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東北大学法科大学院メールマガジン

第38号 10/31/2008

◇平成21年度(2009年度)入学試験出願者数の速報値のお知らせ

 平成21年度(2009年度)東北大学法科大学院入学試験に数多くの出願をいただきまして,誠にありがとうございました。10月20日(月)現在志願者総数は449名(うち,法学既修者コース希望302名,法学未修者コース希望147名)(速報値)でした。

 なお,第1次選考の結果については,11月4日(火)にホームページ上で発表します。

 受験票は全出願者分を10月27日(月)に発送いたしましたので,本日10月31日(金)までにお手元に届かない場合は,募集要項記載の連絡先にお問い合わせ願います。

(募集要項)
 http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/info/boshuyoukou.html

◇ミニ・シンポジウム「民事紛争とADR−よりよいADRの条件」のお知らせ

 このミニ・シンポジウムは,法科大学院の社会貢献活動の一環といたしまして,法科大学院生,教職員及び一般市民を対象として,ADRを広く周知すると共に,よりよい,人に優しいADRの将来像を探ることを目的としております。

 第1部として,紛争調停理論に精通しておられる九州大学法科大学院教授のレビン小林久子教授より「紛争解決プロセスにおける承認理論」についてご講演をいただきます。これに引き続きまして,第2部として,「民事紛争とADR−よりよいADRの条件」と題しまして,仙台における4つのADRに携わっておられる諸先生方をパネリストとしたパネル・ディスカッションを行います。

 日 時 平成20年11月8日(土)13時30分〜16時
 場 所 東北大学(片平キャンパス)さくらホール
 対 象 学生,教職員,一般
 事前に申込等は必要ございません。学内および一般の方もご自由に参加いただけますので,ぜひご来場ください。

(専門職大学院等教育推進プログラム お知らせ)
 http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/senmon/news/

◇トピックス−連続講演会 その4

 今回は,去る8月8日(金)14:40〜16:10,米村滋人准教授による講演会「医学と法律学――専門家の地位と責任に着目して」の概要をお送りします。米村先生は民法の学者であると同時に,内科の医師として現実の診療にも従事されています。そのような先生ならではの医学と法律学の違い,関係についての興味深い講演となりました。

医学と法律学――専門家の地位と責任に着目して

○はじめに

 米村でございます。医学と法律学ということで,両方の世界をに比べた時にどのようなことが言えるのか,「過去を振り返る」「自らを律する」「人を育てる」「社会に貢献する」の4つについてお話ししたいと思います。

○過去を振り返る−卑近な経験と我が国の迷走の歴史

 私が法学に入る大きなきっかけになったのは,臓器移植−特に脳死臓器移植の問題です。「脳死」とはどのような状態なのか。医学レベルの進歩により,脳が死んでも心肺機能は維持され,臓器移植が可能な状況が出現しました。また,重篤な心疾患等の存在が知られるようになり,脳死臓器移植の必要性も高まりました。日本では,1968年に初めての心臓移植が行われましたが,当時マスコミで大きく取り上げられました。1974年の膵腎移植以降,しばらく移植例はありませんでしたが,1992年に脳死臨調最終報告書がまとめられ,議員立法により臓器移植法が成立・施行されるに至っています。

 脳死臓器移植に関する論点は,3つほどあります。@脳死は人の死か。A脳死者からの臓器摘出は殺人罪の構成要件に該当するか。B移植目的の臓器摘出は殺人罪の違法性を阻却するか。ここで@を肯定すれば,ABは問題とならないことになります(脳死説)。一方,@を否定した場合,Bで違法性阻却を認める見解があります(違法性阻却説)。脳死臨調においては,多数説として脳死説をとる一方,少数説として違法性阻却説を採用しましたが,これには激しい批判も加えられました。死んでいない人から臓器を取り出し,殺人罪の構成要件に該当するのに,違法性が阻却されるというのは,おかしいのではないか,ということです。

 一般の議論としては,医師の多くは脳死を人の死とする立場に肯定的でしたが,看護師は必ずしもそうではなく,また,哲学者,宗教者はこれに強く反対しました。世論調査の結果でも,脳死を人の死とすることについての社会的合意がないとされました。脳死をめぐっては感情論も含めた様々な主張が混入し,冷静な議論にならなかった,というのが当時の状況です。臓器移植法6条各項の規定は,立法過程での修正経緯等もあり,脳死をめぐるこれらの議論の複雑さを反映したものとなっています。

 最初の心臓移植から脳死臓器移植の法制化まで30年を要していますが,立法の直接の契機は,日本移植学会が「見切り発車」を宣言したことにあり,したがって,必ずしも議論が収束しているという状況ではありませんでした。そのような中で,法律家から,有益な議論の材料が提供できていたのでしょうか。違法性阻却説が採用できない理由をきちんと説明していたか,脳死は人の死であることを社会的に納得させられる議論が展開できていたのか−たいへん難しい問題ですが,こういう難しい社会問題に直面したときの法律家の役割は何だろうか,ということを考えさせられるきっかけになったわけです。

○自らを律する−法の限界と専門家集団の自律性

 医療過誤事件が問題になっています。統計では,15年前に比べ訴訟件数は倍増していますが,最近では医療事故への対応として,裁判外の解決手法もあり,訴訟件数としては減ってきているということもできます。医療機関としても,医療事故防止のための取り組みが行われていますが,その前提として,すべての事故は「システム責任」であるとの考え方があります。ひとつの事故の背景には何百倍ものインシデントがあり,その発生過程を徹底的に分析してそれを防止するシステムが有効なこと,したがって,事故当事者の個人責任を追及しても意味がない,というわけです。

 こうなると,「法律は事故防止の敵」という感も否めません。法律家の反論としては,「それでは被害者や一般社会がそれでは納得しない」という,被害者重視の風潮に適合的な反応がある一方で,法律も純然たる「システム責任」について個人責任を認めることはない,という考え方もあります。また,「法律」の問題というよりも,訴訟制度あるいは民刑事責任の問題ということもいえるのではないかと思います。法律にもいろいろありますので,活用の仕方により事故防止に有用な場合も出てくるのではないか,という気もするわけです。

 ところが,そのように考えてみても,法律に限界があるということは否めません。実際に医療従事者を縛る行為規範は,法ではなく種々の行政規制・指針,業務命令等により浸透しているものです。そうであれば,むしろ,専門家の行為規範については,専門家集団の「自律」に委ねる方が望ましく,法システムとしても,専門家の決定を支援するほうが実効的であると考えられます。「自律」の条件として,外部者の目を入れること,内部談合ではない各分野の専門家を配置すること,そして,法システムとしては周辺的なルールを定めることにより,最低限のシステム保障や集団全体の責任追及ができるように配慮すべきではないでしょうか。そして,専門家として尊重に値しない場合は厳しく対応,ということになるでしょうか。

○人を育てる−人材養成システムと医学・法学

 どんな場合でも,専門家がその質を維持するためには,適正な人材養成システムが必要です。医学においても法学においても,人材養成の問題は極めて重要であり,制度改正の議論も活発に行われていますが,その際には,教育機関である大学の位置づけとか,専門家のOJTのあり方など,きわめて広範な問題が控えています。

 医学教育の場合,大学における卒前教育と医師免許取得後の卒後教育とがあり,後者はさらに初期研修と後期研修とに分けることができます。全体を通じた特徴として,まず,初期研修までは,全国一律のカリキュラムが導入されており,どこに行っても概ね同様の教育を受けることができます。また,大学教育においては,卒後教育との連続性が強く意識されており,実務家教育としての側面が反映されています。そして,卒後教育においては,最新の学術文献を調べ,治療方針を検討する訓練もなされており,医者としてきちっとした治療ができるような体制が採られています。最後に,臨床と研究の垣根が低く,人事交流も活発であることが挙げられます。

 翻って,法科大学院システムは,医師養成システムに似た部分もありますが,似て非なるものであると思います。まず,「卒後教育」との連続性が大きいとはいえません。これには,大学教育の問題もありますが,「卒後教育」における学問的考察の場の問題もあるように思われます。たとえば,判例評釈のトレーニングや,研究者との共同研究等。研究者にとっても非常に刺激になるものであり,人事交流はたいへん重要であると思います。実務家が大学に来るだけではなくて,研究者が現場に出ていくことも必要です。また,意識改革も重要です。いたずらに実務と研究の差異を強調することは好ましくないと考えます。以上,「実務」と「研究」ということで紹介しましたが,これは「医学」と「法学」についてもあてはまると思います。

○社会に貢献する−専門家の社会的責務とは

 専門家には「対社会的責任」というものがあると思います。医師も弁護士も,クライアントの利益を最大化することが第一次的な責務となるわけですけれども,正義とか職業倫理に反する行動というのはとるべきでない,ということが一般的に言えるわけであり,これは医師であっても弁護士であっても変わりません。医師については,「ヒポクラテスの誓い」というのが職業倫理として表明されています。また法的には,安楽死等は刑法上禁止されるとか,いろんな場面で社会防衛的義務を負っています。それ以外にも任意的活動として,被災地等での医療支援や海外協力事業の一環としての医療支援,へき地医療等が含まれています。

 法曹の場合は,いわゆる「法曹倫理」の中で語られるわけですが,利益相反的な状況の中において語られることが多いわけです。しかし,法曹であっても,@社会防衛的な責務や,A積極的な福利増進の責務を認めることはできるはずだと思います。特にAについては今日的意義が大きいものであります。法学者も,専門家として同様の責務を負うと考えるべきではないでしょうか。法学者の場合,実務家とは異なりますが,執筆活動等を通じて専門的知識を伝達することは可能なわけです。これが最初の臓器移植の話ともつながるわけですけれども,もっと臓器移植の専門家が社会に向けて情報発信していく必要があるのではないか,という気持ちがしているわけです。法学者は,学問的なコミュニティに対してだけ物言いするのではなくて,もう少し,社会全体のためになることを考えた方がいいのではないか,というところがあるわけです。

○おわりに

 専門家の資質について,以上の4つに集約されているということをお話ししました。専門家が専門バカになってはならない−常に社会性とのバランスが大切ですが,それでも,専門家としての行動原理は,常に専門性におく必要があります。自分は専門家である,ということの自覚をしっかりと持って,その役割を果たすべく,日々研鑽と努力を積み重ねる必要があるのではないか。平井宜雄先生の言葉に,「法律家は,常に少数派でなければならない。」というのがあります。非常に示唆に富む言葉だと思います。多数派が勝つのであれば法律家はいらない。政治家,市民活動家がいるわけです。法律家がその専門性を社会において発揮するのは,彼らが少数派に立った時です。常に自分の立ち位置を考える,ということが必要なのではないかと思うわけです。

 というわけでだいぶ時間が過ぎてしまいましたが,以上とさせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

◆編集後記

 今回は,連続講演会「医学と法律学――専門家の地位と責任に着目して」の概要をお伝えしました。講演概要の掲載にご快諾いただいた米村先生に,心から御礼申し上げます。

 いよいよ,平成21(2009)年度入学試験の季節となりました。入学試験に関する今後の日程は,次のとおりです。

第1次選考合格者発表平成20年11月4日(火)
第2次選考試験平成20年11月22日(土)
第2次選考合格者発表平成20年12月8日(月)
第3次選考試験平成20年12月14日(日)
最終合格者発表平成20年12月24日(水)
入学手続期間平成21年1月6日(火),1月7日(水)
(追加合格者への連絡)平成21年1月8日(木),1月9日(金)
(追加合格発表)平成21年1月9日(金)
(追加合格者入学手続期間)平成21年1月26日(月),1月27日(火)

(平塚記)

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発行:東北大学法科大学院広報委員会

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