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東北大学法科大学院メールマガジン

第24号 10/29/2007

◇オープン・キャンパス−Q&A

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 去る2007年10月14日(日)午後,片平キャンパスにて,東北大学法科大学院・オープン・キャンパスを実施いたしました。80名以上の来場者を迎え,盛会のうちにプログラムを終了することができました。ご来場いただいた皆様に,心から御礼申し上げます。

 なお,事前にお寄せいただいた質問事項のうち,主なものをQ&Aの形でまとめました。

Q:出願書類の「各種資格証明書」は,どのように取り扱われるのですか?
A:例えば,医療過誤問題に関心があって弁護士を志望している者が,医師免許証を提出した場合,志望理由についての裏付けとして参酌されることになると考えられます。
Q:奨学金の種類として,どのようなものがありますか?
A:第T種(無利子貸与),第U種(有利子貸与)とがあり,過年度においては,種類を問わなければ,ほぼすべての学生に奨学金の貸与が認められています。
Q:オフィス・アワーはどのように活用されているのですか?
A:各教員が,担当授業以外に,月2回・各1時間半程度のオフィス・アワーを設けています。各学生は,授業における疑問点等を解決したり,学習上のアドバイスを受けたりするため活用することができます。
Q:未修者でもついていけるのでしょうか?
A:未修者の修了生が新司法試験を受験したのは今年が初めてでした。法学以外のバックグラウンドを持った学生が多くいますが,法学出身者に負けず頑張っています。
Q:新司法試験のための対策はあるのでしょうか?
A:東北大学法科大学院としては,単なる受験対策(答練)ではなく,優れた法曹を目指すという目的を実現するに,基礎的な法律知識とその上に積み重ねられる法的思考の教育を重点的に実践しており,その結果として,優れた法曹に相応しい資質が備わるものと考えています。
Q:ソクラテスメソッドとは,どのようなものでしょうか?
A:普通の講義形式に比べて,法的疑問点を掘り下げながら考えていくソクラテスメソッドには,時として時間がかかるものですが,優れた法曹に相応しい資質を備えるためには意味があるものと考えています。

◇教員エッセイ

 今回は,民法・医事法を担当している米村滋人准教授のエッセイをお送り致します。

法律家の論理
――医学部学生が見た法の「かたち」と「意味」

 皆さん、こんにちは。私は、本学で民法と医事法を担当する研究者教員です。もともとは医学部の出身なのですが、現在は法学研究者としての仕事をしながら医師の仕事もしているという、法学部の中ではかなりの変わりダネです。今回は私が法律を研究しようと思ったきっかけをご紹介しながら、法科大学院で学ぶ意義について考えてみたいと思います。

 私が法学研究者を考えるようになったのはなぜか、話は私が大学の医学部生だった頃に遡ります。きっかけはいくつもあったのですが、一番大きかったのは私が4年生のときに起こった臓器移植法の問題です。医療に興味のある方はご存じだと思いますが、わが国では脳死者からの臓器移植が、(医学的には1970年頃から可能であったにもかかわらず)脳死を「人の死」と扱ってはならないとする強い反対論があったために実施されない状態が続いていました。それがいくつかの妥協を経てようやく臓器移植法が成立したのですが、そのときの議論が私にとっては法律というものの意義を考えさせるきっかけになりました。

 皆さんは、脳死を「人の死」としてよいと思うでしょうか。また、脳死となった人の心臓を取り出して他の人に移植する治療についてどう思うでしょうか。皆さんそれぞれ、いろいろな考え方があるだろうと思います。そのような意見を直接たたかわせることも、一般的には意味のあることです。ところが、脳死と臓器移植の問題は、いろいろな人がそれぞれの立場から意見を述べる結果として、議論が非常に錯綜し、脳死が問題なのか臓器移植が問題なのかすら、よくわからない状態となっていました。その結果、脳死臓器移植の法制化は「社会的合意がない」として長期間凍結され、議論も進展しない膠着状態が続いたのです。しかもこのような一般の議論の中には、法的には到底認められないものもありました。脳死は「死」と認めないけれども、脳死者からの臓器移植は認めてよい、という議論が、それです。脳死者を生きている人と全く同じに扱うのなら、健康に生きている人から心臓などの臓器を摘出して移植する(当然、生存に不可欠な臓器を失った臓器提供者は死亡します)ことを認めない限り、脳死者からの臓器移植が可能にはならないはずです。しかしこの意見の人は、脳死者の場合だけ「形式的には殺人であるとしても違法性が阻却される」と主張しました。脳死者は「生きている」といっておきながら、このような区別を認めることは法的には非常に難しく、刑法学者を中心とする多くの法学者はこの意見を厳しく批判しましたが、一般の人々にむしろ受けがよかったのは、この意見の方でした。

 以上の議論は、脳死や臓器移植への賛否を超えて、いくつかの反省を迫っているように思います。第1に、一般の人がする「議論」と法律家の「議論」は、質がかなり違うということです。ある問題を考えるときに、一般の人はその問題に最も適切な解決策を一から考え出そうとするでしょう。他方で法律家は、その事例での具体的妥当性を追求するとともに、同様のことが問題になる他の事例の解決法と比較し(脳死問題を考えるときでも、医療と全く無関係な事例も当然比較の対象になります)、またそれらの根底にある思想的な背景をも考慮した上で、わが国の法体系の中で矛盾のない結論を探そうとします。このような法律家の議論は、ある程度法律をきちんと学んだ者でなければその意味や根拠を正確には理解できないために、一般の人の議論と混ざると議論のすれ違いや論点のズレを起こす危険性があるのです。臓器移植問題では、このような法律家の議論が一般の人に理解されず、かえって世論の錯綜状態を助長した側面があったのかもしれません。

 第2に、それでも、法的な正当化ができなければ国の制度を作り上げるのは難しいということです。臓器移植問題については、一部の患者団体や医療関係者が、「臓器移植ができないために失われる命を救え」と主張し続けましたが、それでも立法まで30年かかりました。現代では、誰もが同じ結論に賛成するような問題はむしろ少なく、多くの問題では複数の人々の間に考え方や利害の対立が存在します。その場合、なぜそのような制度を作るべきか、制度の恩恵を受ける人と受けない人が出ることは公平に反しないか、というような点について逐一論理的に正当化できなければ、多くの人が納得する形で制度を運用することはできません。だからこそ、「脳死者は生きているが脳死臓器移植は認める」という解決法にいくら一般の人々の支持が集まっても、そのような立法はできなかったのです。もちろん、このような「立法論」では政策的な妥当性の観点も重要であり、法律の検討がすべてとなるわけではありませんが、法的な正当化が制度化における重要なポイントであることは間違いないでしょう。実際、最終的に成立した臓器移植法では、脳死者を生者と扱うか死者と扱うかは本人の意思によって区別するという論理を用いて、辛うじて法的正当性と政策的妥当性を備えた解決策が採られました。

 これらのことは、当時の私にとって大変衝撃的でした。それまでにも多少は法律の勉強をしていた私にとって、法律が六法全書の中、法律書の中にとどまるのではなく、実際の問題解決に役立つことを現象としてはっきり目にすることができた一方で、現実の社会状況の中で法的な議論を完成させ、立法にまでつなげることの難しさを実感したからでした。このようなことを通じて私は、法的なものの考え方をきちんと勉強し、それを医療における具体的問題の解決に生かすべく努力することが大切だと考え、これが転身の大きなきっかけとなったのです。

 実際、その後私が医師として病院で仕事をするようになると、明確な法規制はなされてはいないけれども法的視点から問題解決を試みることが必要な場面に数多く遭遇しました。どのような医療処置にインフォームド・コンセントが必要で、その場合に説明すべき内容はどこまでか、医学的に不適当な治療を希望する患者にどのように対応したらよいか、近親者のいない認知症患者の治療については誰がどのように決めるのか、など、数え上げればきりがないほど、法的な重要課題を含む問題が次々に出てきたのです。このような新しい領域の問題については、法律家も現状を十分に認識していないこともあり、文献を調べても解決策は書かれていません。私は周囲の医師たちに「法律はどうなっているのか」とたびたび質問されましたが、私にできたことは、自らの知識と思考力を総動員して「法的に考える」ことだけでした。しかしそれは、医療の場面に限らず、法律家が現実の事件を処理する場合に多かれ少なかれ通らなければならない道であるように思います。どの事件も、2つとして同じ事件はないのですから、目の前の事件をどのように解決すべきかは何かを見れば明らかになるというものではなく、直面した法律家が自分の頭で考え、結論を導き出す必要があることに、変わりはないのです。

 これから法曹を目指そうと考える皆さんには、既に自分のやりたいこと、理想とする法曹の姿がイメージできているかもしれません。そのような動機は勉強を進める上でも大変重要ですので、大切にして頂きたいと思います。しかしその一方で、法律家のあり方、考え方というのは、必ずしも一般の人が想像し、期待するものとは一致しない場合があるということも、知っておいて下さい。極端な言い方をすれば、皆さんが法律を学ぶ際には、必ずどこかで、自分にとって「常識的」だった考え方を一旦は捨て去らなければならない場面に出会うはずです。特に、法律家が重視する「正当化」や「説明」の論理はしばしば一般の人が着目しない原理的・抽象的な内容を含み、具体的事例の解決の妥当性を無視しているように見える場合があります(先ほど挙げた、「脳死者は生きているが臓器移植は認める」という解決を批判する法学者の依拠する論理は、そのような原理的・抽象的なものです)。しかしこのような抽象的論理は、さまざまな事例に対して広く適用される制度であればあるほど、安定した運用を行うにはどうしても必要になってきますので、法律を学ぶ際にはこのような論理を自由に駆使できるようになる必要があるのです。

 そして、このようにして得られた「法的な考え方」や「法律家の論理」は、間違いなく、皆さんが実務法曹として仕事をする中で強力な武器になるはずです。既にある解決法や既にある考え方を持ってくるだけなら、多少の知識と経験があれば難しいことではありません。しかし、誰も経験したことのない事件について全く新しい解決策を法的に正当なものとして提示することは、きちんとした法的思考を積み上げなければ実現できることではありません。私たち東北大学法科大学院も、そのようなことができる実務法曹の育成を1つの大きな柱に据えていますが、そのような能力を身につけることは、とりもなおさず皆さん自身にとって、法曹としての仕事に幅と深みを与える大きな力になるでしょう。

 ただし、そうは言っても、やはり法律の考え方は1つの「ものの見方」に過ぎません。「法的な考え方」を基調にしつつも、さらに他の視点を加えることで議論にさまざまな修正や装飾を施すことができるのであれば、これに勝る武器はないでしょう。異分野の出身者でも法曹として活躍する場は数多く、むしろこれからの時代には他の専門領域がわかる法律家は重要な存在になると思います。私自身、2つの分野にまたがって仕事をしており、それぞれの専門家と日常的に接する中で新たなことを学ぶ機会には大変恵まれていますし、医学と法学の違いや共通点に気づかされることも多く、とても刺激的です。これから先、法曹の活動領域も拡大と多様化が進むことが予想されますので、さまざまな経歴や背景を持った方々が法曹の仲間入りをすることには、大きな意味があるでしょう。同じことは、純粋の法学部出身者にも当てはまります。社会人経験のある人はもちろん、学生のうちにも大学周辺だけでなく社会のいろいろなところに入って数多くの経験をした人は、法曹の仕事にも生かしうる「何か」を身につけているはずです。重要なのは出身学部がどこかということよりも、外の世界にチャンネルを開き続けているかどうか、というところにあるのだと思います。

 長々とお話ししてきましたが、最後に一言付け加えますと、私のような立場の人間から見ると、法律の世界というのは必要性や合理性に裏付けられた「作法」も多い一方で、一見して趣旨のよくわからない旧来の慣習が残っている部分もあります。どのような領域でも同じかもしれませんが、時代が変われば変わるべきだと言える部分もあれば、その分野の本質にかかわり時代が変わっても変容すべきでない部分もありますので、その両者を適切に見分けることが重要でしょう。法曹のあり方も近年の司法改革の流れの中で大きく変わろうとしていますが、これからの法曹が実際にどのようになるかは、ひとえに皆さん自身にかかっています。皆さんの知識や経験と、私たち教員の語る「法的な考え方」とが有機的に結合して、本当の意味で「新時代の法曹」にふさわしいあり方が構築できるよう、私自身も日々の授業を通じて努力したいと思います。

 1人でも多くの皆さんがそのような「新時代の法曹」を目指して下さることを期待しつつ、筆を擱きます。

◆編集後記

 今回のエッセイは,米村滋人先生にお願い致しました。異なる経歴や背景を持った者どうしが相互触発する場を持つことは,とても大切なことではないでしょうか。オープン・キャンパスのQ&Aにも紹介のとおり,東北大学法科大学院には法学以外のバックグラウンドを持った学生も多く在籍し,法学出身者に負けず頑張っています。今後,新時代に相応しい法曹が続々と誕生し,活躍することを期待しています。

 去る10月17日に願書受付期間が終了しました。今後の入試日程としては,11月24日(土)に法学専門科目筆記試験(既習者)および小論文試験(未修者)が,12月16日(日)に面接試験が実施される予定です。
 http://www.law.tohoku.ac.jp/lawschool/info/gaiyou.html

(平塚記)

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発行:東北大学法科大学院広報委員会

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