インターネットに掲示するにあたって

  1992年に活字にした「戸籍制度」というこの論文は、「嫡出推定・否認制度の将来」以上に古い論文であるが、日本家族法理解のためには必須の情報であると考えるので、インターネットに掲示することにした。いわゆる「300日」問題が生じたのも、戸籍制度故であって、民法の嫡出推定制度の問題ではない。
  日本の戸籍制度がどれほど特異な制度であるのかは、それが存在する社会の中に長年暮らしている我々には実感できない。これほどに完璧に国民の身分を把握できる制度を作り上げ、また公開原則の下で運営してきたことが、日本人の生活にとってどれほど大きな意味を持ったのか、はかりしれないものがある。
  平成19年5月11日法律第35号によって戸籍法の公開原則は、従来より大幅に制限されることとなった。待たれていた必要な改正であったが、最終的な改正は、私の希望していた水準よりはかなり後退した制限となった。戸籍の公開原則すなわち戸籍情報への自由なアクセスはあまりにも便利なものであるから、従来これを活用してきた弁護士等にとっては、より厳しい制限を受け入れにくく反対が強かったものと思われるが、いささか残念である。平成18年8月に私が法務省に送付したパブリック・コメントを参考までに以下に記載する。

2007年8月29日
                                   
水野紀子
意見書
  戸籍制度の公開原則は、いかに伝統的なものであったにせよ、プライバシーとは両立し得ない特異な制度であると考えておりましたので(拙稿「戸籍制度」ジュリスト1000号163頁以下)、今回の改正を喜んでおります。一方では今までの歴史がありますから戸籍制度を一挙に封印することは難しいでしょうし、また他方では、社会福祉の進展のためには公権力による国民の個人情報の把握がより必要であることも理解できます。とはいえ、不正利用を防ぐために「いかがわしいアクセス」を制限しようとする姿勢では、過去の公開原則の歴史に引きずられて有効な制限はできないでしょう。両論併記となっている論点については、すべて公開をより制限する案が妥当であると思います。
  とくに一点だけ、強く申し上げたいのは、(4)に定められた弁護士等の職務請求についてです。これまで公開原則に制限がかけられていた除籍簿についても、いわゆる「士」職種については無制限とされていたために、事実上公開制限の意味が失われていたことは周知の事実です。弁護士等は、依頼者がアクセス可能な範囲でのみアクセスできるとするべきであり、依頼者以上にアクセスを許す必要性がありません。もとより弁護士は弁護士会の存在をはじめ職務倫理の遵守を保障された職種であって、単なる私人とは異なりますが、そのプロフェッション性の保障が、依頼者もアクセスできない個人情報にアクセスできることを正当化する理由にはなりません。弁護士の活動は、戸籍との関係で一般人の活動と異なる特殊な関係に立つ活動であるとはいえ、あくまでも私の領域での活動です。それは、社会福祉の実施のために公権力が戸籍にアクセスする公権力行使の場面とは原理的に異なるものです。補足説明にある「依頼者や受任事件から離れて法令に基づく固有の権限行使の一環として交付請求をする場合」などは、裁判所の許可を得てはじめてアクセスできるとすべきです(あるいは類型的に交付請求が許される場合を破産法など個別立法で限定列挙することはありうるかもしれません)。その許可は、公開原則を制限するという立場に立つ限り、原理的に不可欠であろうと思います。もし当事者のプライバシー保護のために理由を明示すべきでないとすれば、裁判所も理由を開示しないで許可を出すことにすれば、足りるでしょう。職務請求もあくまでも依頼者本人の権限の範囲内に限定していただきたいと願います。
  さらに付言すれば、職務請求の場合に依頼者の氏名さえ明らかにしないB案は、プライバシーを守るために戸籍制度の公開原則を制限しようとする立場からは、理解不能です。依頼者が誰であるかがわからなければ、戸籍へのアクセスを認めて良いかどうかの判断がそもそもできません。市町村の戸籍事務担当職員は当然に職務上の守秘義務を負っており、それを前提にしない制度設計は、戸籍を利用したあらゆる公権力行使の基礎を疑うことになってしまいます。公開原則の制限に、職務請求といういわば無法地帯を設ける改正にならないよう、是非慎重なご検討をお願い申し上げます。    (2006年8月27日提出)




戸籍制度

水野紀子

一 戸籍制度とはなにか

 戸籍制度は、日本社会で生活する者にとってきわめて大きな存在である。戸籍制度を論ずるにあたっては、その前提として、戸籍制度がどのようなものであるのかという点について確認する必要がある。
 明治初期に戸籍が創設されたときには、戸籍制度は、現時点で存在する日本人をそれぞれの住居ごとにもれなく列挙するもので、むしろ現在の住民登録に近い存在であった。これに対して、教会における出生・婚姻・死亡の登録を発生源とする西欧法の身分証書制度は、基本的にはこれらの事件を立証するにとどまるものにすぎない。その結果、戸籍制度は、身分登録簿としては非常に特異な機能をもつ制度となった。すなわち、戸籍制度の神髄は、戸籍が同時に、国民登録であり、親族登録であり、住民登録であることである。戸籍の本籍地が現実の住所地を反映しなくなって、住民登録制度が戸籍と別に制度化されたとはいえ、住民登録と戸籍とは相互に連結されているため、戸籍によって住民登録をたどることができ、その逆も可能であるという制度のもとでは、そのかぎりで依然として住民登録機能をもつといえる。親族登録としての機能についても、戦後の改革により夫婦とその子ごとの戸籍となったものの、戸籍相互間の連結機能により、単に親子兄弟の家族間のみならずきわめて広範囲な親族相互間の関係をたどることができる。いわば日本人の全親族関係は網の目のように全部登録されており、出生子はそのどこかに付属する形式で出生届がなされるのである。そして日本人はつねに唯一の戸籍に現存する者として記載され、その戸籍を通じてその者の親族関係も現住所も把握される。戸籍は、これらの三種の機能を併せもつ結果、日本人の身分証明書としての役割を果たしており、身分関係の立証などにあまりにも便利なものである反面、国民はたえずその存在を意識しそれに縛られその重圧を感じ、国籍差別や非嫡出子差別などさまざまな差別の原因となっている。
 身分証書制度においては、本人は身分証書によって自分の身分を証明することが可能であるが、本人以外の者が身分をたどることはきわめて困難である。もっとも身分証書制度をとる諸国においても、たとえば重婚の発生を防止するという観点からは、アメリカ法では出生証書に以後の身分行為が記載されないのに対して、フランス法では出生証書に婚姻等を記載させて婚姻の際に出生証書の提出を義務づけて重婚を防止しているように、国によって身分証書の証明機能に差異があるが、当該人物の出生証書の所在を知らない者にはその者の身分を知ることが原則的にできないという点で、身分証書制度が戸籍制度と基本的に異なる制度であることに変わりはない*1。国民の総背番号制やコンピューター登録の制度化は、国民のプライバシーに関する権利と政府との緊張関係をもたらすものとして、各国で問題にされているが、明治時代に確立して以来現在にいたるまでわが国の戸籍制度は、国民のプライバシーに関する権利に抗して政府が国民の情報を把握するという意味では、これらの制度を上回るともいえる、公開原則の下における国民の徹底的な登録制度であった*2。したがって現在論議されている戸籍のコンピューター化は、他国における身分登録のコンピューター化のもつような決定的な意味あいをすでにしてもたない。このような戸籍制度に対する評価は分かれるところであろうが、いずれにせよ日本人は「世界に冠たる」*3特異な戸籍制度を作り上げたのである。

二 戸籍記載様式の特徴

 従来、身分証書制度と異なる戸籍制度の最大の特徴として第一義的に論じられてきたのは、戸籍記載様式の特徴であった。つまり個人別の身分登録簿である身分証書に比べて、戸籍においては戸籍面上に氏を同一にする家族が一覧されて記載されるという特徴である。
 戸籍は、明治時代にすでに親族関係を記録する身分登録簿へと脱皮してはいたものの、もともとがある家の住民を網羅的に記録した住民登録であったことからもたらされた伝統が、その記載様式に現れている。明治民法立法時に、戸籍制度の既存の記載様式と整合性をもつものとして家制度が構築され、戸籍は家の登録簿として確立し、家を「戸籍という紙の上に具現し、その横の構成も縦の継承も、紙の上の可視的なものとし、その可視的存在が、常に人々の意識を受けとめ、かつ、その意識にはたらきかけることにより、抽象的存在としての家を実体化することに貢献していた」(唄孝一教授)*4。戦後、家制度は廃止されたが、家制度と融合した戸籍の伝統的な様式は基本的に保たれた。つまり、たとえば、ある者はつねに一つの戸籍にしか記載されないという特徴であり、また、一つの戸籍には一人の代表者(かつては戸主であり現在は戸籍筆頭者と呼ばれる者)がいてその代表者を基準に代表者との続柄によって家族構成員を特定するという記載様式などである。とりわけ重要な記載様式の特徴は、家制度が廃止されたにもかかわらず、一つの戸籍に記載される家族の範囲が氏を基準に決定される構造が維持されたことである。
 身分登録簿の機能として必要なことは、相続や結婚にあたって、当事者の身分関係がわかることである。とりわけ重要なのは、親子関係と婚姻関係が示されることである。戸籍は、そこに記載された者の現在の婚姻関係ははっきり表示する。しかしそれ以外の点、たとえば過去の婚姻関係や子の存在を示す機能という点では、前述した特徴的な記載様式ゆえに、その者が現存する戸籍面だけでは、戸籍はもはや身分登録簿としての機能を果たすものではない。つまり除籍と転籍の効果によって、かつての婚姻歴や子の存在がその者の戸籍面から失われてしまうのである。それらの情報を得るためには除籍簿をたどらなければならない。さらに、戸籍に記載されるのは日本人のみであるという身分登録簿としてのまた別の制約がある。その結果、日本人が外国人と婚姻した場合、外国人との婚姻関係の存在だけは身分事項欄に記載されるが、日本国籍のない子を持っても、その子の存在は親の身分事項欄にすら記載されず、除籍簿をたどってもその子の存在は現れない。
 戸籍の存在は、相続の際に便利で不可欠であるといわれる。たしかに三で後述するように、わが国の相続規制のありかたは、戸籍制度の存在に依拠したものである。しかしそれは被相続人の死亡当時の戸籍から誰が相続人かがわかるということによるものではない。渉外関係は除いて考えるとしても、被相続人の死亡当時の戸籍に必ずすべての相続人が記載されているとは限らない。嫡出子であっても除籍された子の存在は、転籍後の親の戸籍には現われない。養親や父親の身分事項欄に記載されていた縁組や認知の事実は、転籍後の身分事項欄には移記されない。結局、被相続人の相続人となる子を戸籍で探すためには、被相続人の戸(除)籍謄本を取り寄せなければならないが、その範囲は、被相続人が生殖能力をもった年齢当時在籍していた戸籍以降のものを全部ということになる。したがって相続登記の際に大量の戸(除)籍謄本が必要になることも珍しいことではない。むしろ移籍や転籍がされない個人別の戸籍であって、そこにはその者の両親の氏名と子の氏名がすべて記載されており、親子間の戸籍が相互にたどれる制度であったならば、相続の際に、現在の戸籍よりはるかに便利なものとなるであろう。
  身分登録簿としての戸籍の機能を考えるにあたっては、戦後、現在にいたるまで、おもに度重なる戸籍法施行規則の改正として行われてきた、戸籍の「合理化」が検証されなければならない。戸籍が公開原則をとっていることと、戸籍の情報提供方法として記載事項の証明ではなく原本のコピーを交付する制度がとられていることのために、プライバシーや人権侵害が意識されるようになると、公開原則を廃棄する手段をとらずに、戸籍記載事項自体を省略化することが進められた。届書に記載された情報のうち戸籍に転記されるものは、次第にごく限られた情報のみとなり、しかも保存スペースなどの問題から同時に届出保存期間の短縮が行われた。これらの「合理化」の結果、戸籍が「身分登録簿としては不完全なものになってしまった」(島野穹子氏)という危惧を表明する戸籍実務家の意見を傾聴すべきであろう *5
 それにしても、なにより重要な記載様式の特徴は、一つの戸籍に記載される家族の範囲が氏を基準に決定される構造であろう。戦後の民法改正時に同時に行われた戸籍法改正が、従来の戸籍実務をできるかぎり変更しないようにという方針で進められたことは、よく知られている。民法改正においては家制度廃止の努力をした我妻栄博士も、改正後の解説*6において次のような理由で戸籍法改正を支持している。第一の理由は、三代にわたる戸籍が禁止されたことによって戸籍が「夫婦とその子という小家族を同一の戸籍に記載しておく」ものだととらえられたこと(夫婦の一方のみの子、つまり非嫡出子や連れ子の問題は直視されていない)、第二の理由は、「氏を同じくする者で制限することは、いささか問題かもしれないが、便宜という点では、確に便宜である」、なぜなら個人籍にすると「夫婦とその子の人数だけ同一の記載をしなければならないことになって、甚だしい手数を必要とする」からというものである。しかし氏を同籍者の基準とすることは、氏の規律を戸籍と分かちがたく融合させ、本来は民法が決定すべき氏の規律を戸籍法や戸籍実務が左右するという混迷を招くものであった。同籍者を決定する「家」という基準が失われたときに、氏がその代替物として基準になりうる存在かどうかということについては、十分に検証されないままに、戦後の改正が行われたものと思われる。
 氏の規制は、個人の人格権の根幹に触れる重要な問題である。しかし戸籍実務の観点からは、氏はまず戸籍の異同を決定する基準としてとらえられる。そして家制度が廃止され、三代戸籍の禁止がなされたことによって、祖父母と孫、子相互間の氏の異同を論ずることは無意味となり、夫婦間と親子間でのみ氏の異同が問題になるものとされる*7。しかるにとくに親子間の氏について、戦前のように「家」の異同として規律できないために、親と異なる戸籍に記載されるに至った子の氏の処遇がはっきりしないものとなった。たとえば準正子の氏が、通達によって強制的変更と任意的変更の間を揺れ動いたのはその顕著な例である。
 子の氏は子の人権にとって重要な問題であるからこそ、戦後の改正にあたって民法七九一条は子の氏の変更を家庭裁判所の許可にかけることとした。しかしそこで、氏と戸籍が結びつけられているために、氏の変更が子の親の戸籍への入籍によって行われる。その結果認知された非嫡出子の氏の変更が、父の妻の反対によって許可されないという問題が生じた。
 この状況に一層の混乱を持ち込んだのは、昭和五一年民法改正の婚氏続称制度である。婚氏続称した離婚者は、当然かつての配偶者と異なる戸籍になる。戸籍と氏の密着した構造を維持したままでこの事態を説明するために、「民法上の氏」と「呼称上の氏」という概念が駆使されることとなった。つまり婚氏続称による氏は、民法に規定されてはいるが「民法上の氏」ではなく、「民法上の氏」は復氏している実家の氏であり、あくまでも「呼称上の氏」にすぎないとするのである。離婚した配偶者間についてはこの説明ですむとしても、親子間の戸籍の異同をこの概念を用いて決定するのは、困難を極めることになる。この概念について「不毛ともいうべき議論」(島野穹子氏)*8といわれるゆえんである。
 また実際上も、この概念によって子の氏の規律が一貫性・妥当性を欠くことになっている。たとえば婚氏続称した父または母の戸籍に、離婚前の戸籍に在籍する子を入籍させるには、たとえ同じ呼称上の氏を称していても、民法七九一条一項に規定する家庭裁判所の許可を要する。しかし婚姻前の戸籍に在籍する子を入籍させるには、その結果その子の称する呼称上の氏が全く変わってしまうにもかかわらず、入籍届で足り、家庭裁判所の許可は不要である。さらに滑稽としかいいようのない例をあげよう。婚姻により氏を改めた者が配偶者の死後実方の氏に復することなく、さらに再婚によって氏を改めた後、婚氏続称して離婚したとする。このとき実方の戸籍や第一の婚姻の戸籍にいるその者の子は、どちらも呼称上の氏が異なる子であるが、この子が親の戸籍に入籍する場合に、入籍届だけで足りるのか、それとも家庭裁判所の許可が必要であるのかは、婚氏続称した親の「民法上の氏」が実方の氏か第一の婚姻の氏かによって決定されることになる。しかしそれがわからない。とりあえず入籍届の先に出た方の子のいた戸籍の氏に復したものと解されていたが、婚氏続称によって新戸籍が編成されているときは第一の婚姻の氏に復したものと解する旨の昭和五八年の通達*9がでて解決(?)されることとなった。民法七九一条が家庭裁判所に子の福祉を託した趣旨は、まったく無視されているといわざるをえない。同様の概念を用いた縁氏続称制度の立法によって、さらに混迷の度合いは広まっている。
 氏の強制的な変更規定が存在する現在の民法の氏の規律は、人格権的な観点からみたとき、望ましいものとはほど遠い。たしかに「民法上の氏」と「呼称上の氏」の概念を分けることによって、本人の意思を反映した氏の決定が行われる場合がいくらかでも増えるかもしれない。しかしそれを理由に、この概念を採用することはできない。この概念で説明しきれない不明確な場合がかりに残らないとしても、氏の規律を、身分登録簿にすぎない戸籍を基準に決定するわけにはいかないからである。
 戸籍と氏が密着している問題性は、渉外的身分関係の場合に顕著に現れる。氏の問題は実体法上の問題であり身分変動にともなって氏が変わる場合に戸籍がそれを反映すべきだとするのが、国際私法の通説であるが、戸籍実務は、日本人の氏は外国人との婚姻によって変動するものではないとの立場を崩さず、昭和五九年改正戸籍法も外国人の氏への変更手続を呼称上の氏の変更として簡易にできるように改めたにすぎない。このような戸籍実務に対して国際私法の領域から鋭い疑問が提示されている*10。しかし、氏の準拠地法を人格権に関する問題として本国法によらせる立場をとり、日本人の氏制度は民法と戸籍法の両方によって規律される独自の制度であるのだと強弁して戸籍実務を正当化できる可能性はあるかもしれない。
 根本的には、日本国内法の氏の規律そのものを、より人格権的な観点から再構成する必要がある。氏の規律を戸籍法から切り離し、かつ民法の氏に関する規定を改善しなければならないであろう。とりわけ現在の夫婦同氏強制制度は、婚姻によって意思に反して自己の氏を奪われ、また自己の氏を保とうとすると婚姻の自由が奪われるという深刻な人権侵害をもたらしているものであり、至急改正されなければならない。改正にあたっていわれる、子の氏の決定や戸籍記載方法についての技術的な困難は、このような人権侵害を正当化するものではありえないと思われる。

三 民法と戸籍との関係

 明治民法を立法する以前にすでに戸籍制度は確立していた。民法は継受法であったが、母国法の身分証書制度を前提とした諸規定については、明治民法は身分行為の届出制をはじめとして戸籍制度に極力合致するように立法された。にもかかわらず親族法相続法の領域において戸籍制度と民法との必ずしも整合的とはいえない関係が残っており、戦後の民法改正以降もこの関係は受け継がれた。ここではそのいくつかの例を挙げてみよう。
  民法と戸籍制度の不整合がとりわけ顕著に現れるのは、まず実親子関係の諸規定である*11。ここでは戸籍における親子関係の表示のあり方が、欧米法の身分証書の場合と全く異なっていることが、重大な意味をもつ。戸籍制度のもとでは、出生した子はその親の戸籍に親との関係を明らかにして入籍し、親は自分の身分証明書である戸籍につねにその子の存在を明示することになる。身分証書制度と比較すると、戸籍は身分関係について強制的かつきわめて強力な公示機能を持ち、非嫡出子の母親が非嫡出子の母親であることについて匿名でいたいと望むことは許されない。明らかにしたくない身分関係を戸籍に表示しないですませようとすると、虚偽の親を示した出生届がなされざるをえず、その虚偽の親は実在する他人(ことに多くの場合、嫡出子として記載する必要上、夫婦である他人)であるために、真の親との親子関係の設定の問題に、不可避的に虚偽の親子関係の否定の問題が絡む。これに対して、身分証書制度においては、出生証書は出生した子ごとに新たに作成され、両親の名はその出生証書に記載されるにすぎないから、空欄である可能性もあれば、父親として記載されている者と母親として記載されている者とが夫婦と記載されていても真に夫婦であるとは限らないのみならず、それらが実在の人間であることすら必ずしも保証されない。妻が夫以外の男性の子を生んだ場合に、その子は戸籍のように母の籍に入籍するわけではないから、真実の親を記載した出生証書を作成することも可能である。非嫡出子においては、父親の名を記載することが義務づけられることはなく、母親の名もフランス法のようにプライバシーの尊重や家族の幸福追求権から空欄にすることをはっきり認めている法制もある。西欧民法の実親子関係の規律は、基本的にこの身分証書の構造を前提として、母子関係の成立と父子関係の成立を分け、両親が婚姻しているかどうかによって、実親子関係を嫡出親子関係と非嫡出親子関係とに分ける構造になっている。そしてまた日本民法もこの構造を受け継いでいるにもかかわらず、戸籍の存在によって親子関係に関する訴訟構造が混迷状況に陥っているのであろうと思われる。
 戸籍訂正の必要から、親子関係存否確認訴訟が判例法上認められている。この親子関係存否確認訴訟と民法の親子関係規定との関係は、抵触する場合には民法が優先すると解されているものの、限界は流動的であり、非嫡出母子関係の認知規定や嫡出否認の規定などに関する判例にみられるように、現実にその後の最高裁判例が進んだ方向は、親子関係存否確認訴訟による民法の規定の空洞化の一途であり、親子関係存否確認訴訟の適用領域の拡大であった。その結果、現在の日本法では、子のためには早期に身分が安定することが必要であるにもかかわらず、出生時点から長時間が経過した親子関係でも、家庭裁判所の審判をすることに当事者間に合意の成立しないような場合でさえ、戸籍上の親子関係を争い得る構造になっている。日本法のこのような展開を比較法的に考察すれば、親子関係の要件に関する民法の規定が、基本的にはフランス法を継受したものでありながら出生証書と身分占有による嫡出子身分の確定を継受せず、判例が親子関係存否確認訴訟というドイツ法の訴訟類型を認めたときには、ドイツ民事訴訟法のもつ訴訟法的制限を導入しなかったためであったといえるであろう。そしてこれらの展開の背景には、戸籍制度がもたらす特殊な要請が存在する。日本法の実親子関係に関する訴訟構造と戸籍訂正手続きの関係には問題が多く、解釈論的には不整合であり、制度的には混沌の中にあると評価せざるを得ない現状にあるといえよう。
 婚姻法の領域においても、戸籍の届出制度を基礎とする協議離婚制度が、日本法特有の諸問題をもたらしている。協議離婚制度が離婚意思確認機能をもたないという問題点は指摘されて久しく、戦後の改正時にも改正論が議論されたが、家庭裁判所の負担過重を理由に協議離婚制度は維持された。最高裁判例が長く消極的破綻主義をとったのは、ほとんどの離婚形態が追い出し離婚の危険性の高い協議離婚であるという背景があったことが一因であり、この判例の結果、重婚的内縁という問題が幅広く生じた。また協議離婚の問題点を事後的に解消するものとして活用されている離婚無効確認判決は、わが国特有の人事訴訟であり、当事者構成や提訴期間に難点を抱えた訴訟類型である。たとえば、この訴訟においては、当事者が再婚している場合が多いために判決の結果重婚が生じるが、重婚者の死亡後は検察官が相手方となるので事実上の最大利害関係者である後婚配偶者が争う機会を保証されない。離婚無効確認判決の結果生ずる重婚という日本独特の重婚のタイプには、継受法である重婚制度の本来予定しない構造上の矛盾がある。これらの重婚事件においては、協議離婚の成立時には顕在化しない、協議離婚制度の意思確認機能を持たないゆえの問題点が、鏡のように反映して現われている*12。顕著な例をあげれば、本来ならば精神病離婚として裁判離婚によらなければならないはずの、意思能力をもたないほどの重大な精神病患者との離婚が、世間体を考慮して協議離婚によってなされ、相続争いの段階になって協議離婚無効を主張する親族によって後婚配偶者の相続権が奪われるようなケースである。
 相続法の領域においても、戸籍は重要な役割を果たしている。戸籍によって法定相続人が容易に確実にわかるという条件は、身分証書制度の国には原則的にないものである。その結果、日本相続法においては、相続回復請求権などのように、身分証書制度をもつ母国法でのありかたと変容してあらわれる制度がある*13。そして、戸籍制度の有効性が説かれる最大の論拠のひとつは、第三者からも法定相続人が容易にたどれるという戸籍の機能である。
 たしかにわが国の相続法において、戸籍制度の果たしてきた役割は大きい。とりわけ相続財産の取引の領域において、第三者保護が、わが国においては戸籍の存在に依拠させられてきたと筆者は考えている。もともと戸籍は、家督相続人の確定表示機能を最大の機能のひとつとしていたものである。指定家督相続人も戸籍に記載されて初めて効力をもつと明治民法に規定されることによって、法定相続のみならず自由相続もその主要なものは戸籍に公示された。相続人であると信じて相続財産を取引したが実は相続人ではなかったという場合の取引相手方の保護、つまり表見相続人と取引した第三者の保護といわれる問題は、身分証書制度の国では深刻な問題となる。日本民法の母法であった国のうち、ドイツ法では相続証書に公信力を持たせることによりこの問題を解決し、フランス法は判例が確立した表見相続人の法理によって第三者保護を図っている。日本民法は、このような第三者保護の法理をもたないにもかかわらず、相続財産の取引がそれほど破綻なく行われてきたのは、相続人を公示する戸籍の存在によるものであったと思われる。
 家督相続においては相続人が一人であるために生じない問題であったが、戦後の共同相続においては真実の相続分と異なる相続分の相続登記が深刻な問題となった。最高裁は、次に述べるように、ここでも戸籍に依拠した解決を採用することによって取引の安定を図ったといえよう。
 従来この問題は「共同相続と登記」「遺産分割と登記」「相続放棄と登記」「遺贈と登記」等の諸問題からなる「相続と登記」という領域の問題として論じられている。これらの問題に対して最高裁の採用したさまざまな結論には、「通説・判例は、あるいは対抗問題として、あるいは絶対的な遡及効の問題として、あるいは当然の無権利の問題として、個々別々に処理してきたけれども、それらの区別の根拠も、必然性も明白ではなかった」(伊藤昌司教授)*14と批判される側面があることは、否定できない。しかし判例の採用してきた結論は、次のような観点からみれば、それなりの一貫性と合理性を持ったものであったと評価できるように思われる。これらの「相続と登記」に関する判例理論*15によれば、被相続人の所有であった不動産の売買にあたって、売主となる相続人の法定相続分にあたる持分を買う相手方はほぼ保護され、相続分以上の持分についても戸籍によって簡単にわかる相続人に確認してみるという注意を払えば、たいていの場合は保護されることになる。とくに、法定相続に優先させると重大な例外となる遺贈について、法定相続を信頼した第三者を保護するために、最高裁昭和三九年三月六日判決(民集一八巻三号四三七頁)は、論理的にはかなり無理な構成であるにもかかわらず、法定相続分に相当する相続持分を差し押さえた債権者と受遺者の間に対抗問題が生ずるとした。このような「相続と登記」に関する従来の判例による解決が前提としていたのは、相続のほとんどが法定相続にしたがって行われること、法定相続人の範囲が狭く限定されておりかつ戸籍によって容易に確認されること、相続登記が戸籍と連動して行われること等の日本特有の事実であった。すなわちこれらの事実を前提に、判例はできるだけ戸籍上の相続人を信頼した第三者を保護することによって、相続財産の取引を安定化しようとしたのである。
 日本法の不動産物権変動における登記制度の機能が、登記が公信力を持つドイツ法と異なるのはもとより、その母法であるフランス法の登記制度とも、証書謄写型登記制度や公証人制度などを欠くことによって異なった機能を持つにいたり、独特の制度となっていることは、近時の研究で明らかにされつつある*16。このために本来は非常に不安定なわが国の不動産取引が、それにしては一定の安定性を保って行われ得てきたといえるとすれば、少なくともそのひとつの原因は、信頼性の高い戸籍とそれに依拠した登記制度の機能であったのではなかったであろうか。すなわち戸籍から判明する法定相続分の範囲でだけ登記を信頼した第三者が保護されることにより、戸籍制度が登記と結び付いて一種の公信力を持つ存在として機能してきたのである。
 しかし不動産価格の高騰にともなって遺言が従来よりはるかに増加し、また遺言執行者の定めを伴う公正証書遺言のケースが増えたことによって、判例が相続財産の取引の安定化の前提としていた前述した日本特有の事実が失われる傾向にある。いいかえれば、相続人を戸籍に公示することに依拠してきたわが国の相続法は、法定相続を変更する自由相続に対して、相続財産の取引安定という側面では基本的に非常に無防備な構造となっている。唯一、この弱点を持たない自由相続の類型であった指定家督相続人制度は、戦後廃止された。家督相続が主要な相続であったために、遺言相続が相続財産の取引にもたらす危険性を、明治民法の立法者たちは十分には認識していなかったのではないであろうか。受遺者と差押え債権者間を対抗関係とした前掲最高裁昭和三九年三月六日判決にもかかわらず、この無防備な構造は解決されていない。たとえば、遺言執行者が存在すると民法一〇一三条の規定によって法定相続人が処分権を失うが、最高裁昭和六二年四月二三日判決(民集四一巻三号四七四頁)は、この場合に相続人の処分行為の相手方に受遺者が登記なくして対抗できると判示した。法定相続人とその法定相続分の相続財産を取引しても安心できない場合が、遺言執行者のある遺言の増加によって一挙に拡大すると思われる。わが国の相続法のかかえる構造的な難問である。しかし戸籍上の法定相続人を信頼した第三者をさらに幅広く表見法理で救済することは、遺言の効力を著しく奪うことになり、遺言制度自体を否定しかねないことになるので、妥当な結論ではない。この難問を解決するためには、戸籍に依拠した相続登記のあり方を含めて相続財産の取引の総合的な見直しが必要であろう。次に四で後述する戸籍の公開原則の破棄などの改革案は、わが国の相続法において戸籍の果たしてきた役割を奪うものではなく、相続財産の取引を現在以上に危うくするものではないと考えられる。

四 戸籍制度の将来

一に述べた戸籍制度の基本的な特徴については、国民を把握するこのような制度がいったん構築された以上は、もとに戻ることは現実的な提案ではないと思われる。また福祉国家としての諸要請に答えるという観点からは、戸籍制度に対する積極的な評価も可能である*17。しかし戸籍制度が国民のプライバシーに関する権利と深刻に衝突する非常に危険な制度であることは、どれほど強調しても強調しすぎることはなく、この危険性をいくらかでも減じるためにあらゆる手段が講じられる必要がある。
 戸籍制度の公開原則がもたらす危険性を除去するために、昭和五一年の戸籍法改正をはじめ、一定の法律上および事実上の努力がなされてきた。その結果戸籍は以前ほど利用されなくなってきており、それに代わって住民票が活用される傾向にある。もっとも住民登録の記載様式にも問題は多い。たとえば、表面的ないいかえであったとはいえ、戸籍においては戸主の欄を戸籍筆頭者に改めたにもかかわらず、住民登録は、世帯主概念を設けていることなどである。とりわけ住民票が戸籍とほぼ同様の続柄欄を設けていることは、不必要にプライバシーを開示することになっているため、至急改正されるべきである。ともあれとくに住民登録をコンピューター化して必要事項のみを打ち出して交付することにしている地方自治体においては、身分証明に住民票を利用することの日常的な不愉快さは減じていると評価できるであろう。
 しかしこれらは、所詮あまりにも及び腰の場当たり的な改正であったにすぎない。昭和五一年の戸籍法改正以前には他人の戸籍謄本の交付請求にあたって理由の明示すら要求できなかった*18のに対して、現在は「正当な理由」を請求時に明示させることができる。このことを利用して、窓口では第三者の不当な交付請求をできるだけ排除する努力が行なわれている。しかし何が「正当な理由」であるのかははっきりしておらず、窓口の係官には「正当な理由」の真偽の確認をしようがない。結局、他人の戸籍へのアクセスは依然として可能であるといわざるをえない。戸籍法一〇条は「何人でも……交付の請求をすることができる」と公開原則を定めて第三者のアクセスを保証しており、昭和五一年の改正はこの原則を動かすものではなかったからである。除籍簿に対してさえ、弁護士に依頼すればアクセスできることとされている。
 公開原則は、完全に破棄されるべきである。戸籍に対しては、官公庁が行政の必要上アクセスする以外には、本人(本人死亡後は相続人)のみがアクセスできることとし、本人が必要性を判断して自分の身分証明をとれることにすれば足りる。契約の締結にあたって行為能力を証明するためであっても、婚姻資格を証明するためであっても、本人以外の者に本人の意思に反して身分証明を交付する必要はないと思われる。その際にも、現在のような原本のコピーの交付ではなく、記載事項のうち必要な情報のみを別紙に抜き出して交付する制度にすべきである。この観点からは、戸籍のコンピューター化が戸籍事務改善の機会としてむしろ積極的に考えられるのではないであろうか。戸籍のコンピューター化には、プライバシーの権利を侵害するものとして批判が強いが、前述したように既に戸籍はその成立時からプライバシーの権利を極度に侵害する制度であったのである。もちろんコンピューター化にあたっては、戸籍に余分な情報が連結されないように情報管理を細心に行う必要があり、濫用のおそれのないように厳重な措置を講ずる必要がある。しかし現在の筆者には、コンピューター化のもたらす致命的な弊害が思い当たらない。コンピューター化については、具体的にその利害に関する議論を煮つめていく必要があろう。
 二に述べた戸籍記載様式については、伝統的な様式を守ろうとしてきたために、身分登録簿としての戸籍は、すでに数多くの欠陥を抱えるに至っている。いたずらに伝統を墨守しようとせず、家制度の残滓を払拭する方向で、根本的に改正する時期が到来していると思われる。
 たとえば、嫡出子と非嫡出子によって異なる子の続柄欄の記載は、かつて子の両親名の記載がなかったために続柄欄のみによって嫡出庶出の区別をして家督相続の順位を明示していた時代の遺物である。両親名と両親の婚姻関係と出生年月日が明示されている現在の戸籍においては、続柄欄は不要な記載であり、非嫡出子身分をあからさまに明示する弊害ばかりの存在となっている。民法に嫡出子・非嫡出子間の相続分の差別が残存していることは、続柄欄の記載を正当化する根拠とはなりえない。同様の続柄欄は住民票にも記載されるために弊害は一層大きく、改正が急がれる。
 また、そもそも家制度が廃止された以上、氏ごとの編成には、根本的に無理があることを認識しなければならない。最終的な解決は、個人別の戸籍にすることである。本来ならば、戦後の民法改正時に個人別の戸籍に改正されるべきであった。前述した我妻栄博士の「夫婦とその子の人数だけ同一の記載をしなければならないことになって、甚だしい手数を必要とする」という危惧はあたらない。戸籍に兄弟姉妹まで明示する必要はないからである。本人の親の氏名と子の氏名および配偶者の氏名を記載すれば足り、それらの者の戸籍と相互に連結できるようにすれば、現在の「世界に冠たる」戸籍の機能はそこなわれない。むしろ除籍と転籍の連続によって過去の除籍簿をいくつも遡らなければ本人の身分関係が判明せず、「民法上の氏と呼称上の氏」の「理論」を駆使して同籍者を割り振る現在の戸籍実務と比較すれば、個人別の戸籍にすることによって戸籍実務がより簡素化されるとさえいえるであろう。またわが国の氏に関する規律をより人格権的なものに改正していくにあたって、氏が同籍者の基準となる従来の戸籍編成からもたらされる難点をたやすく回避できる。
  夫婦別氏選択制の導入は、現在の焦眉の課題である。そして氏別の戸籍編成の問題性を直視することなく、この課題を解決することはできないであろう。夫婦別氏選択制を採用した場合の戸籍記載については、別氏夫婦を同籍にする改正案と異籍にする改正案が存在する。同籍にする改正案は、現在の同籍基準である氏の同一性という基準を崩壊させる。氏の同一性という基準は非常に多くの問題をはらむ基準であり、前述したように「民法上の氏と呼称上の氏」の区別という混乱を招いているものではあるが、別氏の者を同籍させるとなると、この基準すら失われ、同籍者の基準は収拾がつかなくなるであろう。具体的には、たとえば別氏夫婦となる者にそれぞれ連れ子がある場合の処理を考えれば、その問題性は明らかである。かりにドイツ法の家族簿のように婚姻を契機に婚姻家族ごとに独立した戸籍を編成するとすれば、別氏夫婦を同籍させても同籍者の基準ははっきりできるかもしれないが、その場合には、その戸籍にはその夫婦間の子のみを記載することになり、どちらか一方の子は同籍できないことにしなければなるまい。そうまでして婚姻家族ごとの戸籍にしなければならない理由があるとは考えられない。
 家族の安定が社会の基礎としてどれほど重要な存在であるかということを考えると、家族の法的規制は、その社会にもたらす影響、とりわけ精神的な影響をも重視しなければならず、慎重な考慮が必要である。家族法はその意味では保守的な存在であることを宿命としており、その改正は現状の追認しかなしえないのかもしれない。そして戸籍制度がわが国の家族のありかたに非常に大きな精神的な意味をもってきたことは、いうまでもない。しかし戸籍のもたらす精神的な効果は、あまりにも大きな負の遺産として、わが国の家族のありかたにもはや無視できない悪影響をもたらしている。欧米では内縁の増加と非嫡出子の出生率の増加として現われる法律婚に対する反発が、わが国では、独身者の増加つまり内縁を含めた結婚の回避と出生率そのものの低下として現われる。非嫡出子出生率の異常なほどの低さは、わが国の社会における抑圧の大きさを物語る。家族法の第一義の任務は、若い男女が結婚して家族を作り子を生み育てる環境を、安定的に確保することにある。夫婦同氏強制制度は、その家族の成立自体を阻害するにいたっている。戸籍の存在ゆえに、わが国では家族法が家族法として機能できずに、むしろ国民の登録法として現われる場合が多かったといえるのではないであろうか。戸籍が個人ごとの編成に改正されることによって、わが国の家族法が戸籍の桎梏から逃れることができ、真の家族法へと脱皮できるものと思われる。


*1 もっとも次に挙げる文献の紹介によれば、スウェーデンやオランダにおいては、住民登録と身分登録が連結され、かつその情報が磁気テープに記録されるという制度が成立しているようである。あるいはこれらの諸国における身分登録制度は、本稿に述べる身分証書制度の諸国と異なり、戸籍に匹敵する強い把握力を持つ制度となっている可能性があるが、筆者はこれらの国における制度について現在知識を持ち合わせていないので、本稿では、アメリカ、フランスなどの西欧諸国を念頭において身分証書制度を考えることとする。ミカエル・ボ-グダン「スウェーデンの身分登録制度について」戸籍時報二二八号(一九七七年)、田代有嗣「オランダの国籍法・親族相続法と身分登録制度」戸籍三四一―三五八号(一九七四―一九七五年)。

*2 おもにアメリカの制度と対比して戸籍の特徴を論じる文献として、石川利夫「身分登録制度としての戸籍――戸籍制度の比較法制的考察」自由と正義三七巻五号(一九八六年)参照。

*3 大森政輔「戸籍の信頼保持政策について」細川清他編・家族法と戸籍(テイハン、一九八六年)四四三頁の表現より引用。

*4 唄孝一「『氏』二題」黒木三郎他編・家の名・族の名・人の名――氏――(三省堂、一九八八年)一八四頁。

*5 「種々の理由で現行の戸籍は、身分登録簿としては不完全なものになってしまったと考えられる。極端に言えば、戸籍には届書の記載事項と同様の事項を記載するのが本来的であるべきではないのだろうか。」島野穹子「戸籍制度の現状と将来」自由と正義三七巻五号(一九八六年)一一頁。なお本稿は、この論文に述べられた戸籍制度の将来像に多くの示唆を受けた。

*6 我妻栄・改正親族・相続法解説(日本評論社、一九四九年)四七頁。

*7 もっとも戸籍編成の基準が「家」の基準であった戦前を論理的には完全に払拭したものとはいいきれない実務もある。たとえば筆頭者たる亡父の遺妻と養子縁組をしても新戸籍を編成しない(昭和三三・四・七民事甲第七二六号回答)とされている例など。

*8 島野穹子・前掲「戸籍制度の現状と将来」一一頁。

*9 昭和五八年四月一日法務省民二第二二八五号民事局長通達。

*10  石黒一憲「人の氏名と国際家族法」家庭裁判月報三七巻九号(一九八五年)。

*11 筆者の民法の親子関係要件規定に対する見解は、水野紀子「比較婚外子法」川井健他編・講座現代家族法3(日本評論社、一九九二年)にひととおり述べた。より詳しくは水野紀子「親子関係存否確認訴訟の生成と戸籍訂正」名大法政論集一三四号(一九九〇年)以下、および水野紀子「フランス法における親子関係の決定と民事身分の保護」民商一〇四巻一号(一九九一年)以下に掲載中の各論文参照。

*12 重婚のこの問題について詳しくは、水野紀子「重婚に関する一考察」名大法政論集一四二号(一九九二年)参照。

*13 戸籍制度がもたらした日本相続法独特の性格については、相続回復請求権を中心として、水野紀子「相続回復請求権に関する一考察」加藤一郎先生古稀記念論文集・現代社会と私法学の動向(有斐閣、一九九二年九月刊予定)に詳述した。本稿の相続法に関する叙述は、この献呈論文の内容と一部重複する。叙述の必要上とはいえ、献呈論文の公刊前に本稿を活字にするにいたったことを、加藤一郎先生にお詫び申し上げる。

*14 伊藤昌司「相続と登記」有地享編・現代家族法の諸問題(弘文堂、一九九〇年)四二一頁。

*15 遺産分割協議書などを偽造して法定相続分と異なる登記をした相続人と取引をした第三者に対しては他の共同相続人は法定相続分の限りで登記なくとも対抗できるとする最高裁昭和三八年二月二三日判決(民集一七巻一号二三五頁)、遺産分割により法定相続分と異なる権利を取得した相続人はその旨の登記を経なければ分割後に権利を取得した第三者に対し対抗できないとした最高裁昭和四六年一月二六日判決(民集二五巻一号九〇頁)などの判例である。

*16  七戸克彦「ドイツ民法における不動産譲渡契約の要式性」法学研究六二巻一二号(一九八九年)、七戸克彦「登記の推定力」法学研究六二巻一一号、六三巻一号、六三巻三号(一九八九―九〇年)参照。

*17 前注(1)にあげたオランダやスウェーデンの身分登録制度は、この要請に答える必要から改革されたものではなかったかと推測される。

*18 改正以前にも一部の市町村が公開を制限する方向で運用していたが、その取扱に対し裁判所に不服申立がなされ、公開制限は違法であるとする裁判例が当時相次いだ。


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