東北法学会2002年度大会における講演要旨
仙台地方検察庁検事正 倉田 靖司

「イギリスの刑事司法制度に見られる幾つかの特徴について(要旨)」

第1 はじめに

 司法制度改革が議論されつつあるので,イギリスの刑事司法制度の中から参考になりそうな事項を,大別して二つほど話題として提供させていただくが,本日私が申し上げることは,単なる私見であり,検察の意見ではないことを,あらかじめお断りしておきたい。

 話題の第1点目は,「イギリスでは,非法律家が刑事裁判における事実認定権を独占していることを前提として,予断を排除し公正な裁判を確保するために,理論的に考え得るあらゆる方策を講じている。」ということである。これは更に二つの論点に分けられる。一つは,「報道規制」であり,他の一つは,「事実審理と判決手続の分離及び前者における性格証拠の排除」である。

 第2点目は,「イギリスでは,逮捕後の被疑者の取調べは時間的に極めて限定されている上,弁護人の取調立会が可能であり,また,一定の犯罪については取調状況の録音が義務づけられているが,それらが可能なのは,刑事実体法の作り方や国家賠償制度等が,日本とはかなり異なるからだ。」ということである。

第2 予断排除

1.報道規制

 イギリスでは,犯罪報道は,昔から判例法(コモン・ロー)によって,また,最 近では判例法を条文化したContempt of Court Act 1981によって,厳しく規制されている。すなわち,犯罪被害の発生事実のみを報道することは自由だが,被疑者が特定されると,その時点から裁判が終結するまでの間に公表できるのは,被疑者・被告人の人定事項,罪名,公開の法廷(予備審問を除く)に提出された主張及び証拠程度に限られ,その範囲を超えて公表し,それが裁判手続における司法の進行を著しく妨げ,又は害する実質的危険を生じさせると,裁判所侮辱罪(contempt of court)に当たり,故意・過失が無くても,最高2年の拘禁刑に処せられる。この犯罪は,厳格責任犯罪(strict liability offence)と呼ばれるタイプの犯罪の典型例である。なお,抗弁(defence)が認められており,①公表したときに裁判が進行中であることを知らず,進行中であると疑う理由さえなかったこと,又は②公表する記事の中に問題となる部分が含まれていることを知らなかったし,含まれている可能性があると疑う理由さえなかったことを,被告人(すなわちメディア関係者)側が立証したときには,無罪とするとされている。

 日本では,被疑者が逮捕されると,「◯◯歳の男性を騙して×××万円を貢がせたあげく殺して死体を山中に捨てた△△歳の女が今日逮捕されました。」などと言いながら手錠をかけられて連行される姿(最近はモザイクをかけているが)を放送したり,否認しているとか認めているとか,動機は何だったかとか,犯行の方法はどうだったかとか,まだ謝らないとか,留置場の食事は全部食べたとか,一斉に放送し,学者や弁護士,更には弁護人のコメントを放送したりするが,イギリスでは,そのようなことは,許されない。新聞・雑誌も同様である。なお,イギリスにおける犯罪報道ぶりの実例については,拙稿「イギリスの刑事陪審制における『公正な審理』について」法の支配86-37(1991.11)を参照願いたい。

2.事実審理における性格証拠の排除

 イギリスでは,否認事件の公判手続を二つに分け,最初に有罪無罪のみを決 定する事実審理を行い,有罪とされた場合に限り,判決手続を行う。陪審員は,前者において有罪・無罪を決定するが,判決手続には,関与しない。注目すべき点は,前者においては,予断排除のため,検察側も弁護側も,原則として,性格証拠(character evidence),日本風に言えば情状証拠を提示してはならないこととなっている,ということである。

 検察側は,被告人に前科前歴があっても,事実審理の間は,原則として陪審にこれを知らせることは許されないし,前科前歴以外の身上経歴事項も,被告人が訴因に掲げられた犯罪を犯したか否かを判断する上で必要ない事項は,暴露できない。どのような家庭に生まれ育ったかとか,学歴とか職歴あるいは結婚・離婚歴なども,有罪と決まるまでは,通常,法廷に顕出できない。

 被告人側もこのルールに拘束されており,被告人が良い性格の人間であることを立証しようとしたり,訴追側証人の悪性格を立証しようとした場合には,被告人が自己を守る盾を捨てたものとみなされ,検察側は,被告人に対する反対尋問において,被告人に前科前歴があることや,その他被告人に悪性格があることを追及する尋問を行うことができることになっている。例えば,被告人が「私は婚姻して子供もおり,常に仕事に就いていて家族の生活を支えています。」と証言すると,良い性格の人間であることを立証しようとしたことになるので,訴追側は,被告人に前科や非行歴その他悪性格の事実があれば,それらについて反対尋問できるようになるのである。

第3 被疑者の取調べ及び捜査の可視化と実体法

1.イギリスにおける被疑者取調べの制度と運用の実情

 イギリスにおける被疑者の取調べに関するルールは,最近,Police and Criminal Evidence Act 1984によってこの法律とその下位規範であるCodes of Practice A to Eにまとめられた。その結果,警察官が被疑者を逮捕した場合に は,取り調べるのは可能だが,警察署に引致してから24時間以内にチャージ (起訴)しなければ釈放しなければならず,殺人のように重大な事件でも,これ が96時間以内に制限されること,取調べにソリシターが同席して助言すること ができること,正式起訴犯罪の被疑者を取り調べるときは原則として録音をしな ければならないことなどが規定された。

 さらに,2002年(平成14年)5月,Code of Practice Fが施行され,幾つかの警察で取調べ状況の録画が試行され始めた。

 なお,ここまで被疑者の保護が進んだため,黙秘権は廃止された。

 それにしても,我が国で犯罪の捜査に関与したことがある人ならば,殺人事件を4日以内に起訴することなどおよそ不可能だと思うはずである。

 しかし,イギリスの捜査の実情を観察すると,もっと驚くことには,殺人で4 日間起訴前の勾留をするのはまれで,たいていは,24時間以内にチャージ(起 訴)しているのである。実際,来日したイギリスのある警察幹部は,日弁連で講 演した際,「殺人(マーダー)から万引きまで,あらゆる犯罪を含め,取調べの 平均時間は,30分から40分である。」と明言していた。

 なぜ,殺人でも30分から40分間の取調べ1回で起訴できるのだろうか。それだけでも不思議なのに,なぜ,捜査の可視化までできるのだろうか。

 答は単純であって,イギリスでは,犯人性が明らかである限り,客観的事実さえ証明できれば被疑者の自白を得なくても起訴できるように,実体法(この実体法の中には,挙証責任の配分も含まれる。)が作られているからである。その結果,捜査を可視化することも容易だったのである。これに対して,日本の刑法は,責任主義を貫き,犯人の主観面を重視したものになっているため,犯人の詳細な自白なしにはほとんど起訴さえできない結果をもたらしているのである。

2.イギリス刑法の特徴

 イギリスでは,抽象的原理原則を排し,ある一定の反社会的行為を犯罪とし て処罰するとしたら,被疑者が黙秘又は否認することと取調時間が限定されていることとを前提に考えると訴追側は実務上どの程度までならば立証できるかとか,挙証責任をどのように配分すればフェアに訴訟ができるかとか,刑法の基礎的原理を樹立するとしても陪審はどの程度までならば理解できるか,などという観点から,訴追側と弁護側とがそれぞれ立証すべき事柄を決定するなどして,公正な裁判の実行可能性を重視し,論理的整合性は必ずしも重視しない立場で構成要件と主観的要素の内容を決め,かつ,挙証責任の配分を決めている。その結果,刑事実体法は,極めて客観的になものになっている。

3.イギリス刑法の具体例・・・殺人罪

 殺人を例にとって説明しよう。イギリスの殺人すなわちマーダー(murder)は, 重>大な身体の傷害(grievous bodily harm, GBH)を与える故意でかかる傷害を負わせ,その結果相手を死亡させることと定義されている。したがって,我が国の殺人と傷害致死のかなりの部分を包含している。法定刑は,以前は一律死刑だったが,戦後死刑を廃止した後は,情状にかかわらず一律無期拘禁刑である。裁判所に裁量権はない。かつ,心神喪失(insanity),心神耗弱(diminished responsibility),心中の約束(suicide pact)は,抗弁(defence)とされており,これらを根拠にして殺人で有罪になるのを免れようとするならば,その挙証責任は,被告人側にある。心神耗弱や心中の約束の抗弁が認められると,マンスローター(manslaughter)という別の罪名で有罪となり,無期刑のほか社会内処遇まで,判決は何でも可能になる。

 なお,殺人未遂は,我が国と同様,殺意を必要とする。法定刑は,殺人既遂同様,一律に無期拘禁刑である。

 とすると,仮に被害者の死体と凶器のナイフが確保されていて,被疑者が「私がそのナイフで被害者の脇腹を一回刺したことは間違いない」と一言供述し,鑑定医が死因は当該ナイフによる刺創である旨の鑑定意見を出しさえすれば,イギリスでは直ちにマーダーで起訴できるわけである。それ以外の捜査は不要である点が日本と大きく異なる。

 殺人既遂で有罪の評決を受け無期拘禁刑を宣告されるのを免れたければ,被告人が法廷で努力するはずで,正当防衛も,挙証責任は訴追側にあるが主張責任は被告人側にあるというのが判例であるから,捜査段階で訴追側が心配すべき事柄ではない。

 また,日本にはないが,イギリスには,挑発(provocation)という抗弁がある。すなわち,よく例に挙げられるのは,帰宅したら妻がほかの男とベッドインしていたので,その瞬間かっとなり,我を忘れてベッドサイドの花瓶を手に取り,その男の頭を殴打して死なせてしまった,というケースであるが,この抗弁が陪審によって認められると,マーダーではなくてマンスローターで有罪となる。この場合,挙証責任は依然として訴追側にあるが,主張責任は弁護側にあるので,訴追側は,この点も起訴時点ではあまり気にしない。 また,日本にはないが,イギリスには,挑発(provocation)という抗弁がある。すなわち,よく例に挙げられるのは,帰宅したら妻がほかの男とベッドインしていたので,その瞬間かっとなり,我を忘れてベッドサイドの花瓶を手に取り,その男の頭を殴打して死なせてしまった,というケースであるが,この抗弁が陪審によって認められると,マーダーではなくてマンスローターで有罪となる。この場合,挙証責任は依然として訴追側にあるが,主張責任は弁護側にあるので,訴追側は,この点も起訴時点ではあまり気にしない。

4.我が国の刑法と殺人事件の捜査の実情

 ところが,日本ではどうかというと,精緻な責任主義の行き着くところ,殺人と 傷害致死とは峻別されており,法律上も裁判実務上も,量刑が格段に相違するので,警察・検察としては,事件の筋読みが殺人ならば,徹底的に殺意を証拠固めしなければならない。その場合,被害者と被疑者との出会いから犯行に至るまでの関わり,犯行の動機原因,犯行態様,及び犯行後の被疑者の行動までを,関係者から細かく聞き出し,証拠化しておかなければ,殺意の立証はできない。

 ところが,被害者は死亡して供述不能だから,そのような事実の流れをくまなくきちんと供述できるのは,被疑者しかいないのが普通である。参考人は,一つの場面という「点」を証言できても,事件全体の流れという「線」を証言できないのが通常である。それ故,かなりの時間をかけて被疑者の取調べとその裏付け捜査をしなければならないのである。

 しかも,正当防衛でもなく,また,心神喪失でも心神耗弱でもなく,更には,自殺関与や嘱託殺人でもなかったことは,検察側に挙証責任があると固く信じられているので,「ない」という悪魔の証明まで,警察・検察は取り組まなければならず,その観点からも被疑者及び周囲の人達に対する事情聴取と裏付け捜査もしなければならないのである。

 おまけに,殺意を証拠固めできたとしても,法定刑は死刑,無期懲役から3年以上の有期懲役まで,幅があるので,適正な科刑を実現するため,情状事実まで十分捜査し,立証しなければならない。そこで,情状立証という観点からも,被疑者及び周囲の人達の供述を得る必要があるのである。

 ところで,被疑者の供述の裏付けは,被疑者の供述内容が漏れないよう十分注意しながら収集する必要がある。被疑者が真実を半分しか供述せず,自分に不利な事実を隠している段階で,周囲の人たちにそれが漏れてしまうと,準共犯者的人物とか,被疑者の身内の人とかは,被疑者が自白した限度ではしぶしぶ事実を認めても,それ以外は嘘をついて,捜査に協力しないかもしれない。だから,どうしても,被疑者の取調べは,立会人抜きで密室で行う必要がある。

 当然のことながら,こんなに盛りだくさんの捜査(イギリスでは全く必要ないことに留意願いたい。)をしなければならない上,どうしても被疑者の供述が鍵となる事柄が多いものだから,逮捕プラス20日の勾留では,とても間に合わない。それを,警察官や検察庁の職員は,ウィークデーに残業するのはもちろん,土日祭日も返上し,なんとかやっているのが現状である。

 もし,被疑者の取調べに弁護人が立ち会うこととなると,黙秘事件が増加するかもしれないし,弁護人は依頼人とか被疑者の親族などから聞かれれば,取調べの具体的状況をある程度教えざるを得ない場合もあるだろうから,弁護人としては罪証隠滅を意図しなくても,そのような結果を招くことがないという保証はない。現在の日本において刑法典とその底流をなす刑法理論をそのままにして捜査の可視化だけを立法したら,犯人の当てはついていても起訴できず,起訴しても無罪又は認定落ちして軽い判決にとどまるような事態が重なり,刑事司法制度は犯罪者からはなはだしく軽視されるようになり,その結果,おそらく10年くらいのうちには,治安が相当乱れ,善良な市民は犯罪の被害にあう恐怖にさらされるようになるおそれがあると私は感じている。

 しかし,もし日本の実体法をイギリスのように変えてしまえば,先ほどの例(ナイフで脇腹を刺したケース)のような殺人事件でも,日本の捜査官は,殺意や正当防衛や責任能力や情状などについて心配する必要はなくなるから,弁護人と一緒に録音をしながら30分か40分被疑者を取り調べ,すぐに起訴することも,夢ではなくなるだろう。

5.組織犯罪対策

 ただし,実はもう一つ,ハードルがある。イギリスには暴力団がいないので, ホワイトカラー犯罪は別として,その他の組織犯罪というのは,たまたまある犯罪を一緒にやろうという者たちがアド・ホックに徒党を組むだけにすぎないので,犯人たちが順次捕まった場合,誰が最初に自白しようと,たいした問題にはならないが,日本では,残念ながら未だに前近代的な犯罪的文化を維持している暴力団がいるので,最初に自白した者が,後日生命身体の危険に晒されることをおそれ,自分が最初にしゃべったことだけは秘密にしてくれと警察官や検察官に真剣に頼むことは珍しくない。警察が組織犯罪の末端の共犯者と目される暴力団員を被疑者として取り調べる最初の段階から録音を義務付けると,暴力団による組織犯罪は,殺人に限らず,恐喝,詐欺,覚せい剤事犯等,解明が極めて困難になるだろう。

 なお,イギリスでも,ホワイトカラー犯罪の捜査のためには,一般事件のための手続法が持つ弱点をカバーするため,SFO(Serious Fraud Office)という特別の捜査・公訴遂行機関を設置し,重要参考人に対する出頭・説明命令権限を付与し,一種の免責を付与して尋問できるなど,所要の法整備をしている。

6.国家賠償制度

 我が国では皆が訴追側の責任事項と思いこみ,捜査という段階で密室で行ってい る証拠集めの作業のうちのかなりの部分を,イギリスでは,弁護側が主張責任や挙証責任を負担しながら,公開の法廷で行っているため,当然のことながら,無罪率は高くなるが,イギリスでは,単なる無罪事件については,刑事補償とか国家賠償のごときものは,全くない。不法行為の一形態として,「悪意訴追」というのはあるが,まさに悪意がなければ賠償は認められないのが判例であるから,イギリスでは,我々日本の検察官のように無罪判決を気にする必要がない。そこで,敗訴する可能性よりも勝訴する可能性のほうが高ければ,起訴できる。イギリス検察庁は,検察官行為規範のなかで,その点を明示している。

7.まとめ

 従来,我が国では,諸外国の法制度を研究する場合,手続法を論じるときは手続 法だけを論じて実体法を論じることをせず,実体法を論じるときは実体法だけを 論じて手続法を論じることをしないという傾向が強いようであるが,そのような 研究手法には,木を見て森を見ざる危険があると思われる。今後は,手続法と実 体法の両面から同時にアプローチする外国法研究が積み重ねられることを願って やまない。