをス キャンし、ユーザの検索基準に合致した記事数を表示する。ユーザは、それぞれ の記事を、一覧、印字、ダウンロードすることができる。 それぞれの記事の表示には、紙媒体出版社名(例、The New York Times)、日付 (例、1990年9月23日)、種別(例、雑誌)、冒頭ページ数(例、26)、見出しないし タイトル(例、「Remembering Jane」)、著者名(例、Mary Kay Blakely)が含まれ ている。それぞれの記事は、個別的に、孤立した「ストーリー」として表示され、 元の新聞や雑誌の他の記事に対する目に見えるリンクは存在していない。 NEXISは、画像や広告を含まないし、見出しサイズ、ページ位置(例、新聞紙の折 り線の上か下か)、連続ページの位置といった元の紙媒体出版社の形式を複製していない。

Timesは、上訴人University Microfilms International(UMI)とも使用許諾契約 していた。この合意は、New York Times OnDisc(NYTO)とGeneral Periodicals OnDisc(GPO)という2つのCD-ROM製品としてTimesの素材を複製する権限が付与している。 NYTOもNEXISと同じように、テクストだけのシステムであるが、NEXISとは異なり、 Times紙しか入っていない。3当事者による合意により、LEXIS/NEXISは、UMIに、 TimesからLEXIS/NEXISに送信されたそれぞれの記事を含む、 コンピュータファイルを提供していた。UMIはNEXISと同様特別のコードを付し、 さらにNYTOの全記事にインデックスを付してもいる。 NYTOにおける記事の表示方法は、本質的にNEXISと同じである。

GPOは、約200の出版物ないし出版物の一部から記事を集めている。GPOは、NEXISやNYTO と異なり、テクストベースではなく、イメージベースのシステムである。 Timesは、GPOに対し、Times' Sunday Book Review and Magazineのファクシミリ を提供していた。UMIは、それぞれのページのイメージをCD-ROMsに「焼いて」お り、CD-ROMs上では、それぞれの記事は、写真、キャプション、広告その他のま わりの素材ごと、紙媒体のページ上と同じように見える。UMIは、GPOの全記事の インデックスと要約を提供していた。

かくて、 2つのコンピュータデータベース会社が、出版社との合意により、しかし、著者 の同意なく、これらの著者の記事の複製物を、 これらの著者が寄稿していた定期刊行紙からとった他の全記事とともに、3 つのデータベースに入れた。 それぞれの記事は、 フリーランサーが書いたものであろうと、スタッフが書いたものであろ うと、 個別的に、元の紙媒体で刊行されたコンテクストとは切り離さ れた形で、ユーザに提示され、取得できるようになっていた。

1993年12月16日、著者は、連邦地裁に本訴を提起した。 原告は、紙媒体出版社によって許諾され容易にされたように、 LEXIS/NEXIS、UMI(以下、電子的出版社)が、記事を、NEXIS、NYTO、GPOデータベース (以下、データベース)に入れた時に、その著作権が侵害されたと主張した。 著者は、宣言判決と差止命令、および、金銭賠償を求めた。 これに対し、紙媒体出版社と電子的出版社は、集合著作物に関するCopyright Act §201(c)の複製と頒布の特権を援用した。 特に、出版社は、集合著作物の著作権者として、すなわち、元の紙媒体の刊行物 の著作権者として、§201(c)が彼らに付与している、著者の個別の著作物の「複 製と頒布」を行う「特権」を行使しているにすぎないと主張し、summary judgmentの申立を行った。

地裁は、被告勝訴のsummary judgmentを出し、§201(c)は、データベースの複製を 保護していると判示した。(972F. Supp. 804, 806 (1997)) まず、地裁は、§201(c)の特権は、譲渡可能であり、元の紙媒体出版社から電子的出版 社に移転することができると言った。次に、地裁は、§201(c)の文言上、本件デー タベースは、著者が最初に寄稿した「集合著作物の改訂の---一部として」複製 頒布されたと認定した。 地裁によれば、「改訂」としての資格を得るためには、著作物は、 元の選択であれ元の配列であれ、何らかの有意義 な元の[集合著作物の]側面を保持しておればいいというのである。 地裁は、本件データベースは、日刊ないし週刊の各号に集められた元の記事の全てを複製 することにより、紙媒体出版社の「記事の選択」を保持しているゆえに、この基 準を満たしていると判断した。

第2巡回区控訴裁判所は、地裁判決を破棄し、逆に原告勝訴のsummary judgmentを出 した。(206 F.3d 161 (1999)) 本件データベースは、§201(c)で規定された集合著作物ではなく、さらにより特定的に は、記事が最初に出た定期刊行物の「改訂」でもないというのである。 控訴裁は、§201(c)が出版社に対して、たとえ、特定の号の他の全ての記事を個 別販売するからといって、ある著者の記事のハードコピーを直接公衆に販 売することを許可していないように、 §201(c)は、出版社に対して、コンピュータデータベースを使うことにより、 同じ目標を間接的に達成することを許可しているわけではない、と判示した。 控訴裁の見方によれば、 本件データベースは、無数の号ないし出版物の新しいアンソロジーを含むものと して記述されるかもしれないが、データベース中の定期刊行物の特定号の 「改訂」であることにはならない。 控訴裁は、§201(c)が出版社に対し、著者の同意なく、電子的データベースに個々 の著作物を入れることを許諾することを許していないと判示したので、 §201(c)の特権が譲渡可能であるかどうかという争点には到達しなかった。

出版社側の裁量上訴。

[争点]

著作権法上(17U.S.C.§201(c))出版社は、定期刊行物の個々の記事を、著者の同意なく、電子的データベース として複製頒布する特権を有するかどうか。

[結論]

7対2で上訴棄却。

Ginsburg裁判官の法廷意見。(Stevens裁判官(Breyer裁判官同調)の反対意見がつ いている。)

§201(c)は、本件で問題になっている 複製を正当化するものではない。本件データベースは、著者が寄稿し た記事を、 コンテクスト内ではなく(not in context)、 「その改訂の---一部として」でもなく、 「同じ継続シリーズのその後の集合著作物---の一部」としてでもなく、 個別に(standing alone) 複製頒布しているので、出版社は、§201(c)の保護を受けない。 紙媒体の出版社と電子的な出版社の双方が、フリーランサーの著作権を侵害して いる。

[理由づけ]

§201(c)上、 本件データベースは、集合著作物の一部として、記事を複製、頒布するものでは ないので、§201(c)の特権は、記事の著者の著作権を覆すものではない。

1976年の改正著作権法上、「著作権の保護は、---- 認識、複製、その他の方法で伝達できるような、---- 有形の表現媒体に固定された、独創的な著作物に対して及ぶ」。(17 U.S.C.§102(a)) 本件のように、フリーランスの著者が記事を、新聞や雑誌のような 「集合著作物(collective work)」 に寄稿した場合には、著作権法は、2つの異なった著作物を認める。すなわち、 「集合著作物に対するそれぞれの独立した寄稿に対する著作権は、集合著作物 全体の著作権とは区別される---」(§201(c)) 個々の寄稿の著作権は、「最初にその寄稿の著者に帰属する」(本件においては、 フリーランサーに帰属する)。集合著作物の著作権は、集合著作者(collective author)(本件では、新 聞紙ないし雑誌の出版社)に帰属するが、その著作者の寄与した創造的な素材について のみ及ぶのであり、「その著作物で使われた、既存の素材」には及ばない。 (§103(b)) Feist Publications, Inc. v. Rural Telephone Service Co., 499 U.S. 340, 358 (1991) (編集物(compilation)---集合著作物を含む用語(§101)---の著作権 は、編集者の独創的な「選択、調整、配列」にだけ限定される)

1976年改正前、下級裁判所が認めるように、著作者は、記事を集合著作物に入れ ると、自己の権利を失う虞があった。1976以前の著作権法では、記事が著作者の 名前で著作権表示(copyright notice)付きで印刷された場合にのみ、フリーラン スの著作者の著作権を認めていた。(Copyright Act of 1909, §18, 35 Stat. 1079) 出版社が、著作者に対し、優越的な取引力を行使して、それぞれの寄稿者の名前 表示を印刷することを拒絶すると、著作者の著作権は、危殆に瀕する。 (A. Kaminstein, Divisibility of Copyrights, Study No. 11, in Copyright Law Revision Studies Nos. 11務3, prepared for the Senate Committee on the Judiciary, 86th Cong., 2d Sess., p. 18 (1960)) 著作者は、出版権だけを譲渡するという選択権を持っていなかった、というのも、 このような部分的な譲渡は、著作権の「不可分性」の法理により禁止されていた のである。 したがって、著作権表示が出版社の名前でのみ出された場合は、 著作者の著作権が全体的に出版社に譲渡されていない限り、 著作者の作品は公有(public domain)となった。このような著作権の出版社に対 する完全な譲渡は契約でなされたが、おそらくその契約には、後に著作者に権利を再 譲渡するという、簡単には強行できないような条項が付されることもあった。 特定的な契約がないと、裁判所は、著作者が、 黙示的に著作権全体を出版社に譲渡 し、出版社は著作者の利益のための「信託」としてこれを保有するとみなされた。 (id. at 18-19;3 M. Nimmer, Copyright §10.01[C][2], pp. 10-2 to 10-4 (2000))

1976年改正に際し、連邦議会は、寄稿の著作権についての このような混乱し、しばしば不公正だった法的状態を明確化かつ改善するために立法し た。 1976年法は、著作権不可分性の法理を否定し、著作権を、独立した「排他的権利」 の束として再構成したが(17 U.S.C. § 106 )、そのそれぞれは、「譲渡され、---別 異に所有されうる」(§201(d)(2))。 さらに、議会は、§404(a)で、フリーランス寄稿者の権利を保護するために、 「集合著 作物全体に適用になる唯一の著作権表示で十分である」と規定した。 そして、議会は、§201(c)において、 「集合著作物へのそれぞれ独立の寄稿についての著作権」 と「集合著作物全体としての著作権」について個別の領域を成文化した。 §404(a)と§201(c)を合わせると、「著作者の寄稿についての著作権は、著作者 の名前で個別の表示がない場合でも、集合著作物の所有者に無制限の権利譲渡を 必要とすることなく、保護」されることになる。(H. R. Rep. 122)

§201(c)は、著作者による集合著作物への寄稿に関し、出版社が取得する 「特権」について規定し、かつその限界を画している。

著作権ないしその一部の権利の明示的な譲渡がない場合、集合著作物の著作権者 は、特定の集合著作物の一部、その集合著作物の改訂の一部、 同じ継続シリーズのその後の集合著作物の一部として、 寄稿を複製し及び頒布する特権のみを取得する。
したがって、新聞紙、雑誌の出版社は、 他の規定を持つ契約がない限り、 フリーランスの著作者が寄稿した記事を、 次の3つのカテゴリーの集合著作物の「一部として」のみ、 複製し、あるいは、頒布する特権を有しているのである。 すなわち、(a)著作者がその作品を寄稿した「集合著作物」、(b)その集合著作物 の改訂、または、(c)同じ継続シリーズのその後の集合著作物が、これである。 議会の指示にしたがうと、「出版会社は、1つの号への寄稿を、その雑誌の後の号で 転載したり、百科事典の1980年版の記事を1990年の改訂版で 転載したりすることができるが、寄稿文自体を改訂したり、新しいアンソロジー や全く異なった雑誌、その他の集合著作物に掲載したりすることはできない。」 (H. R. Rep. 122-23)

本質的にみて、§201(c)は、フリーランス著作者の寄稿に対する著作権に対応 するために、出版社の集合著作物に対する著作権を調整したものといえる。 フリーランスの記事に対し、単独で、あるいは、新しい収集物中で、需要がある 場合には、著作権法は、フリーランサーに対し、その需要から利益をあげること を許可している。(cf. Stewart v. Abend, 495 U.S. 207, 229 (1990) ) 仮に、新聞や雑誌の出版社が、著作者の寄稿を、単独で、あるいは、新しい集合 著作物の中で、複製頒布することが許容されるとしたら、議会が考慮したような 「寄稿著作者の権利の保護」にはほとんどならないであろう。 (参照、 Gordon, Fine-Tuning Tasini: Privileges of Electronic Distribution and Reproduction, 66Brooklyn L. Rev. 473, 484 (2000))

本件において、著作者は、いくつかの記事を書き、紙媒体出版社に、それを一定 の新聞紙や雑誌で出版する許可を与えた。著作者が著作権、したがって、記事に ついての排他的権利を保有していることについて争いはない。さらに、紙媒体出 版社も電子的出版社も、少なくとも、§106が最初に著作者に排他的に付与して いるいくつかの権利を行使していることも明らかである。 すなわち、LEXIS/NEXISの中央ディスクとUMIのCD-ROMsは、記事の複製を行っ ている(§106(1))。UMIはこれらのCD-ROMsを販売することにより、 LEXIS/NEXISはNEXISデータベースを介して記事の複製物を販売することにより、 記事の複製物を、公衆に販売、頒布している。(§106(3))。 そして、紙媒体出版社は、データベースの形で複製物の製作を許諾する契約 を通じて、記事の複製と頒布を授権している(§106)。

本件の出版社は、著作者からの著作権侵害の主張に対し、著作権者がデータベー ス形態で記事を複製することを授権する合意を締結したと論じているわけではない。 また、データベースの複製が、著作者の記事の「公正使用(fair use)」であると 主張しているわけでもない(§107)。 そうではなく、出版社は、§201(c)に規定された特権にのみ依拠しているのであ る。 記事が掲載された定期刊行物のそれぞれの個別の号は「集合著作物」であるこ とに、出版社は同意している。 しかし、出版社は、それぞれの記事をデータベースを通じて複製頒布することは、 §201(c)の、「その集合著作物の改訂の---一部として、[記事を]複製し頒布す る特権」に含まれると主張するのである。 このような§201(c)の拡大解釈は受け入れられない、なぜなら、そうすると、 記事に対する著作者の排他的な権利を削減することになるだろうからである。

本件の記事が、問題の集合著作物の「改訂」の「一部として」、複製、頒布され たかどうかを決定するに際し、 最高裁は、データベースのユーザに提供され、認識されるようなものとしての記事 に注意を集中する。 (§102(著作権の保護は、認識、複製、その他の方法で伝達できるような、---- 有形の表現媒体に固定された、独創的な著作物に対して及ぶ) ;§101(「複製物」「固定された」の定義規定);Haemmerli, Commentary: Tasini v. New York Times Co., 22 Colum.-VLA. J. L. & Arts 129,142-43 (1998)) 本件では、3つのデータベースは、元の定期刊行物やその改訂版によって与えら れたコンテクストから離れて、記事をユーザに提供している。データベースは、 まず、ユーザに、そのコンテンツの世界を検索させる。それは、 1つのシリーズ(NYTO中のTimes)とか、何十ものリーズ(NEXISやGPO中の様々なタ イトル)中にある、何千もの集合著作物(すなわち、多くの号)からの 個々の記事を含む、何千、何百万ものファイルである。 ユーザが検索を行うとき、それぞれの記事は、検索結果中に、独立した項目 として現われる。NEXISやNYTOでは、記事は、ユーザには、 その記事が元もと出版されたとき にいっしょにあった画像やフォーマット、他の記事を伴わずに表示される。 GPOでは、記事は、同じページにあった他の素材とともに表示されるが、元の定 期刊行物の他のページにあった素材は伴っていない。 最高裁は、 いずれの状況においても、 このデータベースが元の号やその改訂の「一部として」複製、頒布さ れたと認識できるというのか、理解することができないという。

記事は、新しい大要(compendium)、すなわち、データベースの形態をした著作物 全体と見ることができるかもしれない。この大要中では、それぞれの定期刊行物 のそれぞれの号は、拡大を続けるデータベースの微細な一部を表しているにすぎな い。たまたまソネットを引用した400頁の小説がその詩の「改訂」を表している わけがないのと同様、このデータベースはそれぞれの構成要素の号の「改訂」を 構成するとはいえない。 「改訂」とは、新しい「ヴァージョン(version)」であることを示し、ヴァージョ ンとは、この場面においては、「その創造者や他の者によって、一つの作品とし て識別できる形式をもった何か」である。(Webster's Third New International Dictionary 1944, 2545 (1976)) データベースの巨大な全体を、その小さなあらゆる部分の新ヴァージョンとして 認識することはできない。

もう一つの見方として、 データベース中の記事を、大きな著作物の「一部」と見ることはできないが、 単に、独立的に提示された個々の独立した記事と見ることができるかもしれない。 それぞれの記事が、特定の定期刊行物にその起源の刻印を持っていることは (NEXISとNYTOではその刻印はそれほど目立たないがGPOではより目立つ)、 記事がかつてその定期刊行物の一部であったということを示している。 しかし、この刻印は、記事が現在、その定期刊行物の一部として複製頒布されて いることを意味しない。 単に個々の記事として、データベースにより、個々の記事を複製頒布することは、 §106の著作者の排他的権利の核心を侵害するだろう。

出版社は、データベースと、マイクロフィルムやマイクロフィッシュとの類似性 を主張している。最高裁は、このような類似性はないと認定した。マイクロ形態 は、典型的には、小型フィルムの媒体中に、定期刊行物の連続的な写真的複製を 含んでいる。したがって、記事は、マイクロ形態では、記事が新聞に 掲載されたそのままの位置に現われる。 確かに、マイクロフィルムには、多くの号が含まれ、ユーザは、レンズを調節 して、周囲の素材を排除し、記事だけに焦点をあてることもできる。しかし、ユー ザは、最初に、コンテクスト中で記事に出会う。これに対し、データベースでは、 認識上、記事は、著作者が寄稿した集合著作物の一部や、その「改訂」の一部と して複製されているわけではない。

出版社は、「媒体中立性(media neutrality)」の概念の援用し、媒体間の著作物 の移転は、著作権の目的上、著作物の性質を変更しないと主張する。 このことは確かに真実である。 (17 U.S.C. § 102(a) ( 著作権保護は、有形の表現媒体に固定された、独創的な著作物に対して及ぶ)) しかし、新聞印刷用紙からマイクロフィルムに転換することとは異なり、 記事をデータベースに移転することは、原型を保った定期刊行物(あるいはその 改訂)を、単に一つの媒体から他の媒体へ転換することを示さない。 データベースは、ユーザに個々の記事を提供するのであって、原型を保った定期 刊行物を提供するのではない。本件においては、媒体中立性は、 これらの記事が集合著作物のコンテクストの外部で、データベースの新しいメディ ア内で、個別的に提示されている限りにおいて、 個々の記事の著作者の権利を保護すべきなのである。

著作者の著作権が侵害されたかどうかを決定するという本件の目的にとって、 想像上の図書館との類比は示唆的だと思われる。図書館は、 定期刊行物の原型を保った号を維持するよりも、それぞれの記事の個別的な複製 物を所蔵するのを望むかもしれない。おそらく、これらの複製物は、記事掲載さ れている定期刊行物のページをそのまま複製しているだろう(このモデルがGPOで あるならば)。おそらく、福生物は、印刷活字だけを含んでいようが、 記事の見出しやページ数のみならず、 元の定期刊行物の名前と日付を示すであろう(このモデルがNEXISやNYTOであるな ら)。 図書館は、ファイル室に、 様々な基準に基づいてインデックスを付して、 記事を保存したフォルダを所蔵するであろうし、膨大な数の号からとった記事が そこには含まれるであろう。 非人間的なほど高速の司書が、利用者の要請に応えて、その部屋を探しまわって、 利用者の特定した基準に合致した記事のコピーを提供することだろう。

この奇妙な図書館をみると、通常の英語の語法にしたがって、これらの記事を、 最初に掲載された号の「改訂」の「一部として」性格づけることはできないと思 われる。むしろ、実質上、このデータベースは、 電子的なパッケージ(LEXIS/NEXISの中央ディスクやUMIのCD-ROMS) に記事を集積する程度においてしか、ファイル室と異なるところはない。 重要な事実は、データベースが、この仮想の図書館のように、 様々なテクストの巨大な領域内で、記事を個別に保存し取得していることである。 このような保存、取得システムは、事実上、 著作者がそれぞれの記事の個別的な複製頒布をコントロールする排他的権利を覆してしまう。 (17U.S.C. §106(1), (3). Cf. Ryan v. Carl Corp., 23 F. Supp. 2d 1146 (ND Cal. 1998) (コピーショップを§201(c)違反とした))

ユーザは、 特定の定期刊行物の号の記事全体から構成さ れる検索結果を生成するためにデータベースを操作することができるから、 出版社は、§201(c)の保護を受けると主張する。この論理でいくと、 利用者の要求に応えて、図書館の専門職員が、特定の定期刊行物の号の全記事を 組み立てるならば、 §201(c)は、この仮想図書館にも適用されることになるだろう。 しかし、第三者がデータベースを操作して、非侵害的文書を生成することができ るという事実は、データベースが侵害的でないことを意味しない。 問題は、§201(c)の下、ユーザがデータベースから集合著作物の改訂物を生成で きるかどうかではなく、データベース自体が認識できるような形で、著作者の寄 稿を集合著作物の改訂の一部として提示しているかどうかである。この結果は、 これらのデータベースでは達成されない。

出版社は、最後に、 Sony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc., 464 U.S. 417 (1984) を援用する。 しかし、この判例は、出版社の主張の真の助けにならない。Sony事件判決は、 「複製機器の販売」は、その機器が「実質的に非侵害的に使用されうる」ならば 寄与侵害を構成しないと判示した。出版社は、 エンドユーザの行動に基づき、 本件のデータベースは、 寄与侵害法理の下でのみ有責であると示唆しているが、このようなことは、 著作者が訴答で主張したわけではなかった。 しかし、電子的出版社は、単に「機器」を販売しているのではなく、記事の複製 物を売っているのである。すでに説明したように、 複製物それ自体は、 ユーザの操作がなくとも§201(c)の特権の範囲外なのである。

出版社は、著作者勝訴判決は「破壊的な」結果をもたらすだろうと警告してい る。データベースは、何十年も昔の完全な新聞のテクストへの容易なアクセスを 提供すると、出版社は指摘する。著作者勝訴の判決は、電子的な歴史記録に大き な穴を空けることになろうと、出版社は示唆する。 出版社の懸念は、幾人かの歴史家もまた表明しているが、他の歴史家によって割 り引かれてもいる。 一部で暗い予想がたてられているにもかかわらず、 本日の判決から、これらの記事をデータベースに入れること(まして、全ての フリーランスの記事をいかなるデータベースに入れること)に対する差止命令が 出されるということが帰結するわけではほとんどない。 (17 U.S.C. § 502(a) (裁判所は侵害を差止めることができる); Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc., 510 U.S.569, 578, n. 10 (1994) (著作権法の 目的は、「自動的に差止的救済を付与することによって常によく達成されるわけではない」)) 当事者(著作者と出版社)は、著作者の著作物の継続的な電子的複製を許可する合 意を結ぶこともできよう。また、当事者は、必要ならば裁判所や議会は、 著作物を頒布し、そのことに対して著作者に報酬を与えるための多くのモデルに 依拠することもできるだろう。 (たとえば、17 U.S.C. § 118(b); Broadcast Music, Inc. v. Columbia Broadcasting System, Inc., 441 U.S. 1, 4-6, 10-12 (1979) (包括的音楽ライセンスとその運用を規制する同意判決の歴 史を述べている)) いずれにせよ、将来の損害についての憶測は、最高裁が、議会が§201(c)で確立 した著作者の権利を縮減する根拠になるわけではない。 出版社は侵害責任を負うという控訴裁の判決を支持し、 救済の争点については、最初の弁論と判決のために地裁に委ねる。

最高裁は、電子的出版社は、著者が許可せず、 また、§201(c)の特権によって認めてられていない方法で、 著作者の著作権を侵害していると結論する。そして、紙媒体出版社は、電子的出 版社に対し、記事をデータベースに入れることを許可し、電子的出版社の活動を幇助す ることにより、著作者の著作権を侵害したと結論する。 したがって、控訴裁の判決を支持する。

[コメント]

[参考]

[参考判例]
  1. Sony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc., 464 U.S. 417 (1984)
  2. Stewart v. Abend, 495 U.S. 207 (1990)
  3. Feist Publications, Inc. v. Rural Telephone Service Co., 499 U.S. 340,358 (1991)
  4. Campbell v. Acuff-Rose Music, Inc., 510 U.S.569 (1994)


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芹澤英明
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