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東北大学法科大学院メールマガジン

第46号 07/28/2009

◇平成22(2010)年度の募集要項が発行されました

 「平成22(2010)年度東北大学法科大学院学生募集要項」がホームページに掲載されております。東北大学法科大学院の修了者には、「法務博士(専門職)」の学位が授与され、新司法試験の受験資格が付与されます。入学を検討されている方は、ぜひご覧ください。
http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/info/boshuyoukou.html

 出願書類の用紙の請求は、入試関係資料請求ページ(テレメールWeb)から行うことができます。請求方法の詳細は、以下のアドレスにアクセスした後、ページ内の指示に従ってください。
http://telemailweb.net/web/?420005

◇第4回連続講演会開催のお知らせ

 東北大学法科大学院では、現在、修了生・在学生・教職員を対象に連続講演会を開催しています。
 連続講演会の最終回(第4回)として、仙台の法曹界でご活躍されている裁判官と弁護士の先生方にご講演頂けることになりました。一般的な観点から、および、特に女性という立場から、法曹としてのキャリアの積み方やライフプランについてお話頂きます。一般的な観点からのお話にも重点がおかれますので、女性だけでなく、男性にとっても有意義な内容となります。ぜひこの機会を逃すことなく、多数のご参加をお待ちしています。

第4回 8月30日(日) 10時〜12時
「法曹としてのキャリアプラン、ライフプラン」(仮題)
講師:仙台高等裁判所判事  高橋彩氏

弁護士(藤田綜合法律事務所)  藤田祐子氏
場所:片平キャンパス法科大学院棟第3講義室
http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/gaiyou/access.html

◇トピックス−連続講演会 その1

 東北大学法科大学院では、現在、修了生・在学生・教職員を対象に連続講演会を開催しています。
 第1回は、さる6月18日(木)に、片平キャンパスさくらホールにおいて、島田仁郎先生(元最高裁判所長官)をお迎えして、「裁判員制度」についてご講演頂きました。藤田紀子先生からのご紹介の後、島田先生のご講演、質疑応答、さらに、裁判員制度に関する最高裁判所が企画・制作した映画「評議」の上映が行われました。今回は、その概要をお送り致します。

裁判員制度について

島田仁郎前最高裁判所長官

島田仁郎前最高裁判所長官 ○はじめに
 ご紹介頂きました島田です。私が司法試験に合格したのは1960年ですが、当時司法試験の勉強に使った刑法の基本書は東北大学の木村亀二先生、身分法は中川善之助先生でありました。そして、最近では、7年前に仙台高裁の長官として一年間勤務した時に、東北大学法学部の研究会に招いて頂き、当時の河上正二法学部長はじめ諸先生方とたいへん親しくさせて頂きましたし、その研究会で後に最高裁でご一緒することになった藤田宙靖先生と知り合うこともできました。そして、現在は、その藤田宙靖先生の奥様の藤田紀子先生、また、私が仙台在任中に仙台地裁の所長として親しくコンビを組ませて頂いた石井彦壽先生も本学で教えていらっしゃいます。ですから、私は本学に非常に親近感を抱いておりまして、本日ここでお話しさせて頂きますことは大変有り難く思っております。

 さて、本日、私に与えられたテーマは、裁判員制度です。この法律ができたのは平成16年5月ですが、法律によって準備期間として与えられた5年間は早くも経過し、先月21日から制度が発足致しました。報道によりますと、東京地裁の裁判員裁判第1号の公判は8月3日に開かれ、仙台地裁では既に2つの事件が起訴されており、いずれも7月16日に公判前準備が行われるそうですから、おそらく8月の終わりか9月の始め頃には次々と裁判が始まることになるでしょう。

 ところで、申すまでもないことですが、この裁判員制度は、国民の皆さんのご理解とご協力なしにはやっていけないものです。ところが、ごく最近のNHKの調査によると、裁判員候補者となった方々にアンケート調査をしたところ、裁判所から呼び出されたなら行くと応えた人は77%にものぼるのに、選ばれたくはないという人が58%もおられたということでした。

 でも、何故この制度が必要なのか、この制度にするとどんな良いことがあるのか、ということが分かって納得がいったなら、仕方がないというより、進んで参加しようという積極的な気持が沸いてくるのではないでしょうか。本日は丁度良い機会ですので、法律になじみの深い皆さんにその辺のことをお話しさせて頂き、皆さんを通じて1人でも多くの人に、なお一層のご理解を頂くと共に、今後のご協力をお願いしたいと思います。

○制度の概要
 この制度は、国民のうち20才以上の有権者の中からくじで選ばれた6人の裁判員が刑事裁判に参加する、つまり、3人の裁判官とともに、法廷に出て審理に立ち会い、そのあとの合議では、皆がそれぞれ意見を述べ合い、多数決によって、被告人が有罪かどうか、有罪の場合どのような刑にするかを決めるというものです。なお、途中で具合の悪くなった裁判員の代わりになるため、補充員も参加します。

 裁判員裁判を行う裁判所は、全国に50ある地方裁判所と、地方裁判所の支部の中で大きな10箇所の支部です。対象となる事件は、死刑または無期懲役に当たる事件や、故意の犯罪によって人を死なせてしまった事件のように刑の重い事件に限られます。どのような確率で裁判に参加することになるかといいますと、全国の刑事事件の1年間の数はおよそ10万件、そのうち裁判員制度の対象となる事件は、3%の3000件位、これを20才以上の有権者で分担するので、裁判員候補者として裁判所に呼び出されるのは500人に1人、実際に裁判員または補充員に選ばれて裁判に参加するのはおよそ5000人に1人、ということになります。そうすると、一生の間に裁判に参加することになる確率は、およそ100人に1人ということになります。

○制度を導入した理由
 裁判員制度は、国民に重い負担をかけるものであり、これまでのように裁判官による裁判で良かったのに、今、何故このような制度を導入するのか、という疑問を抱く人が多いのではないでしょうか。たしかに、これまでの裁判に対して、不満や不信の念が高まった結果、これを導入しようというのではありません。裁判が適正に行われているということについて、国民一般の信頼を得てきたということは、世論調査の結果からも明らかです。

 それでは、なぜ裁判員制度を導入することになったのかというと、その理由は、大きく分けて2つあります。第1には、一般の国民が裁判官と一緒に裁判をすることによって、裁判に国民の健全な社会常識が反映されるようになることであり、第2には、国民が裁判のことを良く知るようになり、その結果、国民の裁判に対する信頼がより強固なものになること、であります。

 先ず第1の点について言えば、裁判の適正について、国民から一般的な信頼はあるものの、一方で、裁判官は世間知らずだとか、裁判の内容が世間の常識とかけ離れていると批判されることは希ではありません。このような批判があることを謙虚に受け止め、皆が納得のいく裁判を目指して、更に良い方向へ前進するためには、裁判に国民一般の方々に加わって頂いて、その方々の健全な社会常識を裁判に反映させるに超したことはないです。裁判員の人たちは、あくまで市民一般の私的な人間として、それぞれ自分の生の声をそのまま出せばよい、6人の裁判員の方々のさまざまな視点から見た意見が加わることによって、裁判の内容がこれまで以上に多角的で深みのあるものになることが期待されます。

 第2の点について言えば、これまで国民が裁判について知るのは、傍聴するか、報道によるしかありませんでした。多くの人は傍聴もしないで報道を通じて知るだけですが、報道されるのは裁判のほんの一部にしか過ぎないし、その報道も不正確であったり、偏見が混ざることは避けがたい状況でした。人に刑罰を科し、長期間刑務所に入れたり、場合によっては死刑にまでする刑事裁判について、国民の間に不信感があるようなことは極めて望ましくないことです。国民の真の信頼を得るには、裁判員として裁判官と一緒に法廷に臨んで頂き、裁判官と一緒に合議をし、証拠の吟味をし、量刑について意見を交わすことによって、刑事裁判がどのようにして行われるのか、その実体を知りその重みを実感して頂くことが最善の方法であります。そうすれば、裁判に対する信頼感はこれまで以上に根強く強固なものとなることが期待されます。

 裁判員制度が導入されるに至った主な理由は、以上の2点でありますが、その他に、刑事裁判の在り方が改善されるという大きなメリットがあります。

 先ず第1に、一般の人に裁判に加わって頂くからには、難しい専門用語は避けて、分かりやすい言葉を用いなければならないことは当然ですし、裁判員が法廷で証拠を目で見て耳で聞いて、その場で心証をとれるようにしなければならないので、証拠はこれまでのように分厚い調書が何通も出されてそれをあとで熟読するということではなく、証人の口から直接聞く、簡潔で要点を突いた証人尋問が集中して行われるというのが、一般的な姿となります。取調状況の可視化、すなわち取調状況をビデオなどで再現して見せる方向に進み、証拠の調べ方がすべて分かりやすくなるので、傍聴している人にも、法廷で何が行われているかが良く分かるようになります。

 第2に、裁判員にかかる負担をなるべく少なくするため、公判の日数を出来る限り短くするとともに、なるべく連続して開く必要があります。そのために、裁判を始める前に、公判前整理手続によって、事件の争点を明確にし、その争点について判断するのに必要な証拠を厳選したうえで、調べる順番やそれにかける時間まで計画を立てておくことになります。このような争点を中心とした集中的な審理はこれまでも刑事裁判の理想的な姿とされてきましたが、裁判員制度により自ずから実現されることになります。

○制度の意義
 民主国家のもとにおいては、国の三権の一つである司法権も主権者である国民からの負託を受けて行使されるものですが、司法権についてはこれまで国民の声が反映される機会が、立法や行政に比べてきわめて少なかったのです。裁判員として刑事裁判に参加するということは、司法権を直接行使する機会を与えられたということにほかならないわけで、まさに国民主権の精神を具体化した制度であると言えるでしょう。刑事裁判への国民参加は、日本では戦前の一時期陪審制度が行われていましたが、戦後では経験のないところです。しかし、近代的諸国家の大多数では、形はさまざまですが国民参加の制度を採用しており、裁判に参加することは、国民の義務であると同時に、権利でもあると位置づけられています。

 なお、この制度は憲法違反であるとの主張があります。そのような議論に対して、最高裁長官はじめ、最高裁全体として表立って反論していません。それは、制度が違憲であるということが具体的な事件で主張されたときに、裁判で決着をつけるべきことであるので、裁判の前に、先取りしてその判断を公にすることは相当でないということのためです。私の場合も、現職中に憲法判断を述べても差し支えないではないかという見方もあったかもしれませんが、現職の長官が裁判前に判断を示すのは相当ではないということで、控えていたのです。

 今はもう退官した身で遠慮する必要はないと思いますので、私の意見を申しますと、そのような違憲論については全く納得がいかないのです。(1)被告人が裁判官の裁判を受ける権利を侵害するものであるといわれますが、憲法32条が保障しているのは「裁判所において裁判を受ける権利」であって「裁判官の裁判」と限定していません。(2)憲法は、裁判官の身分保障を規定しているが、裁判員は身分保障されていないのでそのような者が裁判するのは違憲であるという議論もありますが、裁判官が身分を保障されているのは、不当に罷免・懲戒されたり報酬を減額されたりしないように、裁判の独立を守るためであるところ、裁判員はそのような形で圧力をかけられることはあり得ないのだから、このような議論が不当であるのは明らかです。(3)憲法上、裁判員・陪審員について規定はありませんが、憲法制定当時これを憲法の条文にまで規定する必要をみなかったまでのことであって、規定がないということが違憲である根拠にはなりません。この制度は、民主国家・主権在民をうたった憲法前文の精神にまさに合致するわけでありますし、憲法制定当時、このような制度を設けることも考えられていたことは、憲法と同時に施行された裁判所法3条3項が、「刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」と規定していることからも、明らかです。

 私たちが社会生活を送る上で、犯罪は決して他人事ではなく、安全に暮らせる社会は、私たちの生活の基本であります。国民の1人1人が犯罪という現実に向き合い、犯罪者の処罰について真剣に考えることは、安全で平和な社会を守っていくために、大きな意義をもつものといえるでしょう。

○もろもろの不安に応えて
 私たちが調査した結果では、参加に消極的な理由中もっとも多いのは、素人である自分に人の一生を左右するような難しいことができるだろうかという不安です。でも、このような不安は私たち裁判官にもあるのです。私は、初めて裁判官として法廷に立ったときどれだけ緊張したことか、判決を言い渡したときに感じた恐ろしいような気持は未だに良く覚えています。いつも「おそるおそる」という気持、間違いなかれと祈るような気持で裁判に臨んできました。ただ、このような精神的な負担を、必要以上に重く考えすぎている方も多いように思われます。「人を裁く」といっても完全無欠の判断をすることを求められているのではありません。人間のやる裁判ですから、限界があるのは当然です。自分の最善を尽くしさえすればそれで十分なのです。

 裁判員の役割は、法が定める手続にしたがって、調べた証拠から、被告人が検察官の主張する犯罪を犯したと認めることができるかどうかを判断すること(事実認定)と、それを認めたときに刑を決めること(量刑)の2つであります。事実認定は、法廷で、直接目で見て耳で聞いた証言や図面によって判断すれば良いのです。人の話を聞いてそれがどこまで信用できるかとか、図面を見てその場の様子を思い描くことは、誰でも普段日常生活において行っていることであって、裁判員に求められていることもそれと特段変わりがないことなのです。また、量刑については、法律によって定められた刑の範囲内でどの程度の刑が相当であるか、必要な場合にはこれまでの同種同様の犯罪についておよそどのような刑にされてきたかという資料もみたうえで、それぞれが相当と思う刑を言い合って多数決で決めるのですから、そんなに難しいことではありません。

 なお、量刑の中でも、特に死刑は重い、重すぎるという声があります。たしかに、死刑を言い渡すことは精神的に大変重い負担であり、裁判官にとっても精神的に重い負担であるのは、裁判員と全く同じです。この世に裁判があって、死刑制度がある以上、誰かが死刑を言い渡さなければならない、それを裁判官だけに任せておいて良いでしょうか。死刑制度廃止の議論がありますが、私は、死刑を廃止するか存続させるかは、国民の総意で決めるべきことだと思っています。それには、国民が先ず死刑が求刑されるようなひどい犯罪に向き合う必要があるのではないでしょうか。裁判員として裁判に参加して、死刑を求刑されるような事件と向き合ってみて、それでもなお死刑にするのは酷であると思えば、そういう意見を述べれば良いのです。国民の皆さんの意見が反映された結果として死刑がどんどん減ることになれば、それはそれで結構なことではないでしょうか。死刑を含めて、量刑に一般市民の感覚が反映されるのは、裁判員制度の大きなメリットであると思います。

 時間の関係で、私の話はこれで終わらせて頂きます。とくに、この場で、ご質問があれば、時間の許す限りでお答えしたいと思います。ご静聴有難うございました。

<質疑応答>
問1実際の事件で憲法違反の主張がされた場合、裁判員はどうしたらよいでしょうか?
答1裁判員は、憲法判断も含めて何でも率直な意見を言ってもらいたいと思います。
問2裁判員制度について、日本国民の国民性として、裁判官の言いなりになってしまうのではないかという意見もありますが、如何でしょうか?
答2今までも多くの方が、日本人の国民性として自分の意見を言わない、強いものに巻かれるという傾向を述べています。しかし、いつまでもそうであってはならないし、裁判員制度が始まったら、裁判官も裁判員に活発に意見を言ってもらう努力をしなければならないと思います。実際に、裁判官は模擬裁判等を通して活発な意見が出るように工夫をしています。
問3裁判員制度は3年毎に見直すとありますが、今の制度はベストとお考えでしょうか?
答3今の制度を最善とは思っていないです。実際に始まると見直すべきことが出てくると思います。各地の裁判員裁判の問題点を集めて綿密に分析し見直しを図り、よりよい制度になるように大事に育てていく必要があると思います。
問4裁判員の匿名性は制度の本質ではないと思いますが、今後どうなるでしょうか?
答4将来匿名性がどうなるか責任をもって回答することができませんが、裁判員の匿名性については、裁判員が、マスコミに追い回されたり、被告等から恨まれたりしないようにするためのもので、大きな理由があるものです。この点も、今後の状況をみていく必要があります。
問5裁判員制度は一人一人が自由に意見を述べ合うという点で大きな改革であると思います。そうすると、義務教育である小学校や中学校のときから、この制度を定着していかなければならないと思いますが如何でしょうか?
答5皆が裁判員になる可能性がありますし、これまで司法についての義務教育は不十分であったと思います。今後、教育を充実させてほしいと思います。

◆編集後記

 今回は前最高裁判所長官である島田仁郎先生によるご講演「裁判員制度について」の概要をお届けしました。講演概要の掲載にご快諾いただいた島田先生に、心から御礼申し上げます。

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(杉江記)

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発行:東北大学法科大学院広報委員会

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