コメント: which okano? -- an answer

レーズンウィッチの小川軒(よく使ってます)も
新橋(目黒)と鎌倉と御茶ノ水とかがあるんじゃなかったでしたっけ?

で、(b)だと、許諾元がなんのモニタリングもしなかった場合で、
岩槻に小川軒ができて、本家小川軒(どこ?)が一切モニタリングせずにどんどん劣悪になっていった場合、
(東京の顧客には岩槻に小川軒ができたなんてことすら知らないので無視しても平気、
他方、埼玉県民は有名な小川軒ができた、と喜んで買いに行く、
っていうことはありうるはず)
結局、市場は「岩槻の小川軒は偽者だ」と反応し、
本家は結局、reputationで被害を受けないのであれば、
事後的に「岩槻小川軒」は「小川軒」と照合が同一でない、
ということになるのかと思いますが、
その間の過渡的な消費者にコストが発生しているので
訴訟提起させても良いのでは...
それとも名板貸し(笑)で許諾元に訴えさせるという整理にしてしまうのでしょうか?

ところで性状の錯誤にまでなれば、無効ですかね?
こういった議論方式は意味がないって宏樹先生が民法典の百年に書いていたような...

あ、池袋の先生のコメント見てませんでした。性状の錯誤の話出てました。重複ですね。森田宏樹先生は、結局は動機でも何でも法律行為の要素になっているか否かで決まり、法律行為の要素といえるかどうかは、コオズで(以下略)ということで僕には理解不能でした。偽グッチとかならどうなるんですかね?

で、商号も変換ミスです。

コメントの「で,(b)だと」というのは,「で,(a)だと」の間違いだとして話を進めると:

その小川軒のケースだと,小川軒は,埼玉侵略の将来的蓋然性があるか,または,埼玉から東京まで買いに来ている消費者がいる限り(それはあると思う),岩槻小川軒を訴えるインセンティヴがあると思います。本家小川軒が岩槻小川軒について全く気付かなかったら,という可能性もあるけれど,そういう場合は,もともと「岩槻なんてど田舎はout of 眼中」ってくらいに売れてない地域である感じがするので,まぁたいした害はあるまい,と。
過渡的なコストが発生してしまうのは,こういうclass action的なメカニズムを採る以上,ある程度は仕方がないのでは。そうであっても,個別に訴えるという(b)の行き方よりは,はるかに最終的なコストは少なくなります。(あ,(a)で行った場合に,個別の訴訟は全く認めない,というところまで行くべきか,という問題については,確かにその細かいところをどうするか,という点はその通りだけど)。

他方,「で,(b)だと」というのが,そのままだと仮定すると。

その場合には,東京の消費者が訴えなくても,岩槻の消費者が岩槻小川軒を訴えられる,という制度設計なので特に問題なしです。というか,東京の消費者には損害がない気がする。

ちなみに,↑のエントリは,どう見ても,錯誤のお話よりは,不法行為とモニタリングの制度設計の話をしたかったので,魔物が住んでる錯誤は華麗にスルーしてます。

あ、(a)です。(b)ではありません。間違いだらけでグタグタでした。ごめんなさい。
で、話は岩槻市民(今はさいたま市民ですが)が個別に許諾先(岩槻小川軒)に不法行為で訴えてはならないというお話を前提にしました。許諾元は許諾先からのれん料みたいのをもらえば、モニタリングしないでも利益ありと考えるかなぁ、と。で、最終的に岩槻小川軒は本店から許諾もらっているけど商品の中身はぜんぜん違うから商号は別物だ、と判断されるようになったときに、その間の消費者はどうするのかなぁ、と思ったわけです。時効にさえかからなければ、事後的にマーケットが信用は別物と判断した後から訴訟提起させればよいということになるとは思いますけど、そうなると、具体的にどういう基準で消費者が許諾先を訴えることができる場面とできない場面を切り分けるかが難しくなる気がして。もちろん、岩槻の消費者がモニタリングを怠っている東京本店を訴えるという手法もありですが、そうなると、商号の他社への許諾は事後的なモニタリング義務を履行するのとセットでなければならない、となって、それはそれでビジネスが硬直化するかな、と考えました。
個人的な感想としては、商号に関して自由に処分を認めるなら、消費者の不法行為訴訟にも変な制約をつけないほうがよいのではないか、と思います。

ちなみに小川軒は代官山が本店らしいです。そして、一代目の息子三兄弟と従兄弟がやっているらしいですが、のれんわけしたもののその後、本店が他の3つをモニタリングしているとはちょっと考えにくいです。

モニタリングのお話は,許諾元にそれをするインセンティヴがある(そうしなければ消費者からの評判が落ちる)ということなので,許諾元が,誤認によるブランド(商号)価値の毀損がたいしたものではない(つまり,消費者の損害がたいして発生しない)と考えれば,なされません。その意味で,判断主体が移動することによる「誤った」評価の可能性はあります。
そうであっても,結局は,その損害は,許諾元が内部化することになるので,そんなに問題はないよね,というストーリーです。

それと,許諾とモニタリング「義務」は別にセットではなくて,許諾元には,(別に法ルールが強制しなくとも)自発的にモニタリングするインセンティヴが生ずるでしょう,というお話です。上述のように内部化されるので,消費者に許諾元に対して訴える権利を付与する必要もありません(認めてもいいけれど)。

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