東北大学法科大学院メールマガジン

創刊号 05/26/2005

 東北大学法科大学院メールマガジン,ようやく創刊に至りました。今後は,入試,説明会,オープンキャンパス等に関する情報を適時にお届けするとともに,私たち教員が法科大学院における教育についてどのように取り組んでいるかをお伝えしていきたいと考えております。よろしくお願い申しあげます。

 さて,創刊号の今回は,憲法担当の山元一教授の「マニュアルと《マニュアル思考》」と題するエッセイをお届けいたします。私たちがいかなる法学教育を目標にして試行錯誤を繰り返しているか,その一端でもご理解頂ければ幸いです。

 なお,2006年度入試についてたいへん重要なお知らせがあります。詳しくは,下記のサイトをご覧下さい。

 http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/info/050526-oshirase.html

マニュアルと《マニュアル思考》
山元 一

 2004年4月に,司法制度改革審議会の意見書を受けて,法科大学院というプロジェクトが具体化に移され,全国各地でロー・スクールが産声を上げたとき,《よき実務家》の養成の一端を担うという使命が教員に課せられました。一般に,従来の法学部の教員が提供していた教育内容は,①専門学部の授業と演習,②全学部向けの一般教養の法学や日本国憲法の授業,③研究者志望の学生を主なターゲットとする大学院レベルの指導,の三つでした。そこに全く新たに,第4の課題として,将来日本法を実社会で担う実務家の養成が加わることになったわけです。

 そこで,ロー・スクールで授業を行うにあたっては,《よき実務家の養成》とは何を意味するか,ということを常に考えながら,準備を進めることが社会的に要請されていることになります。ここで考えてみたいのは,そもそも従来の司法試験制度で元凶視されたいわゆる予備校教育,そしてそこで助長していると批判されてきた《マニュアル思考》についてです。批判の槍玉に挙げられる《マニュアル思考》とは,出題される様々な問題に対して,すでに用意された既存のフォーマットをただ機械的に当てはめて解答を出して,それでこと足れりとする態度を指しています。しかし,天才的な芸術家の場合はいざ知らず,一般に,専門家にとってマニュアルは必須です。それどころか,マニュアルを完全に自分のものとしてこそ,一人前の専門家と呼ぶことができるでしょう。医者を例に取れば,患者の症状から反射的に投薬内容や今後の検査の内容をたちどころに指示することができるのが,よき実務家としての医者だといえるでしょう。マニュアルを使いこなすことができるのが専門家であるとしたら,一体《マニュアル思考》のどこに問題があるのでしょうか。おそらく,マニュアルの問題点は,それが社会の変化や技術革新等によって,必ずそして急激に陳腐化するという運命にあることにあります。だとすれば,マニュアルを出し抜くような新しいケースが目の前に現れてきた時に,それにもかかわらず,適切な処理ができることが《よき実務家》のための条件ではないでしょうか。ところが,《マニュアル思考》に支配されてしまっている人は,このときに対処不可能状態に陥ってしまいます。

 そうなってしまう原因は,そもそも自分が日々利用しているマニュアルがどのように作り出されてきたかについて,その基本にさかのぼって理解するということが,欠如しているからだと考えられます。

 以上のことを前提として考えると,法科大学院の教育のあるべき姿は,法の実務的処理の専門家の育成という分野で,マニュアルを使いこなせる技術の基礎を習得させるとともに,ともすれば陥りがちな《マニュアル思考》を克服するために,マニュアルそのものの成り立ちについての明確な理解をうながすことにある,といえるでしょう。とりわけ,研究者出身の教員に期待される役割は,理論的な蓄積を背景にマニュアルそのものの成り立ちについて明らかにすることだ,ということになります。

(東北大学大学院法学研究科教授/憲法;初出『受験新報』2005年2月号 巻頭言)

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