コメント: i don't wanna do it!

仙台でのお暮らしはどうでしょう。
私の方は、つい先頃Yellow Stone辺りから帰ってきて、その疲れもとれない内に、次はGrand Canyonかなどと、米国生活の最後を駆け足で過ごしています(笑)
閑話休題
単に書く意欲が起きないので書かなかっただけなのに、出版社との関係に微妙なものが混じる感じとか、ガバナンスなんて・・・(以下略。でも、実は、私の修論もガバナンス絡み。今や、読み返したくもない。ファイナンスにしとけばよかった(笑))という感じに大受けしてしまいました。

あぁ,うらやましい... USのnatinal parkは,Grand CanyonあたりのGrand Circleあたりしか行っていないので,他のところをいろいろ回ってる皆さん(Iさんとか)がうらやましいです。あ,でも代わりに南米いろいろ行けたからいいか。

僕は基本的に,仕事の引受は,よほどのしがらみがないとしない質なので(e.g., 東大の商判で後輩の幹事の割当事務を思いやって引き受ける,Chicagoに紹介してもらったK田先生がらみの依頼),自分から書いて投稿するのがほとんどです。clientのある弁護士さんではない,研究者稼業の利点を最大限活用しています(笑)。
まぁ,ただ,最近の日本で,立法担当者とか弁護士さんとかが積極的に論文を書いて発表しているところを見ると,NBL800号で,ぱふぃーに載せて冗談半分に書いた「これが学者の生きる道♪」が,半ば現実問題となっているような感がしないでもありません。普通の解釈論とか外国法の紹介とかは,学者じゃなくても出来る。伝統的な法解釈学者の「研究者としての」生きる余地というのは,確実に狭くなってきている気がします。あるとしたら,「中立的な立場で」ものを言っている(と思われている),という点だけででしょうか。僕のように,mainstreamからdrop outして,好き放題やっている人間の方が,「研究者としての」生きる余地は見つけやすい。ただ問題は,そういう風に楽しんでしまうと,「教育者として」生きる余地が狭まってしまう点で,ここは,今現在まじで困ってます。誰か助けてー!

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