一 はじめに
標記の問題について、私は先に「ジュリスト」誌上に、一文を書いた(ジュリスト1156号109頁以下)が、この論文は、予想した以上の反響を呼ぶところとなり、多くの大学・研究所等から、講演依頼を受けるところとなった。そういった依頼の多くは、あの論文が、その性質上すぐれて法律学的なものであって、法律論的には正確であるかもしれないが、法律家でない者にはやや難しく、従って、内容をもう少し素人向けにパラフレーズして欲しい、という趣旨のものである。私としては、あの論文は、既にこれを以て全ての大学人に問題の所在を理解していただけるように、というつもりで書いたものであったから、この注文は甚だ難しい注文なのであるが、おそらくその趣旨は、今大学人がこの問題について正面から考えて行こうという場合に、具体的に、何についてどのように考え行けばよいかについて、更なる手掛かりが欲しい、ということであろうと考える。こういった要望に応えうるかどうかについては、必ずしも自信はないのであるが、私は、行政改革会議以来、この問題にその出来の始めから関わってきている一人であることから、一般の大学人に比べると、それなりに多くの情報を持っていることは間違いがない。そこで、そういう立場からして、専ら大学人の皆さんに客観的な情報を提供するということを目的として、お話をすることとする。
その際、ここでは問題を、次の三つの方向から考えてみることとしたい。
第一に、国立大学の独立行政法人化を巡る、政治的・行政的環境ないし圧力の問題
第二に、国立大学の側からみた、独立行政法人化の問題点
第三に、問題点への対処の可能性とその具体的方向
である。
二 問題の政治的・行政的環境
1.政治的背景
既にジュリストの拙文でも述べたように、この問題を巡る政治的環境は、極めてシヴィアーである。行政改革会議の段階では、なお国立大学関係者に対してあったそれなりの遠慮が、現在の中央省庁等改革推進本部そしてその顧問会議では、もはや存在せず、結局、本年の一月には、政府の方針として、国立大学の独立行政法人化については平成15年までに結論を得る、という具体的な方針が正式に定められた。その場合、政府の心は「積極的な方向での結論」であることは、疑いがない。
しかも、実際の状況はより厳しいのであって、この平成15年というのは額面通りに取ることはできず、我々大学人としては、遅くも来年の夏頃までには、基本的な方向についての結論を出さなければならない筈だということは、先にジュリスト論文でも明らかにした通りである。重要なことなので、ここでも簡単に繰り返しておくと、ことは、政府の定員削減計画と関わることなのであって、今回の行政改革の一環として、政府は、平成13年から10年間で、国家公務員の定員を現在より10パーセント純減する、という計画を正式に決定している。但しその場合、現在の定員のうち独立行政法人に移行するものについては(国家公務員の身分を保持したままのケースであっても)この10パーセントの削減対象には含めないこととされているから
ie. (現在定員−独立行政法人への移行人員)× 0.1 =10年間での定員削減数
平成13年度の具体的定員削減計画が策定される概算要求時には、何が独立行政法人に移行するのかについての、少なくとも基本的な決定はなされていなければならないことになる筈なのである。こういった状況について、文部省は、もちろん早くから気が付いているし、また、私の先のジュリスト論文もあって、殆どの大学関係者も、現在では、問題の切迫した状況に、気が付かれているものと思われる。
しかも、更に厳しい状況にあるのは、その際、決定の内容そのものに関しても、独立行政法人化へ向けての決定がなされるよう、政治的にレールが敷かれていると言うことである。それは、小渕内閣になって、上記の平成13年度から10年間での定員削減の割合が、当初橋本内閣で考えられていた10パーセントから結局25パーセント(当初は20パーセントであったが、自自協議で更に5パーセント上積みされた)まで嵩上げされたのであるが、政府は、その差15パーセントは、独立行政法人への移行分であると説明している。そうだとすると、現在国立大学の職員数が、国家公務員全体の定員数の中に占める割合に鑑みたとき、国立大学の独立行政法人化無くして、この15パーセントという数字の達成は、殆ど不可能となる(藤田・前掲ジュリスト116頁にある表に掲げてある数字の中で、現業公務員は、もともと現行の定員法の対象となっていない。これを除き、定員法における現定員総数は、509,508であり、その中に占める国立大学の職員数の割合は、ほぼ13/50 = 26%となる)。 政府が、特に現内閣になって国立大学の独立行政法人化に熱心になった一つの理由は、このような政治的背景にもあるように思われる。
さて、国立大学を独立行政法人化するか否かといった重要な問題が、このような、定員削減計画との数合わせといった政治的な動機から決定されるということについては、当然のことながら、大きな疑念が抱かれることになる。しかし、ともかくも政治的な現実がそうであるという客観的な事実は理解しておかなければならないことに加え、国立大学の独立行政法人化へ向けての圧力は、決してこういった政治的な次元の問題だけではない、ということも、明確に認識しておかなければならない。
2.理論的な圧力
国立大学の独立行政法人化へ向けての今一つの強力な圧力は、より理論的なものであって、「何故、大学は現在のような国の直営形式(付属機関)でなければならないのか?」という疑問である。これは、世界的にみても、また国内で見ても、国からは独立の法人格を持った、例えば私立の大学が、立派に教育・研究の成果を挙げているではないか、という認識に裏付けられている。むしろ独立行政法人になれば、国の組織の一部であることからする様々の縛りから解放されるのであって、かえって大学にとっては有利な筈ではないか、独立行政法人化に反対するのは、むしろ自己の支配権を現在のままに維持したい文部省の官僚だけである筈ではないか、というのが、例えば、行政改革会議における積極論者の典型的な議論の一つであった。
こういった論理に対して、国立大学側から出しうる反論というのは、基本的に言えば恐らく、次のような理屈である。
第一に、国の直営を離れ、独立採算制を採ることになると、財政的基盤が甚だ不安定となり、営利主義に走らざるを得ないこととなって、例えば長期的な見地に立った基礎的研究教育が行えなくなる。
第二に、大学の管理運営については、現在でも、大学に相当程度の独立性が認められているのであって、敢えて独立の法人格を持つ必要はない。
第三に、国の直営を離れ、職員が国家公務員の身分を失うと、公務員としての身分保障がなくなり、安定した教育研究ができなくなる。
しかし、これらの理屈は、次のような理由からして、必ずしも、先の疑問に対する説得力ある反論とはなり得ない。何よりもまず、これらの理屈は、結局のところ、およそ私立大学では、まともな研究教育は行えない、という考え方に繋がることになってしまうのであって、この考え方は、大方の私立大学関係者の神経を逆なですることになってしまい、共感を得られない。この点を別にしても、少なくとも、今回導入されることとなった独立行政法人という制度との関係では、次のような問題がある。すなわち、
上記第一の点は、おそらく直営方式に固執する最大の理由であるが、今回の独立行政法人通則法は、そもそも独立行政法人とは、その業務の性質上独立採算制を採るのが適当ではない業務をその対象とするのであって、従って毎年の予算措置が執られるものである、ということを明言しているのであって、上記のような反論だけでは、的外れな議論となってしまう。
第二の点については、この議論だけでは、逆に、現在既に独立性に基づいて管理運営がなされているのであるならば、独立の法人格を持ったとしても、実質的に弊害は無いではないか、という逆反論をも招くことになってしまう。
第三の点については、仮に国家公務員でなければ安定した研究教育ができないという議論を前提するとしても、今回の独立行政法人は、公務員の身分を保持したままでの独立行政法人(法律のいう「特定独立行政法人」)の可能性を認めているのであって、この議論では、独立行政法人化それ自体に対する反論とはなり得ない。
このような意味で、現在の理論状況は、いわば、国立大学の独立行政法人化を進めようとする側が「何故独立行政法人でなければならないのか」という点についての立証責任を負っている、というような状況ではなく、独立行政法人化に反対する側が、「何故独立行政法人であってはならないのか」についての立証責任を負わされている状況であるのだ、ということを、はっきりと認識する必要があるように思われる。このことを特に強調するのは、現在、国立大学の独立行政法人化に反対する国立大学関係者の中には、未だ、「国立大学を独立行政法人化する必要は無い」あるいは「国立大学を独立行政法人化する理由は無い」ということをしきりに論じておられるものが、まま見受けられるのであるが、このような論法では、現下の問題に対する現実のインパクトは殆ど無いものと思われるからである。
3.現時点での動き
上記のような状況の下、文部省は既に、独立行政法人化に腹を決め、その方向で動き始めている。7月には、国大協OB達による有識者懇談会を文部大臣の下に設置し、この方向での意向打診を開始した。その状況は、新聞等にも報道されたとおりであって、様々の注文はあるにしても、独立の法人化をすること自体については、特に強い反対はなされていないようである。文部省は、このような状況をも踏まえて、現在、国立大学を独立行政法人化した場合の、基本的な制度設計を始めている。来る9月20日の国立大学学長懇談会において、文部大臣から各大学にその案が示され、検討方要請がなされることになるようである。文部省の考えているスケジュールでは、来年の概算要求時までには、こういった検討を踏まえ、独立行政法人化へ向けての基本的な決定をするが、制度設計の詳細については、政府から与えられている平成15年までという期間をフルに利用する。そして、現実に独立行政法人へ移行するのは、平成15年から23年までの間の然るべき時期に、ということのようである。
三 国立大学の側から見た、独立行政法人制度の問題点
上記に見たように、仮に国立大学の独立行政法人化に反対しようとするのであるならば、何故独立行政法人では駄目なのかを、今回導入されることとなった独立行政法人制度の制度的実体に照らして論証するのでなければ、説得力はない。そこで、このような論証の可能性は、果たしてまたどこに見出しうるのか、について、以下私の考えを述べることにしたい。
まず第一に、上記に見たような理由からして、およそ大学における教育研究は国の直営方式でなければまともには行い得ない、ということを論証するのは、極めて困難であると思われる。従って、問題は、上記に述べた三つの問題点、すなわち、大学における質の高い教育研究を確実に行い得るための、財政的基盤、教育研究を中心とする業務の独立性、教職員の身分保障、が、果たして、今回の独立行政法人制度において、本当に保障されうるのか、という点を、より詳細に詰めることに尽きる。
この点まず、財政的基盤については、既に見たように、独立行政法人の場合、独立採算制が採られるのではなく、毎年予算措置が講じられ、しかもそれが、運営費交付金として、用途を指定されることなく一括して交付されるのであるから、その限りでは、現行制度の下におけるより、大学にとって有利になる筈である。ただ、全く問題が残らないわけではないのであって、例えば、毎年の予算措置が具体的にどのように行われるか、つまり例えば、初年度については、現在の国立大学特別会計が実質上そのまま移行することになるのかどうか、また、第二年度以降、例えば、経営努力によって、黒字が出た場合、その分が予算から削られる、といったようなことにならないのかどうか、この辺の具体的な詰めが必要となろうと思われる。この点については、文部省が、従来より大学が不利になるようなことのないように、最大の努力をもって対処する、と言っているので、大学側としてはそれに期待するしかない。
第二の、管理運営の独立性の保障の問題については、とりわけ、今回の独立行政法人制度はもともと、大学のようにそれなりの独立性を持っていた組織を主たる対象として制度設計されたものではないのであるから(この点の詳細については、ジュリストの拙稿を参照されたい)、これまで独立性のなかった組織に独立性を与える目的で設計された今回の制度が、結果的にかえって、大学がこれまで有してきた独立性を制限することとなっていないかどうかを、具体的に詰める必要がある。この意味からして、独立行政法人の管理運営に対する所管大臣の関与、とりわけ例えば、業務運営に関する、中期目標、中期計画等の運用のあり方、業務の評価制度のあり方、そしてまた人事管理のあり方、等についての詳細な検討が必要となるのである。その場合、とりわけこれらの制度の前提となっている「業務の効率性の確保」ということについて、大学における研究教育の「効率性」ということと、これらの制度で前提とされる業務の「効率性」との間の異同について、明確な検討がなされなければならない。この点については、先のジュリスト論文で既に詳細に述べた。
第三の職員の身分の問題については、上記に見たとおり、「特定独立行政法人」の道を選択するならば、問題自体が存在しない。ただ、独立行政法人化を決定した以上、この道を選ぶことが本当に合理的なのかどうかについては、なおクールな検討が必要であるように思われる。例えば、教官の民間企業の役員との兼職問題などは、その一例である。この点についても、詳細は、先のジュリスト論文に譲りたい。
四 問題点への対処とその具体的方向
上記の諸問題への対処は、基本的にどのような考え方の下に行うべきであろうか、について、私自身が考えていることを簡単に述べたい。
まず結論的にいって、今回の独立行政法人通則法自体における独立行政法人制度は、大学における研究・教育のような業務を本来の主たる対象として設計されているわけではないから、これをそのままに大学について適用することは適当ではないし、また、法律自体、そのようなことを予定しているわけでもない。この法律は、個別の独立行政法人については、個別の設置法で、(この通則法をベースとしながらも)それぞれの業務にふさわしい形の制度設計をすべきことを、正面から認めているのであって、従って、「今回の通則法の定める独立行政法人制度は大学に適当でないから」という理由のみで、国立大学の独立行政法人化はおよそできない、という主張をすることはできないと同時に、他方、それでは、個別法(又は特例法と言っても良い)で、果たしてまたどこまで大学にふさわしい形での制度設計が可能であるかを検討する必要が出てくるのである。
個別法のあり方についての検討に際しては、次のような基本的な考え方ができるように思われる。
まず第一には、個別法と通則法との相互関係について、ジュリスト論文でも述べたように、国立大学の独立行政法人化に際しては、通則法の各条文は、絶対に動かし得ない固定的な枠を形成するものと考えるべきではなく、事項によっては、個別法による通則法の一部修正の余地もあり得るものと考えるべきである。
第二にしかし、通則法の枠内で、どのようにすればどこまで大学業務の特殊性を確保した制度設計ができるかについても、検討しておく必要があろう。このようなことを言うのは、仮に上記第一のような考え方が可能であり、また理想的であるとしても、通則法が定める独立行政法人制度の根本に関わるような中心的制度について、その適用を大学については排除する、ということは、少なくとも政治的には、大きな抵抗を招くであろうから、事柄をスムーズに解決するためには、与えられた制度の形式に乗りつつも実質を確保する、という道を選択することも、それはそれなりに合理的な選択肢の一つであろうと思われるからである。
例えば、通則法が定める制度の中で、大学にそのまま適用した場合に最も問題が大きいのは、恐らくは、先に見た、業務に関する主務大臣の関与・介入の数々であろう。これらについては、法律上の最終的な判断権は形式上文部大臣(文部科学大臣)に存在するものとしても、その前提手続を様々に整備することによって、大学の自律性を実質的に確保する方法は無いかが、検討の対象となりうる。
例えば、大学の学長、教員等についての任用、免職、休職、退職及び懲戒処分は、法律上は、現行制度の下でも任命権者(文部大臣)が行うこととなっているのであるが、ただ教育公務員特例法の定めによって、任命権者のこれらの処分は、大学管理機関(評議会・教授会)の申し出に基づいて、初めて行われうることとされている。実質的には、このシステムが、大学の自治を護っていることは、周知の通りである。ところで、今回の独立行政法人通則法によれば、法人の長は、一定の要件を備えた者の中から主務大臣が任命することとされているのであるが、その手続については、通則法自体は、何も定めていない。また、職員の分限・懲戒等についても、何らの特別の定めはおかず、(特定独立行政法人の場合には)一般職の国家公務員として、国家公務員法の適用をすることとしているのみである。このような定めを前提として、大学の学長・教官等に引き続き教育公務員特例法の規定の適用をするものとすることは、通則法が規定していない事項につき、その業務の性質を考慮した上での補足を行うものであって、それ自体通則法の基本的な構造に反することには、およそならないはずである。
また、通則法では、主務大臣が、三年以上五年以下の期間において独立行政法人が達成すべき業務運営に関する目標(中期目標)を定め、これを当該独立行政法人に指示すると共に、公表しなければならない、とされている(法29条)。また、この中期目標に基づいて独立行政法人は、中期計画を作成しなければならないのであるが、これについても、主務大臣の認可が必要であるとされている(法30条)。文部大臣によるこのような介入は、現行の国立大学の場合には、存在しないところであって、この制度をそのままに大学に適用したとするならば、大学の自治に対する著しい制約ともなりかねない。従って、可能であるならば、この制度は大学には適用しないこととするのが、最も適切であろう。しかし他方、この制度は、いわば、今回の独立行政法人制度の一つの「目玉」でもあるので、個別法で、およそこの制度を全体として大学には適用しないこととすることが、果たして(少なくとも政治的に)可能であるか否かは、かなり難しい問題でもある。仮にそれを前提とするならば、ここでも、中期目標・中期計画という制度の枠組み自体には乗りながらも、実質的に大学の自治が護られるような方法を考案しなければならないこととなる。それは、一つには、中期目標及び中期計画の内容に関してであって、法律が中期目標に定める事項としている、「業務運営の効率化に関する事項」「国民に対して提供するサービスその他の業務の質の向上に関する事項」等が、大学の場合には、どのようなことを意味するものと考えるべきかを、詰めることである(この点についての考え方の例については、先のジュリスト論文を参照)。と同時に、文部大臣のこれらの権限行使についての、手続的制約のあり方も、考案に値するところであろう。例えば、文部大臣が中期目標を定めるに当たっては、前もって、当該大学との協議(そして合意)が必要である、とするようなことである。
その他例えば、主務省におかれる独立行政法人評価委員会(法12条)に関して、大学の場合には、現在、別に構想が進んでいる独立機関としての「大学評価機関」をもってこれに代えることができないか、といった問題がある。この場合にも、仮にそのこと自体が不可能であるとしたならば、第二次的には、少なくとも大学の場合には、文部省の評価委員会は、この大学評価機関による評価結果を踏まえて評価を行うものとする等の措置が、最低限度必要になるであろう。
五 結び
以上、先のジュリスト論文を補う形で、国立大学の独立行政法人化の問題についての現在の状況と、私の考えとを述べてきた。先にも触れたように、今月末あたりからは、具体的に、文部省の提示する案について、各大学で検討を始めなければならないことになると思われる。私の本日の話が、その際の何らかの御参考となれば、幸いである。