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2010年11月03日

eggshell skull

普通の人では考えられないほどとてつもなく運動神経の悪いAさんという人がいたとする。このAさんに,普通の人ならちょっと揺れるくらいの軽い力でXさんがぶつかったところ,とてつもなく運動神経の悪いAさんは,派手に転倒して大けがをした(4階のベランダから落ちて腰の骨を折った,でもいい。どちらでもお好きなように)。この場合,Xさんはどのような責任を負うか?
こういったシチュエーションに適用される法ルールとして,US法だと,common lawに,eggshell-skull ruleというものがある。詳しくは,リンク先のwikipediaの解説を読んでもらえれば分かると思うけれど,要は,"you take your victim as you find him rule"という別名にもあるように,卵の殻のように弱い頭蓋骨を持った被害者に損害を与えてしまった人は,そんな弱い頭蓋骨であることによって発生した損害について,不法行為責任あるいは刑事責任を負うことになるよ,って法ルール。

このルールのポイントは,予見可能性の有無を問わないところ。普通の契約責任(債務不履行責任)だと,Hadley vs Baxendaleという有名な判例(←平井せんせの損害賠償法の理論!)以来,予見可能性で区切るんだけど,何で不法行為や刑法は,予見可能性で区切らない。なぜだっ!

説明の仕方は色々ありそうだけれども,とりあえずさっと思いつくのは,次のようなもの:

不法行為あるいは違法行為によって発生する損害の大きさは,ランダムな確率分布をしている。そのうち,もし,ある閾値τを超える部分は予見可能性がないからと言って責任を認めないと,行為者としては,自分が行った行動から発生する損害として,全体の平均値(要するに,0から∞まで積分したもの)ではなくて,この閾値より低い損害を期待値として計算して(要するに,0からτまで積分したもの),それを前提に事前の注意水準を決定する。
この注意水準は,社会的なfirst bestである,全体の平均値を前提とした注意水準を下回るから,過小な注意水準となって,望ましくない。社会的に望ましい注意水準をとるインセンティヴを与えるためには,全ての損害について責任を問う必要がある。

じゃ,そうすると,何で契約責任の場合に同じロジックが当てはまらないの?
契約責任の場合には,責任の発生の前後に,両当事者が持っている私的情報について交換しあうチャンスがある。だとすると,相手方の危険性の度合いに応じて柔軟に注意水準を変えた方が,「過剰な注意」がなくなって社会的に望ましいから,自らの特殊性についての情報を相手方に対して開示させるインセンティヴを与える法ルールが優れている。そうすると,通常の損害賠償の範囲は予見可能な範囲に区切った上で,それを超える部分については,私的情報を持っている側に,開示しなかったことに対するサンクションを与える(その分は損害賠償の範囲に入らない)ことで,情報開示のインセンティヴを与えることが望ましい。
これに対して,不法行為や刑事の場合には,事前に両当事者間で交渉する余地がないから,こういったインセンティヴの設定のしようがない。
もちろん,両者の区別が微妙になる領域では,色々と交錯することがあり得るけれども。

と。

最近のニュースを見ながら,つらつらと考えてみました。

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