東北大学法学部の伝統と未来

(東北大学法学部50周年記念シンポジウムにおける最終コメント)

藤 田 宙 靖           
平成11年(1999年)10月15日



一 はじめに


 本日のシンポジウムの企画者によって私に与えられた課題は、御講演を頂いた三先生(小田滋名誉教授[国際司法裁判所判事]、ハンス・ルードウィッヒ・シュライバー氏[ゲッチンゲン大学前学長]、樋口陽一名誉教授)のお話を前提として、「東北大学法学部の伝統と未来」という観点から、総括をせよ、ということであります。私にこのような役どころが回って参りました理由は、恐らく、法学部の現スタッフの中で、法学部在職期間が最も長くなってしまったのが私であって、かつて小田先生・樋口先生とも同僚としての日々を過ごした時期があるということに加え、他方で定年まであと四年ばかりを残し、21世紀の法学部をも、恐らくは現役として垣間見ることになるであろうと予想されることから、いわば、このような機会に、法学部の過去と未来との橋渡しをして見せるのは、お前しかいない、ということであろうか、と理解しております。しかし、このような意味での過去と未来の橋渡しというのは、いうまでもなく大変に難しいことでありまして、本気で考えれば考えるほど、何も言えなくなってしまいます。そこでここでは、これまで東北大学に在職してきた33年間に、東北大学法学部とは何か、ということについて、私なりに感じ、私の日々の活動の前提として参りましたところを、率直にお話しし、課題への解答に代えさせていただきたいと思います。


二 伝統


 さて、東京大学・京都大学といった、ほぼ同規模の他の国立大学に比べて、東北大学の何よりも大きな特色は、東京から350キロ離れた、しかも我が国の政治経済の中心地であるいわゆる太平洋ベルト地帯にも属さない、仙台という町に存在することであります。この350キロという距離は、今でこそ新幹線で2時間もかかりませんが、例えば私の前任者である柳瀬良幹先生が赴任された昭和8年においては、夜行列車を使って、8時間―9時間を掛けてようやく到着できる距離でありました。私自身が東北大学に赴任した昭和41年においても、一日2本の特急ひばり号が、4時間30分で上野と仙台をつないでいたに過ぎず、それが何年かの後に3時間57分となったときには、4時間の壁を破ったということで、河北新報などで大々的に報道されていたことを、覚えております。因みに、この3時間57分という時間は、現在では、東京から広島まで「のぞみ」で走る時間を、僅かに上回っております。

 さてこのような地理的条件は、東北大学法学部50年のあり方にも、良かれ悪しかれ、様々な影響を与えて来たように思います。例えば、私が赴任してきたときに、柳瀬先生は、「仙台は、学問をするためには東京から丁度良い距離だけ離れているので、東京にいると情報の洪水の中に溺れてしまうが、仙台あたりだと、情報が伝わってくるまでに、よけいな情報は全て落っこちて、本当に重要な情報だけが残っている」というようにおっしゃっておられましたが、これはまさに、学都仙台のメリットを言い得て妙であるように思います。例えば本日樋口先生が触れられた、「実用から距離を置いた方法論志向」等は、まさにその典型例で、樋口先生と同様私もまた、世良先生を中心とした「社会科学の方法研究会」では、その後の自分の学問の基盤を成すことになる、多くの勉強をさせていただきました。世に(時には若干の皮肉をも交えていわれる)「東北大アカデミズム」なるものは、まさにこういった土壌の上に成立してきたものであったと思います。この点では、東北大学法学部は、例えばドイツの多くの大学と似た関係にあるので、ご承知のように、ハイデルベルク大学、チュービンゲン大学、フライブルク大学、そして、私共の学部と縁の深い、シュライバー先生のゲッチンゲン大学等、ドイツの重要な大学そして法学部は、多く、田舎の小さな町に存在して参りました。これに対して、日本の場合には、いうまでもなく、旧帝国大学をはじめとし私立大学をも含めて、伝統的に重要な意味を担わされてきた法学部は、東北大学を除いては、その殆どが東京・京阪神等の、大都会にあります。

 こういった地理的環境は、教官だけではなく、学生のあり方にも影響を与えているように思います。昨今、東京大学や京都大学の同業者達と話していて、よくこぼされるのは、学生が講義に出てこない、ということであります。その原因は、例えば、国家試験に合格するためには大学の講義を聴くよりは予備校の授業を聴いた方が効率的である、とか、大学の外に、もっと面白いことが一杯ある、といったことのようでありますが、幸か不幸か、仙台には大した予備校もなく、また彼等の関心を惹く遊びやバイトの可能性や選択肢も、それほど多くはないので、日常の生活はとにもかくにも大学を中心としたものとならざるを得ない、ということからでしょうか、東北大学法学部では、甚だまじめに講義を聴講する学生が、比較的に多いということが言えるようであります。

 さてしかし、こういったメリットは、一つ間違うと、大きなデメリットともなりかねません。東京や関西のように、多くの研究者が集積しておらず、法学部の同僚そして、僅かな周辺の同業者(それも東北大学出身者が多い)との間のみで形成される研究者集団の中では、うっかりすると、東北大学のスタッフが「お山の大将」となり、あるいは仲間誉めに終始する、閉鎖的なタコツボ社会を出ることが出来ないままに終わってしまうおそれがあります。また、学生についてみると、例えば、東北大学の学生は、その潜在的な能力に比して、余りにも司法試験に合格する数が少ないように思われますが、この現象について、私は、その大きな原因の一つに、学生の気質というか、気概のようなものが関係しているような気がいたします。東北大学の学生は、司法試験を何か、極めて難しい、例えば現役で合格するなどということ自体が考えられない、針の穴のようなものだと考えているようで、従って、合格するのには数年掛かるのも当たり前、というような雰囲気でいるようであります。これに対して、例えば早稲田大学とか慶応大学出身の司法修習生などに聞いてみますと、今日これらの大学では、大勢の人間が一斉に受験し、また、実際多くの者が受かるので、皆、例えば現役で合格したとしても当たり前だ、という雰囲気でいる、ということであります。東京大学や京都大学でも、状況はそのようなものでありましょう。こういった勢いの違いは、当然のことながら、事の成否に大きな影響をもたらすことになるので、ここにも、自分達の周辺だけで一定の枠組みを作ってしまって、そこから抜け出すことが出来ない、という一つのタコツボ的パターンが見られるように思います。

 こういった弊害をもたらさないためには、いうまでもなく、自分の立っている地点を、絶えず、外から、客観的に見直すことが必要となります。法学部の教官の中でも、とりわけ実定法を専攻する先生方には、東京などに出かけていって、学外の多くの活動をされてきた方々がおられますが、その中でも、こういったことを最も徹底して行われたのが、小田先生であったと言えましょう。小田先生は、国際法という分野でありながら、机上の観念論に終始することが多い日本の国際法学者を徹底的に批判されて、自ら現実の国際法生成の過程に参加され、多くの実績を挙げられました。小田先生の目から見ますと、「マルクスのウェーバーの」という議論をしている私共の「社会科学の方法」研究会などもまた、「極めて観念的な田舎者集団」というように、ばっさりと切られてしまうわけで、いわばこういった、二種類の学風の先生方が、それぞれに第一線で一流の活躍をしてこられたのが、東北大学法学部の厚みを形作り、学界における評価をかち得てきた所以であったと思います。

 また、東北大学法学部は、絶えず外国に対しても積極的に自らを開いてきたのであり、多くのスタッフは、若き日に、様々の形で外国留学をしており、その後も、留学先の諸学者とは、密接な関係を保ち続けています。本日この席に、遙々とシュライバー先生が駆けつけて下さいましたのは、まさにその一つの証であります。


三 未来


 さて、東北大学法学部の未来についてでありますが、未来もまた、このような伝統の上に築き上げられるものであるべきでありますし、また、それ以外に道はない、と思います。その際しかし、私は、我々法学部のスタッフとしては、とりわけ次のようなことに留意する必要があるのではないか、と考えております。

 第一に、情報に振り回されてはならないけれども、しかし、情報を正確にフォローすることは、絶対に必要だ、ということであります。急激に変動する今日の国家・社会の中で、法的・政治的素材についてもまた、次々に新しいものが生まれ、また消えて行きます。そして、シュライバー先生のお話にもあったとおり、法律学に期待されるところも、甚だ広範かつ複雑なものとなっております。こういった中で、柳瀬先生の時代のように、余計な情報が途中で振り落とされて仙台に届くのを座して待ち、届いた結果についてのみ分析考察を加えればよい、というのは、学問のあり得る一つのパターンではあるかも知れませんが、他方、ただ座して待っていたのでは、もはや事態は決定的に変わってしまっており、何をするにももはや手遅れ、ということすら生じかねません。重要なのは従って、情報を的確に選択する能力であって、情報の収集自体は、むしろより積極的に行うのでなければならないでしょう。

 そのためには第二に、ともすれば陥りがちなタコツボ的状況からの脱却を、従来より以上に進める必要があると思います。例えば、過去、東北大学の法学部長は、その在任中に文部省に赴くことはないことが旨とされており、それが、他大学・他学部にはない見識であるとして誇る向きがありました。確かに、学部長が先頭に立って文部省に「物乞い」に行くという図式は、かなりグロテスクなものでありまして、大学にとっても文部省にとっても、ひいては学問・研究の発展のために、決して望ましいことであるとは思えません。しかし今日、大学をめぐる様々の環境の客観的な把握のため、情報収集・意見交換のために、学部長自ら文部省の幹部と接触をするということ自体、私は、非常に大事なことであり、徒らに「過去の栄光」や「メンツ」にこだわって、それをすら排斥する理由はないし、また、排斥すべきではないと考えております。実際、現大西学部長などは、既にこういった立場に踏み切って、何度もの「文部省訪問」をされており、そのことが、将来の法学部のあり方を考えるにあたり、極めて大きな意義を持ったことは、否定できないところであります。

 第三にしかし、東北大学法学部のメリットとしての、「中央からの距離」というスタンスは、将来においても是非保ち続けるべきであろうと思います。交通手段そして情報通信手段の極めて発達した今日、この場合の「距離」とは、勿論物理的な距離のことではありません。そうではなくて、私が言いたいのは、意識の問題であり、いわば心の余裕のことであります。これは、私個人の独断といってしまえばそれまでなのかも知れませんが、例えば我々教官について言うならば、東京大学・京都大学の法学部は、その立場上、何事につけ、我が国の大学を代表し正面から責任を負わなければならない、いわば長男のような立場を強いられており、それ故にまた教官連中は、他にはない焦りとかストレスとかを感じることが多いようであります。これに対して東北大学の場合には、偶々陸奥の地にあることも幸いしてか、かなりの勝手が許される、次男坊三男坊的な自由、気楽さ、といったものが与えられているように感じております。こういった気楽さないし余裕を充分に活用することが、旧弊に囚われない、新鮮な研究成果や大胆な提言をもたらしうる、重要なエネルギーとなるのだと思います。例えば、小田先生が、仮に東京大学にいたのだったらあのような国際法学界における暴れん坊ではあり得なかった、と言うお話、また、樋口先生のお話にあった、「自己規定」の必要性とそれを出来る余裕というのは、全てこういった問題であると思われます。また、学生についてみると、先に見たような、環境からする国家試験に対する意欲の希薄さは、競争試験での成否と言うことのみを捉えるならば、マイナスでもありましょうが、しかし他方でこれを、試験に合格するまでの何年間かを、より突っ込んだ法律学の修得に当てることのできる心の余裕と捉えるならば、それはそれなりに、むしろ貴重なものでもありましょう。法学部がいま導入しようとしている選択的六年制というシステムは、まさにこういった意味合いを持つものでもあります。


四 むすび


 以上、「東北大学法学部の伝統と未来」ということにつき、私なりの感想を述べさせていただきました。時間の制約もあって、舌足らずなものに終わってしまったところもございますが、今後の法学部のあり方について、何らかの参考となるところがあれば、望外の幸わせであります。ご清聴有り難うございました。


fujita@law.tohoku.ac.jp
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