はじめに
本日は、中央省庁の幹部ともいうべき方々の前で、「行政改革の理念」という大変大それた題目でお話をすることとなったが、このテーマは、総務庁の方から与えられたものである。そして、総務庁がこのようなテーマを私に与えた理由は、私が、橋本前首相の下、行政改革会議の一員として、いわゆる「橋本行革」についていささかのお手伝いをしたこと、そしてまた、行政改革会議の最終報告においては、その冒頭に、「行政改革の理念と目標」について、格調高く謳い上げていること、等から、いわば、「自分で言ったことには責任を取れ」ということであろうと思われる。私自身、もともと人前で講演などをするのはあまり好まず、従来は、講演のご依頼は、原則としてお断りし続けて来たのであるが、こと今回の行政改革、とりわけ行政改革会議が行った作業に関する限りは逆に、原則的に、可能な限り、講演その他のご依頼をお引き受けしてきた。それは、行政改革会議の作業が、社会的にも広く注目を集めたことに鑑み、それに関し、関係者としてより詳しい説明をすることは、ある種の社会的責任でもあるように思い、また、私共が行ったことについてのPRの意味も持つ、と考えたからである。しかしその結果、実は、私が対世間的に更にお話ししたいと思っていたことは、この一年間、何らかの機会に殆ど公にしてしまった、ということにもなってしまって、本日このようなテーマでお話しすることになっても、実は、あまり、新しくお話しすることも無いように思われるのである。
お手元に配布させて頂いた論文は、もともと、平成9年4月2日開催の行政改革会議第9回会議において発表した私の意見であるが、それに、一部加除修正を行い、一般向けの形とした上で、自治研究73巻6号誌上に「行政改革に向けての基本的視角」と題して、発表したものである。行政改革の理念という問題に関しての私の基本的な出発点は、ほぼここに書いたことに尽くされている。そこで、既にこれをお読み頂いたことがある方にとっては、本日の話の少なくとも八割程度は、もはや不要になると言って良いのであるが、ただ、本日初めてこのようなものを見る、という方も少なくないであろうと思われ、本日の話も、まずは、この論文を振り返るところから始めさせて頂きたいと思う。なお、行政改革会議の最終報告中冒頭の「行政改革の理念と目標」の部分は、実は、佐藤幸治教授の起草になるものであって、私自身が書いたものではないが、そこでは、私のこの論文の基本的な考え方と共通なものが、その下敷きとなっている。従って、以下に見るところは、必ずしも私のみの個人的な見解に限られるのではなく、行政改革会議で、基本的に共有された考え方と見て頂いて良いように思われる。
一 今日の行政改革が持つ意義
1.国家と社会の全般にわたる体質改造の中での行政改革(「この国のかたち」の再構築)
行政改革に向けての動き自体は、先進諸国のどこにでも存在しており、また、我が国でも古くから存在している。そして、今回の行政改革会議での議論の対象となった諸改革の具体的な中身についても、その多くについては、既に、第一次臨調以来、一度ならず検討の対象とされてきたところである。しかし、今日問題とされている行政改革において、何よりもまず注目しなければならないことは、それが、単に、財政赤字の解消とか、スリムにして効率的な行政、といった、財政管理あるいは行政管理の分野、つまり、専ら行政内部の問題に止まるものではなく、いわば、我が国の国家と社会の全般にわたる「体質」の改造という、大きな動きの中の一環として、意識的に位置付けられるものとなってきているということであろうと思われる。このことは例えば、実際の動きとしても、行政改革の一環として、行政組織のスリム化、権限削減、といった、行政機構内部の改革問題が論じられるのみならず、行政改革会議に先行していた行政改革委員会においては、行政手続法の制定とか、情報公開法案の策定など、いわば、行政と市民とが直接に関わりを持つ分野についての改革が、しかも極めて重要な問題として取り上げられ、また実現化されてきたことにも、既に顕れている。行政改革会議の最終報告では、このことを、司馬遼太郎氏の言葉を拝借して、「この国のかたち」の再構築、という表現を用いることによって、確認しようとしている。
そのことが意味するのはまた、今求められているのは、必ずしも行政の改革だけではなく、立法、司法、政治、そして更に、国民自身の意識・生き様等々における改革であること、従ってまた、こういった他の分野における改革が伴わないならば、ここで求められている行政改革の理念もまた、実現されないままに終わってしまう、といった性質のものであることである。行政改革の理念について考える際には、このことをまず、はっきりと認識しておかなければならないのである。
2.伝統的な「集団主義・団体主義」的国家・社会から、西欧流の「自由主義・個人主義」的な国家・社会へ
では、この意味での、「体質」の改造とは、一体、どのような意味での改造であるのか?この点については、既に、多くの者により、様々の見地から、様々の言葉によって言い尽くされてきたところであるが、私など公法学者になじみの深い言葉を用いるとするならば、いわば、集団主義的ないし団体主義的色彩の濃い国家・社会から、より自由主義・個人主義的な国家・社会への移行、ということになるであろう。これを、より詳細に説明するならば、以下の通りである。
日本国憲法の制定により、我が国においては、西欧流の近代的な市民社会の成
立を前提とした、自由主義・個人主義的国家システムの構築が行われた筈であっ
たが、現実には、日本社会に残る様々の集団主義的要素(これは、しばしば、
「ムラ」的要素とも呼ばれる)により、必ずしも、その徹底は見られなかった。
このような集団主義的要素とは、例えば、日常生活においても見られる「出る
杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」式の生活様式から始まり、「談合体質」「行政指導」「根回し」、「和」の文化、更に、「制服・校則」「お受験」、「みんなで渡れば怖くない」から、果ては、「護送船団方式」、「世間をお騒がせした」ことへの責任、「顔を潰された」ことへの憤り、に至るまで、様々な形で表出しているものであって、要するに、「個」を殺し(あるいは少なくとも抑え)、自らの運命を、いわば無条件に集団(そしてそれを代表するオヤブン)に委ね(預け)、そして他面、この集団ないしオヤブンは、(これらの者が、この集団の掟ないし生活様式に忠実である限り)理屈抜きにどこまでも面倒を見なければならない、という社会のあり方である。このような社会においては、全員の「合意」ないし「和」が、ことを行うための前提となるところから、一部の指導者に一方的な権力行使が認められている社会よりも、一見、個人の意思がより尊重されているようであり、従ってより民主的であるように見える場面も登場する。また、一部の強者の突出を許さず、集団の構成員全体に利益を平等に配分することを重視することから、場合によっては、より社会(主義)的であるように見えることもある。そういった意味で、上手く行く限りにおいては、この社会は、個人的自由主義・民主主義を基盤とする西欧社会に比べて、その良いところはこれを備え、他方その弱点はこれを克服した、理想的なシステムを備えた社会として機能し得る面を持つ。これが、いわば、第二次大戦後急速な経済成長を遂げた「日本の奇跡」の秘密であった。
しかし、この一見した民主性は、実は他面で、大勢に対し個人が正面切って異論を述べる事態があり得ることを前提ないし想定しないものであり、その意味において西欧流の民主主義とは大いに異なり、また、一見した社会(主義)性は、そういった利益の配分が、専ら、特定の集団内部限りでの配分としてのみ考えられ、集団外の者に対しては、むしろ徹底的な差別を以てすら臨むことを許すものである点において、西欧流の博愛・平等の精神とは、これまた大いに異なるものであった。
3.「世界クラブ」参加のための資格要件
今我が国社会が迫られているのは、世界に通用している西欧文化と上に見た意味での伝統的な集団主義文化との間のギャップを、更に一層埋めよ、ということである。それは、いうまでもなく、グローバリゼーション、ボーダーレス社会の進展、が、しかも、好むと好まざるとに関わらず、アメリカの主導の下、西欧流文化をベースとしたものとして行われているからであって、こういった世界から孤立するのでなく(今日の我が国の場合には、既に、そもそも孤立が許されない)、世界クラブの一員としてやって行くためには、否応なしに、こういった世界クラブの会員規則を守らざるを得ないからである。いわば、世界クラブの会員資格を本当に充足しているかどうか、その点の再検討を迫られている、というのが現下の我が国の実状であり、行政改革の必要も、ここにその根源を持っている。
従ってまた、求められているのは、先にも既に触れたように、単に行政改革のみではなく、政治改革であり、更に国民の意識改革であり、要するに先の意味での集団主義的・団体主義的色彩に染まった、あらゆる制度及び人の改革である。このことはまた、現下の行政改革は、他のこういった改革が同時に伴わない限り、その意義を全うすることができない、ということを意味している。
こういった要請は、明治維新そして第二次大戦における敗北に際して、西欧諸国から最も鋭く突きつけられたところであり、我が国の近・現代史は、基本的にはまさに、国を挙げてそれに応えようとする過程そのものであった。しかしその成果が未だ不十分である、ということが、21世紀を目前として、再度、白日の下に晒されつつあるのだ、というべきであろう。現下の改革が、明治維新及び第二次大戦の敗戦に並ぶ、国家の浮沈を掛けた第三の大改革である、ということが、時にいわれるのは、まさにこういった意味において、象徴的である。行政改革会議の最終報告が、その冒頭において、「従来日本の国民が達成した成果を踏まえつつ、より自由かつ公正な社会の形成を目指して「この国の形」の再構築を図る。」と述べているのも、このようなコンテクストにおいて理解されるべきである。
二 現下の行政改革のあるべき理念
1.世界クラブの会員資格をクリアーするということの意味
このように、現下の行政改革の課題は、我が国が世界クラブの会員資格をクリアーするために、行政の分野から、伝統的な集団主義によって支配された部分を切り落とし、新たに、(西欧流の)自由にして民主的な社会にふさわしい行政システムを構築することである。従ってそこでは、当然に、世界クラブに属する諸外国と共通の社会的、経済的、政治的、また文化的なルールを前提とする行政のあり方が求められなければならない。例えば、行政手続法や情報公開法の制定に際し、「行政過程の透明性の確保」ということが、指導理念とされるのも、まさに、こういった意味においてである。
2.世界クラブの会員資格と伝統的なるものとの相互関係
但し、そこで同時に明確にしておかなければならないことは、ここで必要なの
は、あくまでも「会員資格」をクリアーするということに止まり、この資格をク
リアーした上で何をするかまで、「世界」によって一律に規定されてしまうわけ
ではなく、まして、何から何まで、西欧のいずれかの国をモデルとして行動しな
ければならないわけではない、ということである。一例を挙げるならば例えば、
行政指導という手法は、従来、まさに我が国の、上記に見た集団主義的な文化を
代表するものとして、我が国に独自固有のものと見られ、それ故に、今後、本来
消滅させられなければならないもの、として扱われてきた。しかし、今日、我が
国の行政指導類似の行政活動
(informal administrative action, informale Verwaltungshandlungen)の存在は、ドイツ・アメリカ等、他の先進的な産業国家においてもまた、認められるところとなり、その功罪の分析と共に、適切な法的取り扱いの問題が、(決して、否定的な見地からのみではなく)真剣に検討されるようになってきているのである。そこでは、当然のことながら、我が国での問題処理の諸経験に、熱い目が向けられている。従って、仮に、行政指導が、我が国の行政活動上不可欠かつ有意義な手法であり、これを抹殺することは必ずしも適当ではない、という一面を持つのであるとするならば、如何なる理由から如何なる意味においてそうなのかを、世界が理解できる言葉で、世界に向けて積極的に発信すべきなのであり、またそのことは、世界からむしろ期待されているものというべきである。世界クラブの一員としての資格要件をクリアーし、しかもなお、我が国に伝統的な文化を尊重する、ということは、例えばこういったことである。
三 「国家」観の転換の必要性
1.集団主義と特定の「国家」観との結合
我が国社会における集団主義的体質の改造の問題を考えるとき、同時に考慮しなければならないのは、少なくとも国家という集団が問題となる限りにおいて、この集団主義は、ある特定の「国家」観と根強く結びついたものとして展開されてきた、ということである。すなわち、我が国のこれまでの官界・司法界等においては、意識すると否とに関わらず、あるタイプの「国家」観(ないしは、少なくとも、かつて存在したそのようなものの残滓)が根強く存在しているように思われる。それはもともと、近代ドイツ国家学上の「国家と社会の分離」という観念に由来するものであり、「公(ないし官)と私(ないし民)の峻別」という考え方にも繋がるものである。この考え方自体には、様々な側面があり、その理論的射程も単純ではないが、ここで特に目を向けなければならないのは、「社会(Gesellschaft)は、それ自体本質的に、私利私欲によって支配されたカオス(混沌)であり、その赴くままに放置するならば、必然的に弱肉強食すなわち強者による弱者の収奪をもたらすことになる、従って、こういった事態を避け、弱者を救済するためには、それ自体本来中立・公正にして理性(Vernunft)を代表する存在であるところの国家(Staat)の力によって、社会の無秩序が抑制されなければならない」という基本的な発想である。ここでの「国家」は、社会それ自体の必要に基づき社会の中から生み出されるものではなく、社会に超越し、対立し、それ自体の中に存在理由を持つものである。このような国家観は、もともと、君主並びにそれを取り巻く貴族集団が国権の担い手であるような社会構造を反映して成立してきたものであったが、国民主権が確立した後においても、エリート集団としての官僚を中核とする国家行政機構・司法機構が維持されることによって、上記のような観念としての「国家」、そして、その「社会」に対する役割についての、上記のような基本的な理解もまた、本質的に変わることなく維持されてきたものということができる。
2.「国家(Staat)」観からの諸帰結
このような国家観はまた、「国家」を巡る次のような様々の思考と結びつくことになる。
まず、「国家」は、「社会」の横暴から弱者を救い、福祉をもたらすところにこそ、その存在理由があるのであるから、国家行政に携わる者は、常に、社会の横暴に対し警戒を怠らず、全力を挙げてこれを排除しまた防御するようにしなければならない。また例えば、「国家」の存在意義は、上記のように「中立・公正」であるところにこそあるのであるから、国家機構を担う公務員は、厳にあらゆる社会からの影響を受けることのないよう、細心の注意を払わなければならない。従って、例えば公務員の政治的行為が厳に禁止されるのはあまりにも当然の理であるし(最高裁判例)、また、外国人が、国家機能の核心を成す公権力行使に携わる職務に就けないのも、「当然の法理」である(内閣法制局見解)。また、国家公権力はいわば「始源的(urspruenglich)かつ排他的(ausschliesslich)」なものであって、例えば、公用収用権の行使とか、法人格の供与といった行為を行うことは、「国家」以外の何者にも(たとえ普通地方公共団体であっても)許されない(建設省見解、etc.)。
このような「国家Staat」観は、もともとドイツ観念主義哲学に由来するものであるから、本来、前に見た我が国社会に根強い(アジア的な)集団主義的団体観とは、その由来も内容も異なるものであって、理論的に言えば、相矛盾する側面をも含んでいる。それにも拘わらず、集団の「オヤブン」としての役割と、この意味での「国家」の観念とが、実際上結合して機能してきたのが、我が国の官僚制の特色であったのではないか、と思われる。
3.自由な社会の「government」観
こういった国家観とは全く対照的であるのが、次のような国家観であって、ごく大雑把に見るならば、例えばアメリカ社会におけるそれが、これに近いものということができるであろう。すなわち、社会のあらゆる組織機構と同様、国家機構なるものもまた、いわば、社会(一般国民)が、自らの必要のために自ら作ったものであるのであって、従ってまた、国家と社会は本来対立する存在であるわけではなく、前者は、後者が必要とする限りにおいてその存在意義が認められる。従って、例えば、社会は本来横暴でありカオスであるとされ国家による規制のあり方もそこを出発点として構想されるのではなく、むしろ逆に、社会の有意義な生産性を信ずるところから出発する。また例えば、公務員の政治的中立性も、それが実際に必要な限りにおいて確保されればよいのであり、また、外国籍の者であろうとも、その者を公務に就ける実際上の必要があるならば、それを妨げる「当然の法理」などがあるわけではない。
先に見たように、今日、世界クラブの一員であるための資格要件をクリアーするために、伝統的な集団主義的文化からの基本的離脱が要請されているとして、それはまた同時に、少なくとも国政レヴェルで見る限り、ここに見た意味での国家観の転換を要請するものでもある。それは、一言を以て表わすならば、「社会に超越し、その存在自体を自己目的とする[国家Staat]の抽象的な観念」から、「自由かつ自立的な社会のため、その必要に応じて形成される政府機構[government]の具体像」(Horst Ehmke)への転換の要請である。現下の行政改革の諸理念も、詰まるところは、ここに行き着く。
4.社会の補完機能としての国家機能
以上見たような、新たな国家観の下では、国家機能は、いうまでもないことながら、原理的に、社会の補完機能に制限さるべきことになる。その出発点は、社会への信頼であり、その創造性・活力を積極的に評価することである。社会の必要を超越した、観念的抽象的な「国家公共の利益」なるものは、それ自体としての当然の正当性は認められないことになる。あらゆる議論は、このことを再確認するところから始められなければならない。
しかし、真に困難な問題は、ここから始まるのであって、すなわちそれは、上記の出発点に立ったとして、それでは、社会が必要とする国家の「補完機能」とは一体何か、という問題である。そしてこの問題は、いうまでもなく、時により、処により、また、社会の成熟度に応じて、決して一律な解答を与え得る問題ではなく、そこには様々の違いが生じ得る。そこで、私のこの論文では、以下、この問題について、現段階で私が一般的に言えそうに思えることを、国家機能の各類型に即して検討している。国家機能は、様々な見地から、様々に分類され得るところであるが、ここでは、さしあたり、a) 社会の安全を保障する機能、b) (知的・経済的な)「創造」ないし「生産」を行う機能、c) (創造ないし生産されたものの)「配分」を行う機能、の三類型をベースとすることとしている。ここでは、その詳細については省略する。
5.「国」と「地方公共団体」の関係
なお、以上に見た「国家」の補完機能に関し、「国」と「地方公共団体」との関係について、次の点を明確にしておきたい。
先に見たように、新たなる国家像の下では、社会(国民)の具体的な必要を超越した観念的抽象的な「国家公共の利益」なるものは、それ自体としての存在理由を認められ得ず、国家は、社会がその必要に応じて作った、その意味でいわば一種の道具としての一機構(government)として位置付けられるに過ぎない。ところで、この意味での「機構」は、必ずしも「国」だけとは限られず、市町村・都道府県等の地方公共団体も、当然のことながら、そういった性質を持つ機構の一つである。この意味においては、「国」と「地方公共団体」との間に本質的な違いは無いのであり、両者は、上に見た意味での「国家機能」を、それぞれの役割において分担する、その意味で対等な存在である。「国家機能」は、「国」と「地方公共団体」とに分属せしめられるのであり、決して「国家」イークオール「国」であるのではない(中央省庁の主張の中には、時折この点についての混同があるように思われる。例えば、地方分権に関する先の建設省の見解などは、その典型例である)。日本国憲法が、「地方自治の本旨」を保障したのも、まさにこの意味である。
そして、こういった諸機構は社会の具体的な必要に応じてこそ存在するのであるとすれば、こういった必要に最も近いところに存在するのは、市町村であり、都道府県である。すなわち、これら地方公共団体は、社会にとっての「近い公共性」を体現するのであり、この意味では、「国」は「遠い公共性」を体現するものであるに過ぎない。地方自治法が、市町村を「基礎的な地方公共団体」として、一般的な事務処理権限を認めているのは(2条4項)、まさにこの意味である。いわゆる地方分権の推進とは、こういった理念の実現を図るものであるに他ならない。
四 「行政改革の理念」への反問
さて、以上に見たような行政改革の理念に対しては、理論的にも、また現実的な観点からも、様々の反問があり得ようと思われる。考えつくままに挙げてみるならば、例えば次のような論点である。
1.我が国の「社会(市民社会)」、或いは「民」ないし「地方」は、本当に
信頼に足るものであって、「国家」の役割をそのように後退させてしまって良い
のか? ドイツ国家学で「国家」の観念の前提とされてきた、「社会
Gesellschaft は本質的にエゴイステイックなカオスであって、これに全てを委
ねるならば、弱肉強食の世界が登場するのみ」という観方は、やはり全面的に否
定することはできないのではないか?
この疑念は、基本的に言えば、「民」「民衆」「大衆」というものに対する不信感と共に、歴史上絶えず主張されてきたものの一つであって、例えば、我が国の例で見ても、国会開設に対する明治政府の疑念、民法の法典化に対する穂積八束博士の反対論等々、いずれも基本的には、このような論理構造となっている。また、社会主義政権が西側の資本主義諸国に対して行ってきたキャンペーンも、これと同じ構造である。要するに、これは、「賢明なるエリート」(と自ら信ずるグループ)が、「衆愚」(と烙印を押したグループ)の危うさを問題とする限り、必ず出て来る疑念なのである。
そしてこのような疑念は、そうであるが故にこそまた、必ず一面での正しさを含んでいる。例えば今日、アメリカ政府は、市場による選択を唯一正しい決定と考え、他国にもそのような政策の選択を強要する傾向にあるが、これに対して、ドイツ・フランス等のヨーロッパ各国は、「市場も過ちを犯す」という認識を重要な前提とし、市場経済を維持すると共に、同時に均衡ある社会の実現を目指そうという、いわゆる「社会的市場経済(Soziale Marktwirtschaft)」政策を維持しようとしている。また、相次ぐ薬害事件・金融不祥事等のニュースに接し、国民の中にも、これら企業の良い加減さにほとほとうんざりしている向きが多いであろう。私事にわたって恐縮であるが、私自身、子供の頃から、周り中が経済界(それも土木建設業)や政治の世界(それも自民党)の人間であふれている環境の中で育ち、その裏側の醜さというものにほとほと嫌気がさして、それとは全く違う世界へ飛び込んだ人間なのである。そしてまた、若き日にドイツに留学し、ドイツ社会とドイツ公法学に多くを学んだ私の場合には、伝統的なドイツ国家学の我が国への悪影響を指摘し、アメリカ型の発想に切り替える必要を説くことには、多くの痛みを伴うものがあることを否定できない(ドイツのそれとの比較において、アメリカ公法学自体に対して、私が精確にどのような考えを持っているかについては、参照、藤田「ドイツ人の観たアメリカ公法学」)。
ここでの問題はしかし、いうまでもなく、「国家」ないし「国家行政」の役割をおよそ否定しようということではなく、本当に必要なことに集中させようということである。そしてそのためには、「国家公共の必要」ないし「国家的な任務」なるものを、観念的・抽象的に想定するのではなく、具体的・即物的に、再度検証して行く必要がある。そのためには、一度、いわばパターナリステイックな「国家Staat」の観念を突き放し、市民そして地方公共団体の潜在的な能力を信じる「政府government」の観念に立って考え直してみることが、思考枠組みとして、より効率的なのではないか、と考えるのである。
実際上の問題としては、このことは、霞ヶ関の場合、恐らくは、従来各省庁に蓄積されてきており、それ故にいわば、理論的にも当然の事柄として前提されてきた多くの「国家公共的必要性」「国家的な事務」についての伝統的な理解を、今日の社会の現実に照らして、再度つぶさに見直す必要があることを意味するものであるように思われる。
具体的にどのような国家機能について、どのように考えて行くべきなのか、と
いうことについての私のおおよその考え方は、配布した私の論文に書かれている
「社会が必要とする国家の補完機能とは何か」の項(10ページ以下)を参照し
て頂きたいが、比喩的にいうならば、私は、この問題は、丁度、親が子供に対してどう対処すればよいか、という問題と共通する面を深く持っているように考える。子供が怪我をしないようにと心配し過ぎる親は、鉛筆を削るのにナイフをも使わせず、およそ刃物を使えない人間にしてしまう。子供の将来を心配し過ぎる親は、将来苦労の無いようにと、年端も行かない幼児に「お受験」を強い、自分の人生を自ら決めることができず絶えず他人を当てにする人間を作り上げてしまう。こういった親の過保護の問題点は、今日、様々に指摘されるようになっているが、この問題で最も深刻であるのは、親としては、全く大真面目で、本当に子供の幸せを願い、自分こそが力にならなければならないと信じているからこそ、そのような行動に走っているのだ、ということである。しかしそれが、傍から見れば、狭い見地からする独りよがりで、かえって子供のためにもならない、ということに、当人が気づいていない。国と民間の関係、そして国と地方公共団体の関係につき、今日問題が指摘されているのも、まさにこういったことではなかろうか?
2.霞ヶ関の官僚が「国家」そのものとして、国策を引っ張り、政治を支配して来たようにいわれるが、実際には、官僚にそのような力は無く、与党(自民党)その他のプレッシャーグループこそが、実権を握っていたのではないか? 国の行政は、従来、果たして本当に「公共性の空間」を独占(行政改革会議最終報告4頁参照)して来たか? こういった政治的諸勢力の暴走を抑え、政策の均衡を図る機能を果たして来た霞ヶ関が、今後、従来の役割を果たしてはいけないのだとすれば、霞ヶ関は一体何をやればよいのか?
この疑念は、一面で、甚だ核心を突いたものを持っており、私がここで充分なお答えをできるかどうかには、必ずしも確信が持てないものがあるのであるが、一応次のようにお答えしておきたい。
国が「公共性の空間を独占」し、公共の名の下に過剰にして不必要なことを行い、その場合の「国」の実体を担って来たのが(名目はともあれ)霞ヶ関の官僚群である、というのが、あまねく共通した、今回の行政改革の前提認識となっていることは事実である。これに対してしかし、他面、いわゆる「族議員」の名で俗に知られるように、与党(自民党)の各部会の政治的圧力が国の行政に対して如何に影響を及ぼしているか、ということも、また、広く知られた事実であることを否定できない。一体、我が国の政策決定の現実において、最高の権力を握っているのは、与党政治家かそれとも官僚か、という問題は、専門の政治学者の目から見ても、必ずしも一義的には判断できないところがある問題のようであって、それはとりもなおさず、両者のもたれ合いないし協力関係が、大きな機能を果たしている、という実体を、示すものであるように思われる。そしてその場合、大きな政治的マターとなるような事項を除いては、実際に、霞ヶ関が持っている影響力は、やはり強大なものがあると言って良いのではないかと考える。
但し、霞ヶ関の官僚が、専ら自らの信念と知見だけで政策の企画立案を行い、政治家をその手足として使ってこれを実現させる、というような構造は、第二次大戦後一定時期まではともかくとしても、今日もはや広く存在する現象であるとは言えないのは事実であろう。例えば、多くのケースではむしろ、霞ヶ関官僚は、与党を始め政治的に力を持った諸グループの間で、意見を調整し、落とし所を探り、根回しをするために日々走り回っている、というのが実体である、との指摘がある(佐竹五六氏のいわゆる「リアリスト官僚」)。そうであるとすると、現実の霞ヶ関の官僚像は、必ずしも、伝統的なそれ、つまり、厳正中立にして賢明な、放っておけば混沌の中に自分勝手な動きをする社会を導く「国家 Staat」としての像、力強き「父親」像であるのではなく、極めて矮小化された、「取り次ぎ屋」或いはせいぜい「とりまとめ屋」像である、ということになってしまう。つまり、「国の将来を憂え、国の政策判断をリードする、真のエリートとしての誇り高き官僚像」は、もはや、少なからざる場面において、現実に期待することはできないのではないか、ということである。
私は、問題の一つは、専らこのような「落とし所探り」の結果得られたものが、「国家公共の必要」という名の下に、正当化されて来たところにあるのであるように考える。
先に見たような国家観の変更が仮になされようとも、およそ西欧流の近代法治国家である以上、国家行政は、国民の福祉・公共の福祉の達成のために存在するものである点においては、変わるところはない。Staat であろうが、gouvernment であろうが、その限りにおいては、同じことなのである。問題は、誰がどうやって、この「公共の福祉」を認定するか、というところにある。この変転極まりない現代の社会において、おそらく、一握りの官僚群にその全てを行う力はもはや無く、また、国会議員が、国民の利益に関わるあらゆる事柄の詳細に到るまで、問題を見通して判断をすることも不可能であり、また、そもそも適切ではない。そこには、「立法」と「行政」との間での、そしてまた、これらに対する「社会」「国民」の直接間接の協力が、是非とも必要なのである。行政手続とか、パブリックコメントとか、また地方分権といった事柄は、こういったことを可能にするためのツールの一つでもある。官僚は、もはや、自己の省庁に代々蓄積されてきた「公共の福祉」に関する知見や論理にのみ忠実であるのではなく、こういったあらゆる手法を駆使して、何が、現在の我が国に最も必要な「公共の福祉」であるかを、現実に即して、的確に判断すべきである。それは、政治的に力のあるグループ相互間の「取り持ち」に終わるようなものであってはならない。
ところで、こういった、「何が国民の福祉」か、についての高度な判断は、官僚の仕事と言うよりはむしろ政治家の任務ではないか、という問題がある。実際、仮に政治部門(立法部)におけるスタッフ機能(例えば国会議員の政策秘書制度)の充実が図られ、政治家自らが充分な企画立案能力を備えるに到ったような状況を想定するならば、中央省庁に残された企画立案機能とは一体何か、といった問題が生ずることは、理論的に否定できないであろう。しかし、この論理は、突き詰めるならば、いわば、国政を立法部に一元化する論理にも辿り着くのであって、憲法が、立法の他に行政を国権の一部として区別し、内閣をその長としていることの意味をどう考えるのか、という問いを、逆にもたらすことにもなる。内閣(政府)に、国会への議案提出権が認められ(憲法72条)、また、国務を総理することがその任務とされる(同73条一号)以上、内閣を支える中央省庁に、高度な企画立案機能が要求されることは、否定できない。その場合、立法府(選挙によりその職にある者)と異なる行政府(身分の保障を受けた者)に期待される要素が、判断の合理性・中立性・長期的視野、等々であることは、先に見たような国家観の基本的な転換にも関わらず、やはり変わることはないのである。
官僚は、こういった作業の上に考え得る、いくつかの政策(企画立案)を、選択的な形で、政治部門に対し、提起すべきである。このように、旧弊に囚われず、広い懐を持ち、そして、国民の福祉という高き志を持ちつつも己のなすべき役割を心得た、行政政策の専門家、というのが、以上説明してきた「行政改革の理念」の下における、官僚像ということになろう。
五 中央省庁官僚諸氏に望まれること…… 結びに代えて
この度、このような場でのお話をお引き受けしたことから、私は、様々の機会に、何人かの霞ヶ関の高級官僚(次官・官房長・局長・審議官といったクラス)の方々に対して、課長クラスの人々は、このような機会に、私からどのような話を聴きたいと思われるであろうか、ということを質問してみた。返ってきた答えは、例えば次のようなものである。
1.とにもかくにも、お前がどのようなことを考えているのかを、お前の口から直接に聴きたい。
2.一般に言われている「行政改革の理念」自体は、重要なことと評価しており、自分自身もまた、その実現に向けて働きたいと思っているのであるが、政治・行政の現実は、なかなかそれを許さず(例えば、古手の幹部の中には、旧来の伝統にどっぷり浸かって、行政改革そのものに関心を持たない者も少なくない)、理念と現実の狭間で悩んでおり、こういったジレンマの解決のための手掛かりを、何とか得たい。
3.霞ヶ関が何を言っても世間から叱られるので、やる気を失い、積極的な企画立案作業に自ら取り組むことの意義に懐疑的になっている。いわば、官僚としてのアイデンテイテイーの喪失が生じ始めており、何とか官僚として生きる真の意義を掴む手掛かりを得たい。
このうち、1.はともかくとして、2.3.については、正直言って、霞ヶ関での生活を経験したことのない私には、手に余る問題であると言わざるを得ない。従って、以下申し上げることは、いわば単なる部外者の戯言に過ぎないのであるが、ただ、敢えて私の考えを述べよ、といわれるならば、月並みではあるが、このようなことしか言えないのではないか、と思われる。
まず、3.から考えて行きたいが、先に四のところで見たように、どのように政治主導の必要性があろうとも、そのことによって、中央省庁に期待される企画立案機能自体が無くなるということは、絶対にあり得ない。現行憲法下において、政治部門と行政部門との間の適切な協力関係は、立法とその単なる執行という形ではなく、企画立案作業においても、是非とも必要なのである。
ただその際、行政府は、単に名目的にのみでなく、実質的にも、あくまでも脇役である、ということは、これを弁えなければならない。例えば予算の編成作業について、大蔵省は、従来でも、大蔵省はあくまでもバイプレーヤーであったのであり、基本方針を決定し、また、予算案を採択するのは、内閣・国会等の政治部門であった、と主張する(行政改革会議でのヒアリング)。形式的にはまさにそうであろうが、問題は、実質的にもそれがそうであったか、というところにある。ただ勿論、実質的に、企画立案において政治主導とならず、霞ヶ関主導に終わっていた、ということについては、政治部門のこの点での非力さ、ということがある。そこで、こういった側面への手当として考えられているのが、行政改革の一環としては、内閣機能の強化、ということなのであるが、根本的にはこのことは、更に、立法改革、更には国民の意識改革という、「この国のかたち」全般の再構築の中で、対処されて行かなければならないことなのである。そのことを前提とした上での話であるが、霞ヶ関は、自分達だけが全てを知っており、あるべき国の政策のあり方に対して全般的な責任を負っているのだ、という、思い上がりないし過度の責任感を捨てなければならない。そしてそれは、多くの場合、先にも触れたように、各省庁に従来蓄積されてきた知見・政策等から、一度自らを解放してみる、ということになるのではないか、と思われる。このように、過度の自負と責任感、そして、伝統から自らを解放し、肩の力を抜いてみたときに、将来に向けての、柔軟にして新たな発想もまた開けて来るのではないか、と、期待されるのである。
そこでしかし、問題は、上記2.に取り上げた問題、すなわち、官僚は、果たして又如何にして、伝統から、自らを解放できるか、という問題となる。この問題については、私は、発言する資格も能力も、殆ど無いのであるが、しかし、基本的には、これは、時間が解決するところ、と言わざるを得ないのではないか、と思っている。例えば、今日では、その必要性を、少なくとも正面からは誰も否定することのできなくなった多くの改革、例えば、行政手続法の整備とか情報公開制度の導入と言った問題は、私が行政法の研究者として歩き始めた昭和三十年代の終わり頃には、学界においてすらも殆ど問題にもされていなかったところであり、ましてや、このような形で現実化することなど、到底予想もされ得なかった。これは、社会情勢の変化ということも勿論であるが、やはり世代の交代ということも大きく影響しているように思われる。何十年来、大学の教師として、学生達に接してきて思うことであるが、最近の若い者には気力が無くガッツがないとよく言われ、そしてそれは、確かに当たっている面もあるが、しかし、他面、何物にも囚われない柔軟さ、物分かりの良さ、という点では、決して捨てたものではない、ということもまた、認識すべきである。そして、納得行く限りでは、自分の思うことをとことんやってみる、という積極性も、それなりに持ち合わせている。ただ、彼等には、何事をやるにしても、「欲しがりません勝つまでは」といった悲壮感が無いだけである。私は、こういった世代が我が国社会を広範に支えて行くことになる頃には、今語られている「この国のかたち」にも、かなりの変化が生じて来るのではないか、と期待している。恐らくは、中堅管理職である皆さん方の世代においては、行政改革において、画期的な成果が現実にも得られるということは、なお困難であるのかも知れない。しかし、次の世代に対する期待を捨てることなく、せめてこういった世代から生じる新しい芽を摘んでしまうことのないように、前向きの発想をして頂くことをお願いしつつ、本日の話を終わらせて頂くことにする。
fujita@law.tohoku.ac.jp
ホームページへ