第14回  (2001/7/25)
おわりに:日米法文化摩擦論の位置づけ

[初出]2001/7/25
[最新更新]Friday, 10-May-2002 15:57:55 JST



この講義は、現在進行中の 自動車のタイヤに関する製造物責任訴訟の事 例から始まりました。もう一度、この訴訟について振り返り、 私達の理解がどこまで深化したか確認してみましょう。( →第1回 はじめに : 日米法文化摩擦論への招待:ケース・スタディの意義  )

この訴訟では、アメリカにおける多くの製造物責任訴訟の典型的な事例として、 事件が連邦裁判所と州裁判所の双方に係属し、そこでは、陪審制を中心とする trial/pretrialの二分的手続構造が支配し、懲罰的損害賠償(punitive damages)クラスアクション(class action)のようなわが国には見 られない法制度が用いられていました。そして、このような、日本法の枠組では 理解することがむずかしい法制度に巻き込まれた場合に、我が国の法律家の反応 の中に時に登場するのが、「法文化摩擦」論であるとみることができるかと思います。

しかし、このようなわが国の法制度とは「異質」なアメリカ法制度を説明するために、 安易に「法文化論」に依拠するのは危険な兆候です。 それは、立場を逆転して、アメリカ法の側から日本法を分析するときに、 一切の日本法の現象を「日本人は訴訟嫌いである」という安易な「法文化論」によって 説明するとしたらどういうことになるかを想像してみれば分かるでしょう。

現在、日本の企業がアメリカで数多くの訴訟に巻き込まれていることは、本講義を通じ て実感できたことでしょう。これらの訴訟が、アメリカ法の中では珍しいもので も何でもなく、まして日本企業だから提起されたのでもないということは、強調 してもしきれません。ここでとりあげた判例は、全て、アメリカ法の通常の判例 法の展開のなかで、一般的に説明できるものばかりです。それどころか、これら の訴訟で発揮された、日本の企業法務の力は、アメリカ法の判例法理の発展に時 に大きな影響力を及ぼすことさえありました。このような成果は、日本の企業法 務が、あくまで、アメリカ法の枠組の中で合理的な法解釈を追求し、訴訟の場で それを説得的に展開することによって獲得できたものであることを忘れないでほ しいものです。

日米「法文化摩擦」論を批判的に検討するためには、何よりも、この講義で行っ たような法制度の「合理性」についての分析が必要です。仮に「法文化」 論を展開するのであれば、両国の法制度の合理性についての分析をふまえたう えで、彼我の制度的な相違が、どこまで「法文化」要因に帰すことができるかと いう探求に向かうべきでしょう。そのような学問的に適切な手続をふまえないか ぎり、安易な「法文化摩擦」論は、何の裏付けもなく一切の法現象を「文化」の 相違に基礎づける、単なるステレオタイプの強化再生産に陥る危険があります。





[参考文献]

  1. ダニエル・フット(芹澤英明訳)「日本における交通事故紛争の解決と司法積 極主義」石井紫郎、樋口範雄編『外から見た日本法』183頁(1995)
  2. J.Mark Ramseyer & Minoru Nakazato, The Rational Litigant:Settlement Amounts and Verdict Rates in Japan, 18J.Legal Stud.263(1990)
  3. Takao Tanase, The Management of Disputes:Automobile Accident Compensation in Japan, 24 L.& Soc'y Rev.651(1990)
  4. Carl F.Goodman, The Somewhat Less Reluctant Litigant: Japan's Changing View Towards Civil Litigation, 32L.&Pol'y Int'l Bus.769(2001)
  5. 浅香吉幹『現代アメリカの司法』(1999)
  6. 田中英夫『英米法総論(上)(下)』(東大出版会1980)

 

 

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芹澤英明
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