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January 30, 2007

●freedom?

今朝の日経の社会面でトップ記事だった「高裁、NHKに賠償命令・番組改編訴訟で」は,判決自体もちょっと微妙だし,周囲の反応もちょっと訳が分からない。
みんなえらく簡単に憲法の話にしたがっているように見えるけれど,それほどの話なんだろーか? 憲法学者の人が,話のネタにするために憲法に引きつけたがるインセンティヴは分からないでもないけれど,民事法系の人間から見ると,この話を無理に憲法に引きつけると議論が歪みそうな気がする。

まず,判決について。といっても,手許にあるのは,日経の朝刊の記事と,朝日の記事だけなので,それらが正確かどうかは知りませぬ。
法律的に見れば,この損害賠償請求は,取材契約という無名契約上の債務不履行の問題に過ぎない。もちろん,契約にそこまで書かれてはいなかったと思われるので,実際には,取材契約に伴う信義則上の付随義務違反だとか不法行為だとか言ってもいいけれど,やるべきことは,取材契約の契約内容の確定に尽きる。で,取材契約に明文で合意していなくても,「特段の事情」があれば「期待権」が認められる,としたのが判決なわけです。
この判決をどう評価するかは,「特段の事情」のところにかかってますね。例えば,僕が「宮城のお酒」を書いたときには,宮城の蔵元などをめぐってインタビューしたけれど,蔵元の方々が語る内容と,僕の整理の視点とは当然異なるので,後で彼らが「森田論文は話した内容と枠組みが違う。うちの商品について何にも語ってないじゃないか!期待権侵害だ!」と言ってきたら困るわけです。事前に明文で合意していないにもかかわらず。
でまぁ,普通は,取材内容をそのまま記事(番組)にするわけではないので,被取材者側の口出しを排除する合意を当事者が選ぶでしょう。だから,それをデフォルトルールとして採用した方が望ましい(majoritarian default)。それとは逆に,被取材者側の口出しを認めるデフォルトルールを採用するならば,それは,penalty default (information-forcing default)として機能することになる。果たして,「特段の事情」がそういった場合を適切に捉えられるか(そして,裁判所がそのように今後運用していくか),という点がポイントになるわけです。

それと,「政治家の関与」云々の事実認定も,判決の結論には関係がない気がする。論理的には,「期待権がある」(=債務がある)と認定されたら,じゃあ,その債務不履行があるのか,というのが次の問題で,政治家の関与云々は,債務不履行の帰責事由の有無の存在を認定する際に,それを否定する要素として働くか,という問題として位置付けるのが素直だろう。で,「放送法上,政治家が口出ししたら放送内容を変える義務が発生しない」から,仮に政治家の関与があったとしても,それは不可抗力とは言えず,政治家の関与の有無にかかわらず(=事実認定にも入らず),帰責事由あり。

続いて,周囲の反応については色々あるんですが,とりあえず,NHK側の「編集の自由を制約する」云々のところについて。NHKとしては,むしろこうは言わない方がいいんじゃないの,という気がする。
どういうことかというと,この判決のルールがデフォルトルールについての判断である限り,編集の自由は制約されていない。今後,編集の自由を確保したければ,取材の際に「番組編集の際に大きく改変することがあります」という合意をとっておけば足りる話(→information-forcing default)。そういう合意をとっておかないということは,自ら編集の自由を放棄しただけであって,制約でも何でもない。
編集の自由が制約されてしまうのは,この判決のルールがデフォルトルールではなくて,当事者の合意による変更を認めない強行ルールの場合であって,その場合には確かに編集の自由が制約されることになる。だから,「編集の自由を制約する」という主張をするということは,この判決を強行ルールとして読む,と言っているに等しいわけで,NHKは何でそんな自分の首を絞める行為をするのか,よく分からない。NHKの法務セクションは何を考えているんですかね。
もっとも,ちょっとは耳を傾けるべきところはあって,「取材の自由を脅かす」というドキュメンタリージャパンのコメント。これについては,例えば,自分より立場の強いところに取材に行くときに,いちいちこういう個別の合意をしなければ編集裁量が確保できない,ということになるのならば,弱い立場がさらに弱くなる危険がある。この意味で,このコメントは合理的なんだけれど,でもそれは結局,さっきの「特段の事情」のところで判断するので,そこ次第ですね。少なくとも手許にある2つの記事では,「特段の事情」の判断構造がどうなっているのかはっきりしないので,何とも言えませぬ。

     *     *     *

というように,ただの契約内容確定の問題なのに,何か変な方向に議論が向かっていると思う今日この頃。当事者の熱に当てられて,裁判所も熱くなりすぎているような気がします。専門家たるもの,冷静たれ。

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コメント

TVで思ったのですが、例えば牡蠣を巡るノロウィルスの報道が過剰すぎて、牡蠣の消費量を合理的なリスク回避レベルよりも落として、生産者に打撃を与えた場合。牡蠣生産者の人々は報道側に損害賠償って請求できるんですかね?

風評被害で損害賠償請求したのは昔ありましたねぇ。でも,因果関係の立証と,損害額の立証(=「xxだけ売れたはずなのにyyしか売れなかった」)とが,かなり難しいはず。確か,あの事件は和解で終わったような記憶が。

補足。
損害額については,過去の売り上げデータから売り上げモデルを作った上で,様々なコントロール変数を放り込んでinferすることはもちろん可能なはずだけれども(少なくともeconometricsでは標準的な手法だよね),日本の裁判所は,そういうのを認めてくれそうにはありませぬ。

業界人のひとりとして、先生のおっしゃる通りだと思います。本質的に問われているところよりも面白いところ、というのがメディアの宿命としても、これでは歪み過ぎ、と感じています。

>estate4さん
別にメディアが「歪む」(?)ことを批判しているわけではなくて,①「NHKはただ単に自爆しているだけじゃないの?」という指摘と,②メディアの報道が誤解に基づくものが多いのは周知の通りだけれど,「専門家がそれに流されるってのはどーよ」という指摘とが,言いたいことです。

「風評被害で受けた」損害額の立証よりも、「その損害額を誰がどこまで負担するのか」という問題の方が難しいのではないでしょうか。例えば、報道機関Aが情報の発信源になり、雑誌B、C、Dが記事にして、雑誌Bを読んだ読者EがFに口コミし、その結果Fが特定の商品を買わなかったとき、報道機関Aはどの範囲まで責任を持てばよいのか、簡単には分からないと思います。このようなことを分析する経済的手法は、現在ではどのくらい発展しているのでしょうか。

それは,「因果関係の及ぶ範囲」の問題ですね。ただ,このような風評被害の場合,情報の伝播の具体的な経路の特定は不可能ですし,また,そもそも,「一人一人の特定の消費者が買ったか,買わなかったか」を問題にするのではなく,利益の全体的な低下を問題にすることになると思うので,「損害額」と「因果関係」の区別はかなり曖昧なものになるのではないかと思います。

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