一 はじめに
本年7月、第151回国会において、土地収用法の一部を改正する法律(平成13法律第103号)が制定公布された。同法の定めるところによれば、この法律は、公布の日(平成13年7月11日)から起算して1年を越えない範囲内において政令で定める日から施行されることとなっている。今回の法改正は、昭和41年の改正以来35年ぶりの、現行土地収用法についての大改正であって、その内容において、理論的また実際的に極めて重要なものを多々含むのみならず、制定の過程にあっても、広く世間の注目を浴びたところであった。私は、縁あって、国土交通省(当時の建設省)における法案の策定過程に、実質的に関与するところとなったので、そこで考えたこと等を背景として、今回の改正のあらましについて、大雑把ではあるが、説明をさせて頂きたいと思う。尤も、本日は、不動産鑑定協会のこのような席でお話をすることになったわけであるが、今回の改正は、おそらく、不動産鑑定のあり方自体については、取り立てて新たなものをもたらすというわけではない。従って、私の本日の話が、果たしてどのようなお役に立つのか、心許ないものがあるが、土地収用法というのは、皆様方にとって、必ずしも全く無縁な法律というわけでもないと思われるので、この度何故このような改正が行われることになったのか、この法律は、将来どのような方向へ向かって変身ないし進歩を遂げて行こうとしているのであるか、といったようなことにつき、いわば一般教養のような話として、お聞き頂ければ幸いである。
二 今回の改正の概観
(1)今回の改正が、どのようなことを行ったものかについては、7月11日付官報(号外144号)の「本号で公布された法令のあらまし」欄に、要領よくまとめられている(配付資料参照)。すなわちそこには、1.事業認定に関する手続の見直し、2.収用委員会の裁決に関連する手続の見直し、3.収用適格事業の追加、4.仲裁制度の導入、5.補償基準の細目についての政令委任、6.生活再建措置に関する規定の導入、7.罰金額の引き上げその他、等が挙げられている。そして、それはその通りなのであるが、このような改正がそれぞれどのような趣旨で行われたのか、を理解するためには、おそらく、現行の土地収用制度の全体像について、その性格そしてそこに内在する問題点を、正確に理解することが必要であろうと思われる。そこで以下、こういった基本的な問題について、お話をするところから始めることとしたい。
(2)我が国現行土地収用制度の基本的構造
まず、上記1.及び2.の改正との関係で、そもそもわが国現行法が定めている「土地収用」とはどういうことなのか、ということにつき、正確な理解を持っておく必要があると思われる。
1)「土地収用」の概念
「土地収用」ないし収用とは何かということについて、憲法をはじめとするわが国の現行法上は、何らの定義も置かれておらず、これは土地収用法それ自体においても同様である。つまりそこでは、「収用」ということの意味について、一定の内容が既に自明のこととして前提されているのであって、それは、もともとドイツ法に始まり、わが国の戦前法制下から今日まで学説上引き継がれてきたところの「収用」概念である。それは、一口でいえば、「特定の公共事業の用に供するために私人の財産(土地)の所有権を強制的に奪うこと」である。従って、土地収用法制度とはつまり、この意味において私人の土地所有権を奪うにつき、その要件、手続等につき定める法制度であるということになる。尤も、この意味での収用については、当然、適正な損失補償が伴わなければならないということも、自明の前提であるから(憲法29条3項参照)、土地収用制度とは、権利の剥奪に加え、その反面での損失補償を与えるための制度、ということになる。これはすなわち、現行法上で言えば、収用委員会による収用裁決の制度であって、これこそが、収用制度の根幹をなすものだ、ということになる。言葉を換えて言えば、収用委員会の収用裁決以外の諸制度は、(事業認定という制度も含めて)収用についての準備ないし付属的な法制度であるに過ぎない、ということになるのである。
ただ、この意味での権利の剥奪は、あくまでも「特定の公共事業の用に供するため」に行われるのであり、しかも、現行の日本国憲法上は、広く「公共のために用ひる」という表現しかなされていないから、具体的に、何がここでいう「公共のためであるか」という問題、そしてまた、それを誰が認定するのか、という問題が残されることになる。この点に関して、わが国の現行土地収用法は、それを具体化した定めを置き(事業認定の要件…同法20条)、また、これを認定する権限を持つものとして、起業者でもまた収用委員会でもない、事業認定庁という行政機関を置き(17条以下)、また、この認定を行うための手続を、詳細に定めることとした(16条以下)。しかし、純粋に理論的に言えば、このように、その収用が、本当に公共の必要があるものかどうかということについて、収用委員会の収用裁決から独立した事業認定という特別の手続・制度を設け、その判断を収用裁決を行う行政機関とは別の機関に行わせる、というシステムを設けることは、必ずしも、「収用」という制度に理論必然的に伴うものであるわけではない。わが国においても、個別法による緊急時における収用については、このような手続が存在しない例もあるし(例えば参照、道路法68条1項、河川法22条1項、等)、また、外国法においては、通常の収用についても、必ずしも収用官庁の他に事業認定庁が置かれてはいない例が存在する。しかしわが国の土地収用法は、土地所有者の権利の尊重という見地からして、土地を強制的に取り上げること自体もさることながら、それが何のために行われるのか、ということを、慎重に判断する必要がある、という考え方に立って、現行法のように、裁決の手続とは区別された事業認定という特別の手続を置き、全体としていわば二段構えの手続でもって、収用を行うこととしているのである。
ところが、一方でこのように、事業の「公益性」の認定ということ自体、私人の権利保護の見地からは極めて重要なことである、という考え方に立ちながらも、現行法は、他面で、前に見たように、事業認定という手続は、あくまでも、本来の収用(収用委員会による裁決手続)のための、準備的ないし副次的な手続としての位置付けしか与えていない。つまりそこでは、事業認定という制度の位置付けが、甚だ中途半端なままにされてきたのであって、その結果、例えば、次のような事態が生じていた。
2)事業認定制度の位置付けの曖昧さから生じる病理現象
例えば第一に、収用委員会は、裁決を行う際に、事業認定庁(国土交通大臣又は都道府県知事)が行った事業認定の結果を否定することができるか(つまり、当該の事業には公益性が認められないから収用することはできない、という判断をすることができるか)、という問題がある。収用裁決というのは、最終的に収用の効果を発生させる行為なのであり、収用委員会は、最終的にこういった効果を発生させても良いという判断をすることになるわけであるから、仮に事業認定庁の判断が間違っていると思ったならば、当然そのような判断をしても良いようにも思われる。しかし従来の通説・判例は、収用委員会に事業認定庁の判断を覆す権限は無く、公益性の認定については、収用委員会は事業認定庁の事業認定が正しいことを前提として裁決を行わなければならない、と考えてきた。その結果、収用委員会の行う判断は、実際上、ほぼ損失補償額の算定を中心としたものであることとなる。こういった考え方は、いうまでもなく、収用委員会の裁決手続の他に、事業認定庁による事業認定という特別の手続が置かれていること(つまり、手続が二段構えとなっていること)を重視した結果であって、いわば、公益性の有無ということの認定については、事業認定の段階でケリを着けてしまおう、ということである。従ってまた、事業認定自体に不服のある者は、収用裁決を待たずとも、事業認定がなされた段階で、行政上の不服申し立てをしたり、更に裁判所に訴えを起こして争うことが認められてきている。
ところがそれにも拘わらず、現実には、収用委員会の審理の席に、この事業の公益性の認定の問題が持ち込まれて争われるケースが、しばしば登場するようになっている。それは、収用に反対という場合に、土地を取られることそれ自体とか、或いは、補償額に不満があるということではなく、むしろそもそも、そこにそういった事業が行われること自体に絶対反対する、というケースが増えてきているからであり、しかも、その反対の理由が、土地所有者自身のみでなく、周辺の住民等の第三者をも含めた、地域環境の保全、といった見地からのものであることが多いからである。こういった、事業そのものに反対という立場からするならば、そもそも現行法による事業認定の手続自体極めて不備であって、こういった地域環境の保全といった利益が充分に保護されるような構造になっていない。つまり、事業の計画を策定する際に地域住民の意見を十分に反映させることができるような手続の仕組みとはなっておらず、知らないところで進められた事業計画が、ある日突然目の前に突きつけられて、収用、という事態に立ち至る。こういった実状である以上、本来公益性など認められないと考えられる事業のための収用(つまり、いわば憲法に反する違法な収用)を阻止しようとするならば、最終的な手続である収用委員会の収用手続でこれを争う以外にない、ということになる。また実際、前に見たように、事業認定というのは、現行法上本質的には、本来の収用手続のための準備的ないし副次的な手続に過ぎないのであるとするならば、中心となるのはやはり収用そのものの適否であり、それは収用委員会の審理の場で主張されて然るべきことではないか、ということにもなる。因みに、収用委員会は事業認定に拘束される、ということは、前に見たとおりであるが、他方で、それにも拘わらず、裁判で収用裁決の取消しが求められたような場合には、裁判所は、事業認定が違法であることを理由に、収用委員会の裁決を取り消すことができる(いわゆる「違法性の承継」)、といったことが、従来認められてきているのである。
3)現行土地収用法の限界
実際、現行の土地収用法は、もともと、事業の公益性の判断に際して、例えば周辺第三者の利益とか、地域環境の保護といったことを充分に考慮するようなことを考えてはいなかった、ということができる。そしてそれは何よりも、この法律が制定された昭和26年当時においては、事業の公益性の認定につき、こういったことを考慮に入れなければならないということ自体、そもそも想定されてはいなかった(当時の世論はそういったものではなかった)こと、それ故にまた、収用手続というのは、本来、土地所有者に対して、最終的な権利の剥奪(つまり、本来の意味での「収用」)に対する(損失補償を含む)法的な保障をすれば済むことなのであって、法治主義の要請は、それによって既に充たされている、という考え方が一般になされていた、ということなのである。このような前提の下では、前にも見たように、事業認定という手続は、本来の収用手続の「おまけ」に過ぎない、ということになる。
尤も、現行法もまた、公益性の認定をするにあたっては、必ずしも、事業認定庁の単独の判断で一方的にこれを行うことで済む、と考えているわけではない。例えば、法律上、事業認定庁が事業認定をするに先立ち、土地の管理者及び関係行政機関の意見の聴取(21条)、専門的学識及び経験を有する者の意見の聴取(23条)、公聴会の開催(23条)等を行い得ることが定められている。しかしこれらはいずれも、基本的に、事業認定庁が「必要と認めるとき」に行うことができる、というだけのものであって、必ず行うべく義務付けられているわけではない。
また、事業認定の要件として、法20条では、「事業計画が土地の適正かつ合理的な利用に寄与するものであること」(三号)、「土地を収用し、又は使用する公益上の必要があるものであること」(四号)等の要件が置かれているが、こういった要件は、後に見るように、考え方次第で、第三者の利益或いは地域環境の保全といった利益をその中に読み込む可能性を持ったもの、ということができよう。しかし、少なくとも法制定当初においては、こういった要件はいずれも、例えば、その土地を農地のままにしておくこととそこに鉄道や道路を通すこととの間での経済的効果の比較、といった見地から判断されたものであって、国土開発・地域開発とか経済の高度成長といったことが最大の目的とされた昭和20年代30年代においては、当該事業が法三条各号のいずれかに該当するものであるならば(一号要件)殆ど自動的に充足されるものと考えられてきたのであった。
尤も、例えばこの法20条三号・四号の要件については、その後、これは、専ら収用で取られる土地の価格と行われる公共事業の経済的効果との単純な数的比較を行えば済むということなのではなく、その事業が行われることによって失われる、環境上の利益・文化的利益その他の周辺価値をも考慮し、総合的に判断されなければならないのだ、という考え方が、学説・判例上、そして、程度の差こそあれ、事業認定の実務上も、進展してくるところとなったと言って良い。この問題を、かなり早い段階で突きつけたのが、有名な昭和48年の東京高裁のいわゆる「日光太郎杉事件判決」であったが、この判決は、事業認定をする要件の一つとしての「事業計画が土地の適正且つ合理的な利用に寄与するものであること」という要件(法20条三号)の解釈につき、そこでいう「適正且つ合理的な利用」の解釈に当たっては、その事業によってもたらされる経済的効果といったプラスの要因のみでなく、その事業が周辺の環境や文化財等に与えるマイナスの影響等も広く考慮に入れ、これらの諸価値の間での総合的利益考量をした上で判断されなければならない、ということを、明確に述べたものであった。
ところで、事業認定を行うために必要とされる事業の公益性の判断が、こういったように、単なる経済的価値の算定のみでなく、環境的価値、文化的価値その他諸々の異なった性質の価値との間での総合的考量に基づいてなさるべきものとすると、果たしてそういった判断を、現行法上事業認定庁とされている都道府県知事とか建設大臣といった単独の行政庁のみで適切に行い得るであろうか、という問題が登場することになる。勿論、先にも見たように、現行法は、事業認定庁が事業認定を行うに際して、土地管理者及び関係行政機関の意見の聴取(法21条)、専門的学識及び経験を有する者の意見の聴取(22条)、公聴会(23条)等の手続を設けている。しかし、これらの手続は、いずれも、事業認定庁が「必要があると認めるとき」に実施すればよいのであって、その実施が義務付けられているわけではない。また、こうした手続において得られた第三者の意見をどのように扱うべきなのかについても、法律上明確に定められているわけではない。こうして、現行法上の事業認定手続は、時代の要請に即したものではないのではないか、という問題が、そもそも理論的に、従前から存在していたのである。
(3)今回の改正の意義(一) …… 事業認定及び収用手続の整理及び整備
さて以上を前提とした上で、今回の改正の中、まず、事業認定手続及び収用手続の整理並びに整備に関するものを概観してみることとしたい。
基本的なポイントは、先に見たように、今日、収用の可否をめぐる争点が、むしろ、その前提となる事業の公益性の有無自体を中心とするものとなっていることが多いことから、この点について判断をする事業認定の手続を現行法のそれより一層整備することとすると同時に、この問題が収用裁決の審理にまで持ち込まれて、徒らに審理が紛糾することのないようにしようということである。
1)まず、そもそも、事業認定手続に入る以前の段階につき、二つばかりの制度が新たに導入されている。
第一に、仲裁委員による仲裁の制度であるが、これは、任意買収の段階での紛争解決のための制度であって、現行法上は、斡旋委員による斡旋の制度があるが、これはあくまでも斡旋に止まり、斡旋の結果を受け入れるか否かは、両当事者の自由である。これに対し、新たに導入される制度は、「公示催告手続及び仲裁手続に関する法律」第八編による仲裁手続としての性質を持つものであって(改正後15条の12)、一旦当事者が仲裁に委ねることを合意(仲裁契約)した以上は、仲裁委員の判断が法的拘束力を持つことになる。ただ、この制度を利用できるのは、斡旋の場合よりは前提が絞られていて、補償額についてのみ争いが残されている場合に限られる(15条の17)。
第二に、起業者による事業の説明(改正後15条の14)である。この規定については、いくつかの点について補足の説明が必要であるように思われる。
まず、この規定の基本的な考え方は、先に触れたような収用を巡るトラブルの原因の一つは、起業者による当該事業の必要性についての十分な説明と説得がなされず、いわば、起業者と住民との間に不信感が残されたままに正規の事業認定手続へと移行するところにあるのではないか、というところにある。そこには当然、そういった説明が根気よく充分になされたならば、多くのトラブルは生じない筈だ、という期待がある。そこで、単に土地所有者や関係人に止まらず、広く「当該事業の認定について利害関係を有する者」に対して説明をする義務を課すると共に、ここでいう「説明」を事業認定を申請するための前提要件とする(説明会を開催する等のことをせずに事業認定が申請されても受け付けない)ことにより、こういった問題解決のチャンスを確保しようとしているのである。ところがこの規定については、改正案検討中から、起業者側より重大な疑問が出されてきた。それは、今日およそ、予め関係者に事業内容について説明することなくいきなり事業認定の申請をするなどということは考えられないのであって、事実上説明会は必ず行っている。それでも話が着かないから事業認定の申請をするのであって、そういった段階に到った時点で、収用法に基づき事業認定をするための法定の説明会であると銘打って改めて公式の説明会をするというのは現実に無意味であり、ただ、殴られるために出かけるようなものだ、というのである。そういった問題は、確かにあるとは思われるが、ただ、法律上の問題として見るならば、そもそも従来、こういった説明会の開催ということが、法的な義務ではなかったということ、従って、理論的にいうならば、一切の事前説明無しに事業認定の申請をすることも、それ自体違法ではなかったこと、に注意しなければならない。まして、この規定が定めているような、土地所有者でも関係人でもない(つまり収用の直接の当事者でない)利害関係人に、事業の説明をする義務などは、およそ法律上考えられてはいなかった。こういった意味において、今回の改正は、単に、従来事実上行われてきたことを法的に確認したものに過ぎず余計なことだ、という見方もできないではなかろうが、ただ、法制度そのものの意義として、何よりも、土地収用とは本来そのように行われなければならないという法思想を、法律上改めて明確にした、というところに、画期的な意味があるのである。現実の問題として残されるのは、ここで要請されている事前の説明を、どのように行うべきか、ということであるが、この改正法は、事前の説明をしなければならないということは定めているものの、例えばそこでいう説明会とはどういうものでなければならないか、というようなことについては、直接定めず、省令の定めるところに委ねている。この省令は未だ制定されていないので、そこでどのようなことが定められることになるのかは、今の段階ではよく分からないが、いうまでもなく、最終的には収用手続にまで進むことが前提とされているのであるから、ここでの説明によって、およそ全ての反対が無くなるようなところまで進めなければならない、というようなことではない。何よりも必要なことは、要するに、「不意打ちだ」という不信感から、全体の手続がこじれるといったことの無いようにする、ということなのである。そのためには、事業計画それ自体が何らの相談もなく一方的に定められて、それを押し付けられた、ということの無いよう、事業計画の策定段階から充分に説明・相談(その際、選択肢の提示ということが極めて重要)するということが、本来必要となるであろうし、また、話し合いは充分に煮詰まり、双方の相違点も明確になったので、今や、問題解決のためには事業認定の申請をして第三者の判断を仰ぐ以外に途は無くなった、ということについての了解を得ること(少なくとも、了解をすべきであることが明らかである事態となったこと)、等が必要となるであろう。ただ、実はこういった問題は、後にも触れるように、本来、単なる土地収用法の改正という作業の枠内で済まされるべきものではなく、もっと根本的な、総合的土地利用計画法或いは公共事業実施法とでもいった新たな法体系の確立を必要とする問題なのである。
2)事業認定の手続については、まず、公聴会の開催を、現行法の任意の開催から、利害関係者の請求があった場合には必ず開かなければならないものとした(23条1項の改正)。
更に注目されるのは、事業認定庁が事業認定を行うに先立ち、独立の第三者機関の意見を聴き、これを尊重する義務が課せられたことである(改正後25条の2)。この第三者機関としては、事業認定庁が国土交通大臣であるときは社会資本整備審議会(省庁再編前の組織としては、公共用地審議会がこれに該当する)が、また、都道府県知事であるときは、都道府県に置かれるそのための審議会等がこれに当たる。改正案検討の過程において、国の場合に社会資本整備審議会がこれに当たるということについては、殆ど問題は無かったが、都道府県の場合、既存の収用委員会をもってこれに当てるということでよいのではないか、との意見も、とりわけ(当時の)建設省側から出されたところであった。ただ、事業認定と収用裁決の二段構えの手続構造を前提とする以上、収用委員会が事業認定の内容に関し責任を負うようなシステムとするのは如何なものか、ということもあって、結局は、各都道府県の自治に委ねることとなった(34条の7第2項)。
なお、改正後法25条の2第1項中の「その意見を尊重しなければならない」との語は、政府の原案中には無かったが、国会の審議の過程で修正案として付け加えられたものである。このような独立の機関の意見を聴く以上、それを尊重しなければならないのは、当然のことであるが、国会によるこのような修正は、いずれにせよ事業認定が、国土交通大臣や都道府県知事(これらは、自らが起業者であることもある)の一方的な判断で行われることを防ごう、という気持ちの表れであると言って良かろう。
事業認定庁の一方的な判断を許さない、という思想は、事業認定に当たり、「事業の認定をした理由」を告示しなければならないこととされた(26条1項の改正)点にも表われている。いわゆる説明責任(アカウンタビリテイー)の明確化である。
3)収用手続に関しては、土地調書及び物件調書の作成の合理化に関する諸改正等もあるが、先に述べたこととの関係で特に注目されるのは、収用委員会の審理において、事業認定に対する不服に関する事項等、収用委員会の審理と関係が無いものを(意見書或いは口頭で)主張することができないこととした点である(63条の改正)。これは、先に見たように、従来からも学説判例上、収用委員会は事業認定に拘束され独自の判断はできないこととされてきたことからすれば、むしろ当然のことなのであって、理論的に言えば、現行法の下でも、収用委員会の判断、会長による審理の指揮のやりかた次第では、このような対処は不可能ではなかった。しかし現実には、これまた先に見たような、現行法上の事業認定制度の、収用の準備手続としての副次的位置付け等もあって、収用委員会において、そのような審理の方法を採ることが、なかなか困難であったようである。今回法律上明文でこのことを定めることにより、収用委員会における審理に際し、そのあり方に明確な拠り所が与えられることとなったということができよう。
4)今後に残された問題
今回の法改正に当たっては、国会での審議に際しても、また、マスコミ等での議論においても、事業認定手続に住民参加の途を確保せよ、という意見が、かなり強く主張された。その結果、改正法付則6条において、「政府は、公共の利益の増進と私有財産との調整を図りつつ公共の利益となる事業を実施するためには、その事業の施行について利害関係を有する者等の理解を得ることが重要であることにかんがみ、事業に関する情報の公開等その事業の施行についてこれらの者の理解を得るための措置について、総合的な見地から検討を加えるものとする。」という規定が置かれるところとなった。こういったことの必要性は、今回の改正に当たり、改正案の検討過程においても、関係者が共有していた認識であったし、また、以上において見てきたように、今回の改正それ自体、こういった見地からの様々の手を打ったのであって、その意味において、現行法に比べれば、大きな前進があったということができる。また、先にも触れたように、例えば住民参加ということについても、今回法定された起業者による事前の説明会のあり方によっては、少なくとも実質上それに近いものが実現される可能性も、無しとはしない。ただ、留意しておかなければならないのは、今回の改正は、あくまでも、土地収用法の改正、という枠の中で行われたものに過ぎない、ということであって、その場合、冒頭に説明したように、現行土地収用法は、事業認定という手続を、あくまでも、全体としての土地収用という制度の中での、本来の意味での収用のための準備手続として位置付けているに過ぎない、ということである。つまり、今回の改正で行われたのは、あくまでも、収用ということを前提として、その前提要件たる公益性の認定のあり方はどうあるべきか、という問題についてのぎりぎりの解決であったに過ぎない。しかし、問題は本来、収用という方法を採るか或いは任意買収という方法によるかはともかく、いずれにせよ、一定の公共事業を計画し実施するに当たって、地域の住民の利益等の関係諸利益との間の調整をどう行うか、という問題なのであって、収用というのは、本来、こうした調整が済んで事業の実施が決まった際に、それを実施するために用い得る一つの手段であるに過ぎない。つまり、収用のための利益調整に先立ち、本来、公共事業の計画立案に際しての利益調整、そして実施計画に際しての利益調整、という問題がある筈なのであって、わが国の場合、こういった段階での調整が十分になされないままに、突如収用という話となり、そこに全ての利益調整が持ち込まれることが、問題の根源となってきたのである。従って、今後必要なのは、公共事業の立案計画手続の整備であり、公共事業実施計画手続の整備であって、それはいわば、総合的な国土計画手続であり、総合的な土地利用計画手続である筈である。今回の土地収用法の改正には、この意味において、こういった手続の整備が進むまでの暫定的な措置としての意味しか持たない面がある、ということなのであって、これが、改正法付則6条の意味するところの一面であるということができよう。
(4)今回の改正の意義(二)… 損失補償関係
損失補償関係において注目される改正は、1)補償基準の細目を政令で規定することとしたこと、及び、2)生活再建措置の法定化である。
1)損失補償基準の政令への委任
収用に対する損失補償として、どのような損失に対しどのような補償が与えられるかということは、いうまでもなく、国民の権利の保護という見地から、極めて重要な問題であるから、法治主義の要請からして、本来、法律上明確に定められているのでなければならない。憲法29条3項自体は「正当な補償」という文言しか用いていないが、何がここでいう「正当な補償」であるかを、より詳細に定めるために、土地収用法では、その第六章に損失の補償に関する様々の規定を置いてきた。ところが、これらの規定を以てしても、本来必要とされる全ての補償をカヴァーすることはできないので、周知の通り、同法88条に「その他土地を収用し、又は使用することによって土地所有者又は関係人が受ける損失は、補償しなければならない」という、いわゆる「通損補償」に関する規定が置かれている。
ところで、何がここでいう「通常受ける損失」であるかについては、法令上これ以上詳細な規定は置かれておらず、収用委員会や裁判所の解釈に委ねられるところとなっているが、現実には、各収用委員会は、昭和38年閣議決定「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」並びに「公共補償基準要綱」に定めるところ、更に、これらを更に詳細化した、いわゆる「用対連基準」において定められているところを手掛かりとして、判断を行ってきた。これは一つには、現実にそれ以外に方法が無かったこと、そしてまた、「公共用地の取得に関する損失基準要綱」自体、同要綱の施行についての閣議了解により「この要綱は、収用委員会の裁決の場合においても基準となるものと認められる」と定められていることにもよる。ところが、こういったやり方については、次のように、理論的に極めて大きな問題があった。
第一に、いわゆる「損失補償基準要綱」は、閣議決定という形式上の重みを持ってはいるが、法的性質としては、そもそも国家行政組織内部における内部基準に過ぎず、法律や政令のように、国民の利益に対して直接に法的効力を持つものでは全くない。従って、この基準が、「収用委員会の裁決においても基準となるものと認める」といっても、収用委員会が、「この基準にしたがって裁決したのだから適法かつ適正だ」というようなことを、当事者や裁判所に対する関係で主張できるようなものではないのである。まして、「用対連基準」となれば、これは、起業者の団体の定めた内部基準であって、行政組織内部での行政規則としての性質すら持つものではない。
第二に、「損失補償基準要綱」並びに「用対連基準」は、もともと、収用に対する損失補償の基準として定められたものではなく、任意買収に当たって、起業者側が土地所有者に対して提示する買収価格のあり方につき、統一的基準を定めようとしたものである。
第三に、収用委員会は、都道府県の機関であって、しかも法律上権限行使の独立性を認められているのであるから、たとえ閣議決定を以てしても、国の機関がこのような基準でもって収用委員会を拘束することはできない。尤も、今回の地方分権推進によって機関委任事務制度が廃止される以前は、収用事務は国の機関委任事務であったから、その意味では、国が他の行政主体の事務に口を出した、ということにはならなかったが、しかし、上記のように、収用委員会には権限行使の独立性が保障されている以上、このような口出しは、法的な拘束力を持つものではなく、せいぜい行政指導的な役割を果たし得るものでしかない。まして、今回の地方分権改革によって、収用事務は都道府県の自治事務となったのであるから、従来のような形での(つまり、必ずしも法律に基づかない)国による関与には、一層問題があることになる。
こういった様々の問題があるにも拘わらず、従来、「損失補償基準要綱」や「用対連基準」は、殆ど現実に政令や省令と同視され、例えば所管庁である建設省なども、社会経済状況の変化に対応したこれらの基準(とりわけ「用対連基準」)の改革ということにはそれなりの意を払っても、こういった基準を正式の法令化するということについては、全く関心を持たなかった。私自身は、このような状況は法治国家においてあるべき姿ではないとして、これらの基準の正式の法令化の必要を、公共用地審議会等で、長い間、機会ある毎に主張してきたのであるが、建設省関係者の腰は、極めて重かった。それがこの度、収用法全般にわたる改正を行うということになって、漸く取り上げられるところとなったのである。
改正法は、88条の二として、「…及び前条の規定の適用に関し必要な事項の細目は、政令で定める」とするのみであり、この政令は未だ制定されていないから、こういった基準として実際に何が定められることとなるかは、現段階では正確にはわからない。しかし、以上見たようなこれまでの経緯からするならば、恐らくは、「損失補償基準要綱」の内容類似のものが政令によって定められることになる筈である。そして更に、その細目として、用対連基準や各省直轄事業に関する基準要綱で定められていた細目のような内容のものが、政令の委任に基づき、国土交通省令によって定められる、ということになるものと予想される。こういった改正によって、各収用委員会は、今や正面から、これらの補償基準を援用して裁決することができるようになるのである。
2)生活再建措置の法定化
改正法は、従来個別法(公共用地の取得に関する特別措置法、水源地域対策特別措置法、その他)においては規定されていた生活再建措置に関する起業者の努力義務を、土地収用一般に共通するものとして、定めるところとなった(改正後139条の2)。尤も、ここでは、この努力義務は、専ら起業者について定められているのみであり、また、公特法の場合のような環境整備措置は対象とされていない等、その内容は、限定されたものである。しかもこれは、努力義務であるから、努力した結果、必ずしも望ましい結果がもたらされなかったとしても、違法であるというわけではない。しかし、土地収用に関して共通に要請される措置としてこれが法定化されたことの法思想的な意義は、大きいものがある。
「生活再建措置」という言葉の意味については、論者により様々の理解があるが、わが国現行法についての従来の学説・判例による理解は、概ね、「憲法によって義務付けられている「正当な補償」には入らず、また、法律レヴェルで義務付けられている「損失補償」にも入らないが、収用等によって生じる土地所有者の生活上の不利益を、できる限り埋め合わせるための政策的措置」というように理解すべきものと思われる。従って、こういった措置が執られないからといって、憲法違反であるわけではなく、また法律違反であるわけでもない。ただ、「法律上の義務ではないから」といって、およそ無関係と突っぱねることはできない、というのが、これを法律上「努めるものとする」と定めることの意味である。その意味ではこれは、極めて緩やかながら、一定の手続上の義務を起業者に課すものであって、従って例えば、「事情が許す」にも拘わらず、およそ「法定の損失補償ではないから」という理由で、ここに定める措置の実施の斡旋についての申し出を無視するようなことがあったとするならば、それは違法な不作為だ、ということにもなるであろう。
三 結び
さて以上見てきたように、今回の土地収用法改正は、昭和41年以来実質的な改正が行われてこなかったこの法律が、今日の収用事務を巡る実態と必ずしも合わなくなってきている点につき、調整をしようというものであるが、改正は、あくまでも、従来の土地収用法の基本的な構造は変えず、その枠内での修正、というレヴェルに止まっている。従って、問題の根本は、今回の改正で解決されたというわけではなく、引き続き、解決の道が探られて行かなければならないものであることは、先に述べたとおりである。
また、今回の法改正には、従来からも事実上は行われてきたこと、或いは、従来の法制度の下でも事実上行うことは可能であったことを、法律上明文を以て根拠付けた、というものも多い。そういった意味では、この改正によって、何事かが大きく変わるというのではなく、土地収用法制度及びその実務により法治主義的な明確性・透明性が与えられることとなったという、その意味では、優れて基本的ないし理論的な側面における進展に大きな意義が存在する。
もとより、今回の改正によって、従来実務の上でもできなかったことができるようになる、という点も決してないわけではない。例えば、かなり技術的な問題なので本日の話では触れなかったが、収用委員会の裁決に関連する手続の見直しの中で、土地調書及び物件調書の作成の合理化に関するもの、また、補償金の払い渡しと裁決の失効に関する制度の改正、等はその例である。
なお、今回の法改正については、マスコミの一部等において、東京都日の出町の廃棄物処理場建設のために現在進行しつつある収用におけるトラブルを強権的に解決するために、収用権限の強化を狙ったものである、といった批判がなされたが、以上説明してきたことから、これは的外れの批判であることが明らかであろうと思われる。そもそも、この改正法は、これから施行の運びに到るのであって、既に起きている事件に遡及適用されるものではない。また、今後類似の事件が起きる可能性に関していうならば、確かに今回の法改正によって、収用手続の進展を促進するための措置が講じられたこと自体は否定できないであろう。しかしそれらはいずれも、およそ、何が何でも収用を阻止する、という立場に立つ者にとっては、不利益である改正であるにしても、制度の適正かつ合理的な運用を是とする者にとっては、基本的にリーゾナブルな改正というべき性質を持つものである。今回の改正の根本理念は、そもそも、何故「絶対反対」というような事態が生じるのかを考えた上で、そういった事態そのものが生じないようにする必要がある、という前提に立ったものなのである。本日縷々お話ししてきたように、土地収用法の改正という枠内でのものである限り、この点についての手当がなお不十分であること自体は否定できないものの、制度の進展そのものが向いている方向は、決して間違ったものではない、と私自身は考えている。
今回の法改正は、なお、これを補充する政令その他の法規の制定を待ち、また、そういった改正法の下での、現実の実務の適正な執行を通じて、初めてその意義が達せられるべきものである。これらの点についての今後の成り行きを見守ることとしつつ、本日の話を終わることとしたい。