はじめに
国立大学の独立行政法人化問題について、周知のように、私は先に6月1日号の雑誌ジュリスト誌上に一文を書いた。この論文で私は、この問題は、一般に理解されているように、平成15年までに結論を出せばよいという悠長な話であるのではなく、平成13年度から10年掛けて実施される政府の定員削減計画との関係において、来年の概算要求時期までには、少なくともその基本的な部分については、結論が出されていなければならないことになる筈の問題であること、従って、国立大学協会をはじめとし、各国立大学関係者の間で、早急に検討を始めるべき必要があること、を指摘した。そしてそのような検討のための前提として、そもそもこの度導入されることが決まった「独立行政法人」とは、どのような制度であるのか、国立大学を独立行政法人化するとは、一体どういう問題であるのか、この問題を検討する際に、我々としては、どのようなことを問題としなければならないのか、といった事柄について、私が考えていることを、率直に述べてみた。あの論文は、私がこの問題をめぐり理解していた当時の諸状況に鑑み、誠にやむにやまれぬ気持ちで書いたものであったが、幸いにも、全国の大学関係者その他広い範囲の方々から、当初予想もしなかったほどの注目を浴びることが出来、各方面からの講演依頼が殺到するところとなった。出来ることならば、それら全てにお応えしたかったのであるが、身一つで全国を行脚することは、殆ど不可能で、やむを得ず、東北大学内部での各部局からの御依頼を除いては、全てお断りせざるを得なかった。ところがその間、それならばSCSを利用して、広く全国に呼びかけてはどうか、というアイデアを進めて下さる方があって、この度、早くからお話のあった九州大学に中心となっていただいて、このような企画をすることとなった次第である。本日は従って、九州大学との懇談会ではあるが、これまでに講演の御依頼のあった大学には全て、このような企画についての御連絡を差し上げているはずである。
そのようなわけで、本日は、これまでの各方面からの講演御依頼に対する私からのお答えということになるわけであるが、ただ、本日お話しすることの内容に関しては、次のようないくつかのお断りをさせていただきたい。
まず第一に、先のジュリスト論文が公にされたのは、5月の終わりであったが、それから既に5ヶ月が経過し、その間には、ご承知のように、かなりの状況の進展がある。すなわち、国立大学協会の第1常置委員会は、9月7日に、「国立大学と独立行政法人化問題について」と題する中間報告をまとめられ、また、同20日には、文部省から、「国立大学の独立行政法人化の検討の方向」として、独立行政法人化を前提とした上で、その制度設計の概要を明らかにする文部省案が示されるところとなった。これらは、私の見るところ、ほぼ、実質的に、先の私のジュリスト論文を下敷きとした内容になっているように思われる。そこで、本日は、先のジュリスト論文の内容を再度詳しく説明することはせず、あの論文に述べたことを前提とした上で、更に進んで、現段階においてこの問題をめぐる客観情勢をどのように把握したらよいのか、また、そのような状況の中で、今各大学が検討を迫られている文部省案は、どういった意味を持つものなのか、について、私が考えていることをお話ししてみることとしたい。
第二に、先のジュリスト論文もそうであったが、私の話は主として、この問題を(私が専攻する)行政法学の見地から見た場合にどのようなことが言えるか、という観点から取り上げるものである。但し、強いて言うならば、更にそれに加えて、私自身が行政改革会議の委員そして引き続き中央省庁等改革推進本部の顧問として、この問題にかなり早い時期から関わっていることからして、それなりに得ている各種の情報、そしてそれに基づく客観的な政治情勢についての判断、等が、話の前提となっている。いうまでもなく、国立大学の独立行政法人化の問題一般については、その他、学問論・教育論的な見地、また財政学的な見地等々、様々の見地からの多くの議論があるはずであるが、ここでは、これらの問題については、その多くに触れないこととしたい。その方が、論ずべき問題の道筋を、より整理された形で示すことになるものと考えるからである。
一 国立大学の独立行政法人化問題をめぐる客観情勢について
1.これまでの経緯及び現段階での議論の状況
私が先のジュリスト論文を書いた時点では、大学関係者の殆どは、この問題がこのように緊急の検討を要する問題であるということ、すなわち、一般に報道されていた平成15年までというような悠長な話ではなく、来年の概算要求時までには、基本的な結論を出すことが求められている問題なのだ、ということに、気がついてはおられなかったように思われる。実は、私自身、このことに気がついたのは、本年の3月はじめ頃になってのことであったが、他方で、文部省は、本年の2月頃までには、現在の政治状況の下で、国立大学の何らかの形での法人化は避けられない、との判断にほぼ達していたようで、同時にまた、その場合、問題が上記のように差し迫ったものであることも、察していたようである。そして文部省は、当時の状況では、大学側が、そのような短期間のうちに十分な検討を行い、この問題について統一的な見解を出し得るかどうかについては、殆ど悲観的であった。他方でしかし、文部省としては、政府の定員削減計画との関係で、上記の政治的スケジュールを動かすことは出来ないのであるから、大学側の自発的な検討結果が出てこないのならば、やむを得ず、文部省が一方的にであれ、法人化に向けた具体的な提案をしなければならないであろう、と考えていた。そしてこういった提案をする時期は、当初、通常国会が終わる時点、すなわち7月末頃とされていたのである。こういった状況の下で、私のジュリスト論文は、大学人にとっては、いわば「太平の眠りを覚ます蒸気船」としての意味を持ったようであって、一方では、例えば、東大の蓮見総長等からの、私に言わせれば、全く当を得ないとしか言い様のない反発を受けたところである。しかし、私自身は、あの一文を発表したことによって、いわば、大学人が寝耳に水の形で文部省の提案に接し、上を下への大混乱のうちに、大学には問題の自主的解決能力なし、との口実の下、政治のレヴェルで極めて乱暴な決定がなされるといった、最も不幸な経過だけは避けることができたのではないか、と考えている。
さて、幸い、国立大学関係者は、国立大学協会をはじめとし、多くの大学において、真剣な検討を始めて下さった。そして、通常国会が延長されたこと等もあり、文部省からの具体案提示が9月半ば過ぎにまでずれ込んだことによって、ともかくも、国立大学協会から一応の検討結果が公にされた後に、それをも踏まえた上で文部省が具体案を提示する、という形となった。問題の検討が、こういった経緯を辿ることとなったことは、問題提起をさせていただいた私にとっては、大変喜ばしいことであり、同時にまた、これらの検討結果及び、各方面でこれまでに発言されてきたことを総合すると、私は、現時点では、ほぼ、次のように、問題状況が煮詰まってきたと言ってよいのではないか、と考えている。
第一に、先の通常国会で成立した「独立行政法人通則法」を、国立大学にそのままに適用することは出来ない、ということについては、恐らく、全ての関係者の意見は合致している、ということである。そしてこれは、私自身、ジュリスト論文で指摘したところでもあった。
しかし第二に他方で、国立大学が何らかの形で独立の法人格を得ると言うこと、すなわち、もはや現行のように、文部省の付属機関(施設等機関)として国家行政組織内に止まるのでなく、その外に出るという形での独立性をもつこと、自体については、これまでの議論を見る限り、必ずしも、正面からの反対が、説得的な論拠をもって行われているとは言い難いように思われる。例えば、国大協の中間報告を見ても、明確に反対されているのは、「独立行政法人通則法」のままでの法人化であって、実質的には、法人化をするとしたならばどのような条件の下でなければならないか、ということが、詳細に論じられている。そして、そこで提示されている諸条件と、文部省の具体的提案の内容とには、少なくとも決定的に対立するところは、必ずしも存在しないように思われる。その限りにおいては、国大協と文部省とで、その考え方の間に、それほど本質的な違いはないのであって、中央省庁等改革推進本部においても、両者の関係は、ほぼそのように捉えられているようである。そして仮にそうであるとするならば、現実の問題は、「通則法」を特別法によってどのように修正ないし補足したならば、大学にふさわしい独立の法人の制度設計が可能になるか、という点に、集約されることになる。
この場合に、「通則法」を修正ないし補足する特別法として、理論的には次の三通りないし四通りのパターンがあることが、はっきりとしつつある。その一つは、制度の内容自体については「通則法」のそれをそのままに適用し、ただ、個別の法人の業務の内容とか名称とかのみを別に定める「個別独立行政法人設置法」であって、中央省庁等改革推進本部においては、来年度第一陣として独立行政法人化されることが決まっている約90ばかりの機関については、通則法に対する「個別法」とは、このようなものであると考えているようである。これに対し第二に、制度の内容そのものについても、「通則法」の内容を修正する「個別独立行政法人特例法」とでも呼ぶべき個別法が、別に考え得る。この場合には、「通則法」がそのままに適用されるわけではなく、業務の内容に応じて、制度のあり方に修正が加えられるが、ただ、「独立行政法人」という基本的な構想の枠自体を外れ得るものではない、という制約が存することになる。私のジュリスト論文では、この第一第二の二つのケースが考え得ることを指摘していたが、両者を共に「個別法」とのみ表現していた。しかし、議論がここまで煮詰まってきた現在、この両者は、仮に「個別法」と「特例法」のように、用語を変えて表現した方が分かり易いように思われる。因みにこの区別は、推進本部でも採用している用語法のようであり、その場合、推進本部では、国立大学を独立行政法人化する際には、その設置法のあり方はここで言う「特例法」となるであろうこと、すなわち、「通則法」の内容自体、大学の特殊性に会わせて修正されることになるであろうことを、先の顧問会議の席で、明言している。
「通則法」をそのままに適用しないことを前提として、考え得る第三の道は、(これまた私のジュリスト論文において指摘しておいたところであるが)いわば「大学法人」とでも言うべき、大学に独自の法人制度を考え、独立行政法人の制度設計とは全く関係なく、独自の制度設計を行う道である。このケースは、仮に「大学法人法」のケースと呼ぶことが可能であろう。但し、このケースは、第四の、いわゆる民営化のケースとは異なるのであって、とりわけ「独立採算性」を採用するものではない。
なお、国大協の「中間報告」は、ここでいう「特例法」のケースの他に、「独立行政法人制度をそれとして規定する通則法とは別に、独立行政法人化の対象としての大学自身についてその理念や組織等を定める法律(“国立大学法”又は“国立大学法人法”、仮称)を制定し、両者の規定相互間で調整を要する点に関しては通則法の原則に必要な修正を加える」というケースの可能性があることを言及しているが(4頁)、これは、ここでの話との関係では、「特例法」ケースの一例として位置付けられる。
2.現実の選択肢
さて、上記の四つの道、すなわち、「個別法」「特例法」「大学法人法」「民営化」のケースの中で、現在までの議論の状況を前提とするならば、「個別法」ケースと「民営化」のケースは、我々の現実の検討の対象からは、外れるものと思われる。そうすると、残る可能性は二つであるが、この両者が基本的に異なる点は、再度整理しておくならば、次の通りである。
「特例法」ケースでは、「通則法」の定める制度の内容は修正され得るが、しかし、その修正は、「独立行政法人」の基本的な構想の枠内に止まらなければならない。そこで、このケースにおいては、何がその意味で許される修正であり、何が既に「独立行政法人」の基本構想を超え許されない修正であるか、ということが、甚だ重要な問題となる。
これに対し、「大学法人法」のケースにおいては、制度設計自体は、「独立行政法人」の基本構想と無関係に、自由に行えるが、他方で、「民営化」のケースと異なるのはどこかが、重要な論点となる。因みに、文部省案は、明らかに「特例法」案であるが、国大協中間報告がこのどちらを想定しているのかは、必ずしも明確ではない。
以下では、このそれぞれについて、検討をしてみることとする。
二 各案の検討
1.基本的視角
「通則法」を大学に適用することが適当でないのは何故か、については、先のジュリスト論文においても述べたところであるが、基本的に言えばそれは、本来、執行部門に企画立案部門たる本省からの自由を与えることによって、業務の効率化を図ろうという目的のために設計されている、独立行政法人についての様々の制度が、国立大学の場合には、むしろ逆に、従来与えられている文部本省からの自立性を制約する結果となり、大学における教育・研究の遂行上望ましからぬ影響をもたらすおそれがある、というところにある。そして、それを象徴するのが、例えば、法人の長の任命についての主務大臣の権限、中間目標の指示・中期計画の認可等の手段による、主務大臣の監督、そして、主務省及び総務省における評価委員会による評価システム、等である。そして、文部省案に見られるような「特例法」選択案は、通則法上のこういった制度自体はいわば形式的に維持しながら、その実質を、大学の自主・独立性を失わせることの無いようなものに修正していこう、という考え方であると言って良い。これに対して、「大学法人法」選択案については、未だいずこからも、その具体的な制度設計が示されてはいないため、正確なことは言えないが、基本的に言えば、上記のような通則法上の諸制度は、形式的にであれ採用することは危険なのであって、従って、通則法の定める内容から、こういった危険な制度一切を除去した制度設計を考えよう、というものであるということができよう。このことを前提として、以下、両案の利害得失について検討する。
2.「大学法人法」案
便宜上、まず「大学法人法」案の方から先に取り上げることにしたい。この道を選択する場合には、「通則法」の定める諸制度の枠に囚われる必要はないから、理論的に言えば、制度設計自体は、大学の業務(研究・教育)の固有性に即して自由に行うことが出来る、ということになる。しかし他方、先にも述べたとおり、主務省からの自由を拡大すればするほど、民営化した場合との制度的な違いがどこにあるのかが問われることになる、という点も、看過することは出来ないものと思われる。言葉を換えて言えば、一層民営化してしまうというのならばともかく、国の予算において所要の財源措置が執られるということを前提とし、また、職員の国家公務員としての身分を維持しつつ、しかし他方で、およそ組織編成・人事・業務運営の一切について国からの介入を(形式的であるにもせよ)受けない、という制度設計をすることが、政治的あるいは一般人の常識からして、受け入れられるものかどうかが問題となろう。言い換えれば、国からの自由を拡大しようとすればするほど、政治的には、民営化圧力が掛かることになりかねないのであって、その制度設計に当たっては、こういった点についても、よほど慎重な配慮がなされるのでなければなるまい。
3.「特例法」案
この案の場合には、先に見たように、「独立行政法人」という制度設計の基本的な枠組みから外れることは出来ないのであるから、何よりも問題となるのは、通則法が定める様々の個別的な制度のうち、何がこの意味での枠組みとなり、何が必ずしもそうではないか、ということである。とりわけ問題は、先に触れた、「法人の長の任命権」「中期目標・中期計画」「主務省及び総務省におかれる評価委員会による評価」の三点にあると言えよう。そこで、これらの制度は、どのような意味を持つものであるのかを、独立行政法人という法制度の本来の目的との関係から、再度検討してみることとしたい。
三 独立行政法人制度の目的とその制度的枠組み
1.独立行政法人制度の目的とその基本的骨格
「通則法」における独立行政法人制度の設計は、先のジュリスト論文においても述べたとおり、本来、企画・立案から実施に至るまで一体として行われていた行政分野において、実施部門に独立性を与えることによってその効率化を図ろうという目的の下なされている。従ってそこでは本来、第一に、企画・立案機能と実施機能とがかなり明確に分け得るということと、更に第二に、現行制度の下では実施部門に独立性が与えられていない、ということが前提となっているのであって、国立大学の場合にはもともとこの二つの要件が備わっていない、というところに問題がある。このことは、既に様々の論者が指摘しているところである。但し、今回の独立行政法人制度の導入自体には、こういった「効率化」の観点と並び、更に第一次的な目的としての「国家行政組織の減量化」という目的があるのであって、そういった観点からは、国立大学の場合も、この制度の対象として、射程距離の中に入らないこともない、といった関係にあることは、先にジュリスト論文で指摘したとおりである。
但し、「通則法」の制度設計自体は、むしろこの「効率化」の観点が中心となって出来上がっているのであって、そのような観点からみる限り、その本質的構造は、次のようなことになる。 第一に、主務大臣が、法人の長に大幅な自由を与えることにより、いわば長の才覚により、その責任において、業務の効率化を図ることとする。第二にしかし、その場合にも、国の行政の一環として位置付けられる業務である以上、主務大臣が、全く責任を放棄することは出来ないのであって、従って、業務運営に対する個別的な指揮監督は行わないにしても、業務の運営についての基本的な目標を予め与え、かつその目標が達成されたか否かについての事後評価を行うシステムは、これを確保する。第三に、所要の財源につき国の予算による措置を行うが、その支出については基本的に法人の自由に委ねるものである以上、適正な支出がなされることを担保するための手段が、何らかの形で、主務大臣に残されていなければならない。先に挙げた、三点セットすなわち「長の任命権」「中期目標・中期計画」「事後評価」という諸制度は、まさにこういった目的を実現するための制度として、今回の「通則法」の制度設計においては、いわば、その基本的な骨格を成す部分であると言わざるを得ないのである。この点に関して、文部省の「検討の方向」では、次のような説明をしている(「検討の方向」(3))。曰く、
「独立行政法人制度は、国の事前関与・統制を極力排し、事後チェックへの重点の移行を図ることにより、各法人の自主性・自立性を高めようとするものであるが、その一方で、行政の一端を担い、こう財政支出により支えられることに伴う国としての必要最小限の関与は避けられず、このため、
(1)主務大臣による中期目標の指示、中期計画の認可は、唯一の事前関与のシステムであること
(2)主務大臣による中期計画の認可は、予算の弾力的な運用が認められることの前提条件と解されること
(3)主務省におかれる評価委員会による評価は、事後チェックの中核的なシステムであること
(4)中期目標期間終了時における主務大臣による検討は、行政責任を負う主務大臣としての事後チェックであること」
そして、このような理解はまた、恐らく、推進本部の理解とも一致するのではないかと推測される。
2.三点セットと国立大学
では、こういった制度的枠組みを前提としながら、国立大学の業務の固有性に適合した制度設計を考えることは、果たしてまた如何にして可能であるのか。
この点についてはその間、東京大学法学部の山本助教授が、ジュリスト8月号誌上で、「個別法で通則法に大幅な修正を加えることは、立法形式の濫用であって、許されない」との考え方を示された。この点については、私は、次のように考えている。問題はもとより、何がそこでいう「大幅な修正」に該当するか、というところにも存在するが、更に加えて、先に私のジュリスト論文においても指摘したとおり、今回の「通則法」においては、今回我が国における独立行政法人制度導入の背景にも鑑み、業務の固有性に応じた修正を加えることを、法律自体が前提しているというべきなのであるから、山本助教授の指摘されるような問題は、一般論としては存在するものとしても、私がここで立てるような問題の意義自体を否定することにはならない。と同時に、現下においてまさに必要なのは、山本助教授のような一般論ではなく、まさに私がここで問題とするような点について論じることなのだ、と私は考えている。
さて、先の私のジュリスト論文では、ここでの問題に関して、具体的に二つばかりの点を指摘しておいた。その一つは、長の任命権に関する問題であって、仮に独立行政法人となったとしても、現行の教育公務員特例法の適用は廃止すべきではなく、長の任命は、大学管理機関(評議会)の申し出に基づき大臣が行う、というシステムを維持すべきである、ということである。この点については、現行制度の下でも任命権者は大臣であるにもかかわらず、大学の独自性を考慮してこのような手続となっているのであり、また、その手続の運用についても、長年にわたる慣行が出来上がってきているのであって、大学の固有性を考慮すれば、通則法の定める任命権の行使につき、このような手続上の補足を加えることは、当然許されるものと考える。私が指摘した第二の点は、中期目標・中期計画という制度が前提としている「業務の効率性」ということにつき、大学の研究・教育における「効率性」というものは、許認可事務や検査・検定事務などの「効率性」とは性格の異なるものであって、従って、中期目標・中期計画の内容についても、このことを前提とした修正が加えられなければならない、ということである。そこでも指摘したように、「通則法」自体「この法律及び個別法の運用に当たっては、独立行政法人の業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない」と明文で定める(3条3項)ほか、政府の「中央省庁等改革の推進に関する方針」においては、中期目標について「なお、独立行政法人の業務の性格に応じた目標の設定となるよう特に配慮するものとする」と明言されているのであって、こういった修正を加えることが、独立行政法人制度の骨格を否定するとか立法形式の濫用になるといったようなことは、全くないものであると考える。
私が先に具体例として指摘したのは、ほぼこういったことであったが、更に今回の文部省案では、中期目標の策定、そして評価機関による評価に際して、文部大臣や主務省の評価機関が、一方的な判断でこれを行うのではなく、大学の研究教育の自主性・自立性を担保するため、中期目標については各大学の、そして、評価については、大学評価・学位授与機構(仮称)の専門的な判断を踏まえて行うことにする等を提言している。そしてこの提言は、国大協の中間報告が指摘しているところとも、ほぼ一致している。こういった提言はいずれも、通則法が定めている各機関の権限の行使について、通則法自体は直接に定めていない手続の上での整備ないし補足を行おうとするものであって、法的にみて、独立行政法人の制度の枠内において大学の業務の固有性に応じた修正を加えるものとして、十分考え得る一つの構想ではないかと考えられる。その場合、もとより、こういった手続上の制約を課することが、実質上、主務大臣が権限をもつことの意味を否定することにならないか、という問題は、残るであろう。しかし、ジュリスト論文以来繰り返し指摘してきたように、国立大学の場合には、そもそも、その業務運営に対してもともと主務大臣が広く監督権を有してきた他の行政分野とは異なり、少なくとも、研究・教育のあり方に関しては、文部本省は指揮監督を行わず、指導と助言に止めることとされてきたのであって、その意味において、通則法が本来の対象としている筈の行政分野とは、異なった性質を持つ任務・課題を担わされているのである。このギャップを制度的に埋め、両者の要請を調整しようとするならば、少なくとも先に述べたような制度の修正は、どうしても必要となるのであって、国立大学を独立行政法人化しようとする以上、政府においても、ここのところは何としてでも理解されるのでなければならない。
四 問題をめぐる政治的情勢
上記を踏まえた上で、我々がどのような道を選択すべきかについては、この問題をめぐる政治的な情勢ないし条件についても、充分に目を配っておく必要があるのではないかと考える。それは、この問題についての最終的な決定をするのは、実は、文部省でもなくまた政府でもなく、国会なのであるから、そこでの議論がどのようなものとなるであろうかについて全く度外視した立論をすることは、問題が我々にとって極めて重大な問題であるだけに、甚だ危険であり、また、その意味において、無責任な判断となるおそれがあるからである。
まず第一に、政府の政治的スケジュールとの関係において、この問題の検討が、少なくとも基本的な部分については、来年の概算要求時までに終わっていなければならない、という先のジュリスト論文で指摘した状況は、今日でも全く変わってはいない。敢えて言うならば、状況はむしろ、実質的に、更に切迫したものであるかも知れないのである。何故ならば、この問題が政治的な論議の正面に浮上してくるのは、事実上、それよりも早い時期であるかも知れないからであって、すなわち、政府は、次期通常国会に、現在の定員法の改正を提案する予定でおり、この段階で既に、国立大学の独立行政法人化はどうなるのか、についての議論が、政治上浮上してくる可能性がないとは言えないからである。もとよりこの改正自体は、差し当たって2001年1月6日からの省庁再編に対処するものであって、当面国立大学の独立行政法人化とは直接の関係はない。しかし、その審議の過程で、その先どうなるのか、が、政治的に取り上げられる可能性は、決してないとは言えないのであって、仮にそうであるとすると、法案提出は3月であるから、早ければ既に来年の4月5月頃には、この問題が政治レヴェルでの議論の対象となっている可能性が十分にあるのである。その場合に、大学側及び文部省の基本的な考え方が定まっていないならば、政治レヴェルでどのような既成事実が積み上げられて行くか、甚だ危惧されるものがある。
第二に、仮に我々が、法人化につき「NO」との結論を出した場合、あるいは、法人化はするが、独立行政法人にはならず、独自の大学法人の道を選ぶ、との結論を出した場合に、どのような事態が予測されるであろうかについても、検討をしておかなければなるまい。
まず、およそ法人化を否定し、今後とも、国の直営、すなわち、文部省の付属機関として止まる、という道を選択した場合には、どうなるであろうか。この場合にまず考えられることは、定員の10パーセントを越える大幅削減である。何故ならば、この場合、小渕内閣が公約している、平成13年度から10年間で、独立行政法人への移行分も含めて公務員定員の25パーセント純減というプランは、(もし国立大学が法人化せずそのまま残るとすれば、独立行政法人への移行分を見込んで当初の10パーセント削減に上乗せされた15パーセント分を達成することは、到底不可能であるから)法人化せず残った部分についての削減を10パーセントより上乗せするのでなければ、実現不可能となるからである。その場合、当初計画で立てられた10パーセントという数字自体についても、これは、トータルで10パーセントということであって、全ての分野から均等に10パーセントずつということではないから、これまでの度重なる定員削減において優遇されてきた大学教官については、大幅な削減率の上乗せがあっても不思議ではないのだということにも留意しておかなければなるまい(試算では、30パーセントほどになる、という指摘もある)。
次に、国家行政組織の外には出るが、如何なる形であれ独立行政法人という枠内に止まることは拒否し、固有の大学法人となる、という結論を出した場合にはどうか。この場合に、最も危惧されるのは、先にも触れたように、民営化との違いを、上手く説得することが出来るかどうかであって、金だけを国からフルに出させて、あとは全ての点で自由を獲得する、といった構想が、私立大学をも含め、政治家そして国民一般から支持され得るかどうか、かなりの不安がある。不幸にして、この不安が仮に的中したとするならば、そこで出てくるのは、民営化への圧力であるか、あるいは、国の予算による財源措置の、大幅な縮減であろう。
おわりに
以上をもって、取り敢えず、私の話を終わらせていただきたいが、最後に、以上を踏まえて、現下において我々がこの問題につきなすべき判断として、私自身が考えていることを、整理して述べておきたい。
第一に、国立大学の何らかの形での「法人化」は、全ての情勢を総合して考えるに、恐らく避けることはできない。
第二にその場合、我々が採るべき道は、およそ民営化を考えないのであるとすれば、「特例法」案か、「大学法人法」案かのいずれかである。
第三に、「特例法」の道を選択するのであれば、当面、文部省案をベースとして、より詳細な検討を進めるべきである。文部省案は、特例法案としてはよく考えられていると思われるが、ただ例えば、内部組織に関して、「教育研究組織のうち学部・研究科・付置研究所等は、各大学の業務実施上の基本組織として法令に規定する」とある点などは、内部組織の自由な改廃の余地を限定するものであって、独立行政法人化することの本来の意義に照らしそれでよいかどうか等、なお検討すべき点が残されている。
第四に、「大学法人法」の道を選ぶのであれば、早急に、その具体的な制度設計を明らかにする必要がある。その際、独立行政法人の構想に乗らないことに伴う様々の外的圧力の可能性に留意するとともに、仮に検討の結果において、独立行政法人案と近いものになり得るのであれば、小異を捨てて、「特例法」案との大同の道を探ることをも憚るべきではない。