省庁再編と国家機能論
…… 行政改革会議の立場 ……

(平成11年3月19日)
(北大立法過程研究会) 

藤 田 宙 靖



はじめに


 本日この研究会にお招き頂いたのは、私が、橋本内閣の行政改革会議の一員として、現在進行中の行政改革諸立法過程に何ほどかの参画をした、ということに鑑み、立法過程についての研究をされている皆様方から見て、ヒアリングをするに値するものとの御判断があってのことである、と考えている。その際、このような過程の、実務的な見地から見た詳細については、別に、当時行政改革会議事務局内で最も中心的な役割を果たされた、総務庁の坂野泰治氏のヒアリングが予定されているとのことであるので、私としては、むしろ、私という人間が、一人の行政法学者・公法学者として、このような政治過程の中で何を考えて行動し、また現在何を考えているか、といったことをお話しすること自体が、皆様にとっての資料的価値を有する、ということになるのであろうと考えている。

 ところで私は、行政改革会議において「機構問題小委員会」の主査として中央省庁再編案のとりまとめに当たらされたのであるが、私から直接ヒアリングをされることの意義も、まさにそこにあるものと考えられるので、本日は、行政改革会議での検討課題の中、この側面を中心としたお話に、焦点を絞らせて頂くこととしたい。その際、高見先生からは、「省庁再編論を睨んだ国家機能論」ということに焦点を当てて欲しい旨の御希望が予め述べられている。そこで、できるだけそのようにしたいとは思うが、必ずしも100パーセント御希望通りのお話となるかどうかは、確信が持てない。

 なお、行政改革会議での検討課題中もう一つの重要なテーマである「内閣機能の強化」の問題については、「企画・制度問題小委員会」の主査としてとりまとめを担当された佐藤幸治教授から、別にお話を聞かれることになっている、と、伺っている。


一 省庁再編案作成作業の前提としての枠組み


 行政改革会議における省庁再編案作成作業については、まず、その全作業の前提としなければならなかった、いくつかの条件について、理解をして頂かなければならない。


 ○ その第一は、いわば「理論上の制約」ともいうべきものであるが、すなわち、ここでの再編案は、「行政改革会議」という会議体が提言するためのものであって、必ずしも、私個人が学者としての興味・関心から作ればよいというものではない、という制約である。このことはすなわち、再編案が、橋本首相が行政改革会議なるものを設置した趣旨に沿ったものでなければならない、ということを意味する。ここから出てくる更なる前提は、以下の通りである。

  1. 省庁は再編されなければならないのであって、現状通りという「解」は無い。
  2. 省庁数は減らされなければならないのであって、現状と同じ又は現状より増やすという「解」は無い。
  3. 省庁再編案の作成に当たっては、国が担うべき行政機能は何か、についての検討が、そのベースとならなければならない。

 この三つの前提について、簡単に補足しておくならば、以下の通りである。

 橋本首相は、行政改革会議を設置するに当たり、その課題として、以下の三点を挙げていた。すなわち、1)21世紀において国が担うべき機能は何かを明らかにする、2)その検討結果を踏まえて、省庁の再編案を作成する、3)官邸機能(内閣の機能)の強化策を考える、ということである。更に、この2)については、首相は、現在の省庁を大括りし、その数をおおむね半分に減らす、という方針を、対外的に公約していたのである。


 ○ 第二に、必ずしも理論的に必然的な制約とは言えないまでも、現実上、動かし得ない前提が、いくつか存在していた。

 その一つはまず、行政改革会議なる会議体の性格から来る前提である。行政改革会議は、その法的性格としては、行政組織法8条でいう審議会等の一つであるが、俗に「首相直属の機関」と表現されたように、内閣総理大臣が会長となり、また、会長代理にも閣僚の総務庁長官(行政改革担当大臣)が就くという、その意味では、甚だ政治的性格の強い機関である。すなわち、会長が同時に総理大臣であり、また、与党の総裁であるということから、行政改革会議の出した結論が、政府ないし与党の考え方と根本的に矛盾したものとなることは、現実問題として許されない。すなわち橋本氏は、通常の審議会の場合のように、単に内閣総理大臣として審議会の答申を受け、その尊重義務を負う、というのとは異なり、会長として行政改革会議の結論に直接に拘束され、かつ同時に、政府及び与党の決定に拘束されるのであるから、両者間に齟齬が生じることは、現実問題として橋本氏の進退問題を招くことにすらなり、許されることではないのである。このことは、現実にも、行政改革会議にとって、後に最終報告をまとめるに当たり大きな制約となったのであるが、そもそもその始めより、橋本氏が自民党総裁ないし首相として既に公約していることについては、これを議論の出発点としなければならない、という事実上の前提が存在したのであった。いうまでもなく、上記 I に述べた理論的制約も、このような現実の制約の上に生じるものであった。

 現実上の制約としては更に、行政改革会議そして主査としての私に与えられた作業時間の短かさということが挙げられる。橋本首相は、行政改革会議設置後一年間で具体的な省庁再編案を作成し、通常国会に必要な法案を提出する、ということを、公約していたのであって、上記に述べた理由から、行政改革会議としては、この枠組みを前提としなければならなかった。委員の正式の任期は、1998年6月末までとされており、その限りではほぼ一年半の期間が与えられていたように見えるが、会議の冒頭に、首相は、作業は一年間で終えるのであって、残りの半年の任期は、通常国会で法案の審議がなされるに際し、参考人等として委員が意見を述べる機会があり得ることを想定してのものであるに過ぎないことを、明言されたのであった。

 しかも、全体として一年間といっても、具体的な省庁再編案を考えるために与えられた時間は、更に一層限られたものとなる。実際、事務局が策定し、また、現実にもそれに従って進められた審議スケジュールに依れば、会議の実質的な審議の開始は、1997年の1月で、それから3月末までは、いわゆる有識者のヒアリング、そしてその後、6月末までは、各省庁のヒアリングが行われることになる。従って、会議として具体的な省庁再編案の審議に入るのは、ようやく7月に入ってからである。しかも、最終報告は12月に行われるといえ、それに先立ち、秋口には中間報告が行われることが予定されていたのであるから、中間報告までの審議時間は、実質2−3ヶ月しか無いのである。そして現実には、この作業が、8月に4日間の集中審議を行うことにより、実に2ヶ月足らずで行われるところとなったのであった。


二 省庁再編案検討方針について


 このような前提の下で、行政改革会議として、具体的な省庁再編案の検討方針が決められることになったわけであるが、実質的にその作業の中心となったのは、「機構問題小委員会」の主査としての私であった。その辺の経緯について、若干の説明をしておきたい。


 ○ まず第一に明らかにしておかなければならないのは、「主査」の役割についてである。

 二つの小委員会が設置された当初(6月末)、橋本首相によって主査に依頼された作業は、「事務局と協力して、8月に行われる集中審議のための資料を整理・準備すること」であった。しかしその場合、事務局の行う作業との関係で、主査が具体的に何をしなければならないのかについては、全くといって良いほど不明であった。そして、それまでの審議経過においては、通常の審議会と全く同様、何事についても事務局が原案を作成し、会議において委員の同意を得るというパターンが展開されていたのであって、少なくとも事務局が想定していたのは、集中審議のための準備、そしておそらくは、再編案の原案の作成等についても、事務局が主体となってこれを行い、主査が、それに何らかの助言をし、チェックをする、というスタイルでの作業であったように思われる。私自身としても、自分の役回りがそれ以上のものとなることは、毛頭考えていなかったのであるが、ただ、私は、それまでの審議経過において、審議の進め方に、かなりの不安を抱いており、集中審議のための準備に責任の一端を担うとするならば、自分なりに、その点の改善に向けて積極的に動かなければならない、と考えた。

 私が抱いていた不安とは、それまでの審議が、果たして、行政改革会議の本来の課題、すなわち、先にも挙げた、「(省庁再編問題に関しては)21世紀における国家機能のあり方を明らかにし、その検討結果に基づき省庁の再編案を考える」という課題に向けて、理論的・体系的な検討を行うようなものであったかどうか、そして、このような状況の下で、果たして残り2ヶ月程度で、然るべき内容の中間報告にまで辿り着けるかどうか、ということである。行政改革会議のそれまでの審議においては、前に見たようなスケジュールの下、6月末まで、各種のヒアリングが繰り返される傍ら、一方で、いわば全くアド・ホックに、危機管理についての体制の整備の必要が問題となり、危機管理監の設置、という提案が、省庁再編案に先駆け、独立に行われるところとなった。また、例えばいわゆるエージェンシー(独立行政法人)制度の導入の可能性が、会議での審議の対象とされていた。こういった問題それ自体は、行政改革一般との関係でそれぞれ重要な事項であるにしても、これらの個別的問題が、全体としての省庁再編案の中で、どのような意義を持ち、理論的にどのような位置付けがなされ得るのかについては、全く議論されることがなかった。

 そこで私は、具体的な省庁再編案の作成に向けて行われるべき検討の道筋を、私なりに理論的に整理し、事務局に対して、今後作成・準備する各資料等は、こういった線上に位置付け、整理さるべきことを要請した。この道筋については、7月9日の行政改革会議の席で、私が作成した覚え書き(別添「藤田メモ…その1」)に基づき審議されたのであるが、この覚え書きが、橋本氏を始め委員の全員から評価され、この時点から、いわば私の主導で、会議が進展して行くことになったのである。

 具体的には、とりわけ、「水平的減量」と「垂直的減量」の区別と、そのあり方についての基本的考え方、「省庁の大括りは結果であって出発点ではない」との考え方、「共通」と「相反」の両基準の採用、といったところが、その後の検討の基盤として、承認されるところとなったといって良い。


 ○ 集中審議(1997年8月)において、私は、実質上、省庁再編問題についての審議の座長を務めることとなったが、その際の議論も、まず、国家機能論から始めることとした。

 実はそれに先立ち、私は、佐藤教授と共に、橋本総理から、「あらゆる圧力に屈せず、学者の良心に掛けて、これが良いと思われる具体案を、作成して欲しい」との、叩き台案の作成依頼を受けていた。しかしこのような試案の作成に当たっては、次のような困難が予想された。

 第一に、「学者の良心に掛けて」といわれるが、国の省庁編成をどのように行うべきかについての学問的な蓄積というものは、これまでに存在しない。その上で、学問的に間違いのないことを言おうとすれば、「ああも考えられる、こうも考えられる」というような形で、様々の選択肢を挙げることしかあり得ない。

 第二に、問題がこのように、「学問的に正しい唯一の解を見出す」という性質のものではない以上、具体的省庁再編案の作成について、(行政法学者である)私のみが特別の資格を持つということにはならない。まして、行政改革会議は、各界の代表者にして、様々の経験と一家言とを持つ人々の集まりなのであるから、こういった人々の意見を抑えて私一人の見解が優先権を持つような形で審議を進めて、議論がまとまる筈はない。

 そこで、これらの問題について、私は、次のように対処することとした。

 第一の問題については、総理の要請であるから、一応私の「座長試案」を出すこととするが、しかしそれは、その性質上、全くの叩き台であることを明らかにする。そして、叩き台である以上は、できるだけ「叩き易い」ものとするために、結論とそれを導いた理由とを、できる限り明確なものとする。「学者の良心」とは、この場合、こういった理論的明瞭性を確保すること以外にはあり得ない。

 第二の問題については、私のみが再編案を作成するのではなく、全委員にもそれぞれに自らの案を作成し、提出してもらう。本来ならば、それを踏まえた上で、「原案」という形で「座長試案」を作るべきであろうが、時間的な余裕が無いため「座長試案」(別添資料)も含め、全ての案を、中間審議の場に資料として提出する。このような考え方に基づき、7月30日の会議で、私は、全委員に、予め、それぞれの再編案を、提出してくれるよう依頼した。


 ○ 集中審議においては、私の「座長試案」(別添資料)について、集中審議の初日にその全体につき説明をし、また、若干の質疑等を受けたものの、それ以後の審議においては、これを叩き台としてこれに沿って順次検討を進めるというスタイルは、座長として、採らなかった。それは、このような方法を採ったのでは、細かい点についてまで、議論が百出し、限られた時間内で結論を出すことは、到底不可能と思われたこと、また第二に、先に述べたように、各委員には、それぞれの省庁再編案の提出を依頼してあるのであって、これらの提案を検討素材から外した形での議論を進めることは、適切でもなく、また現実に不可能でもあったからである。

 このような事情の下、私が採った方針は、まず、別添資料の「集中審議の論点整理」に示されているように、国家機能の「共通性」と「相反性」との関係につき委員間で意見が分かれているものにつき、徹底的な議論をし、結論をどちらかに決めて行く、ということであった。蓋し、先にも述べたような行政改革会議の課題からするならば、この点について結論の一致を見ることが、何よりも重要なことであり、これが可能となれば、残る問題は、いわば周辺的なことであるように思われたからである。

 そして、この方針は確かに成功したのであって、集中審議における委員間の議論は、その多くが、この問題についての極めて白熱した意見交換であった。恐らくは、四日間という限られた時間の中に中間報告案にまで辿り着くことができた最大の理由は、首相を始めとする各委員の極めて真摯かつ理性的な取り組み方もさることながら、何よりも、このような審議方針を採用したことにあった、とすら言うことができるのではないかと思われるのである。


 ○ 藤田メモ1及び2をベースとして行政改革会議では、改めて、今後の省庁再編案の作成は、まずこのような、国家機能の分類並びに各機能相互の関係についての検討を行うことから始めることが、確認されたわけであるが、この基本的方針は、集中審議を経て、中間報告の作成に到るまで、揺らぐことはなかった。

 そしてこのことは、次のような意味において、極めて重要なことであったと考える。すなわち、省庁再編については、各委員の間からも既に、折に触れては、具体的な案がペーパー等によって提案されており、そして、従前よりこの問題に関心が深い委員であればあるほど、その提案は、微に入り細を穿ち、「何省の何局を廃止し、何局と何局とを合併し……」といった形のものとなりがちであったからである。このような形の議論をいきなり始めたのでは、まず第一に、橋本首相の、「21世紀におけるあるべき国家機能の検討」という前提が抜け落ちてしまい、その結果、行政改革会議の省庁再編案そのものについても、前提となる「哲学」を欠く、という批判を免れないことにもなりかねない。また第二に、行政改革会議の15人の委員(橋本会長、武藤会長代理、水野事務局長を除けば12人)は、まことに様々な分野から選ばれているのであって、その分野においては第一人者であっても、行政改革についてはいわば全くの素人ともいうべき委員もいないではない。こういった人々の持ち味が活きるのは、まさに、このような国家機能論においてであると考えられるのであって、局レヴェルでの統廃合等は、それから先の比較的技術的な問題であり、むしろ行政改革会議以後の問題ともいうべきものである。少なくとも私は、このように考えていたし、また、現実の省庁再編作業も、そのような手順で進んできている。


 ○ なお、省庁再編に関する「組織論」についても、私はメモを提出し、それが、会議の席で、その後の議論の前提として認められたのであるが、これについては、本日は省略し、ただ資料として配布するに止める。


三 「減量」論についての若干のコメント


 ○ さて、以上の経緯を通してお分かりになるであろうように、行革会議での「国家機能論」についての議論は、各種機能の「括り方」についての議論がその中心であったのであって、そもそも国家は何をなすべきか、という、いわゆる「水平的減量論」については、正面からの議論はなされなかった(というより、正確には、その時間がなかった)。この問題については、むしろ、行革会議に先行して設置されていた両委員会の検討結果、すなわち「行政改革委員会」の規制緩和論・官民分担論、及び「地方分権推進委員会」の地方分権論を、議論の大前提とする、という理解となっていたのであって、そこに行革会議独自のものは、付け加えられてはいない。これら先行する各委員会(審議会)に、国家機能論の上で、行革会議が付け加えたものとしては、むしろ、例えば独立行政法人制度の導入等に見られる「垂直的減量」の考え方が中心的なものであったといってよいと思われる。そのことを前提とした上で、以下では、行革会議の最終報告に見られる「水平的減量」及び「垂直的減量」についての考え方に関し、(必ずしも、行革会議の委員、ないし機構問題小委員会の主査としての立場に囚われない)私個人としての立場から、若干のコメントを加えさせて頂きたいと思う。


 ○ まず「水平的減量」に関しては、先に述べたように、行革会議は、行政改革委員会の「民でできるものは民へ」という基本方針、また、地方分権推進委員会の「地域の事務は地方へ」という基本方針を大前提として採用している。そして、私自身も、これらの考え方を基本的に支持することを、行革会議の席上でも述べているし、また、「自治研究」誌上に公刊もしている(藤田「行政改革に向けての基本的視角」)。その際私は、この問題は、公法学の見地からするならばいわば、従来の我が国、とりわけ官界・司法界等に隠然として存在する、ドイツ公法学の「国家」と「社会」の二元的対立論の影響を受けた「国家Staat」の概念の克服、という問題であるとして捉えた。ところが、この「国家」と「社会」の二元論については、私自身は従来、むしろ、早急にこれを否定していわば「社会一元論」的な考え方にのめり込むことに対し、警戒する態度を表明してきたのであって、「藤田は変心したのか」という疑問が(私の教え子の中などでも)抱かれているようである。

 この問題についてお答えするに当たっては、まずその前提として、「国家」と「社会」の二元論ないし「国家Staat」の観念なるものは、どのような性格を持ったものであるか、ということについて、私の考えを理解して頂かなければならない。これらの観念は、いうまでもなく、ヨーロッパ近代の政治社会の基本構造を表現するものとして利用されてきた理論的図式であり、その性質上、いわば、一つの「理念型」或いは、傾向的なものでしかない。もともと、この図式がヨーロッパ近代そのものについてもそのままに当てはまるかどうかについては、様々な議論があるところであるのであって、ましてや、地理的・歴史的に全く異なったものを持つ我が国社会のあり方を、こういった図式のみを以て論ずること自体、無理があるものと思われる。ただ、その一方で、明治以来の我が国の知的社会において、ドイツに由来するこのような思考図式の下でエリート教育が行われてきた、という事実自体は、これを否定することができない、と考えている。

 ところで、我が国従来の政治社会構造について、私は、いわば一面での「ムラ」的構造と、「国家Staat」の観念との、奇妙な結びつきが見られるのではないか、という見方をしている(同論文参照)。そこで、「社会一元論」的な発想が、この「ムラ」的構造と結び付いたときには、これは、個人の自由を抑圧する危険を多大に内蔵した社会構造となるのであり、私の従来の警戒心は、そのような方向に対して向けられたものであった。そして、こういった問題が存在するということ自体は、現在でも、全く変わってはいないと考える。他方、「国家と社会の二元的対立論」が、「国家Staat」観の強調(すなわち、「社会」ないし「民」は、その本質上利己主義的なカオスであり、これを放っておくと個人の自由を抑圧する結果をもたらすから、これらの私的な利益に超越した存在である「国家」が、そこに秩序をもたらすことによって、個人の自由も実現される、という考え方の強調)となって出てくると、これまた個人の自由と発展性の抑圧をもたらす虞がある、という問題がある。従って、我が国の場合、どちらの考え方を採用するにしても、危険は伴うのであって、どちらが絶対に正しい方策というものではない。ただ、現在、行政改革の必要として問われている問題を、正面から考察する場合には、官界・司法界に存在する後者のパラダイムを、根本的に改変する必要があることになるのではないか、というのが、私の考え方である。


 ○ 次に「垂直的減量」についてであるが、この問題についての、行政改革会議としての基本的な考え方は、集中審議に際し私が提出したペーパー(別添資料)に整理されているので、それを参照して頂きたい。ここでは、その中で特に、いわゆる「企画・立案機能と実施機能の分離」という問題に関して、二三のコメントを加えるに止めることとしたい。


 1.まず第一に、行政改革会議の最終報告において、「企画・立案機能と実施機能の分離」は、いわゆる「垂直的減量」のための一手段として位置付けられている、ということに注意をして頂きたい。すなわちそれは、省庁を大括りすることによって、強大な権限と組織とを持った省庁(取り分け例えば、国土交通省)が誕生することになる、といった懸念に対して、そういった省庁の権限をより絞り込もうというところに根本的な狙いがあるのである。

 [尤も、この場合「垂直的減量」とは、国家行政組織全体としての減量、という側面と、霞ヶ関(本省)の減量、という意味との二つがある。「独立行政法人」の制度の導入は前者の意味を持つものであり、いわゆる「実施庁」の観念及び「地方出先機関への権限移譲」という考え方は、(国家行政組織全体の減量という見地からは、必ずしも意味を持つものではないにしても)せめて後者の見地から、中央省庁の権限を絞り込もうという狙いを持ったものである。]

 こういった意味においてまた、両機能の分離ということは、常に明確に、理論的に行い得るといった性質のものでもないし、また、そのこと自体が改革の中心的な目的となるわけでもない。


 ところで、「両機能の分離」ということ自体は、もともと、分離を通じて、それぞれの機能を適正かつ効率的に行い得る条件を整える、ということを目的とするものであって、例えば、イギリスの「エージェンシー」の発想は、まさにこのようなものであるが、我が国の今回の行政改革の場合、この意味での両機能の効率化ということは、もちろん当然に視野に入ってはいるものの、「減量」という主目的のための副次的な位置付けを与えられているに過ぎないことを理解して頂きたい。この意味において、例えば「独立行政法人」の制度は、(しばしば混同されるが)イギリスの「エージェンシー」とは、その趣旨において全く異なる制度なのである(「エージェンシー」の発想に比較的近いのは、むしろ「実施庁」の方である)。今日浮上してきている国立大学の独立行政法人化の是非、といった問題を考えるに当たっても、この視点を抑えておくことが、重要であると考える。


 2.第二に、このように、霞ヶ関から「実施機能」を取り上げてしまい、しかも、行政改革会議が他方で提言しているように、内閣機能を強化し、官僚主導でなく政治主導の政策立案システムを構築して行くということになると、そもそも霞ヶ関は何をやることになるのか、中央省庁なるものの存在意義は何処に残るのか、という問題が生ずることになる。これは、先にジュリストの対談で、小早川氏が出された問題である。

 実は、まさにこういった意味において、霞ヶ関の中堅幹部(課長クラス)連中が、現在意気阻喪してしまっており、官僚としてのアイデンテイテイーを何処に見出すかに苦しんでいる、という話を、いくつかの省庁の局長クラスの人々から聞いている。この問題に関しては、昨秋総務庁に頼まれた中堅幹部を対象とした講演において、私なりの考え方を述べる機会があった。その要点をここでもお話しすると、おおむね次のようになる。

………………………

 国が「公共性の空間を独占」し、公共の名の下に不必要過剰なことを行い、その場合の「国」の実体を担って来たのが(名目はともあれ)霞ヶ関の官僚群である、というのが、あまねく共通した、今回の行政改革の前提認識となっていることは事実である。これに対してしかし、他面、いわゆる「族議員」の名で俗に知られるように、与党(自民党)の各部会の政治的圧力が国の行政に対して如何に影響を及ぼしているか、ということも、また、広く知られた事実であることを否定できない。一体、我が国の政策決定の現実において、最高の権力を握っているのは、与党政治家かそれとも官僚か、という問題は、専門の政治学者の目から見ても、必ずしも一義的には判断できないところがある問題のようであって、それはとりもなおさず、両者のもたれ合いないし協力関係が、大きな機能を果たしてきた、という実体を、示すものであるように思われる。そしてその場合、大きな政治的マターとなるような事項を除いては、実際に、霞ヶ関が持っている影響力は、やはり強大なものがあると言って良いのではないかと考える。

 但し、霞ヶ関の官僚が、専ら自らの信念と知見だけで政策の企画立案を行い、政治家をその手足として使ってこれを実現させる、というような構造は、第二次大戦後一定時期まではともかくとしても、今日もはや広く存在する現象であるとは言えないのは事実であろう。例えば、多くのケースではむしろ、霞ヶ関官僚は、与党を始め政治的に力を持った諸グループの間で、意見を調整し、落とし所を探り、根回しをするために日々走り回っている、というのが実体である、との指摘がある(佐竹五六氏のいわゆる「リアリスト官僚」)。そうであるとすると、現実の霞ヶ関の官僚像は、必ずしも、伝統的なそれ、つまり、厳正中立にして賢明な、混沌の中に自分勝手な動きをする社会を導く「国家Staat」としての像、力強き「父親」像であるのではなく、極めて矮小化された、「取り次ぎ屋」或いはせいぜい「とりまとめ屋」像である、ということになってしまう。つまり、「国の将来を憂え、国の政策判断をリードする、真のエリートとしての誇り高き官僚像」は、もはや、少なからざる場面において、現実に期待することはできないのではないか、ということである。

 私は、真の問題は、このような「落とし所探り」の結果得られたものが、「国家公共の必要」という名の下に、正当化されて来たところにあるのであるように考える。

 先に見たような国家観の変更が仮になされようとも、およそ西欧流の近代法治国家である以上、国家行政は、国民の福祉・公共の福祉の達成のために存在するものである点においては、変わるところはない。Staatであろうが、gouvernmentであろうが、その限りにおいては、同じことなのである。問題は、誰がどうやって、この「公共の福祉」を認定するか、というところにある。この変転極まりない現代の社会において、おそらく、一握りの官僚群にその全てを行う力はもはや無く、また、国会議員が、国民の利益に拘わるあらゆる事柄の詳細に到るまで、問題を見通して判断をすることも不可能であり、また、そもそも適切ではない。そこには、「立法」と「行政」との間での、そしてまた、これらに対する「社会」「国民」の直接間接の協力が、是非とも必要なのである。行政手続とか、パブリックコメントとか、また地方分権といった事柄は、こういったことを可能にするためのツールの一つでもある。官僚は、もはや、自己の省庁に代々蓄積されてきた「公共の福祉」に関する知見や論理にのみ忠実であるのではなく、こういったあらゆる手法を駆使して、何が、現在の我が国に最も必要な「公共の福祉」であるかを、現実に即して、的確に判断すべきである。それは、政治的に力のあるグループ相互間の「取り持ち」に終わるようなものであってはならない。そして、こういった作業の上に考え得る、いくつかの政策(企画立案)を、選択的な形で、政治部門に対し、提起すべきである。このように、旧弊に囚われず、広い懐を持ち、そして、国民の福祉という高き志を持ちつつも己のなすべき役割を心得た、マネージメントの専門家、というのが、以上説明してきた「行政改革の理念」の下における、官僚像ということになろう。

………………


四 省庁再編の意義


 直前に述べたことを更に敷衍する意味で、最後に、私自身が今回の(内閣機能の強化をも含めた)省庁再編の意義をどのように考えているか、ということについて、簡単に要約し、以て本日の話の結びに代えることとしたい。


 ○ 日本国憲法は、「行政権は内閣に属する」と定め、この内閣に、議案の国会提出権(企画・立案機能)を認めているが、行政権の内部組織に関しては、国務大臣の存在と、「行政各部」の存在について言及しているに過ぎない。従って、現行のような、継続的・恒常的に存在し職業官吏によってなる組織であるところの府省制を敷くということは、少なくとも、憲法上の当然の要請であるわけではないのであって、各大臣を補佐する政治的なスタッフによって、行政各部を構成する、ということも、理論的にはあり得ないことではない。行政の政治的主導ということが理論的・制度的に徹底されるならば、むしろそれが本来あるべき姿だということにもなるのかもしれない。


 ○ 現行のような府省制の存在理由は、行政権内部における「分節Gliederung」の要請、すなわち、意思形成についてのチェックアンドバランス機能の確保、ということにある。それは、やはり、政治部門における一部利益との結びつき、選挙目当ての短視眼的政策決定に対抗して、より一般的な国益そして長期的な見地からのチェックを加えることが可能となるシステムを設けておく、ということなのである。今回の行政改革で、こういったシステムの必要性を根本的に否定することが試みられているわけでは決してなく、また、私自身も、こういったシステム自体の存在意義は、これを肯定するものである。問題はただ、こういったシステムが、長年の組織的硬直化の上に機能不全を起こし、中央省庁が、その本来あるべき枠を越えて、いわば「出過ぎたまね」をし過ぎていたのではないか、ということである。


 ○ こういったシステムの機能不全を正すために、理論必然的に現在の制度を根本的にいじらなければならないのか、ということについては、私自身は、むしろ、必ずしもそうは言えないと思っているのであって、理論的に考える限り、大方の問題は、現行制度の下でも、その運用を改めることによって、解決され得る筈である(藤田前掲自治研究論文参照)。しかし、そのような解決を待つことは、現実には、いわば百年河清を待つに等しいことであって、何らかのショック療法が必要である。今回の、内閣機能の強化をも含めた省庁再編の試みは、まさにこのようなショックを与えることによって、組織的硬直を打ち破るための一つのきっかけを作ろうということなのであって、従って、今回の新たな省庁構成が、今後再び百年も続く堅固な城壁となってしまうのでは、それは、改革の本旨に叶うものではないのである。


fujita@law.tohoku.ac.jp
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