一 はじめに
この度、日本法律家協会東北支部の総会において、何度目かの講演をお引き受けすることになった。これは、この4月の私が出席できなかった役員会で、欠席裁判により決められたことであるが、その趣旨は、目下行われつつある国の行政改革に、私が昨年来深く関わって来たことから、そういう関係の話を何かせよ、ということのようである。私は、本来人前で講演をすることはあまり好きではなくて、これまでも、大方の依頼はお断りしてきたのであるが、こと今回の行政改革に関しては、立場上、他のことどもとは異なる社会的な責任を感じていることと共に、私共がやってきたことについてのPRをする機会でもあると考え、原則的に、各方面からの講演依頼を、可能な限りはお引き受けしてきた。ただ、現在の段階になると、その間こういった講演その他を通じて、既に多くのことを語ってきたので、私自身としては、もう改めて新しくお話をするものも余り無いような気がしている。ただ、今回の話は、行政改革であって司法改革ではないので、法曹関係の方々には、直接には影響の無いことでもあり、或いは、その間の事情等にも、余り直接の関心を持たれてこなかった向きもあるのではないか、と思い、取り立てて新しい話にはならないであろうが、ともかくも、この1年半ばかりの体験の中から、つれづれ話のようなものでもさせて頂こうか、というわけで、本日の演題となったわけである。
ただ、よもやま話といっても、酒の席ではないから、例えば橋本総理の頭は、ポマードべったりなのかそれとも自然の癖毛か、といったようなミーハー話をするわけにも行かない。考えた末に、今日は法律家の集まりであるから、今回の経験を、いわば「政治」の過程における「法」ないし「法律家」の意味・役割、といった見地から、一度眺めなおしてみようか、と思った次第である。
1.中央省庁等改革(内閣法・国家行政組織法・各省設置法等々の改正)の動き
そこで本論にはいるが、まず、通常「中央省庁再編」といわれている今回の行政改革とは、法的には何を意味するか、ということの確認をしておきたいと思う。「中央省庁再編」というのは、政治的にはともかく、法的に見れば、要するに、内閣法、国家行政組織法、そして各省設置法という、国家行政組織のあり方に関する基本的な法律の大改正を意味する。そしてこれに、更に、独立行政法人通則法、そしてそれに基づく、数々の独立行政法人設置法という、新たなタイプの法律群が制定されることにもなる筈である。こういった大改正作業が、どのように進んで来、又、現在進められようとしているかにつき、簡単に振り返っておくと、次のような経緯である。
一昨年(平成8年)9月に、第二次橋本内閣が発足したが、その際、橋本氏は、中央省庁の数を2001年までの間に、現在より半減すること、その具体案を策定するために、総理直属の機関として各界を代表する識者から成る、審議機関を設けること、その審議に基づき、一年間で成案を得、平成10年の通常国会に、必要な法律案を提出すること、等を、公約されたのであった。
この公約に基づき、同年12月に、当時の橋本総理を会長とする行政改革会議が発足。数多くの審議を重ね、昨年の8月には四日間の集中審議を行い、同9月には、中間報告を発表したこと、そして、その後の調整を経て、昨12月には、行政改革会議の最終報告が、正式に行われたことは、マスコミ等で盛んに喧伝された通りである。
その後の経過については、もはや、マスコミに登場することは少なくなったが、簡単に触れると、この最終報告に基づき、政府は、「中央省庁等改革基本法案」を作成し、本年2月に国会に提出。この法案が、通常国会の会期切れ直前、本年の6月に、「中央省庁等改革基本法」として、正式に成立するところとなった。この法律は、改革の基本方針を、行政改革会議の最終報告に沿って、かなり詳細に定めるとともに、この方針に基づき現実に改革を進めるために、政府に「中央省庁等改革推進本部(本部長・内閣総理大臣、本部員には、全閣僚がなる)」を置くべきことを命じている。これに基づき、7月には、同本部が発足し、現在、内閣法、国家行政組織法等々の具体的な改正案作りが、その事務局において進められているわけである。推進本部は、今後三年間にわたって、基本法に沿った、法的・行政的改革を進めて行くことになるわけであるが、まず第一に、次期通常国会(平成11年1月−6月)に内閣法・国家行政組織法・各省設置法、といった重要法律の各改正案、そして、独立行政法人通則法なる新規の重要法案を提出する予定となっている。これらの法律案が国会を通ることを前提として、平成13年(西暦2001年)1月には、新たな省庁システムへと移行することが予定されている。
2.私自身の関与
こういった経過の中で、私自身は何をやってきたのか、ということであるが、一昨年(平成8年)の11月に、突如官邸から電話があって、行政改革会議の委員への就任を依頼されてから、本年6月末に行政改革会議が解散されるまで、同委員を務めてきた。委員は、全部で15名で、その中、会長の橋本総理、会長代理の武藤嘉文総務庁長官(その間、佐藤孝行氏、小里貞則氏、に変わる)及び、事務局長の水野清氏、の三人が政治家。飯田庸太郎氏(先行していた行政改革委員会委員会長)、諸井虔氏(先行していた地方分権推進委員会の委員長)、豊田章一郎氏(経済審議会会長)、の三人が財界出身。芦田甚之助氏(連合会長)が労働界代表。川口幹夫氏(NHK会長)、渡辺恒雄氏(読売新聞社長)、の二名がマスコミ代表、そして、更に、有馬朗人(物理学)、猪口邦子(国際政治学)、河合隼雄(心理学)、塩野谷祐一(財政学)、という各分野出身の学者四人と並び、憲法学の佐藤幸治氏と行政法学の私が、法律家としてただ二名、メンバーに加えられたのであった。
審議が進む課程で、法律家の二人は、次第に重責を担わされるところとなった。すなわち、昨年(平成9年)7月から、企画・制度問題小委員会・機構問題小委員会という二つの小委員会がおかれ
委員はいずれかに属することになったが、佐藤氏は前者の、そして私は後者の、それぞれ主査に任命された。前者は、内閣機能の強化の他、行政改革の理念、公務員制度、地方自治、等の項目を担当し、後者は、国の行政の減量問題を含めた国家機能論及び、省庁再編案を担当するものである。主査は、当初はそれぞれの小委員会の座長のみであったが、その間、本会議においても、審議テーマに応じて、この二人が、実質上の座長を務めざるを得ない羽目となった。その結果が、中間報告、そして最終報告のとりまとめを、会長代理(武藤・小里)、水野事務局長と共に、四人で行うことになる。
行政改革会議そのものは、先にも触れたように、本年6月をもって解散したのであるが、基本法の制定に際し、推進本部が、本当に基本法の趣旨に即した改革をするかどうか、省庁等の圧力によって、改革が腰砕けになりはしないかを監視する、第三者機関を設けるべきである、という声が高まり、結局、衆議院の特別委員会の付帯決議に基づき、推進本部に顧問会議なるものを設けることとなる。私は、佐藤氏と共に、橋本前総理から、是非共この顧問に就任して欲しいとの懇請を受け、随分悩んだのであるが、行政改革会議での審議状況等をつぶさに体験している者としては、他に適任者も無いということで、佐藤氏と相談の上、結局お引き受けすることになった(因みに、行政改革会議の委員の中で、引き続き推進本部の顧問となったのは、佐藤氏と私の二人だけである)。この顧問会議は、経団連会長の今井敬氏を座長とし、佐藤氏と私とが座長代理ということで、現在月に二回程のペースで、事務局が検討した改革方針案につき、意見を述べる、という作業を行っている。今月末には、推進本部としての方針案が決まり、来月からは、いよいよ具体的な法改正案の検討が始まることになる筈である。顧問会議のメンバーは、以上の三名の他、石原信雄氏(元内閣官房副長官)、高原須美子氏(元経済企画庁長官、現セリーグ会長)、その他、財界、労働界、マスコミ関係等からの代表者で、計9人でやっている。当初は堺屋太一氏も入っておられたのであるが、小淵内閣で経済企画庁長官として入閣されたので、こちらの方は辞められた。
二 法と政治の狭間で考えたこと
さて、こういった過程の中で、図らずも私は、何人もの政治家や財界人その他、これまで余り接触することの無かった世界の人達と触れ合うこととなり、又、大きな政治的イッシューともなった制度改革のただ中に身を投ずることとなった。そしてその間、「法」とか「法律家」といったものが持つ意味ということにつき、色々と体感するところもあった。こういったことの二三を、以下お話ししてみたいと思う。
1.法的に重要な法(法律家の関心の深い法)と政治的に重要な法
同じ法規範といっても、我々法律家にとって特に関心の強い法とそうでない法とがあるということは、否定できない事実であると思われる。前者は、いわば、国民の権利義務に直接の影響を及ぼす法であって、例えば、民法・刑法といった実体法に止まらず、民事訴訟法・刑事訴訟法といった手続法等は、原則としてこういったものである。行政法の分野でも、行政事件訴訟法、行政手続法、国家賠償法その他、土地収用法・都市計画法等々、行政各分野にわたり、数多くのこういった法が存在する。ところがこれに対して、間違いなく実定の法ではあるものの、法律家が、普段余り関心を持たないものもあるのであって、例えば、直接に国民の権利義務に影響を及ぼさない、先程挙げた国家行政組織法その他の組織法、更に、その具体的な規範的意味が不明確な法、例えば各種の「○○基本法」等は、まさにそういった類の法律であると言ってよかろう。これは結局、直接に裁判に役立つ法規範であるかどうかということから来る違いであって、例えば組織法に違反しているかどうかということは、現実に、裁判によって決着が付けられる機会が少ない、という事情があるからと言ってよいと思われる。このことは、裁判官や検察官、そして弁護士の方々にとっては当然のことであろうが、実は法律学者についても、ほぼ同じことが言えるのであって、例えば行政法学者の中にあっても、行政争訟法や行政手続法に大きな関心を抱いて、次々と論文等を発表したり発言する学者は、掃いて捨てる程居ても、他方、例えば行政組織法に興味を持って、日頃から研究を進めているというような者は、極めて少ないのである。そしてこれは、何も日本にのみ限られた現象ではなく、西欧諸国においても多かれ少なかれ見られる現象であると言ってよい。そういう意味では、行政組織法というのは、行政法学においては、いわば、「日影の存在」なのである。
ところがこれに対し、政治の世界では、状況がかなり違うのであって、法律家から見れば、一体このような法を定めて事態がどう変わるのか、つまりその規範的な意味がよく分からないような法律であっても、極めて大きな立法上の成果として、大々的に喧伝されることがしばしばある。語弊を怖れずに言えば、例えば、環境基本法とか土地基本法といった各種の基本法の中には、こういったものが多いということも言えよう。これに対して、法律家の目から見れば極めて重要な法改正が、全く世間の目を惹かない中に行われることがあるのも、改めて言うまでもないことである。
ところで、こういった意味での、いわば「政治的法律」の中にもまた、様々のものがあるように思う。例えば、ともかくそういう法律を定めた、ということ自体が、政治的なPR効果を持ち、政治家のいわば「業績」となる、といった意味で、政治家が大きな関心を持つ、といった類のものがある。これまた語弊を怖れずに言えば、特に議員立法の中には、この種のものが時折見られる、ということは否定できまい。これに対して、さして、政治的に大きく人目を惹くというわけではないし、また、その規範的意味からして、法律家の関心を惹く、というものでもないが、しかし、その実際上の政治的効果には、極めて重要なものがある、というものがある。例えば、この度成立した「中央省庁等改革基本法」などは、その典型的な例であるように思われるのであるが、いずれにせよ、こういったような意味で、「政治」の中における「法」というものの意味には、我々法律家が普段慣れ親しんでいる世界におけるのとはまた、やや異なったものがある、ということは否定できない事実なのである。
そこで、以下では、ここ二年弱の期間、いわば「政治」と「法」の両世界の狭間にあって、見聞きした事柄の中、こういった見地からして印象深かったいくつかの体験を、「行政改革会議の性質と機能」及び「中央省庁等改革基本法の性質と機能」という問題を中心として、お話ししてみたいと思う。
三 行政改革会議
1.法的根拠の軽さと政治的重み
行政改革会議は、世間的にも極めて有名になったが、その法的性質がどのようなものであるかについては、余り詳しく理解されてはいないのではないかと思われる。
「法的根拠の軽さ」と書いたが、これはこういうことである。この会議は、その組織法上の類型としては、国家行政組織法8条でいう「審議会等」に含まれるのであるが、その法的根拠の上で見るならば、他の重要な審議会等に比して、さほど重みのあるものではない。すなわち行政改革会議は、政令に基づき、総理府組織令(府令)の一部を改正(総理府に置く審議会等についての別表中に追加)することによって置かれたものであって、直接法律に基づき設置されたものではないのである。このことは、先行していた行政改革委員会並びに地方分権推進委員会と対比した場合には、極めて顕著な違いであって、これらの先行二委員会は、いずれも、村山内閣の下で、独立の法律に基づき設置されている(平6「行政改革委員会設置法」及び平7「地方分権推進法」)。従ってまた、これら両委員会の委員の任命については、これらの法律によって、国会の承認が必要であるとされているのに対し、行政改革会議の委員の場合には、そうではないのである。そういう意味では、行政改革会議の方は、他の両委員会に比して、国会による民主的正当化という点において、むしろ、劣る組織である、ということになる。これが、実は、行政改革会議の中間報告が出された後、その内容にショックを受けた族議員達から、あのように民主的根拠を欠く組織に、これほど重要な事柄の決定を委ねて良いのか、といった批判が出て来る原因ともなったのであった。
(因みに、この三委員会(会議)の役割分担・相互関係がどうなっているのかについては、素人にはなかなか分かり難いものがあると思われるので、相互関係が特に分かり難いと思われる点に絞って、極く簡単に説明しておきたいと思う。詳細は一切省くこととして、三委員会とも、国の行政のスリム化を目指すものである点では共通した任務を負わされている。ただ、先行する二委員会は、いずれも、国の行政作用の減量そのものの方策を検討するものであって、その中、行政改革委員会は、いわば、国の行政の、民間への事務移譲の可能性を探るのに対し、地方分権推進委員会は、国の行政の地方公共団体への事務移譲を目指すものである。これに対して、行政改革会議は、こういった先行する二委員会の作業の結果を受けて、減量成った国の行政事務をどのような組織編成の下行わせればよいか、という、組織上の減量のあり方を探るものである。ただ、本来あるべきこの分業が、時系列の上で、必ずしも完全には、この理論的な相互関係通りに行かなかったこともあって、対世間的には、やや説明が分かり難いこととなった、という面は否定できない。)
ところが他方で、その審議結果の政治的重みという点からは、行政改革会議は、先行する両委員会よりは、はるかに大きなものを持つこととなった。そしてそれは何よりも、行政改革会議の場合、内閣総理大臣が会長、会長代理も現職の閣僚(総務庁長官)である、といった、その構成の政治性にある。このような組織構成である以上、行政改革会議の決定は、即、内閣総理大臣の政策決定に結びつくことになるのであって、先の両委員会の場合に、内閣総理大臣は、委員会からの答申に対してこれを「尊重する」義務を負わされているに過ぎないのとは、大いに異なる。
2.審議会としての機能の限界と政治的実効性
ところが他面、行政改革会議のこういった政治性は、その審議会としての機能の限界、ということをも帰結するところとなる。つまり、会長が、同時に内閣総理大臣であり、同時にまた与党自民党の総裁として、いわば三位一体であるのであるから、橋本竜太郎氏は、同時に三つの組織の決定に縛られることになるわけであって、このことはまた、行政改革会議として、他の二組織(政府及び与党)の決定と矛盾する決定は、現実問題として行えない、ということをも意味する。
このことが、行政改革会議としては、最終報告を作成するに当たって、非常に大きな制約となったことを否定できない。「中間報告」を発表して以来、これに対する、各省庁及び族議員、そして官公労等からの政治的抵抗には、極めて大きいものがあった。これはマスコミでも随分報道されたが、とりわけ、中間報告で、国土開発省と国土保全省を分けたことによって、その組織を分割されることになる建設省、それから、その組織の母胎そのものが無くなり、また郵政事業も民営化へ向けた改革がなされる郵政省関係からの政治的巻き返しには凄まじいものがあった。これが、自民党のみならず与党三党の意向として主張される限りにおいては、それとの調整を経なければ、行政改革会議として最終報告を出すことはできない(そうでないと、会長である橋本総理を、政治的に追い込むことになる)。そこで、こういったいくつかの、政治的イッシューとなった事項(上記の他、例えば、防衛省問題、また、省名問題等)については、会議として、会長たる総理に一任、と言うことにせざるを得なかったのである(いわゆる「マル政」事項)。そして、総理の手元で、自民党そして与党三党との調整がつくまでの間は、行政改革会議としては、ただ、その結果を待つ以外にはない、という状況になった。昨年11月に、最終報告に向けての集中審議が行われた際、最終日の審議がもつれ込み、翌日にも未だ決着が付かず、翌々日の午前2時過ぎにようやく最終結論が出た、という事態となった。この経過は、マスコミ等でも報道され、「委員の中には、こうなれば死人の一人や二人出ても致し方ないという過激な発言も飛び出した」等報道されていたが、実はあれは、決着が付かなかったのは、専ら政府・与党の方であったのであり、行政改革会議は、ただひたすらに、その結果が出るのを待たされていたのである(因みに、あの過激な発言をしたのは、有馬朗人氏)。
しかし他方、こういった政治的調整を経た行政改革会議の最終報告は、極めて大きな政治的実効性を持つところとなった。すなわちまず、最終報告の内容は、殆どそのまま、政府が作成した「中央省庁等改革基本法案」となり、また、現実に法律として成立することとなった。とりわけ重要であったのは、国会での審議順位の問題であって、先の通常国会は、重要案件目白押しで、とりわけ、経済対策問題等が浮上したことにより、行政改革関係の法案が果たして成立するかどうかについては、最後まで、極めて微妙な問題があった。しかし、橋本総理の執念は、自民党そして旧与党をして、中央省庁等改革基本法は何があっても成立させる、ということとなり、その結果、国会閉会の寸前にようやく可決されるところとなったのである。これに対して例えば、同じく行革絡みで甚だ重要である、行政改革委員会の報告を基とした情報公開法案は、結局継続審議となり、現在開会中の臨時国会でも、未だ、成立の具体的な見通しが立っていない。
四 「中央省庁等改革基本法」
1.固有の法的意義の曖昧さ
そこで次に、こうして成立した「中央省庁等改革基本法」の方に目を向けてみることとしたい。
この法律は、文字通り基本法の一種であるが、通常の基本法に比べると、かなり特異な様相を呈している。すなわちそれは、中央省庁等改革の方針を示しているのであるが、その方針の書き方は、従来の基本法に比べると、相当に細部にわたっており、例えば、各省のあり方についても、かなり突っ込んだことを書いている。また、その法文自体も、通常の法律とはやや違った、作文的な色彩を帯びたものが多い。これは実は、この法律が、行革会議最終報告の内容を忠実に再現することを最大の目的として作られたものであるからである。行政改革会議の最終報告が出された後、政府は、内閣官房に、「中央省庁再編等基本法案(仮称)準備室」を設け、法案の策定に入ったのであるが、橋本総理をはじめとし、政府が何よりも警戒したことは、行政改革会議の最終報告を具体的な法律改正へと結びつける過程で、様々の政治的勢力が介入し、その成果を更に枉げるようなことになってはならない、ということであった。そこで、この準備室における法案策定のモットーは、専ら、行政改革会議の最終報告を、法律の体裁に変える、ということのみであって、それ以外の何者をも意図しないこととされたのである(「何も足さない。何も引かない。」)。
そこでしかし、この法律がそのような狙いを持ったものであるとすると、理論的には、このような法律は、そもそも何故必要なのか、という疑問が沸いてくることになる。つまり、そこで定められている改革方針が、行政改革会議の最終報告に何も付け足してはいないのだとするならば、このような法律を作らずとも、最終報告をベースとして、直接に、内閣法・国家行政組織法その他の改正案を作り、国会に提出すれば良いではないか、ということにもなる。実は、先の通常国会で、野党はこの法案に反対したのであるが、例えば民主党の菅代表が主張していたのは、一つは、こういう理屈であった。
また、この法律は、今後の改革(例えば、内閣法、国家行政組織法等関連法律
の改正案の作成)を進めて行くために、政府の中央省庁等改革推進本部を設ける
べきことを定めている。しかし、この点についても、そのような体制が必要であ
るとすれば、即刻政府にそのような組織を作ればよいのであって、何も、そのよ
うな設置の必要性を法律で別に定めなくても良いのではないか、ということにもなる。つまり、法論理からいう限り、このような法律は、そもそも無くても良い筈なのである。
2.政治的な有効性
しかし、実際には、この法律は、行政改革の推進を現実に行って行く上で、極めて大きな政治的意味を持っている。このことを万人の目に明らかにしたのが、先頃の参議院選挙での自民党の惨敗に伴う、橋本内閣の崩壊であった。
今回の省庁再編の試みは、橋本前首相が内閣の最も主要な政策として推し進めて来られたところであるが、これに対しては、霞ヶ関諸官庁はもとより、与党自民党の中にも、必ずしも快しとしない向きが存在しているのであって、こういった勢力は、ことあるごとに、改革の実質を薄め、骨抜きにしようと企てている。こういったことに対する警戒が、先にも見た、推進本部に顧問会議を置く、という方策ともなったのであるが(顧問会議の設置は、基本法自体は、必ずしも命じてはいない)、いずれにせよ、橋本前首相の個人的思い入れと、総理大臣自らのイニシアテイヴによる改革であるということの政治的重みが、こういった反対勢力に対する何よりも大きな重石となっていたことは否定できない。先にも見たように、基本法は、前国会の最後に、極めて困難な会議日程の中を、橋本氏の執念で、何とか成立することになったのであるが、橋本氏は、その直後に政権の座を去ることになることは、全く予想されていなかったようではあるものの、ここでこの法律を成立させておかなければ、継続審議になった場合には、その成否は必ずしも確実ではない、という恐れを持っておられたのは確実であるように思われる。それは、今国会の焦点が、まさに経済対策関連法に収斂している(つまり行政改革は、既に、政治的に最重要イッシューとしての座を失っている)ことを見れば、まさに正しい認識であったというべきである。このような事態の下で、仮に、今残されているのが行政改革会議の最終報告のみであり、そして、これに基づいて、政府が内閣法や国家行政組織法の具体的な改正に手を着けるべきである、という政治的な責務だけであったとしたならば、恐らくそのような作業は、少なくとも、ずっと後回しの作業となり、その間には風化していく運命を辿ったかも知れないのである。これに対し、現在、基本法が成立したことにより、現に推進本部が設置され、この組織は、政権の交代にも関わらず、制度として残り、活動を続けている。そして、改革の基本方針も、基本法で明確に定められている以上、例えば、各省庁が、今この方針に反対の立場をとったとしても、それは、明確に法律違反である、ということになるのであって、これは、単に行政改革会議の最終報告に沿わない、ということとは、その政治的意義が、大いに異なる。
例えば、こういった意味において、現在極めてシリアスな問題となっているのが、国の行政事務とりわけ直轄公共事業の、地方への移譲、という問題である。「最終報告」及び「基本法」は、国の行政の減量につき、基本的には、規制緩和の推進による民間移譲と、地方分権との二大方針を掲げている。そして、その具体的内容として、例えば、国の直轄公共事業の地方への移譲ということを明示している(例えば、国土交通省についての、22条五号の規定を参照)。ところが、これに対し、建設省・運輸省等の公共事業官庁は、未だに、国と地方との間の権限配分は、従来通りのものが最も合理的である、として、地方への権限移譲に応じようとしていない。そこで、この問題をめぐり、現在、地方分権推進委員会とこれらの省庁との間に激しい論争が繰り広げられているのであるが、私の考えでは、これら省庁は、このように現状維持の主張をする限りは、基本法の規定に明確に反する主張をすることになるのであって、何故そのようなことが許されるのかを、十分説明する義務を負わされることになる筈なのである。「法律違反」ということの持つ意味は、行政諸官庁の間においてもまた、いうまでもなく、単なる「政府の改革方針違反」ということよりは、遙かに重いものがある。
五 おわりに
さて以上、とりとめもない話を続けてきたが、最後に、今回の体験を通じて私なりに感じた、行政改革過程(或いは一般に政策決定過程)における法律家の役割ということについて、お話ししてみたいと思う。
今回の行政改革会議において注目されることの一つは、そのメンバーとして、法律家は曲がりなりにも二人選ばれたものの、テーマが行政改革という、それ自体は政策決定の問題であったにも拘わらず、政治学者は、行政学者も含めて、一人も選ばれなかった、ということである(尤も、猪口邦子氏は、国際政治学者であるか、彼女が選ばれた理由は、行政改革についての専門家ということとは異なる)。このことは、学界においても不思議がられ、とりわけ、佐藤・藤田という、いわゆる書斎派の学者であって、従来、こういった政策決定過程には余り縁のなかった者が選ばれたことには、大方の方面から意外感が持たれたようである。
官邸が、何故行政学者ではなく行政法学者を選んだか、ということについて、直接橋本総理自身の口から理由を聞いたことはないが、秘書官から聞いた話では、橋本氏は、「行政学は、行政の現実がどうであるかを研究の対象とするものであるが、行政の現実については、自分の方が良く知っている。しかし、法規範・法理論については、自分も自信が無いので、ここは是非、政治学者・行政学者よりはむしろ、憲法学者・行政法学者に入ってもらいたい。」との意向であったとのことである。
しかし、こういった法律家の二人が、結局、会議の中心的役割を占めることになった、ということについては、私は、法律や法理論についての知識そのものもさることながら、それよりはむしろ、会議の進行役そして結論のとりまとめ役(座長)としての力が問われた結果ではなかったか、と思っている。利害も相互に対立する各界の分野でトップに立っておられる人達が、それぞれに主張を展開される中で、それを充分に聞いて理解し、切るべきところは切って、会議体としての一つの結論にまとめ上げること、しかもそれを、極めて限られた短時間の間にやらなければならないこと。これが、私の、最も精力を費やしたところであって、そして、総理をはじめとし、会議の全メンバーから評価され信頼を受けたのも、専ら、こういったことによってであったように思われる。つまり、それは、必ずしも、行政法の専門家としての能力が特別に評価された、ということではないのである。
こういった経験は、次の二つのことを考えさせられる。第一に、法律家は法律家として、規範論理・規範的思考を貫徹できてこそ、他の分野からも重要視される、という面もあるのであって、法律家が、なまじ「行政の現実」等に深入りして、生半可なルポルタージュのようなことばかりやっていたのでは、却って、現実の行政の役には立たない恐れもあるのではないか、ということである。第二に、法律家が、政策決定過程において役に立つのは、なによりも、座長役、という立場においてである、ということである。そこで要求されるのは、自己を抑え、他人の意見をよく理解し、切るべきを切った上で、できるだけ多くのメンバーの合意を得られる結論を探る能力である。言葉を換えて言えば、それは、いつでも、白紙に立ってものを考えられる柔軟性とでもいうべきであろうか。
さて、ここまでお話ししてきて、それが、いささかなりとも、私の自慢めいた
話になっていはしまいかを、心から怖れるものである。もしそのようなことで、
お聞きになって仮に御不快を感じられるようなことがあったとしたならば、それ
は、「行革よもやま話」とさせて頂いた、本日のタイトルに免じて、御勘弁頂く
こととして、以上をもって、ともかくも本日の責めを果たさせて頂いたことと致したい。
fujita@law.tohoku.ac.jp
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