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2009年11月14日

graduate education

「今日の益川先生」がなかなかに楽しい今月の私の履歴書。

本日のお題は,大学院教育における修士・博士の一貫化だった。僕の知る限り,たいていの日本の法学政治学系大学院は,修士と博士とで区切りが付けられているわけだけど,別にそれが唯一の政策的オプションというわけではもちろんない。

たとえば,僕が見ていたUofC Econでは,graduate levelに入学してくる学生は,全員が博士(Ph.D)まで全部修了することを目指すことを前提に入院する。それで,1年目にcoreの授業があって,経済学の素養も数学の素養も大してなかった人たちがびしばししごかれて(by Becker, Murphy, Hansen, Heckman,...てぇラインナップがやはりUofCのすごいとこ),基礎(?)知識をみっちりたたき込まれる。その後で,ここで習ったことがきちんと身についたかどうかのテストがあって,そのテストに落ちたら,それでアウト(確か,翌年もう1回まで受験できたような記憶が)。これを乗り越えて初めて,Ph.D candidateというまともな人間として処遇される。ここまでが結構大変なので,このプロセスを乗り越えた同期の仲間は,「戦友」といった雰囲気を醸し出す。

で,ここからdissertation (Ph.D thesis)執筆に向けて走り出すわけだけど,途中でドロップアウトした人に,博士の学位は与えられないので,修士Masterの学位を与える,っていう仕組みだったような気がする。つまり,最初から修士だけで終わるつもりの人は入学できない。

「academic researcherを養成する」という目的を達成するためと考えれば,ある意味,合理的なシステムではある。でも,もちろん,世間には,academic researcherになるため以外に大学院でおべんきょーしたいという人もいるので,そういう人を取り込むことを目指すのであれば,このシステムは適してない。

ということは,大学によって目指す目的が違う以上,採用するシステムが異なっていてもいいような気がするんだけど。

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コメント

名前だけなら

修士課程と呼ばずに
博士前期課程・後期課程っていう大学も多いですよね。
いや、内実は知りませんが...

あとは一定の社会人経験で修士を飛ばして博士課程からというのは
適用範囲が限定されますが
結果的には近いですよね

うちは博士2年卒業も可能ですし
(超優秀な留学生とかだとそういう例もある)
アメリカほどとまではいかなくても
学部と違って
大学院は比較的自由なのではないでしょうか?
国立(うちだけ?)法学部は
東大法学部に倣え的な傾向が強すぎる気がしますけど

むしろ問題は各大学の教授会な気が・・・
教員個人のレベルでは変な人なんて稀なのに
フリーライド問題なのかなんなのか
だれも望んでいない変な方向に進むことってありません?

> 教員個人のレベルでは変な人なんて稀なのに
> フリーライド問題なのかなんなのか
> だれも望んでいない変な方向に進むことってありません?

それはフリーライドっていうよりはむしろ,
1) その問題についてはどうなろうと自分の利害には関わらないのでどーでもいいと思っている人が大半で
2) しかしごく一部の特異な選好を持っている人が声高に主張をして
3) そのことによって結果的に変な制度ができる
ってメカニズムぢゃないかと。それは別に教授会じゃなくても,普通の政治の場でもあるよね。

あとついでに。

> 博士前期課程・後期課程っていう大学
も,「博士前期課程」が存在しているという時点で,UofC Econ的ではない。

> 一定の社会人経験で修士を飛ばして博士課程から
というのも,おそらく普通に考えると変。というのは,普通(ぐろーばる・すたんだーど?)の博士号って,「博士号を持っていれば,アカデミックの世界で一通りの基礎を習得してますよ」ってシグナルを与えるためのものなので,修士課程の最初に置いて,その分野の基礎を広く「深く」一通りこなすことが要求される(それがcoreとかcourse work)。だとすると,社会人経験者にこそ修士の1年目からやってもらう必要が高くなるはずで(アカデミックの流儀を知らないはずだから),それってかなり変なシステムなんだよね。

> 1) その問題についてはどうなろうと自分の利害には関わらないのでどーでもいいと思っている人が大半で
> 2) しかしごく一部の特異な選好を持っている人が声高に主張をして
> 3) そのことによって結果的に変な制度ができる

1)が微妙なのですが
1)実定法教員はロースクール開設で忙殺されて研究者養成カリキュラムに気が回らなくなっているうちに
2)弟子をほとんどtenureに就職させたことのない(暇な?)先生が自分の留学先の制度を導入して
3)実定法の先生だれも(注。当時の学部長を除く)が「失敗」と断定する制度ができ上がりました...

そして、伝説へ...

ちなみに,1)のところは,たまにまじめに聞いている人が「そんなシステム導入したら後でこういうことが起きたら困るぢゃん」と突っ込んでくれると,救われることがあるんだけど,僕はそんなめんどいことをする気はないので,そういうステキな人のeffortにフリーライドv
てか,そういう奇特な方は,そういうことをするのにおそらく効用を得ているので,win-winなのだ(←希望的観測)

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