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2012年06月27日

social welfare maximization or gurantee of right

以前,小塚さんと書いた「不法行為法の目的」(NBL)ペーパーについて,学生さんから質問があって,

しおみん・不法行為法に,森田=小塚ペーパーは社会厚生最大化という観点から書かれているが,それは,しおみん自説の「権利の保障」というより高次の概念から説明できる,って書いてあるんだけど,それってどゆこと?

っていうものだった。

あ,ちなみに,僕はしおみん・不法行為法は読んでないので,しおみんが本当にそのように言っているかどうかは確認してません。あくまで,この学生さんからの伝聞を元に理解した範囲で回答したので,しおみんが「いや,我はそんなことは書いておらん」と言われたら,それでもうこの話は終わりではあるのだけれども。

で,僕の回答はというと,

それって逆ぢゃね? 権利の保障よりも社会厚生の最大化の方が高次の概念だろー

というもの。

そもそも,なんで不法行為法が権利の保障をはかるのかっていうと,それは,現状の権利の配分状態が,「望ましい」からだ。現状の権利配分が「望ましい」のであれば,権利者との合意なくして一方的にその権利(まぁ利益と言ってもいいけれど)を侵害する行為は,「望ましくない」行為として不法行為を構成し,損害賠償・差止など,法による抑止の対象となる。この意味で,不法行為法の基礎にある考え方は,権利の保障だ,って言える。

じゃあ,そもそも何で,現状の権利配分状態が,「望ましい」と言えるのか?(別の言い方をすると,それを合意によらずして乱す行為は「望ましくない」と言えるのか?)
それは,自由な市場において合理的な取引がなされている限り,その取引の結果として成立している権利配分状態は,社会厚生を最大化しているはずだからだ(難しい言葉を使うのであれば,コースの定理と表現してもよいし,パレート最適と表現してもよい)。つまり,自由な当事者間で権利の移転に合意がなされるのは,その権利移転によって両者ともに効用が改善する(少なくとも悪化しない)からであって,そういった取引を繰り返していけば,社会厚生は改善していく(パレート改善していく)からだ。
そうだとすると,このようにして到達された権利配分を,当事者の合意なくして一方的に変更しようとする行為は,社会厚生を下げてしまうから望ましくないよね,ということになる。

つまり,なぜ,「権利の保障」をしなければいけないかというと,そうすることが社会厚生の最大化につながるからなのだ。だから,

権利の保障よりも社会厚生の最大化の方が高次の概念だろー

ということになる。

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コメント

初めてお邪魔します。
先生の授業を受講しているわけではありませんが、
上記説明がよく理解できません。

よく理解できない部分に立ち入る前に簡単に厚生経済学の内容を振り返っておくと
(命題とその証明の厳密な内容については、Mas-Colell, Whinston, and Green
“Microeconomic Theory” MIT Press(1995) 、厚生経済学の基本定理については
ch16(p549~552)、コース定理についてはp357)、

まず、純粋交換経済において、一定の条件下で、
競争均衡配分はパレート効率的である(厚生経済学第1基本定理)。

さらに、第1定理にいくつかの条件を付加した環境下においては、
所得再配分することにより、任意のパレート効率的な資源配分が競争均衡配分になる
(厚生経済学第2基本定理)。

以上から理解されるように、純粋交換経済の競争均衡配分においては、
「配分」と「権利」は結びついていないどころか「権利」という概念すら存在しない世界です。

通常、コース定理は外部性、あるいは公共財と関連して採り上げられます。
その内容は、外部性の発生主体と被害主体どちらの権利が優先されても、
交渉費用の存在しない世界では交渉後に達成される資源配分は効率的になる、
というものです。ここで重要なのは「権利」の帰属と「配分」が無関係なことです。

時機に遅れたコメントになりますが、以上のような厚生経済学(加えてコース定理)の内容を踏まえると、微妙な感じがします。

(邦語参考文献:奥野「ミクロ経済学」東大出版会(2008)、
塩澤・石橋・玉田「現代ミクロ経済学-中級コース」有斐閣(2006))

えーっと,どの部分がどう分かりにくい(あるいは論理の飛躍がある)のか,もうちょっと丁寧に説明していただけると分かりやすいのですが。

ちなみに,「「配分」と「権利」は結びついていないどころか「権利」という概念すら存在しない世界です」という部分は不正確で,正確には,権利(財産権)が暗黙の前提にされている(から,言及されてない)のですよね。

それともう一つ,コースの定理には,外部性の局面で使う場合もありますが,もうちょっと広く,エントリ内で書いたような,英語で言うとCoasean bargainingの文脈で使う場合もあります(こちらの使い方は法律家よりも経済学者の方が多いような...)。

素早い回答があったのに遅れてしまい申し訳ありません。

まず、ご指摘の点に関して。
ご指摘の通り、権利が存在しないと表現するのは不正確ですね。
上記説明中の「権利」を【Proprety】と解釈していました。
厚生経済学、というか一般均衡理論では財の移転及び帰属のルールを
明示的に扱っていませんが、「配分」とか「移転」を命題の中に含んでいる以上、
何らかのルールが背後に存在するはずですね。
「権利」をProtertyと解釈しても、「配分」と「権利」は独立している
(「権利」に依存して「配分」が決まっているわけではない)、と表現すべきでした。

また、上記説明中で「パレート最適」と「コース定理」を並列に取り扱っていたことに関して、
パレート最適は第1定理が成立している状態
(したがって第2定理が成立する状況下でも成立する)、
対してコース定理は第2定理が成立する状況に関して、
法律(権利というかProperty)との関連を説明した定理なので、
すんなりと理解できなかった次第です。
第2定理が成立する状況下では両方とも成立するので、
第2定理の成立を前提に両者を並列させているのならば問題ないと思います。

数的な論理を前提に、
市場におけるwelfaretと何らかの帰属ルール(Propertyほど厳格ではない)の関係を
示すのであれば上記説明でも支障はないだろうと思います。

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