この問題については、従来、散発的な議論及び事務局からの多量な資料の提出があったものの、行政改革会議として、正面から議論したことは殆ど無い。そこで、本会議での結論を各方面に対し説得力あるものとするためには、なお、いささか根本的なところから議論する必要があると考え、私なりに、問題の所在及び考え方の方向について、整理してみた。
一 根本的な問題 … 垂直的減量は何故必要か?
「垂直的減量」すなわちいわゆる(日本型の)「エージェンシー(独立行政法人)」制度の導入または「民営化」が何故必要なのか、については、それが国民の利益となるから、との答えしか存在し得ない。しかし、そこでいう「国民の利益になる」とは、どのような意味においてか、を更に問うならば、そこには二通りの回答があり得る。
1. その第一は、いわば、問題を総合的長期的に捉えた回答であって、国家行政機能が、国が本来担わなければならない範囲を越えて膨れ上がることによって、膨大な財政赤字を残すことになり、将来の国家機能を停滞ないし麻痺せしめまた子孫に大きな負担を残すため、このような結果を避けるためには、国家行政機能を全体としてスリムなものにしなければならない、というものである。従ってここでは、そもそも減量それ自体が(長い目で見て)国民の利益になる、ということなのであって、そのためには、目先の個別的な行政サーヴィスがある程度減少したとしても、それはやむを得ないことであり、(将来のために)国民が耐えなければならないことなのだ、との理解が前提とされなければならない。垂直的減量の問題を、こういった次元の問題として捉えるならば、減量のあり方を検討する際の着眼点としては、「民間でできるものは民間へ」というよりはむしろ、「官がどうしてもやらなければならないこと以外は、官はやらない」ということこそが重要となる。すなわちこの場合、理論的に言って、「官」が撤退した分野を「民」が引き受けるか否かは、副次的な問題なのである。
例えば、ゴミの収集サーヴィスを、各家庭の戸口まで廻ってやってもらえるならば、住民としては大いに助かることは疑いもないし、また、公共交通機関が、戸口から戸口まで運送してくれるならば、真に便利であることも間違いない。しかし今日、そのようなサーヴィスを地方公共団体に期待することが無理であることについては、何人も疑わず、ゴミは、指定された場所まで各自運ぶし、バスの停留所からは、歩いて帰宅する。この労力を厭う者は、自ら特別の負担をして、自家用車を購入するか、或いは民間のタクシーを利用する以外にはないのである。そして、仮に、この労力を肩代わりするサーヴィスが営業として成り立ち得る、と判断する者があれば、そこに新たな民業(ゴミの御用聞き)が発生することにもなるであろう。
2.垂直的減量が国民の利益となることについての、考えられる第二の回答は、対象となったサーヴィスが国民にとって欠かせないものであること自体は前提として、それを「官」がやるよりは「民」がやった方が、より効率的にできる、というものである。従って、この場合には、減量のあり方を考える際の基準は、果たして、「官」「民」いずれがそのサーヴィスを行った方が、より確実かつ効率的にできるか、というところに置かれることになる。
以上要するに、垂直的減量のあり方については、「サーヴィスそのものが絶対に必要か」という問題(仮に「必要性論」と呼ぶ)と、「官民いずれに委ねるのが、より確実かつ効率的なサーヴィスの保障となるか」という問題(仮に「効率性論」と呼ぶ)の二つがある。この両者は必ずしも理論的次元を等しくしないため、明確な区別をしておかないと絶えず議論のすれ違いを招くことになるので、注意が必要である。
二 垂直的減量についての、行政改革会議としての出発点
行政改革会議における垂直的減量論の出発点は、上記の第一の考え方(必要性論)にあること、すなわち、「官がどうしてもやらなければならないサーヴィス以外のサーヴィスからは、官は撤退する」というところにあることを、まず確認する必要があろう。これはすなわち、垂直的減量が、常にサーヴィスの効率化をもたらすというわけではなく、場合によっては、目先のサーヴィスに後退が生じることもあり得る、ということを、覚悟し、率直に認めることである。そして、そういった目先のマイナス面にも拘わらず、このような形で国家行政の体質を改善することこそが、長い目で見た場合、むしろ、より国民の利益になるのだということを、再確認することである。ここのところを曖昧にしたままの議論は、本当の意味で、国民の理解と支持を得ることはできないものと思われる。
従って例えば、民営化の是非を巡る議論にあっては、「民でもやれるか否か」の議論に先立ち、「官がどうしてもやらなければならないサーヴィスであるか否か」が問われなければならない。郵政三事業を例に取ってみるならば、現在行われているような形態での郵便事業、貯金事業、簡易保険事業等が、「官」によってどうしてもなされなければならないサーヴィスなのかどうかが、まず問われる必要がある。例えば、郵政省は、どのような僻地であろうとも宛名人の戸口まで郵便を配達しなければならないことを、郵便事業を民営化できない最大の理由とするが、このような形での配達方式による郵便事業は、本当に、今後とも「官」がどうしても行わなければならないサーヴィスなのであろうか、先に見たゴミ収集等の例にも照らして、少なくとも理論的には、再度検討する余地がある筈である。貯金事業についても、民業圧迫の問題もさることながら、今日、「官」によるこのような事業が、どうしてもなければならないものであるのかどうかが、出発点において検討されなければならない。
こういった見地においては、現行形態での郵政事業が、その閉ざされたシステムの中で効率的に行われているかどうかということは、そもそも問題とはならないのである。誤解を恐れず敢えて一つの比喩を行うことが許されるならば、例えば、デパートの過剰包装が売り上げを高め、そのデパートにとっては、営業上効果的に機能している、という事実があったとしても、それは、資源の有効利用という見地からしてそのような過剰包装そのものが本当に必要なサーヴィスなのかどうかを問う場合、何ら有意味な回答とはならない筈である。
三 「企画・立案機能」と「実施機能」の分離ということについて
垂直的減量を実際に行うための基準として、「企画・立案機能」と「実施機能」の分離という基準を採用することが、これまでの議論において、ほぼ承認されている。これは、主としては上の「効率性論」の次元での考え方であって、「企画・立案機能」と「実施機能」とを担う機関を組織的に区分して、両者をそれぞれの機能に専念させることが、サーヴィスの効率を高める、との考え方に基づくものである。そして、一般論として、このようなことが言えるであろうことは、従来の我が国の国家行政のあり方を見るとき、これを否定することができない。何よりも、実施過程での各種関連利益の既得権を考慮する余りに、企画・立案に硬直性を欠き、また逆に、実施上の効率性を充分に考慮しない法的・財政的システムが、実施過程にもまた硬直性をもたらしている、といった弊害は、両過程の組織的な分離によって、いささかなりとも改善されるであろうことが、確かに期待される得るものと思われる。
しかし他面で、この基準を金科玉条とし、垂直的減量を厳格にこの基準のみによって行おうとするならば、そこには様々の無理が生じ、かえってサーヴィスの効率性を損なうこともあり得ることは、これを直視しなければならない。そしてこのことは、各省庁のヒアリングにおいてのみならず、委員の意見中にも、しばしば指摘されているところである。
例えば第一に、「企画・立案過程」と「実施過程」とは、理念型的には二分され得るとしても、行政の複雑な過程をこの二つのカテゴリーのみで完全に分類し切るのは不可能であって、このことは例えば、「実施に係る企画・立案」といった作業もあること一つを想起すれば、既に明瞭である。また、仮に両者を理論的には分け得たとしても、現実の意思形成は両者間のフィードバックによって行われて行くのが多くの場合の実態である、ということも、否定することはできない。
従って、「企画・立案機能」と「実施機能」の分離、という基準は、本来、垂直的減量の基本的な方向付けのための一般基準であるに過ぎないのであって、全てを一刀両断できるような厳格なものではないことを、改めて確認しなければならない。しかしまた他面で、この基準を厳密に適用できないために一切の減量が行えない、といった事態も避けられなければならない。先に見たように、行政改革会議の出発点は、何よりも、国民の基本的な利益のために、国家行政を減量するところにあるのであって、右の基準が厳格に適用できない場合には、他のサブ基準を用いてでも、垂直的な減量は行われければならないのである。
四 「独立行政法人」について
独立行政法人は、「必要性論」のレヴェルでのチェックを通り、今後共どうしても維持されなければならないサーヴィスであって、しかも、国がその維持については責任を負わなければならないものであることが確認されたものにつき、更にしかし国家行政の可能な限りでの減量を計る見地から、その受け皿組織として、新たに設けられるべきものである。このような制度を導入すべきことについては、一般論としては、委員間に合意ができているように思われるが、その制度設計の具体的な内容・特徴等については、これまでにも事務局の作成に係る多くの資料が提出されているものの、本会議で正面から議論の対象とされたことは、殆ど無い。今回の集中審議においては、必ずしも、従来の国家行政活動の中何をこの組織に委ねるかということについて、具体的かつ網羅的な検討を行い結論を出す必要は無いし、またそれは不可能であると思われるが、制度設計の内容については、行政改革会議として明確な理解を持ち、その導入の是非、導入に当たっての諸条件等については、明確な結論を出しておかなければならない。
具体的な検討にはいるに先立ち、以下、いくつかのコメントを加えておくこととしたい。
1.第一に、独立行政法人は、企画・立案機能と分離された実施機能を担当するもの、との一般的な理解があるが、ただ、先に企画立案機能と実施機能の分離の問題に関して見たように、それは、絶対の基準であるわけではない。両機能の分離ということの相対性に応じて、独立行政法人の中にも、それぞれのサーヴィスの内容に応じた、様々のヴァリエーションがあり得ることは、当然の前提としなければならない。
但し、独立行政法人という組織体を設けることの趣旨に鑑みた、いくつかの共通の要素は、ヴァライエテイの中にも厳として存在する筈なのであって、このような共通要素が何かを、明確にしなければならない。
2.第二に、独立行政法人は、国の行政組織の「中」に含まれるのか、「外」に属するのか、が問題にされることがあるが、この点についてはおそらく、「機能(ないし作用)の上では国の行政であるが、組織の上では、国の行政組織の外に属する」という説明がなされる以外にはない。行政法学上の用語を用いるならば、それは、「国」「地方公共団体」以外の「行政主体」の一種なのである。
組織の上では、それは、国の行政組織とは一線を画するのであって、そうでなければ、垂直的減量の受け皿としての意味を有さない。従って、その職員の身分も、(個別法で、守秘義務その他必要事項につき、見なし公務員規定を置く可能性は別として)、本来、国家公務員ではあり得ない。この限りでは、従来の「公団」「公庫」等の特殊法人と変わるところはないのであって、そういった意味では、独立行政法人も一種の特殊法人である、と言っても、理論的には差し支えない。
3.しかし第三に、ここで考えられている独立行政法人と従来の多くの特殊法人との違いは、はっきりとさせておかなければならない。その際まず留意しなければならないことは、「特殊法人」というのは、ある特定の組織類型を指して呼ぶ名称であるのではない、ということである。国以外の法人であって国の行政と内容的に近いものを行う組織の数々を、総務庁行政管理局が、審査及び監査の対象としているが、「特殊法人」という言葉は、これらを総括して呼ぶものであるに過ぎないのである。すなわち、俗に「特殊法人」と呼ばれる法主体の中には、公的な色彩の強いものから私的色彩の濃厚なものまで、実に多様なものが存在するのであって、「特殊法人」なるものの精確な組織的特徴を一言で表わすことはできない。
独立行政法人は、これら従来の特殊法人に存在した一面でのメリットを更に拡大し、他面でデメリットを修正したものである。従って今後、従来の特殊法人は、原則的に全て、一定期間内に独立行政法人化するか、或いは民営化さるべきものである。独立行政法人は特殊法人に屋上屋を重ねるものである、といった類の批判は、こういった事実をを全く理解しないものといわざるを得ない。
五 外局について
外局は、あくまでも国の行政組織の一部を成すものであり、従って、国家行政の垂直的減量そのものの受け皿とはなり得ない。但し、効率化論上中央省庁の機能を企画立案に純粋化しようとする際に、実施部門の組織的受け皿となり得る。但し、その詳細の検討に入るに先立ち、以下の点に充分留意しておく必要がある。
外局としての「庁」「委員会」の名称を持った諸機関の中には、現行のものの中にも、また、各委員の意見中に提案されているものにも、異なった機能と性格を有する様々のタイプのものがある(資料「外局概念の整理について」の1を参照)。これらを一括して、「庁」及び「委員会」の名称で呼ぶことが果たして適切かどうか、理論上及び国家行政組織法上、この点のよりきめ細かな整理が必要ではないかと思われる(その一案として、同資料の2を参照)。
他方、余りにも多くの種類の「外局」を設け、組織を複雑にすることは、決して望ましいことではないので、徒らに多様化しないよう留意することが必要である。
六 施設等機関(8条機関)、地方支分部局について
これらの機関についても、基本的に、それぞれの機関の性質に応じて、独立行政法人化を含む設置形態の見直しを行うべきものと思われるが、それに先立ち、またはそれと共に、様々の組織上の見直しを進める必要がある(資料「施設等機関・地方支分部局等のあり方について」を参照)。
七 現業について
ア)郵政三事業
郵政三事業については、委員間に、何等かの形でアウトソーシングすべきであるとの意見が多いが、他方、国営形態を基本とすべきであるとの意見も存在する。この問題については、これまで様々の議論がなされてきているが、そこには、次元を異にするいくつかの問題が混在しているように思われ、合理的な検討のためには、まず、これらの問題を明確に区別する必要がある。理論的に区別されるべきであると思われる問題は、当面次の四つである。
1.今回の行政改革の全体的枠組みの中で、現行の形態における郵政三事業が持つ意味。
2.郵政事業の形態と国民の利便性。
3.郵便局の組織的ネットワークの活用の問題。
4.郵政職員の処遇の問題。
以下、これらの諸問題につき、敷衍して説明する。
1.行政改革の全体的枠組みと郵政三事業
この問題は、冒頭に、垂直的減量は何故必要かについて説明した部分で、「必要性論」として既に取り上げた問題である。結論だけ再度述べれば、郵政事業の民営化の可否は、郵政事業という閉ざされたシステムの中での効率性の問題としてのみ考えられてはならないのであって、国家行政全体としての減量問題の中に位置付けられて論じられなければならない。例えば、郵便貯金事業が、それ自体としては如何に優良な金融事業として成長していようとも、それが民間金融市場を圧迫するならば、国家事業としてそのようなことをなすべきではない、という議論も、この一環である。そして、この次元での議論に限って言えば、これまでの議論を見る限り、郵政三事業のアウトソーシングを必要とする議論に対し、現行形態の維持を必要とする議論は、必ずしも説得的な反論とはなっていないように思われる。
2.郵政事業の形態と国民の利便性
この問題は、冒頭において、「効率性論」として取り上げた問題である。すなわち、現在のようなサーヴィスが何等かの形で維持されること自体は絶対に必要であることを前提として、これを国の事業として行わなければ、確実性・効率性が維持され得ないかどうか、という問題である。このレヴェルの議論として、アウトソーシングに対する反対論として出てくるのは、何よりもまず民営化によるいわゆる「クリーム・スキミング」論であるが、しかし、仮にクリーム・スキミングが避け得られない現象であるとしても、その残りの部分(例えば、僻地における郵便配達)がどうしても必要なサーヴィスであるとするならば、その部分だけ、国の事業とすること、または国の補助を行うこと、或いは、地域独占を認める代わりにサーヴィス供給義務を課す、現在の電力・ガス・水道事業等の公共事業法制に類似した制度を考案すること等、工夫の余地は未だ、様々にあるのではないかと思われる。
3.郵便局の組織的ネットワークの活用の問題
現在各地域に定着している郵便局組織を、単に現在の郵政事業のみならず、広く住民に対する行政サーヴィスの窓口組織として活用することの可能性が、アウトソーシング反対論の一環として主張されている。いわゆる「公営コンビニ」論もその一種である。地域にこのような「行政センター」ひいては「コミュニテイーセンター」のようなものの整備が必要であり、そのために、現存の組織の活用・拡大を考えるべきである、と言う提案は、従来、必ずしも郵便局についてだけではなく、例えば、派出所・駐在所の活用という見地から、警察によってもまた、行われてきている。従って、このような施設の整備の必要を前提とするとしても、それを、既存のどの組織をコアーとして構築すべきであるのか、それが必ず郵便局でなければならないのかどうか、更に検討する必要がある。とりわけ、こういった地域密着型の施設の整備は、今後、国の仕事というよりも、地方公共団体の仕事となるのではないか、という疑問があり、先に1.に見た、行政改革の全体的枠組みの中における垂直的減量論の意義に鑑みるとき、郵便局のこの意味での活用を考えるとするならば、むしろ、地方分権の可能性も同時に検討しなければならなくなるものと思われる。
4.郵政職員の処遇の問題
どのような形でのアウトソーシングがなされるとしても、現在働いている郵政職員の生首が切られるようなことがあってはならない。この意味で、効率化のための組織のスリム化は、原則として、欠員不補充の方法によって、行われるべきである。
また、アウトソ−シングされれば、職員の身分は、原理的に国家公務員ではないことになるが、「国家公務員」との肩書きが、勤務に対する意欲と誇りを維持するために必要であるというのであれば、それに代わる何等かの肩書き・名称を考案し、処遇することも考えられよう。
以上総合して、今回の行政改革の意義に鑑みるとき、郵政三事業を、将来においても絶対に現行形態のままで行わなければならない、と言う理論的な必然性は、やはり存在しないように思われる。そしてその事業内容に照らしてみれば、それ自体はいずれも、本来民間でも行い得る事業であって、理論的に言えば、行き着く先は、三事業共に民営化であろう。ただ、当面民営化のための条件が整備されるまでの暫定的な措置として、独立行政法人化を行うということも考えられないではないであろうが、その場合には、例えば、郵便事業への民間業者の参入を認めること、民営化の目標時期を明確に定めること、といった、民営化へ向けての確実な条件整備が必要になるものと思われる。
イ)国有林野事業
1.今後の国の森林行政全体、及び国有林への関与は、林産物供給機能よりも、公益的機能の発揮に重点を移すべきこと、2.国有林管理に関する実施部門については、現在の独立採算制を前提とした現業としての形態は廃止すべきこと、3.国の森林管理実施部門については、外局、独立行政法人等、とし、可能な限り効率的で主体性のある業務実施を行い得るようなものとすべきである、等の点について、委員間におおむね異論は無いもののように思われるが、別添参考メモ「国有林事業のあり方について」に整理されているような事柄を、行革会議として承認してよいか?
ウ)印刷・造幣事業
委員間には、何等かの形のアウトソーシングの必要を述べる意見が多いが、現行形態の維持を主張するものもある。今回の行政改革会議の全体的枠組みの中におけるこれら現業の位置付けを考えるとき、理論的にはやはり、最終的な民営化ということにならざるを得ないように思われる。
なお、守秘義務の問題については、医師、弁護士等、民間にあっても法律上一定の守秘義務を課せられている職種はあるのであって、法律上の手当により、組織が「官」であるか「民」であるかとは関係なく、制度上確保できるものと考える。
八 その他具体的な組織についての検討
検討を要する組織は極めて多岐多様にわたり(既配布事務局資料参照)、委員意見中にも、様々の提案がある。しかし、その全てを今回の集中審議において検討することは不可能であるのみならず、最終報告においてこの点をどうするかということ自体についても、問題がある。
ここではしかし、最も典型的ないくつかの実施業務につき、大方の結論を出しておくか?
また、少なくとも、省庁再編案の作成に当面必要となると思われ、委員意見の中にも取り上げられている以下の組織について、何等かの検討を加えておくべきか?
1.社会保険庁
2.林野庁
3.特許庁
4.気象庁
5.社会資本整備の実施事務
fujita@law.tohoku.ac.jp
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