インターネットに掲示するにあたって

 嫡出推定制度について論じたこの論文「嫡出推定・否認制度の将来」は、12年前の1995年に執筆したものである。この論文を執筆した当時には、下級審判例は、家庭破綻説などを採用して、嫡出推定制度をほとんど機能させない解釈をとる下級審判例も多かったが、その後、最高裁は、夫の申し立てた父子関係不存在確認請求を棄却して外観説の立場に立ち続けることを明らかにした(最高裁平成10年8月31日判決、最高裁平成12年3月14日判決等)。学説においても、より嫡出推定の効力を強めた新・家庭破綻説が提唱される等、裁判実務や民法学者の間では、嫡出推定制度の存在意義については、ある程度コンセンサスがあるものといえるだろう。

 最近、離婚後に出産した子に嫡出推定がかかってしまういわゆる「300日問題」について、民法の嫡出推定制度がマスコミに取り上げられることが増えた。しかし「100年以上も前にできた古い法律だからいけない」、「昔と違って鑑定で親子関係が判る時代に、民法の嫡出推定など時代遅れだ」等の、民法について無理解な、乱暴な発言がマスコミに溢れている。しかも女性や生まれてくる子どもの側に立ちたいという価値観の話者から、それらの言葉が発せられる場合も少なくないことが、民法の弱者保護機能を日本にも根付かせたいと願ってきた私には、ことのほかもどかしく残念である。  民法は、明治時代にドイツ民法とフランス民法をモデルにして作られた法律である。民法の主要な概念や道具は、100年どころかローマ法に遡るものであって、強者の恣意や力関係によらず、法によって公平に平和裡に人間社会を律する基礎となる法である。本稿を執筆してから後、この10年間のうちにドイツ法もフランス法も親子法を大幅に改正し、嫡出・非嫡出という概念を否定して平等化したが、妻の産んだ子に夫との父子関係を設定させており(嫡出推定制度は、婚姻に基づく父性推定制度ということになる)、鑑定でいつでもそれを覆せるような乱暴な制度にはなっていない。嫡出推定制度がなければ、母の夫以外に父を求めようがない子の身分はきわめて不安定となり、夫は自分の血を引く子以外はいつでも好きなときに捨てられることになるだろう。すべてを自由に委せることは強者の欲望がルールになることであるから、親の恣意や夫の恣意から弱者を守るために、法が線を引かなくてはならない。その線の引き方に不都合があれば改める必要があるが、その改め方は、将来の紛争やあらゆる多様なケースへの対応を視野に入れて検討する困難な思考に耐えて、複雑で微妙な調節を考えるしかないのである。本稿に述べたように、「300日問題」は、主として戸籍制度がもたらした問題であり、出生届を受理するように戸籍実務を変更すれば足りるのであって、そもそも嫡出推定制度そのものを否定したり、DNA鑑定によって、子のプライバシー中のプライバシーであり「燃える石炭の火」である血縁関係に安易に触れるようなことがあってはならない。「300日問題」という時事問題を考えるにあたり、嫡出推定制度の意義が理解されることを願って、本論文をインターネットに掲示する。

2007年6月13日
水野紀子




嫡出推定・否認制度の将来

水野紀子

一、嫡出推定・否認制度の現状と本稿の視角

 民法七七二条以下の定める嫡出推定制度は、婚姻時より二〇〇日後または婚姻解消時より三〇〇日以内に出生した子について、母の夫との父子関係を推定し、その推定を破ることができる否認権は、出生時よりわずか一年間、しかも夫のみに行使が許されるものとする。妻の産んだ子と夫との間に法的父子関係を設定し、それを覆す場合をごく限定することによって、父子関係を早期に安定的に確立する嫡出推定という法的技術は、明治民法立法時に西欧法を継受したものであり、それまでの日本法の伝統にはない制度であった。明治民法立法時の議論においても起草者さえ「臭い物に蓋をする主義」(梅謙次郎)*1として違和感を表明していた。その後も今日に至るまでながらく批判の対象とされてきた制度である。

 民法が嫡出子について懐胎主義をとることが、婚姻届が遅れがちな日本の婚姻生活の実態に合わなかったため、「推定されない嫡出子」という概念を認めて、婚姻前に懐胎し婚姻成立後出生した子に嫡出子身分を認めつつ、ただしその父子関係は嫡出否認の対象とならないとする解釈は、早くから確立された。本稿は、紙数の関係で、この「推定されない嫡出子」の問題については触れない。民法の規定が解釈論によってより根本的に変容された問題、つまり懐胎主義をとる民法の嫡出推定が正面から当てはまる出生子の場合に、夫の嫡出否認によらずに父子関係の推定を破ることを認めるという問題について、主に論じることとする。

 嫡出推定制度は、その適用によって確立される父子関係のうちに、血縁的には真実の父子でない当事者を結果として含む場合があることを、やむをえないとして承認している。わが国で行われてきた嫡出推定制度に対する批判は、根底的には、このような擬制に対する違和感や嫌悪感によるものであったろう。主な批判点として指摘されたのは、具体的には、医学的に父子関係を立証できなかった立法時と異なり医学の進展により父性確定が容易になったこと、現行法の嫡出否認の提訴権者や提訴期間が厳しすぎること、夫にのみ否認権を認めたことがそもそも家父長的規定であるといえること、などであった。

 そして実際にもこの嫡出推定制度は、実務において大幅にその適用領域を限定され、空洞化されるに至っている。まず家事審判法に基づく家庭裁判所の二三条審判においては、当事者間の合意が成立するときには提訴権者や提訴機関などにとらわれず父子関係を否定する傾向にある。合意ができないため二三条審判が使えない場合についても、最高裁(一小)昭和四四年五月二九日判決(民集二三巻六号一〇六四頁)以来、嫡出否認の対象とならない「推定の及ばない子」という領域が認められて、嫡出推定制度の空洞化は決定的となった。

 この空洞化を貫徹して民法の嫡出推定規定を完全に死文化させるかどうかという点について、学説の判断は分かれる。学説の解釈論としてのその分岐は、具体的には、婚姻中に懐胎した母から出生しても民法七七二条の適用が排除される「推定の及ばない子」の領域をどのように設定するかという判断についての相違として現れる。「推定の及ばない子」の領域について、学説は詳しくは多岐に分かれるが*2、基本的には、次の三説とそのヴァリエーションとして整理できる。すなわち、夫の不在や事実上の離婚など夫婦間の同棲の欠如の場合に適用排除を限定する外観説、父子間の血液型違背のように科学的・客観的に父子関係の不存在が証明された場合にも広く適用排除を認める血縁説、そしてこれらの両説を家庭の平和か血縁=真実主義かという二者択一的な論理を用いていると批判して、子の母と夫との「家庭の平和」が失われているときには適用が排除されるとする折衷説である。この折衷説は、松倉耕作教授*3が一九七三年に提唱されたものであり、引き続いて一九七七年に梶村太市判事*4が具体的に多様な事案類型を検討しつつ妥当な結論を導きうる解釈論としてこれに賛成されたことによって、一気に有力化した。実務においては、家庭裁判所では折衷説を前提とする二三条審判によって血縁と異なる父子関係を否定する解決が多くの場合に図られており、前掲最高裁昭和四四年五月二九日判決は外観説をとるにとどまるけれども、最近でも、折衷説を採用する高裁判決*5が発表されている。

 筆者は、このような折衷説の優勢傾向に大いに疑問をもつものである。嫡出推定・否認制度を完全に否定する血縁説はもちろんのこと、折衷説も嫡出推定制度を否定するという点では限りなく血縁説に近い解釈であると考える*6。そして血縁説や折衷説が解釈論として力を持ったのは、嫡出否認・推定制度という法的技術の存在意義についての理解が、わが国においては十分でなかったためではなかろうか。もとより筆者も、現行民法の嫡出推定・否認制度はあまりにも多くの問題を抱えた古色蒼然たる制度となっているために、立法論的にはもちろんのこと、解釈論的にも緩和せざるを得ないと考えており、本稿も嫡出推定制度の改革の方向を探るものである。ただし嫡出推定制度の存在意義を再認識し、それを出発点として、あらためて改革の方向を考えたいと思う。

二、比較法的観点からみた嫡出推定・否認制度の存在意義

 もちろん従来のわが国の議論においても、嫡出推定制度の存在意義について、紹介や議論がされなかったわけではない。「家庭の平和を維持し夫婦間の秘事を公にすることを防ぐ」ためや「父子関係の早期安定を図る」ためという制度目的が一般にいわれ、またときには「私有財産制の下で相続財産の承継者を確保するための制度」と説明されることもあった。しかしこの制度の存在意義について深く吟味したものはなく、そして多くの学説は、存在意義については基本的には懐疑的であった。とくに日本民法の嫡出推定規定が立法された頃に一般的であったような非常に厳格な嫡出推定制度においては、非嫡出子の法的・社会的地位の低い社会において、嫡出子身分をできるだけ多くの子にかつ確実に与えようという判断が強く働いていた。しかし日本はキリスト教社会ではなかったし、その結果生じる虚偽の親子関係に対する日本人の違和感が強かったことも、この制度の理解を難しくしたかもしれない。本当に実感をもってもっともだと受けとめられていたのは、夫婦と未成熟子が円満に暮らしているときに他の男性が自分の子であると主張するのを防ぐという意義ばかりが主であったのではなかったろうか。

 西欧諸国においても、嫡出推定制度の存在意義については、多くの疑問が投げかけられている。フランス*7では、一九七二年法の大改正によって母の否認権を条件付きで認める等の嫡出推定制度改革が行われ、またその後の改正や判例法の発展、とりわけフランス民法三二二条の反対解釈により父に対して身分占有を持たない子は嫡出否認によらずに親子関係を否定できることを認めた破毀院判例によって嫡出推定制度はさらに姿を変えたため、嫡出推定の基礎や意義について盛んに議論がなされている。新しい社会的事象に対応するためにはっきりした目的を持って立法される法律と異なり、嫡出推定制度のように古い歴史を持つ法的技術においては、そこに内在している存在意義を網羅的に明示することは難しい。さらに嫡出推定制度の内容が変遷するにつれて、その説明も変化する。たとえば嫡出推定の基礎付けとしてかつてなされていた議論のうちでも、夫の黙示の意思(婚姻の際に妻のこれから産む子に包括的に認知を与える意思)を根拠とする議論については、前世紀の個人主義哲学や婚姻契約論の行き過ぎだと批判される。妻の貞操義務を根拠とする議論についても(妻の姦通の事実だけで嫡出推定が破れるわけではないからむしろ夫との同居義務が根拠であるというほうが正確であるが)妻の否認権が認められたことから説明が難しくなる。結局のところ、嫡出推定の基礎付けは、妻の産んだ子の圧倒的大多数は夫の子であるという事実に依拠することになる*8。嫡出推定制度の存在意義についても、医学的鑑定が可能になったこと、虚構の親子関係を維持することへの反感が強まったこと、社会学的親子(身分占有)が重視されるようになったこと、また事実婚が増えて婚姻の意味が変わってきたこと等から、正当化が難しくなった*9といわれる。そして、「『婚姻の示す者が父である』という嫡出推定はもはや適用の余地なく存在理由もない」*10と語る学者もいるほどである。

 しかし、西欧法を理解する際に生じる困難の一つに、彼らが明示的に盛んに議論するのは細部にとどまり、そのもっとも前提としている考え方があまりにも彼らにとっては自明であるために、その大前提についてはかえってそれほど語られないので、肝心の点が日本人にはわかりにくいということがあるように思う。嫡出推定制度についても、そのバイアスを考えなければならない。彼らが批判するときに、夫のみに否認権を与えたかつての厳格な嫡出推定制度を対象にしている傾向がある。いいかえれば、嫡出推定制度の否定が、日本の血縁説を意味することにはならない。日本法の血縁説や折衷説を念頭におきながら、フランスの文献を読むと、嫡出推定制度にもっとも否定的な学説であっても、随所に日本法の解釈論とは異質な理解がある。嫡出推定が「圧倒的大多数の場合は夫の子であるという事実に依拠する」とされても、それは日本法のようにいきなり「単なる事実上の推定」とはならない。DNA鑑定によって直ちに覆るものではなく、覆すためには、それ以外に特別の要件が必要であることは、どの学説においても自明とされている。またたとえば、カルボニエの教科書は夫の権利であることより先にまず夫の義務であるものとして嫡出推定制度を説明する。免れる方法はあるけれども、義務は義務なのである*11。わが国で、まず夫の義務として嫡出推定を説明する教科書があるだろうか。

 要するに、一言でいえば、彼らが大前提にしていること(そして日本の議論が大前提にしていないこと)は、法的親子関係は、子の安全な成長を確保するために、法が決定する「制度」であるということである。嫡出推定は、そのための伝統的な技術であった。「生物学的事実を制度に、しっかりと、ときとしてあまりにもしっかりとしすぎるほど、組み込むことを、何世紀にもわたって続けてきたこの規則のいわば父親は、教会法学者かローマ法学者のどちらかというよりも、全体の共同作業としての学者法(droit savant)であった」*12。そして「生物学的事実を制度に組み込むことがなければ、生身の人間は育ってはいけず、狂気の沙汰の爆発と、あらゆる形態をとる退廃が生じるだろう」*13。筆者には、ここにこそ、嫡出否認制度の真の意味があるように思われる。つまり「生物学的事実を制度に組み込むこと」は、けっして「生物学的事実がそのまま法的関係にされること」ではないということである。生物学的事実によってつねに法的関係が覆されるのでは、それは制度の名に値しない。たしかに血縁上の親子関係という事実を可能な限り多くの場合に取り込む構成によって、法的親子関係を設計する必要はあるけれども、血縁上の親子関係そのものが法的親子関係となるのではない。嫡出推定という親子関係を設定する技術は、子の保護のために外形的な事実から身分関係を安定的に確立する制度を構築するためにあったのである。嫡出推定の厳格な適用の不都合を是正するさまざまな改革は、なんらかの手段で法的親子関係を設定する制度を放棄すること、つまり法の関与なしに血縁のみが親子関係を決定することを認めることと同義ではまったくなかった。

 フランスのテリは、親子関係が法的制度であることについて、次のように明瞭に述べる。「生殖と父性との間には、深淵がある」。つまり生物学的な父親になるために「男性に要求されるのは、究極的には、本当の意味での行為(acte)ではなく、ほとんど完全な無意識のうちにも行われうる動作(geste)である」*14。単なる「動作」だけでは法制度としての「父性」の根拠たりえない。人工授精のドナーの場合でも偶発的な性関係の場合でもそれは同様である。父性が根拠づけられうるのは、「血縁を受けとめ、撤回のない契約を結んで、事実を支配できる自由という基礎である」。つまり「父性は、道徳的制度的現実の秩序の中にそれを組み込む公的契約に基礎づけられる」*15。要するにこういうことであろう。育てる義務のある親が確保されて、つまり法的親子であるということが安定的に確保されて、子は無事に安全に成長する。親が親であろうという意思は、子の生存にとってなにより必要であり、その意思は法によって強制される社会的な義務感によっても維持される。生まれた子には、できるだけ速やかにこのような義務を持つ親を確保してやる必要がある。妻の産んだ子に対して夫にこのような義務感を持たせることは、むしろ法の長い歴史の知恵の成果ではなかったろうか。 そうであるからこそ、医学の進展によって生物学上の父親が判明するようになった現在でも、ヨーロッパ諸外国の民法は、嫡出推定制度を一応は維持しており、血液検査を許す場合自体を制限し、嫡出推定を否定することができる提訴権者や提訴期間を制限している。アメリカ合衆国においても、一九八九年の連邦最高裁判決は、血液検査の結果生物学上の父親と判明している原告(母の恋人)が母の夫と子の間の嫡出父子関係を請求したケースにおいて、その請求を認めなかった*16。もとよりどの国においても、かつてのその国の嫡出否認制度と比較すると、要件はずっと緩やかに改正される傾向にあるものの、それらの要件は日本法の親子関係存否確認訴訟よりははるかに限定的である。

 ひるがえってわが国の議論では、「家庭の平和を維持し夫婦間の秘事を公にすることを防ぐ」という意義に置かれた重点と比較すると、「父子関係の早期安定を図る」こと、つまり、嫡出子の身分の安定の法益を擁護する制度目的を持った法技術であることは、十分には認識されていなかったように思われる。たとえば、母の夫が実の父ではない場合に、血縁上の父による養育が望めないとき、その子の養育をいかに確保するかという議論は、ほとんどなされなかった。家庭が破壊されているときには子の幸福のためにも嫡出推定が覆されるべきであると考える折衷説の隆盛自体が、その制度目的が本当には認識されていなかったことの証左であろう。

 折衷説がいう「家庭の平和」については、懐胎当時のそれと否認提起時のそれとを区別して考えなければならない。懐胎当時の夫婦の「家庭の平和」すなわち同居の有無は、夫による懐胎の可能性を否定するものであるから、外観説においても、諸外国の立法においても、考慮の対象となる要素である。つまり、子が「死んだ婚姻」から生まれたのか「生きている婚姻」から生まれたのかという違いであり、これは嫡出推定の基盤である出発点が問われる要素である。しかし紛争時の「家庭の平和」を考慮することは、まったく意味が異なる。身分関係の提訴が裁判所に現れる事態に至ったときに、当事者間に支障のない「家庭の平和」が存在することがあり得るだろうか。家庭内の当事者全員が結束しているときに、家庭外の第三者の提訴を排除する理屈にはなりうるとしても。

 もちろん紛争時の「家庭の平和」という要素を考慮する立法が、外国法にないわけではない。たとえばドイツ法やスイス法は、子の否認権行使にあたって父母の婚姻共同生活の解消を条件にする。しかしドイツ法やスイス法の例は、あくまでも嫡出推定・否認制度の全体の構成の一部、つまり子の否認権という枠の中での要件にすぎない。子の否認権を認めるかどうかということは、後述するように立法例の分かれるところであり、嫡出否認のひとつの限界であるから、子の否認権の行使には、その弊害を最小限にするために成年到達後一年ないし二年間という提訴期間の制限や立証内容の制限がさまざまに課されており、この要件はそれらの一つにすぎないのである。また前述したフランスの破毀院が最近形成したフランス民法三二二条に関する判例法は、子の家庭が崩壊している事実をある程度取り込みうる解釈であるが、子の有する身分占有は、家庭が崩壊したことによって直ちに失われるようなもろい概念ではない。

 わが国の折衷説の主張する「家庭の平和」とは、これらのように限定的なものではない。つまり、提訴の権利を制約して親子関係の法的設定をいかに規律するかという観点から提言されたものではない。筆者には、むしろ質的に異なる要件であるように思われる。端的にいえば、日本人の独特な家族法観として、家族間紛争について、権利義務の問題としてとらえるよりは、家族秩序の維持の問題として考え、法は紛争が家族間で自主的に解決できなかったときにのみ介入すれば足り、その介入にあたっては裁判官がすべての事情を勘案して広い裁量権を持って裁くという家族法観があり、その影響がみられるように思うのである。日本家族法の解釈論にはこのような傾向が内在しがちであり*17、これもまたその一例であったのではなかろうか。

三、今後の展望

 法的親子関係を設定する技術として嫡出推定・否認制度が存在意義のある制度であるとしても、現行民法のそれがそのまま維持できるものでないことは、学説の一致して認めるところである。学説の主張する立法論では、嫡出否認の提訴要件を緩和する説はもちろん、嫡出推定制度の存在意義を疑い、嫡出推定制度自体をそもそも否定する説も唱えられている。嫡出推定制度を否定する説には、嫡出子と非嫡出子の平等化という目的から、嫡出推定という用語に反感を覚えるがゆえに、父性推定として嫡出子と非嫡出子を同様に扱おうとする議論がある*18。これらの議論は、内容的には、父母の同棲や母の父指定に事実上の推定力を及ぼそうとするものであるが、あくまでも争われたら容易に覆される事実上の推定にすぎず、実質は極端な血縁主義に近いといわざるをえない。婚姻制度を利用しないで強い推定力を持つ父性推定を設定することに、基本的な困難があるからであろう。嫡出推定・否認制度においては、嫡出性という言葉が問題であるのではなく、夫の子という推定を破るときに制限を置くかどうかが肝心の問題なのである。嫡出性という用語に弊害があるとすれば、「嫡出否認」を「夫の子の推定否認」と言い換えてもよいが、その推定の否認は、夫以外の男性の父性推定を覆す場合よりも提訴権者や要件が厳しく限定されざるを得ず、また限定されるべきであろう*19。法的親子関係は、血縁上の親子関係に限りなく近似させるにしても、究極的にはあくまでもそれとは異なる「制度」であるべきである。

 嫡出推定の否認はどのような場合に許容されるのがよいであろうか。日本法のモデルになりうる立法例を大きく分類すると、提訴期間や提訴権者等の要件で制限するドイツ法(スイス法やオーストリア法も同様*20)の立法例と、これらの要件よりはむしろ身分占有という「社会学的な真実」の親子関係を尊重する枠組みを利用して実質的に制限するフランス法の立法例に分けられようが、いずれにせよ、さまざまな場合を考慮すると、複雑な規定にならざるを得ないであろう。ドイツ法では、夫と、例外的な場合に夫の両親に否認権を認め、母と血縁上の父は否認権を持たない。子の否認権は、列挙された諸事情がある場合に、かなり限定的に認められるが、出訴期間の制限もついた複雑なものとなっている。フランス法は、ドイツ法のような諸事情を詳しく列挙せず、意思の要素を含む身分占有概念を柔軟に駆使して解決している。しかしやはりこみいったものであり、「法を事実に近づけることと単純化することは両立しない」*21といわれる。最近、フランス法の身分占有を利用した日本法の立法提案(松川正毅教授)もなされている*22が、筆者は、日本法になじみのない身分占有概念の輸入は難しいのではないかと考える。たしかに非常に便利な概念ではあるけれども、長い伝統のもとにこの概念がはっきりしている母国においてすら、嫡出推定制度を危うくする曖昧な基準であるという批判*23。 があるほどである。日本の今後の立法においては、ドイツ法のように、提訴権者を限定し、出生後一定の期間で提訴期間の年限を切って、訴訟要件として構成したほうがよいように思われる。その際に人工授精児についても子の身分が確保される必要がある。

 問題は、夫以外の提訴権者をどのように限定するかである。夫にのみ提訴権を与える伝統的な構成には、夫の家長権に由来する要素は否定できず、濫用的な不行使を可能にする弊害がある。しかし子の養育を確保する子の福祉が目的であるばかりでなく、子のすべての権利の基点となる身分関係に関わるものであるから、みだりに提訴権者を拡大するわけにはいかない。嫡出推定によって決定される父子関係の当事者である子に提訴権を認めれば、根本的な解決とはなる。子の提訴権を認めないとすると、夫の濫用的不行使に備えて、母や検事に提訴権を認める必要が生じるだろう。

 子の提訴権は、子自身が自分のルーツを知る権利とも関係する。児童の権利に関する条約7条1項は「児童は、出生の後直ちに登録される。(中略)できる限りその父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する」と規定する。フランス法は子の提訴権を認めていないが、この条約七条との整合性については、次のように説明される。「子に認められる権利は父の権利と、写真がネガに一致するように一致すべきである。子は父を知り父に育てられる権利を持つ。父として子を育てた者は、そのように扱われる権利を持つとそこから結論できるだろう」*24。このような考え方も、それなりの理があるように思われる。少なくとも、子の提訴権を認めたとしても、ドイツ法にみられるような限定を伴う必要があり、子の意思次第でいつでも争うことができるようではいけないであろう。

 従来、わが国で嫡出推定制度に対する批判が強かったのは、前述したような法的親子関係の設定という制度的視点の欠落していたことの他に、出生子ごとに作成される出生証書(身分証書)と母の戸籍に記入される戸籍の出生届との技術的相違がもたらす次の問題があったように思われる。身分証書と戸籍制度の相違は、わが国の親子関係法全体に大きな影響を与え、継受法としての民法と戸籍に基づく実務との諸矛盾をもたらしている*25が、ここにもその一端が現れる。具体的には、婚姻中にあるいは離婚後300日以内に、他男との間の子を出生した妻は、夫の子として育てるつもりがない場合には、嫡出子出生届をすることに非常に大きな抵抗があるにもかかわらず、現行実務では、この場合、夫の子としての嫡出子出生届によらなければ受理されない。妻の非嫡出子については、出生届未済のままで裁判を得るか、虚偽の出生届を提出しておいてそれを裁判によって訂正するしかない。再婚禁止期間に対する最大の実際的な問題もここにあると思われる。つまり真実を表した出生証書を作成できる条件の下で、保護される前提条件を持つ子に嫡出推定などの制度的保護をはかっている母法とは異なり*26、日本では、特殊な戸籍制度のもとで、嫡出推定制度が出生届の拒絶として機能するという構造的な矛盾が生じている。

 この点は、立法を待たず、解釈論としても、実務が変更されるべきである。夫の非嫡出子が「生きている婚姻」に対する姦通の結果として出生する場合が多いのに対し、妻の非嫡出子は、「死んだ婚姻」に対する姦通の結果である場合がほとんどである。「死んだ婚姻」の死亡宣告(離婚)が遅れた故に、子の出生届に裁判を要することになるのは、制度設計として均衡を失している。離婚紛争が長引いた場合には、当事者間に深刻な感情的葛藤が残っていることが想像されるから、後婚の実親夫婦にとって母の前夫をまきこんだ裁判をすることは、耐え難い負担であろう。子の父とされる夫の行動も濫用的なものとなる危険が大きい。婚姻前懐胎子については、子の出生の経過を知悉している母から夫の子ではない非嫡出子として出生届があれば受理される現行実務との均衡からいっても、婚姻中あるいは離婚後300日以内の出生子の母による非嫡出子出生届は受理されるべきである。そうすれば実父が認知届をすることもできる。

 ただしこの解釈によれば、「生きている婚姻」の場合にも母が嫡出推定の拒絶権を持つことになるという問題は残る。フランス法では、その子が夫に対して嫡出子としての身分占有をもっている場合には嫡出推定が復活することによって、免れている問題である。しかし日本の戸籍においては、「生きている婚姻」の場合に、夫が子が入籍していないことに気づかないまま、自分の子として育てるということはまず考えられない。またこのようなわずかな場合の夫の権利を過大に保護するために、現行実務の制度的不均衡を放置するべきではない。

 残された解釈論上の問題は、二三条審判において当事者間の同意のある場合をどのように考えるかである。この合意自体を嫡出推定を排除する根拠にする学説がある*27。この説に対しては、夫の濫用的合意拒否の危険が指摘されてきたが、母による非嫡出子の出生届ができるように実務が変更されれば、その危険も実際には少なくなる。家事調停に代表される家庭裁判所の手続きは、当事者間で合意が成立する場合には、財産的な争いでなく身分上の争いであっても、結果の妥当性よりも当事者の合意を最優先するという、いかにも日本的な紛争解決制度である。二三条審判という制度も、裁判所のチェックはかかっているものの、この特徴をもつ家裁の手続きの一環といえよう。しかし二三条審判が、異質な継受法の民法のもとで、戸籍制度と身分証書制度の違いや、法的親子関係に対する国民意識の違いがもたらす諸矛盾を、柔軟に解決する妙手になってきたことは否定できない。自然血縁上の親子と法律上の親子とが異なりうるということは、法律家にとっては常識であっても、日本人にとっての常識ではない。夫からのみの主張は子の福祉という制度目的から許さないとしても、子自身も親子として戸籍に記載されているのはたまらないと合意することもあろう。親子関係という公序に関わる関係に当事者の処分権をみとめることにためらいは残るものの、親子関係の設定には嫡出推定でも認知でもいずれにせよ当事者の意思という要素がなんらかの内在的関与をするものであるから、とくに少なくとも民法の嫡出推定が抜本的改正をされるまでは、合意に従った二三条審判による解決は許容されてよいとは思う。ただしあくまでも合意が強制にならないように慎重な配慮が必要である。

 日本法の親子関係法は、争いを幅広く裁判に取り込み、裁判において事実関係を調べた上で、血縁上の親子関係を法的な親子関係とすることを容易に承認する方向で発展してきた。しかし裁判を経由すればその事件限りでは妥当な解決が得られるようにかりにみえるとしても、制度的には、裁判によって争われること自体に、子の人権上の問題がある。出生届などの外形的な事実によって、なるべく子が幼いうちに安定的に親子関係を確立するほうが望ましい。ただし、そのときの外形的な事実は、極力真実を表す必要がある。戸籍制度下ではそれが難しかったとはいえ、本来は、親子関係存否確認訴訟や二三条審判に依拠せずに、民法が嫡出推定制度や認知制度を整備して、安定的な法的親子関係を制度構築していくのが、立法論的には筋であるべきであろう。


*1『日本近代立法資料叢書6・法典調査会民法議事速記録六』(商事法務研究会)五一四頁。梅起草委員は、ヨーロッパ諸外国がすべて採用しているという制度であることでもあり、夫はそもそも養子ができるのであるから他の人は養子だと思えば腹は立たぬという説明をしているが、他の出席者は主に庶子の地位に関する議論に終始しており、嫡出推定制度が継受に当たって十分理解されていたとは思われない。なおこのときの議論で、すでに子の否認権が検討されており、梅委員は、強制認知の提訴権を子に与えたこととの均衡からも子の否認権を肯定する議論をしている。

*2嫡出推定制度についての学説や判例についてまんべんなく紹介することは、本稿では不可能である。それらを要領よくまとめた比較的最近の労作として、宮崎幹朗「嫡出推定規定の意義と問題点」有地亨編『現代家族法の諸問題』(弘文堂、一九九〇年)参照。

*3松倉耕作「嫡出性の推定と否認」法律時報四五巻一四号(一九七三年)。

*4梶村太市「婚姻共同生活中の出生子の嫡出推定と親子関係不存在確認」ジュリスト六三一号一三〇頁(一九七七年)。

*5東京高判平成六・三・二八判決判例時報一四九六号七六頁。

*6唄孝一=鈴木禄弥『人事法Ⅰ』(有斐閣、一九八〇年)三六頁も、折衷説(梶村判事の所説)に対して「ここまで個々の具体的事情を斟酌しようということ自体、嫡出推定(=否認)制度の自壊を物語るものではあるまいか」という。

*7フランス法の紹介については、松川正毅「婚姻による親子関係の推定制度-親子関係設定の原理」法学セミナー四七八号(一九九四年)参照。

*8Jean CARBONNIER,Droit civil,t.2,16e éd.,1993,n°277.

*9Pierre RAYNAUD,D.1983.p.380.また、「親子法の変動と近似化は、婚姻が衰退したためというより、現代社会における婚姻の意味と内容が変化したことにある。」Alex WEILL et Francois TERRÉ,Droit civil,Les personnes La famille Les incapacités,1993,5e éd.,p.472.

*10Gérard CHAMPENOIS,La loi n°.72ー3 du 3 janvier 1972,A-t-elle supprimé la présomption ?,J.C.P.75,1,2686,n°88.

*11CARBONNIER,op.cit.,n°279.

*12Anne LEFEBVRE-TEILLARD,'pater is est quem nuptiae demonstrant,Jalons pour une histoire de la présomption de paternité',in Roland GANGHOFER dir.,Le droit de la famille en Europe,1992,P.U.de Strasbourg,p.401.

*13P.LEGENDRE,Le dossier occidental de la parenté,Lecons Ⅳ,Paris 1988,p.14 ただし前注の論文に引用されていたものであり、原典は参照できなかった。

*14René THERY,Veritable père et paternité vraie,J.C.P.1979,1,2927,n°7.

*15René THERY,op.cit.,n°12,13.また、カルボニエは、血縁尊重にもっとも理解のある学者の一人であるが、それでも科学的証拠の援用の危険について、次のように指摘する。「その利用はつねに家庭の平和と、とくに人間の自由を(生前の自由も死後の自由をも)脅かす危険がある。しかし最大の問題は、科学的証明を一般大衆が精神的に受け入れるかどうかにある。人々の気持ちが科学の進歩と歩みをともにするなどということはあり得ない。ところで決定的な力を持っているのは、人々の気持ちなのである」。CARBONNIER,op.cit.,n°263.

*16母親が夫と恋人(原告)の間を数カ月ごとに行き来した結果、子は二人の事実上の父親をもつにいたり、母親は最終的に夫のもとに帰ったというケースである。原告と同居中に血液検査をして子の血縁上の父は原告と判明している。MICHAEL H. v. GERALD D.,United States Supreme Court,1989,109 S.Ct.2333,105 L.Ed.2d 91.

*17西欧法では権利義務の問題であったものが、同様に日本的に変容した例を挙げれば、たとえば、民法七五四条が定める夫婦間契約の取消権について、日本法では、「夫婦は互いに裁判所に訴えてまで約束の履行を求めてはならないという趣旨」(末弘巌太郎)という説明がなされたが、これは母法のフランス法にはみられない理解であった。竹中智香「夫婦間の契約取消権について(一)」名大法政論集一五八号(一九九四年)二四四頁以下参照。

*18古くは、於保不二雄教授の主張であり(於保不二雄「嫡出推定は嫡性賦与と父性推定とに分離すべし」法時三一巻一〇号六二頁(一九五九年)等)、近時では二宮周平教授の主張である(二宮周平『家族法改正を考える』(日本評論社、一九九三年)九六頁等)。民法における非嫡出子差別撤廃を過度に強調する傾向に対する疑問については、水野紀子「子どもの平等権-非嫡出子問題を中心に-」家族<社会と法>一〇号(一九九四年)参照。

*19「否認制度の根幹は出訴権者の限定と出訴期間の制限であり、それは第三者の介入を廃し、子の「嫡出子たる地位」を早期に確定するというかぎりでは、十分な合理性をもつ。」としたうえで「子の非嫡出子たる地位の確認が許されうるのは、それによってのみ子が真実の嫡出子たる地位を確定し、あるいは養子となることが可能である場合にかぎられてもよいのではないか。それすら子が未成年の間に限定されてよい。これもひとつの考え方であろう。」と提言する山畠正男「嫡出の推定」谷口= 加藤編『新版・判例演習民法5』(有斐閣、一九八四年)一〇三頁は、本稿とほぼ同旨であろうか。また山畠正男「親子とは何か」法学セミなー一九八二年六月号は、血縁主義の「所有権」的理解に疑問を提示していて示唆に富む。

*20これらの国については、『スイス親子法』(千倉書房、一九八〇年)をはじめ、近時の「嫡出否認訴訟と子の訴権」名城法学四十一巻別冊(一九九一年)にいたる、松倉耕作教授の比較法研究の蓄積がある。

*21WEILL et TERRÉ,op.cit.,p.473.

*22松川正毅・前掲「婚姻による親子関係の推定制度-親子関係設定の原理」。

*23フランス民法三二二条の破毀院解釈についても、カルボニエは賛成派であるが、解釈の枠を超えたものとして批判的な学説のほうが多い。

*24Claire NEIRINCK,Le droit de l'enfance après la Convention des Nations Unies, Delmas,1993,p.27

*25この問題については、水野紀子「比較婚外子法」川井健他編『講座現代家族法3』(日本評論社、一九九二年)、水野紀子「戸籍制度」ジュリスト1000号(一九九二年)等参照。

*26フランス法では、法定の別居下にある夫婦の場合と、出生証書の父の欄に夫の名が記されていない場合は、当然に嫡出推定の適用の前提が失われるものとされている。その結果、出生証書の作成時に、母は嫡出推定を自由に拒絶することができる。ただしその子が夫に対して嫡出子としての身分占有をもっている場合には、嫡出推定は復活するけれども。一九七二年の法改正前には、夫の名が記されていない出生証書を持つ子が嫡出推定を主張すると嫡出父子関係が認められるとされていたが、日本法のように出生届そのものが拒絶されることにはなっていないから、出生証書の記載のまま夫の子でないとされることが事実上多かった。

*27福永有利「嫡出推定と父子関係不存在確認」『家族法の理論と実務』二五四頁(判例タイムズ社、一九八〇年)。この説を折衷説のうちに含める整理もある。


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